赤いきつねと母の愛

望月くらげ

赤いきつねと母の愛

 チャイムの音が聞こえ、双葉はスマホのカレンダーを見た。

 11月20日。あれからもう1ヶ月たったのだ。ため息を吐きながら壁に備え付けられたインターフォンのボタンを押した。


「はい」

「あっ、こんにちはー。お荷物をお持ちしました」


 このお兄さんの顔を見るのも何ヶ月連続だろう。春、この部屋に引っ越して来てから毎月だから8ヶ月か。毎月恒例の荷物の中身を思い出して双葉はもう一度ため息を吐いた。



 4月、双葉は大学進学を機に地元を離れ一人暮らしをすることになった。幸い、家事は実家にいた頃からやっていたので日常生活に不便することはない。

 なんなら一人分しか作らなくていいので料理にかかる時間も減り、作りすぎた分は翌日の弁当に回したりもした。

 洗濯だって最初は毎日やっていたのを一人だと二日に一回でも十分だと気づき、ほどほどに手を抜くことも覚えた。意外と上手くやれていると自分では思っていた。けれど。


「はぁ。まただ」


 受け取った荷物は実家の母親からのもので。中にはスナック菓子や洗剤、インスタントのラーメンにうどん、蕎麦、それからレトルトカレーといったものが詰められていた。


「いらないって言ったのに」


 ため息混じりに呟いた言葉が妙に尖って聞こえるのも仕方ないだろう。この数ヶ月、何度となく繰り返した会話を今から再びするのだから。

 一人暮らしをする、となったときに自分の中で決めたルールがある。それはご飯だけは手作りにしようということだ。なんとなく、惣菜を買ったりインスタントやレトルトに頼ることが逃げているように、もっと言うなら負けたように感じる。別に誰とも戦ってなどいないし、勝ち負けじゃなくてそういうのを便利に使うことがあってもいいことはわかっている。他の人がレトルトやインスタント食品を食べることは気にならない。それでもなんとなく、自分の中で決めたことを破るのが許せないのだ。

 段ボールを部屋の隅のスペースに乱暴に置く。するとその拍子に段ボールが倒れ中から見覚えのある赤いパッケージのカップうどんが転がり落ちた。


「またこっちだし」


 送ってくるならせめて双葉が好きなものを送ってきてくれればまだ食べようかとも思えるかもしれないのに、なぜかいつもこの赤いきつねが入れられている。


「蕎麦の方が好きだって何回言ったら覚えるんだろう」


 いや、覚えるつもりなんてないのかも知れない。あるのなら、何度もいらないと言っているのに毎月毎月こうやって食べもしない食料を送りつけてくるはずがないのだから。

 双葉は赤いパッケージのそれを拾い上げ段ボールに戻すと、スマートフォンを手に取った。

 規則正しいコール音が途切れたかと思うと、スマートフォンの向こうから音量調整を失敗したような声が聞こえてきた。


『ああ、双葉。どうしたの?』


 その声の大きさに苛立ち、音量を下げるボタンを連打する。ある程度の音量まで下がったところでもう一度ため息を吐きながら口を開いた。


「どうしたの、じゃないよ。荷物、届いたんだけど」

『ああ、もう届いたんやね。早かったなぁ』


 その白々しい言葉に余計にイライラする。双葉の講義もバイトも入っていない曜日に日付と時間指定をしておいて何がもう届いたんだね、だ。


「前も言ったけど送ってこられても困るんだって」

『腐るもんやないんやから置いといたらいいやないの』

「置く場所にも困るの」


 IKワンケーと言ったってキッチンなんて廊下と兼用でかろうじて一畳あるかないか程度の広さだ。収納だってリビング兼寝室のこの部屋に一つあるけれど決して大きいとは言えない。それでもなんとか物を減らし増やさないようにしているというのに。

 双葉は視界の隅にある段ボールを忌々しげに睨みつけた。母親はまだ何か言っていたけれど「来月は送ってこないでね!」と一方的に言うと双葉は通話終了ボタンを押しスマートフォンをベッドの上に放り投げた。

 今回もいつものように大学に持って行って友人にあげよう。喜んでもらえるし双葉としては邪魔な荷物がなくなるので万々歳だ。そう思わないとやってられなかった。



 あれから数週間が経った。

 その日、双葉はいつものようにバイトを終え帰る途中、喉の奥に違和感を覚えた。


「んんっ、風邪かな」


 何度か咳払いをしてみるけれど、違和感は拭えない。それどころか鼻から喉にかけて変な痛みも感じ始めた。

 どうやら風邪の引き始めのようだ。

 幸い、明日は土曜日で授業はない。バイトも入っていないのでゆっくり寝ていることができる。

 引き始めの風邪であれば寝ていれば治るだろう。ドラッグストアに寄って帰ってもいいけれど、無駄なことにお金を遣いたくはない。

 重い身体を引きずるようにしながら双葉は部屋へと戻った。


「……もう1ヶ月経ったんだ」


 玄関のドアの前に置かれた段ボール。そういえば、今日のバイトは急に入ったものだった。最近頼んだ通販の受け取りを置き配にしていたからか、気を利かせた配達員の人がどうやら今回も置き配にしてくれていたようだ。

 中身はどうせまたレトルト食品だろう。けれどいつもより随分と箱のサイズが小さい。とはいえ開ける気力もないまま、なんとか部屋の中に入れるとそのまま晩ご飯もそこそこにベッドに入った。

 寝てさえしまえばなんとかなるだろう。きっと翌朝起きれば元気になっている。そう信じて。

 

 ――その判断が間違いだったことに気付くのはそれから数時間後のことだった。

 息苦しさにふと目覚めたとき部屋の中は真っ暗だった。何時だろう。頭元に置いたはずのスマートフォンを手探りで探そうと布団から手を出した。その瞬間、背中に悪寒が走った。


「やっば……」


 自分の声が掠れているのがわかる。声を出したと同時に咳き込み、違和感だったはずの喉が完全に痛んでいるのがわかった。

 風邪だ。引き始め、とかじゃなく普通に、完全に風邪だ。気のせいか頭も痛い気がする。もしかしたら熱があるのかも知れない。

 明日の朝、起きたら病院に行こうか。ああ、でも土曜日だから午前中しか開いていないのか。この体調で午前中に起きられるだろうか。わからない、わからないけれど。


「無理……寝る……」


 とにかく明日のことは明日考えよう。薄れゆく意識の向こうでそんなことを思いながら双葉はもう一度目を閉じた。



 目が覚めて、体調が完全に治っている。昨日の悪寒や喉の痛みが嘘のようだ。

 ……なんてことはこれっぽっちもなく、なんなら昨夜よりも喉の痛みは酷くなっていた。

 夜中に随分と熱がしていたのか着ていたパジャマは汗でぐっしょりとなっている。そのせいで余計に身体が冷え寒気がする。

 風邪薬はないけれど体温計はあったはずだ。パジャマを着替えるついでに机の上に置いたペン立ての中に無造作に差し込んでおいたそれを手に取ろうとした。その瞬間、世界が回る。

 なんとか机に手をつき、倒れるのは避けられたけれど、目の前がぐるぐると回り続ける中でどうにか体温計を手に取ると脇に挟んだ。


「さい……あく」


 十数秒後、電子音が鳴ったのを確認してから確認すると小さなディスプレイには『39.8℃』と表示されていた。そりゃ悪寒もするし頭も痛い、おまけにめまいもするわけだ。

 でも困った。今の状態で病院に行くために自転車に乗ることはさすがに無理だ。だからといってこのまま寝ていたとしてなんとかなるのだろうか。もしかしたら最悪、ここで一人――。

 先程までとは違う悪寒が背中を走る。そんなことあるわけない、あるわけないと思うけれどそれでも。

 熱のせいか心細さで双葉の頬を涙が伝う。

 そんな双葉の視界の端に、昨日届いた段ボールが見えた。そういえば昨日とりあえず部屋に入れたままにしていたけれど何が入っているのだろう。

 ふらふらしながらも這うようにして箱を取ると、ガムテープを外して中を開けた。どうせまたいつものレトルトだろう。サイズ的にカレーをいくつか送ってきたのかも知れない。このサイズに入る量なら防災カバンに入れるのもありかもしれないな。そんなことを思って。


「嘘」


 けれど中に入っていたのは双葉の想像とは全く違っていた。

 そこに入っていたのはたったの二つ。実家に常備されていた風邪薬と、それから。


「また赤いきつねじゃん」


 こうなると逆に笑ってしまう。頑なに双葉の好きな蕎麦ではなくうどんを送ってくることに。


「あれ?」


 中から赤いきつねを取り出すと何かがひらひらと落ちた。そこにはいつもは入っていない二つ折りにされた手紙があった。


『この季節、体調を崩しやすいので薬を送ります。いらないっていうかもしれないけれど、備えあれば憂いなし、です』


 タイミングの良さに驚くと同時に、今まで何度も送られて来た赤いきつねの意味がようやくわかった。

 小さな頃、季節の変わり目が来ると双葉はよく体調を崩した。喉が腫れ何も食べたくないと泣く双葉だったけれどなぜかこの赤いきつねのうどんだけは食べられた。お湯を入れて5分待つところを7分ほど待ち、少しくたっとなったうどんと甘いお揚げ。それならどんなに具合が悪くても食べられたものだ。

 大きくなるにつれ体調を崩す頻度も減って、この十年程は季節の変わり目に風邪を引くこともなかったのですっかり忘れていた。

 けれど母親はそれを覚えていたんだ。双葉が一人生活する中で熱を出しても食べられるものがあるように、毎回荷物の中に赤いきつねを入れてくれていた。


「なん、だ……。覚えてくれない、じゃなくて、忘れてたのは私じゃん……」

 

 鼻の奥がツンとなる。心細さではなく、母親の愛情に自然と涙が溢れてくる。

 電気ケトルに水を入れ、湯を沸かす。昔のように7分待って、それからそっと蓋を開けるといい匂いが鼻腔をくすぐる。そっと麺をすすると、優しい味が口の中いっぱいに広がった。

 食べ終わったら送られて来た薬を飲もう。それで少しマシになったら、電話で言うのは照れくさいから母親にメッセージを送ろう。今まで伝えられなかった感謝を込めて。 

 

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赤いきつねと母の愛 望月くらげ @kurage0827

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