Ⅶ.夏の香り

 昼休み、机を二つひっ付けて、ランチタイムの真っ最中に則子が突然こう切り出した。

「貴子!デートしようぜデート!!」

 彼女は思いっ切りにかっと笑いながら貴子にでかい声でそう言った。

「な、何かねいきなり」

「実は今度の日曜日、バスケ部の練習無いんだ。だからうちの相方と一緒にどっか行かない?幸君誘ってさ」

「どの辺あたりに?」

「そうねえぇ、皆で渋谷あたりぶらぶらしながら後は流れに任せて出たとこ勝負と言うのは」

「渋谷かぁ……」

 貴子は渋谷の街をぶらぶら歩いた経験が無い。それに女子高生一人で近づくのは敷居が高いし危なそうだと言う先入観も有り積極的に行ってみたい街でもなかったからだ。


 それに……


「ごめん、日曜は幸と会う事になっててさ」

「あらら、それは一大事だね、どっか行くの?」

 貴子は周りを見渡して誰も聞いていない事を確かめてから則子の耳元で囁いた。

「――秋葉原……」

 それを聞いた則子は少し引き気味に顔をしかめて見せる。

「なに、あんた達ってそう言う趣味なの?」

 貴子の頬が何故か赤く染まる。

「そ、そんな訳無いじゃん!」

「ほんとぉ~?幸君、そう言うの好きそうじゃない」

「大丈夫、変態だけどヲタクじゃない」

 則子はずいっと貴子の前に顔を出すと、ちょっと信じられない様で、曖昧な表情を見せる。

「幸が言うには、なんだかんだ言われても、結果的に秋葉原は電子部品の宝庫で、ここに無い物は日本中探しても無いんだって」

「ふ~ん」

 則子はまだちょっと疑ってる様で腕を組み上目遣いに見詰め続けた。

「じゃぁさぁ、秋葉原行って、その後、渋谷と言うのは」

「う~ん、幸がついて行けるかどうか」

 貴子は教室中を見廻したが、幸の姿は無い。

「後で聞いておくよ」

「そうそう。あたしの経験から言えば、初デートなんて、絶対失敗するんだから。二人っきりで過ごすのって、意外と難しいんだからね」

 貴子は則子の発言をなるほどと思った。

 確かに二人っきりで出歩いても、時間を持て余しそだったし、気まずい雰囲気で分かれるよりは皆で歩いた方が楽しいかも知れないとも。


★★★


 同時刻、科学部部室。

 幸は何かを作る事に集中していた。もうすぐ昼休みが終わるのだが、そんな事を気にしている気配は全く無い。

「幸先輩」

 突然紀美代に話しかけられて、口から心臓が出そうになる。

「あ……紀美代さん」

「お昼はまだですか?」

 そう尋ねられて幸は部室にかけて有る時計を見ると、ちょっと照れくさそうに微笑んで見せる。

「こんな時間ですか、お昼はちょっと無理そうですね」

 幸は更に照れて後頭部を掻いている。その姿に紀美代はくすっと笑うと、彼の前に綺麗なハンカチで包まれたお弁当箱を差し出す。

「――僕に、ですか?」

 紀美代は微笑みながら頷く。

「ゆっくり食べてて下さいね」

 紀美代は中央テーブルのパイプ椅子に腰かけて、幸の姿を見詰め続ける。

 幸は『頂きます』と言いながら両手を合わせてから、お弁当箱の蓋を開いた。中はウィンナーがイカさんタコさんしていて、ふんわりとした玉子焼き、更に唐揚げ等々があしらわれた、ごく普通の内容のお弁当に思わず感動した。男はこう言う物に結構弱かったりする。そして有りがたそうに全部食べ終わり「御馳走様」と行ってから、空のお弁当箱を持って部室の外に出ようとした。

「あ、幸先輩、そのままで良いですよ」

 紀美代は慌てて幸を呼び止めたが、

「折角作って頂いたのですから、お礼の印にお弁当箱洗って来ます、ちょっと待ってて下さいね」

 そう言って部室を後にした。紀美代は、ふっと小さく溜息をつくと渡り廊下を挟んだ校舎の方を何げなく見詰める。

「お待たせしました」

 幸は綺麗に洗ったお弁当箱を手渡し、自分もパイプ椅子に腰を下ろす。そして、受け取った紀美代はハンカチでそれを綺麗に包んで行く。

「あの、紀美代さん」

「何ですか幸先輩」

 紀美代は幸に視線をを合わせようとしない。

「こんな事を言うと、怒るかも知れませんが、最近、何か有ったんですか?」

 紀美代は上目遣で幸を見上げる。

「なにか?なにかって、なにの事」

「なんかこう、始めて会った時と最近の雰囲気が、随分違う気がして」

 紀美代は再び視線を伏せる。

「それは、きっと、お互い深く知り合って、より良い絆を持てたからじゃないかしら」

「絆?」

「そう、フォーカス合って無かったところが最近合う様になった、それだけですよ」

「それだけじゃ説明出来な――」

 そこまで言った処で幸は急に意識を失いパイプ椅子から床に転げ落ちた。紀美代はその姿を見詰めながら黒い瞳を輝かせる。

「幸、何やってんの、昼休み終わる……」

 幸を呼びに来た貴子は彼の姿を見た瞬間、血相を変えて走り寄ると、必死で幸を抱き起そうとした。

「紀美代ちゃん、幸に何したの?」

「何も」

「嘘言わないで」

 纏った黒い霧をゆらっと揺らして科学部の部室から出て行こうとしたのだが、一瞬立ち止まる。

「二~三分で意識を戻すわ。戻ったら何も心配する必要はない」

 そう言って紀美代は部室から出て行き、暫くしてから幸は意識を取り戻した

「――あれ、貴子さん、どうかしましたか?」

 意識を回復した処で貴子の瞳から涙がこぼれ落ちた。

「紀美代ちゃんに何かされたのよ、痛い処とか無い?」

 幸は自分を抱き抱える貴子の腕からゆっくり立ち上がると、手足や首をあちこち動かしてみた。

「大丈夫みたいです」

 貴子の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、それは暫く止まりそうになかった。

「貴子さん、僕は約束を果たすまで絶対死んだりしません」

 貴子はそう言う幸を見上げたのだが、視界が涙でぼやけて良く見えない。差し出された手を繰り、貴子はよろよろと立ちあがる。そして、二度目の口付を交わした。

 梅雨時なのだが、風が変わり始めた事を二人は感じた。


★★★


「ふむ、おそらく問題は無いじゃろう」

「なんでよ、爺……」

 問われた老人は、のこのこと貴子の前を行ったり来たりしながら、ぽつりぽつりと語り出す。

「彼女が何を欲したのか、何となく分からんか?」

 ベッドの上に胡坐をかいて座ってる貴子は、首を横のぶんぶんと振って見せる。

「おそらく、DNAじゃろう」

「DNA?」

「そうじゃ、幸男を昏睡させて、その隙に口の中の粘膜とか髪の毛とか採取しようとしたのではないかと思うのじゃが」

 老人の話を聞きながら、貴子は首を傾げて考え込む。

「でも、DNAなんかどうするのよ、クローンでも作るつもり?幸をいっぱい作っても、毒にも害にもならないと思うんだけど」

「ま、その通りじゃが、彼女が作り出したいのは、大凡おおよそ見当が付く、それはおそらく幸男の精子じゃよ」


 一瞬沈黙……


「そ、それこそ、そんなもん作ってどうするのだわ」

 老人は歩みを止めて貴子の方に視線だけ向けると、ちょっと言い難そうにこう言った。

男尊女卑だんそんじょひとかセクハラとか言われるかもしれんが、女子には最後の手段が有るじゃろ?」

「最後の手段?」

「そう、妊娠する事じゃよ」


 貴子ははっとして息を飲む。


「幸男を昏睡させた迄は良かったのじゃが、突然、お主が現れた。だから何も出来なくなって、その場から姿を消した……そんな処だと思う」

「――うん……」

「本音を言うと、お主にはどんぱちやらかす術では無くて、薬を作る術を教えたかったのじゃが、こんな事になってしまって申し訳ない」

 貴子は皆で大鬼ごっこに巻き込まれた時の事が脳裏に浮かぶ。

「楽しかったね、あの時……」

 俯きながらそう呟く貴子の心に火が付いた。紀美代の自由にはさせないと、幸を絶対守り抜くと。


★★★


 『秋葉原』中央通り歩行者天国。

 貴子と幸と則子とその相方、四人は無事に合流し、皆で改めて御挨拶した後、総武本線の高架下目指して歩き出した。

「ここです」

 幸は目的地を指差すと、その方向に三人の視線が集まる。

「なんか凄く怪しいね、則子」

「怪しいと言うより、胡散臭うさんくさい」

「僕は好きだな、こう言う雰囲気」

 それぞれ意見は有りそうだが、それはそっちに置いといて、幸は洞穴の入り口みたいな店内に躊躇無く足を踏み込んで行く。

 その中に有ったのは間口が畳一~二畳くらいの小さな専門店の群れ。狭い通路の中にはお客が溢れ、東南アジアのマーケット街を思わせる熱気が凄い。そして迷路の様な狭い通路は一瞬で方向感覚を奪い去る。皆、必死で幸を追いかけたのだが、通路を二~三回曲がった処で、三人は完全に方向感覚を失った。そして幸はかなり御年輩の女性が仕切る店の前で立ち止まった。

「こんにちは」

「おやおや、あんたかい。毎度どうもね。今日は何がお望みだい?」

「えっと……」

 幸は肩に担いだバッグの中から一枚の紙を差し出すと、何故か申し訳無さそうにそれを手渡した。女性はそれを一読し「ちょっと待ってね」と、言い残して店の奥に姿を消した。

「何買うつもりなの?」

 そう貴子が尋ねると幸は嬉しそうに答えた。

「ヒューズですよ。熱でぷつんと切れる奴なんですが、知りません?」

 貴子は微笑んでいるが、何の事か良く分からずに、そのまま胡麻化そうとする。

「お待たせ、これで良いかい?」

 お皿の上に部品を乗せた女性が帰って来て幸にそれを差し出した。幸はひとつずつ確認して行く。

「はい、これで大丈夫です」

「それは良かった。でもね、この種類はそろそろ販売終了になるみたいだから、別の者物で代用する手も考えた方がいいよ」

「はぁ、そうなんですか」

 幸は包んで貰った袋と引き換えに代金を払うと一礼してから店を後にする。そして数店この調子で廻ってから、洞窟の外に出た。

「じゃあ、次はあっちに行って見ましょう」

 幸は今居る場所から中央通りを挟んで小さな路地を指差した。

「そっちは何が有るのよ?」

 貴子はとっても嬉しそうな笑顔の幸を胡散臭そうに見詰めた。幸は貴子の質問に嬉々として答えて見せる。

「はい、怪しいお店が沢山有ります」

 そう言って幸はホコテンを横切ろうと歩き出し、三人は引き気味に彼の後ろをついて行く。そして辿り着いた一本の路地はホントに怪しい場所だった。

 いろんな言語が飛び交っている。日本語は勿論、英語、中国語、フランス語等も耳に入って来る。

 その路地は正にシルクロードのオアシスに有るマーケット。幸以外の三人は東京のど真ん中にこんな処が存在する事に唖然とし、三人は物珍しそうにきょろきょろしながら幸の後をついて行く。

 店先に置かれた商品には、そんな事したら、ぜ~ったいに警察に捕まるソフトウェアに、何に使うのか、全く分からない怪しげな機材が山積みされ、店主が盛んに声をかけて来る。

「ちょ、ちょっと幸、此処って本気でヤバいんじゃないの?」

 貴子はかなり焦って幸に尋ねたが、振り返った彼の表情は既にダークサイドに落ちていた。

「捕まらない限り罪には問われません逃げ切るのみです」

 悪い笑顔の幸に三人はどん引き状態。こいつだけ残してバックれようかと本気で貴子は考えた。


★★★


 四人はランチタイムを過ごす為に飲食店を探す旅の真っ最中だった。そして幸がぽつんと呟いた。

「昔の秋葉原って、飲食店が殆ど無くて、何か食べようと思ったらお茶の水とか神田とかまで出なけりゃイケなかったんですよ」

「まぁ、電気店街って言う性質上、食べる事なんて考えないでしょうね」

 則子があっちこっちきょろきょろしながら何となく彼にそう答えた。

「あ、あれなんか如何ですか?親子丼が美味しいらしいですよ」

「親子丼かぁ、良いねぇ」

 貴子が幸の意見に賛成した。そして一行はビルの中へと消えて行った。


★★★


 結局四人は入ったお店で喋りまくって、更にゲームセンターでぬいぐるみを大量にゲットし、気が付けば午後三時を回っていた。

「う~ん、今から渋谷じゃ門限に間に合わないなぁ」

 則子が時計の文字盤に目を落とす。

「でも、今から帰っても中途半端だもんなぁ」

 貴子の言う事も一理あった。そこで則子が間を取った意見を述べる。

「じゃぁ、池袋に行こうか、サンシャイン通りをうろうろしよう、楽しそうじゃん、家の最寄駅にも近いしさ」

「じゃぁ、そうしようか」

 則子と貴子の意見は一致した様で男二人の意見は無視して駅に向かって歩き出す。則子の相方はちょっと肩を竦めて見せた。幸はそれに乾いた笑顔で答えて見せる。

「早く来なさいよ~」

 則子の声が街に響く。そして彼女の策略に落っこちた事を誰も気付かなかった。


★★★


 池袋、北口付近。

 あまり都内の何処に何が有るかを良く知らない三人は、則子の指し示す方向に素直に付いて行く。

「――此処って、なんか違うんじゃないの?」

 貴子は不安そうにそう尋ねたのだが、則子は極めて自信ありげに歩を進める。そして、街の雰囲気が徐々に変わって、かなり胡散臭い雰囲気に……

「ねぇ、則子ってば……」

 そう言って則子の肩に手をあてた途端、彼女は急に立ち止まり、自分の相方の手を引っ掴んでそのまま建物の入口に入り込む。

「ちょっと待ってよ則子」

 そう言いながら貴子と幸もその中に入って行く。そしてやっと気が付いた、この建物が何なんのか。

 フロントは照明が少し落とされ、壁には部屋の写真と料金が表示され、手を出すくらいしか出来ない小さな受付が有る……

 貴子と幸はお互い顔を合わせてから、再び則子に振り返る。

「の、則子、此処ってひょっとして……」

「ご覧のとおり、ラブホよラブホ。見たら分かるでしょう」

 そう言いながら彼女は貴子にカードを手渡し「あの部屋で良いでしょ?」と言いながら空き部屋と思われる部屋の表示を指差した。

「ちょっと、あんた何考えてんのよ?」

「勿論、あの事」

 今度はにやりと嗤う則子の笑顔がダークサイドに落っこちた。

 そして、フロントにカードを渡して部屋の鍵を受け取ると、呆然としてる貴子からカードを奪い鍵を貰うとそれをしっかり握らせた。

「さ、行きましょ」

 則子はエレベーターのボタンを押す。そして目的の階に降り立つと貴子が握りしめたままの鍵を奪い、ドアを開くとベッドに向って鍵を放り投げる。

「いい加減覚悟しなさい!」

 則子は貴子と幸を無理矢理部屋の中に押し込んで扉を閉じたその瞬間、中から貴子の叫び声が聞こえた。

「嘘でしょ~~」

 それを確認した則子は笑顔で相方の手を握り「旦那はこっちね」と言いながら別の部屋に姿を消した。

 ベッドにちょこんと座ったまま固まる貴子と幸は話す事すら出来ない状態に陥った。

 青春とは暴走する物とは言うが振り幅が大きすぎてついて行けなくなってしまったのだ。梅雨だと言うのにエアコンの風が何故か驚く程心地良く感じられた。そして、これから自分の身に起こるであろう人生最初の体験が、幸せで安らかなものであることを

 心から祈った・・・のだが、それは本当に起こるのか?相手は幸だぞ。そう思った途端、笑いがこみあげてくる。

「幸、これはもう少し先延ばしにしない?」

「そ、それが正しい判断だと思います」

 二人は一度見つめあうとうんと頷いて荷物をまとめてラブホから飛び出した。見上げる空は建物に囲まれてお世辞にも広いとは言えないが都会独特の幻想的な夕暮れはなぜか心を打つものがある。

 私たちの付き合いはほぼスタートライン上なのだ、これからゆっくりと関係を築いていく必要がある。だから今は手探り足探りで良いのである。焦って得する奴などいないのだ。そう思って改めて見つめる幸の横顔はとても不安そうである。でも、これで良い。貴子だって恋愛は初めてなのだ、何が起こるのか想像もつかないし呪術では解決できないことなど目に見えている。

「ねぇ、幸」

「は、はい、なんでしょう」

「長く付き合えるといいね」

 貴子はそう言うと幸に軽く口づけする。

「は、はい・・・」

 その頼りなさ、そして一つの予感。こいつとの付き合いは、絶対に長くなりそうなという予感。

 間もなく夏が来る、貴子はそれはとても眩しいものになるだろうと、一番星がそれを語っいていることを感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かんぽう恋薬(こいやく) 神夏美樹 @kannamiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ