霜月は雨、斧定九郎と魔女の恋-2
箱の中は、思いの外可愛いドーナツが並んでいた。
それを食べるフジコを、破れ傘を接着剤で直しながらクロキシはじーっと見ている。なんだが居づらくなって、フジコはそっと声をかけた。
「あ、あの……」
「それ、美味いか?」
それを機にふいに目を細めて彼が聞いてきた。
「えっ? 美味しい、です」
「本当か? 甘いのか?」
「ええ、甘いし、美味しいですよ」
「そうかあ。それなら良かった。ほら、これも。本当は氷を浮かべたかったが、冷凍庫がないんだよな」
ボトルに入ったジュースを差し出しながら、クロキシが眩しそうな顔になる。フジコはちょっと面くらう。
「クロキシさんも食べますか?」
「おれはいい」
「甘いものは嫌いですか?」
「おれは戦闘用だぞ」
きょとんとすると彼は続けた。
「他の感覚に全振りしてるからか味覚が異常に鈍い。何食っても同じ味しかしないから、甘いのも苦いのもわからん。だから、お前らが食っているのを見る方が好きなんだ」
クロキシは笑顔でそんなことを言う。
「で、おれは何がうまいかとか全然わからねえから、スワロに調べてもらったんだ。こいつ結構調べ物が上手いんだ」
そう言ってクロキシは、機械仕掛けの小鳥を撫でやる。
「こいつはスワロ。おれの
で、と自分たちのことをさらさらと語ってから、クロキシは首を傾げた。
「お前は? ウヅキの魔女だろ。まだ名前を聞いてないな」
「えと、名前は」
フジコは顔を曇らせる。
「あたし、まだ本当は見習いなんです。なので、固有の名前はまだ」
フジコは恐る恐る告げた。
「魔女としての喉をもらったけど、まだうまく歌えないから……。魔物が出ると、一時的にしか止められないし、才能なくて、一人前になれそうにない」
「はは、何言ってんだ。お前の歌は良かったぜ」
きょとんとすると、クロキシがにやりとする。
「おれにも効くって言ったろ。黒騎士の構成物質はアイツらと極めて似ている。おれの方が上等だがな。おれたち黒騎士は、あのテのナノマシン持ちに対して激しい攻撃性が本能的に湧き上がるようにできていてな。イラっとするんで殲滅したくなるんだが、お前の歌はおれにも効く。攻撃性が消えていくんだ。だから、歌うなって言った」
ほおづえをつきながら、クロキシは無邪気な表情になる。
「だから、お前の歌は大したもんだぜ。おれは特に攻撃性が強いから、中央の奴らにハブられてるんだぞ! お前はそのおれに効いてるんだぜ。すげえよな」
フジコは思わず赤くなる。そんな彼女の様子にも気づかず、クロキシは尋ねた。
「で、お前、名前はなんだ」
「あの、FJI09です」
「それ、製造番号だろ。名前だよ名前」
「あの、だから、個別の魔女名はまだなくて。同じシリーズの子はフジコって通称されてました。あたしは、その九番目だからフジコ09」
クロキシはムッと表情をゆがめる。
「それも製造番号じゃねーか。ちっ、おれのいない間に
「でも、ほかにはなくて……」
「じゃあ俺が決めてやる。お前ならウィステリアだな?」
「うぃすてりあ?」
聞き慣れない名前にフジコは目を見張る。
「俺が昔旅してた異国の言葉で、お前の名前をそういうんだ。お前のさっき歌ってたのと同じ言葉だぜ?」
にっと笑って彼は言う。
「だから、レディ・ウィステリア。どうかな?」
そう言われてフジコは、口の中で繰り返してそっと頰を赤らめた。
「気に入ったか。えへへ、おれは名前決まってないやつを、勝手に名付ける役目もしてたことあるんだぞ」
嬉しそうに笑うクロキシ。トタンばりの屋根に雨はリズム良く音を立てて踊る。
クロキシが傘を修復する作業を終えてそれを開く。軽く確かめてから屋根の外に出してみる。フジコはドーナツを食べ終わっていた。
「雨も小やみになったし、傘も直った。そろそろ行くか。行くぞ、
「一緒に行くの?」
てっきり、彼、一人でいってしまうのだと思っていたので、フジコは驚いた。
「当たり前だろ。おれはお前の案内役だといったろ。ウィスはあの滝を止めに来た。おれもあれがある限り、あいつらが減らねえから困ってる。利害一致だし、遠慮はいらねえぞ」
彼のさしかける傘の下で外に出る。
「お前はあまり雨に触れないほうがいい。魔女は耐性はあるが、おれと違って感染する」
土の香りがする大地。彼の番傘に弾かれて重い穢れた雨粒が音を立てている。
空から降る、災厄の雨。恐ろしい任務と不毛の大地。そして、古い技術で固められた乱暴な守護者。
それなのに、フジコは、初めて心が踊っている。
(変なの)
「あっ、あの」
フジコが声をかけると、クロキシが目を瞬かせる。
「クロキシさんの、名前を聞いてないわ。もしよかったら、教えてください」
「あれ、おれの名前、聞いてねえのか? ふん、アイツら、職務放棄もいいとこだな」
といいつつ、クロキシは苦笑する。
「おれはネザアス。この放置された
「ネザアス?」
「今じゃ地獄のゴクソツみたいなもんだが、これでも
クロキシ、ネザアスはそういうと、ふっと笑った。
ネザアス。ナラクのネザアス。フジコは、その名前を繰り返し、人知れず赤くなる。
「見ろ。陽の光が差し込んできた」
そんなことも知らないで、奈落のネザアスが声をかけてきた。
眩い陽の光が、上から降ってくる穢れた滝を輝せていた。遠くの朽ちた観覧車が黄金色に染まる。
「綺麗だろう? ここはどうしようもねえ場所だが、黄昏時こそ美しいものなんだぜ。こんなもの滅多に見られない」
その降ってくるものは、恐ろしいけがれに違いない。その黒い色は絶望の色のままのはずだ。
ただ。
「本当。綺麗」
フジコは、ふわふわ揺れている彼の右袖をちょっとだけ掴んで見上げた。
不意にさっきふるえながら歌っていたあの歌が思い浮かぶ。ここには神はいないけれど、この大地に美しく降り注ぐそれは、きっと呪いだけでもないのだろう。
「改めて、奈落へようこそ、
黒騎士ネザアスはそういうと、にやりとする。
「短い間だが、よろしく頼む。そうだ。さっきの歌、続きを歌ってくれよ」
終
霜月は雨、斧定九郎と魔女の恋 ーナラクノネザアスー 渡来亜輝彦 @fourdart
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