赤い糸と緑の指輪
真摯夜紳士
赤い糸と緑の指輪
「味が分からない人に、娘はやれんな」
そう――彼女の家へ出向き、ご両親に挨拶するまでは。
「え……?」
互いに自己紹介を済ませ、和やかに談笑した後のこと。
定番の「娘さんを僕にください!」と頭を下げたまま。お義父さんから放たれた一言に、僕は思わず耳を疑った。
「聞こえなかったかな?」
「い、いえ、聞こえていました」
僕は慌てて背筋を伸ばす。
白髪交じりのナイスミドル。落ち着いたトーンと、眉間に寄ったシワの感じからして、冗談を言っているとは思えない。
味が分からない人に娘はやれん。僕は明確に、結婚の条件を突き付けられたのだ。
「ちょっと、お父さん!」
「お前は黙ってなさい。これは大事なことなんだ」
割って入ろうとした美香を制して、お義父さんは
「これでも見る目はある方でね。少し会って話しただけだが、君が好青年だということは良く分かった。美香が気に入るわけだ。けれども、交際と結婚では話が違う」
背中に汗が
「君……確か
正しくは品質保証部の検査員。有り体に言うと、視覚・味覚・嗅覚で望んだ通りの商品になっているかテストする人のことだ。別部署に居た美香に一目惚れしたのも、食品サンプルの検査中だった。
「娘の未来を思うのなら、父親として試す権利はあるだろう」
結婚相手に仕事の能力が備わっているのか。そう聞くと真っ当なことを言われているように思う。
「話は分かりましたが……僕は何をすれば?」
「母さん、準備してくれ!」
「はいはい。もう出来てますよ」
台所の方から声がして、お義母さんが姿を見せた。穏やかで上品そうな見た目とは裏腹に、手にはカップ麺――あれは『赤いきつね』だろうか――を持っている。
割り箸と一緒に僕の前へ置くと、お義母さんもテーブル席に着いた。
既にフタは開けられていて、美味しそうな香りを乗せた湯気が立ち上っている。
自然と四人の視線が、赤いきつねに集まっていく。どういう状況なんだ、これは。
「庄司くん、君は赤いきつねを食べたことがあるかい?」
「ええ、数える程度にですが」
「では赤いきつねが四種類あるのも?」
「……いえ、それは初めて知りました」
ごくり、と。食欲か緊張か分からない
なるほど、そういうことか。
「と言っても、変えているのは粉末スープだけでね。北海道、東日本、関西、西日本向けと、それぞれの舌に合わせてある。庄司くんには、そのカップ麺が何味の出汁なのかを当てて欲しい」
湯気に当てられていたからか、こめかみに汗が伝っていった。
四種類の何味か。確率にして四分の一。うどんや
そもそも僕は、以前に食べた赤いきつねの味さえ覚えていないというのに。
「安心してくれ」そんな僕を見かねてか、お義父さんは「勝負はフェアでないとな。味の説明くらいはさせてもらうよ」と付け加えた。
助かった。それなら、まだ勝機はあるかもしれない。
お義父さんは、まるで台本でも読むかのように商品を紹介してくれた。
北海道向けは
東日本向けも同じ鰹節と昆布出汁だが、北海道向けより塩分が高い。
関西向けと西日本向けは、昆布・鰹節・煮干などの
こうして説明されると、ざっくり東西で味が別れているのが分かる。関西向けと西日本向けに至っては原材料が変わらないのだそうだ。つまり三分の一で正解する。もっと言えば、西向けだと分かった段階で、結果が決まったようなものだ。
結果――結婚。美香と幸せな家庭を築く為にも、ご両親の許可はあった方がいい。何より美香を悲しませたくない。
僕は心配そうに窺う美香に、そっと笑いかけた。彼女は僕を信じて、頷き返してくれる。多少ぎこちない笑みだったかもしれないが、お陰で勇気を貰えた。
いいさ、官能検査員としてのプライドも賭けて、やってやる。
箸を二つに割って、僕は「いただきます」と手を合わせた。
大きなお揚げに、コシのありそうな白い麺が彩り豊かだ。
出汁を一口すすると、爽やかな鰹節の香りが鼻孔を抜けていった。舌先に残る昆布の風味と甘み。
美味しい。今のカップ麺は、ここまで美味しくなっているのかと、改めて思わされる。ああ……こんな状況でもなければ、一息つきたいところだ。
僕は器を置いて、今度は色を確かめてみた――いのだが、麺が邪魔をしている。出汁の色合いを正確に知る為にも、無い方がいいか。
ずぞぞ、ずぞぞぞ。
リビングに、僕の
誰も何も喋らない。気まずいなんてものじゃないぞ。味に集中しなくちゃいけないのに、テーブルマナーまで見られているかのようで。
駄目だ、そうじゃない。目的を思い出せ。今だけの恥なんて忘れてしまえ。
一通り麺を食べ終えて、ようやく出汁の色が分かった。黄金色というよりかは茶色に近い。
東西の違いは醤油の濃さ。比較対象は無いのだけれど、塩分の量と透明度からして、北海道か東日本向けなんだろう。これは大きな前進だ。
「庄司……分かりそう?」
「ああ。絞り込めてはいるよ」
ひりついた空気に耐えかねたのか。美香は目を閉じて、祈るように指を交差させた。そこで輝く婚約指輪のエメラルドは、彼女の誕生石。早く安心させてあげたい。
問題は、この赤いきつねが北海道向けか東日本向けか、だ。お義父さんの説明では、北海道向けは利尻昆布を使っているのだとか。おそらく北海道で採れる昆布なんだろうけど、聞き覚えもなければ、味にも覚えがない。
参った。行き詰まりか。
他に何か、ヒントなんて――
赤いきつねの器。パッケージに書かれた、赤い文字。そこには原材料が記載されている。
やましい物でも見たかのように、僕は
どういうことだ? いや、当たり前なんだろうけど、それじゃあ試験にならないじゃないか。不正、カンニングも
僕は……恐る恐る、お義父さんの方に目を向けた。表情一つ崩さず、じっと僕を観察している。やっと気付いたか、というような
深呼吸して、頭を働かせる。これは結婚への最終試練だ。大事な娘を嫁に出すかどうかという引き際で、お義父さんが卑怯な手段を受け入れるんだろうか。
僕は冷静に、赤いきつねのパッケージを回した。
やっぱり、そうか。
大きな文字で『W』と書いてある。これはWest(西)のWだ。明らかに僕の舌が出した答えとは違う。要するに、このパッケージは引っ掛けだ。味で判断しなかった卑怯者を見分ける為の罠。
危なかった。もし、この原材料を信じていたら、僕は東日本向けを選んでいただろう。
とはいえ、これで振り出しに戻ったわけか。もう一度、考えなければ。
「庄司くん」
今まで黙っていたお義父さんの声に、はっと顔を上げた。
「は、はい!」
「食事中に
「あ、いえ、そういうわけでは」
お義父さんなりに気を
お揚げを箸で持ち上げる。出汁を吸って、ずしりと大きな重さが箸先から伝わってきた。お義父さんの言う通り、赤いきつねの代名詞を放っておくのも、失礼な話だ。
じゃくり。滴り落ちそうな出汁と、お揚げのハーモニー。容易に歯で噛み切れる、柔らかい食感。
だけれど、これは――甘すぎる。
不一致の一致。噛み合わない歯車だからこそ、糸口が見えてくる。
頭の中で、全ての答えが出揃った。それでも二者択一の賭けだ。
僕は箸を置いて、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「庄司くん。何味か分かった、ということかな」
「ええ、この出し汁は……緑のたぬきの、東日本向けですね?」
予想外の答えだったのか、驚きに目を白黒させる美香。そして、お義父さんは満足気に頷いた。
「ちょっと二人で話をしよう。縁側に来てくれるか」
「もちろん、お供します」
僕は席を立ち、呆気に取られていた美香の肩に触れて、その場を後にした。
日が暮れそうな庭先で、お義父さんは「よっこらしょ」と縁側に腰掛ける。
「庄司くんには簡単すぎたかい?」
「とんでもないです。難しかったですよ、かなり。お義父さんがヒントをくれなければ、最後まで分かりませんでした」
「
例えまで食品で、なんだか笑ってしまう。あれと美香の指輪を見ていなかったら、緑のたぬきまで辿り着けなかっただろう。
お義父さんは立ち上がって、僕の真正面で頭を下げた。
「すまなかった。試すような真似をして」
「そんな、頭を上げてください! 僕の方こそ、ヒントを貰わないと答えられないなんて、不甲斐ないです」
「いいや、無茶を言ったのは私の方だよ。だから謝らせて欲しかったんだ。母さんと娘の前では、情けなくて見せられんがな」
お義父さんは苦笑して、再び縁側に座って遠くを眺める。
「庄司くん。カップ麺とは違って、嫁が作る味噌汁は毎日味が違うんだ。だけど君になら、その意味が分かってもらえると思う」
娘を、よろしく頼む――そう言って、お義父さんは、また頭を下げた。
僕は涙を落とさないように、一番星に「はい!」と叫んだ。
赤い糸と緑の指輪 真摯夜紳士 @night-gentleman
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