霜月は雨、斧定九郎と魔女の恋 ーナラクノネザアスー

渡来亜輝彦

霜月は雨、斧定九郎と魔女の恋-1

 降ってくる泥の雨は、いつでも、絶望の色をしている。


 下層の大地は乾燥していることが多いのだが、底に向かう道は雨でどろどろだった。

 フジコ09は、ジープの窓からそっと外を見ていた。問題の場所だという目的地の空は、いつでも曇っていて雨が降っているようだ。それも黒い色がついている。

「やれやれ、ついてない。魔女の護衛任務で奈落行きとはな」

 口さがない中央派遣のシロキシがふとそんなことを言う。


 シロキシがつけっぱなしのモニターでは、教育プログラムで昔の芸能が映っている。フジコがぼんやりみていると、どうも雨の場面らしい。娘が身を売った金を持って帰る父親が、突然現れた強盗に殺されて、その強盗も撃たれて死んでしまう話。

(救いがないなあ)

 雨の中で見るものじゃない。よく考えるととても陰惨な場面。なぜなら、自分だって似たような身の上だ。


 厳密にはフジコは見習い魔女だった。魔女というのは、中央で作り出された一定の構成要件をみたすものだ。簡単にいえば、少女にとある改造を施したもので、兵器とも道具ともいえる。人間ではあるもののヒトの扱いをされないこともある。それでも魔女になれば大切にされるが、見習いは別。

 その出自はそれぞれで、一から作られた者もいるし、孤児もいるし、売られてきたものもいるのだが、一旦魔女として認定されれば扱いは同じ。

 フジコの場合は、同じデータを元に作られた9番目の子で、今までは一応人間の扱いだし、自分も人間だと思っている。一時期は一般家庭に引き取られていた。しかし、彼女は歌の才能があったため、売られるようにして中央に送り返されて、魔女候補生になった。

 他のフジコのことは知らない。知らなくていい。

 車の窓から見上げると、空から黒いものが降ってくるのが見えてくる。見かけは雨。しかし、ところどころ真っ黒な滝のような筋が空に走っていた。

 その滝、上層からとめどなく降るのは、この世界を壊してしまう黒い泥と呼ばれるものだ。その泥の雨を止める為に、フジコは派遣されていた。魔女はあの泥を浄化する為、作られた娘たちなのだった。

「しかし、奈落っていやあ、"アイツ"の縄張りだろう? 最近姿を見ねえな」

「見ない方が平和でいいぜ。黒騎士だろう、アイツ。万一絡まれると面倒だ。黒騎士の連中は全方向に攻撃的になるように仕込まれている」

「つーか、本来ならここも俺達白騎士の監視域なんだがな。まあ、こんな遊園地の廃墟、アイツに管理してもらった方がマシか。アレでも中央派遣に違いない」

「だけどいつまで正気かね。時代遅れで穢らわしい黒物質持ちの黒騎士ブラックナイトなんざ、粛清すればいいものを。あいつだっていつ発狂するかわからないぞ」

 フジコは彼らの事情は、詳しくは知らない。ただ、彼ら、中央派遣の衛士にも色々あるのだ。

 とりあえず、シロキシとクロキシがいる。シロキシとクロキシは、投与されたナノマシンの種類が違って、クロキシはそのせいで乱暴で手がつけられないという噂だ。クロキシに使われるナノマシンは古い技術の産物だが、今では生産が技術的に難しく希少なのだともいう。口の悪いシロキシの話によると、クロキシの体を構成しているものは、あの流れ落ちる黒い泥にとてもよく似ているのだとか。それもあって、彼らはクロキシを穢らわしいというのである。

 けれど、フジコにとっては、クロキシだろうが、シロキシだろうが同じようなものだ。奈落についたら、シロキシはきっと彼女を置いて帰ってしまう。あの降り注ぐ滝を全部止めるまで迎えに来ないのだ。

(怖いな。こんな怖いところに一人なの。あたし、初めての任務なのに)

 彼女は不安になっていた。魔女の年齢は外見通りではないこともある。けれど、彼女は外見通り、まだ小さな少女だった。特殊な力を持っているとはいえ、まだ子供だった。扱いは兵器のようなものだとしても、怖いものは怖い。近頃、居住区域を増やす為、放置された下層ゲヘナの土地に魔女を派遣しているのは聞いている。成功したのかは知らされず、魔女たちがどうなったかもわからない。

 ただ、想像はできる。

(でも、あたし、もう行く場所がない)

 フジコには、逃げる場所はないのだった。


 状況が変わったのは、”奈落"と彼らが呼んでいる、その見捨てられた大地の周辺のことだった。遠くで朽ち果てた観覧車のようなものがうっすらと見え出すころのこと。

 何があったのか、彼女にはわからないが、不意にジープを止めたシロキシ達が騒いでいた。

「お前はここで待っていろ」

 そういって彼らは車の外に出てしまう。彼女には止める時間もなかった。

(クロキシの人でも見つけたのかな?)

 さっきそう言っていたし。そんな呑気なことを考えていた彼女だったが、出て行ったシロキシ達はなかなか帰ってこない。それどころか、急に雨が強くなり、フロントガラスが汚れ始めていた。

 不意にどん、とジープが揺れる。

「な、何?」

 どんどん。立て続けに揺さぶられるジープ。フジコは恐る恐る窓から外を見る。泥の雨に汚れる窓からは、それでも大きな黒い泥に塗れた獣が見えた。

 猪のような形の獣。それがジープをひっくり返そうとしているようだった。フジコは咄嗟に反対側のドアを開けて、雨の降る中まろびでた。

 獣の咆哮が聞こえ、泥の猪はジープをひっくり返す。ジープはおもちゃのように潰されて行く。周りにシロキシ達は見当たらない。

(ど、どうしよう。やられちゃったのかな)

 雨が冷たく降り注ぐ。泥の獣はフジコを睨みつけて唸りを上げた。彼女を狙っているようだった。

 フジコはふるえる手で、胸元を握った。ここで彼女ができることは一つだ。

 落ち着け落ち着け。練習通りにすれば良い。

 泥の猪が咆哮して突進してくる。フジコは目をつぶって、歌った。

 声が雨の中を通る。不意にそれが泥の猪に届くと、動きが一瞬鈍くなる。周りの水溜りの泥が、ざわざわと動き出すと彼女を守るように踊り出す。

 泥の猪にはそれ以上の効果はないが、他の小さな泥の塊が足止めしてくれる。彼女は歌いながら走り出した。

 早く逃げなきゃ。効果は一時的だ。

 身を隠せるものはと周りを見ると、瓦礫のようなものがある。元々は小屋だったのか、屋根があった。チケット販売との消えかけた文字がある。彼女はそこに逃げ込んだ。

 トタン屋根を雨が叩きつける音がする。涙がぼろぼろこぼれる。けれど、なんとか歌わなきゃ。あの泥の魔物は、きっと自分を追いかけてくる。

 涙で途切れそうになるのを必死で修正して、フジコは歌う。その歌は祝福の歌なのに、自分は祝福なんてされていない。すがる神も用意されていない。なんて皮肉なんだろう。

 と不意に、白い手が目の前に伸びてきた。

 フジコはどきりとした。先ほど見たプログラム映像で、そんな場面があった。強盗に殺される男の財布を奪う白い不気味な手。

 反応するまもなく、口を塞がれる。

 恐怖に息を飲んで、フジコはがたがたふるえた。

(殺されちゃう。ここで死んじゃうんだ)

 びくびくしながら見上げると、一つ目が暗闇に浮かぶ。

「歌うな」

 声が聞こえたが、ふとそれが少し優しくなる。

「悪い。驚かせた」

 ふさがれた手がとかれる。

「そんなに驚くな。おれも雨宿り中なんだ」

 人間の声だ。

「良い声なんだが、今はやめてくれないか。あの豚野郎、歌に耐性がある。音に反応して追いかけてくる奴だ。だけど、それな、俺には効くんだよ」

 男の声。少しだけ掠れている。

 ふるえながら視線を向ける。背後に男が立っていた。やたら派手な着物に右目に眼帯をつけた長髪の男。赤っぽい髪に鋭い目をしている。

(こわい)

 人間の姿をしていたからと言って、恐怖が消えるわけではない。そんなことお構いなしに、男はまじまじとフジコを見た。

「藤色の瞳? お前、ここに派遣されてくるっていうウヅキの魔女か?」

 こくりと頷く。

「そうか。久々に中央から派遣されてくるって言うから、待っていたんだぜ。白騎士のヘタレどもはいないのか?」

 ぶんぶん首をふると、男は左目を瞬かせる。

「ま、常識的に考えると食われてるよな。やれやれ、白騎士の奴らは汚染に弱い癖に行動が甘いんだよ」

 男は立ち上がる。その肩に機械仕掛けの小鳥がいた。燕のようなフォルムだが、色は派手だった。男は赤い左手に番傘を持っていたが、右は懐中に飲まれているようで見えない。

「あ、あの、あなたは?」

「アイツらがおれの悪口ぬかしてたろ。ここに派遣されている黒騎士だよ。聞いてねえか? お前を案内する為に寝床から這い出てきた。たくさんいたクロキシもシロキシも、ここには今おれしかいない」

 クロキシだという男はそういうと、小屋から半分外に出て傘をさす。雨を弾く音がする。

「元々ここはお前みたいな小童どもを迎えるテーマパークだったんだぜ。大人が一生かかっても回りきれない遊び場だ。で、俺はホスト側のキャスト。悪役も助っ人も楽しく気まぐれでやっていた。そんなおれが今更呼び出され、ここの番をしている」

「テーマパーク?」

「そうだ。この雨のゾーンも、元は花札がテーマの綺麗な場所だったぜ。今はただの地獄の底だけどな。ここは十一月の区域だから、雨が降る。時々鬼も出る荒れ模様の柳の庭だ」

 にやっと笑ってクロキシは続けた。

「こんなだけど、お前は久しぶりの客。お前みたいな小娘が来たのは久しぶりで、それなら、おれも案内役ガイドをつとめてやろうと待っていた。客が来るのはうれしいぜ?」

 外にはいつのまにか、泥の魔物がたくさんいる。びくとすると、クロキシは手に持っていた箱を振った。

「なんだ、まだ泣いてるのか? ほれ、これでも食って待ってろ」

 クロキシはフジコに箱を押し付ける。彼が持つのには不似合いな、可愛いピンクの箱だ。

「なに、これ?」

「なに? ドーナツだろ」

 当然と言う顔でクロキシは答える。

「ここに来るゲストは、昔、そういうの好きだったからよ。本当はチュロスってやつが人気だったが、今は売店なんかねえから。街まで買いに出かけたんだぞ、俺は」

 フジコは目を瞬かせる。

「テーマパークにはスリルがつきものだ。だが、あんなにいるとシンプルにウゼェから、ちょっと駆除してくる。そこで待っていろ。この雨、お前らには毒だ。長く当たると感染する」

 クロキシはそういうと、傘をさして出て行く。

「あの……クロキシさん」

「まだ歌わなくて良いぞ。歌はな、あとで歌ってくれ。続きを聞きたい」

 彼の向かう先には、おびただしい泥の魔物が控えていた。そして、彼の言う通り、歌を辿ってきたらしい泥の猪が唸りを上げている。

 水溜りの中、クロキシはゆるゆると足を進める。不毛の大地だが、黒く染まった柳のような植物だけが不気味に揺れている。

「雨の風景にしちゃあ、いつ見ても無風流だな」

 クロキシは肩の小鳥にそう呼びかけて軽くなでやる。

「柳に濡れ燕。ここは、本来、柳に小野道風と蛙の配置だったんだがな。なんでか別の月にいた猪が出張ってきやがって。ちょっと見ない間に境目が壊れたか」

 クロキシを狙っている泥の魔物たちがうねりながら襲いかかる。クロキシは傘を閉じてそれを力任せに吹っ飛ばす。

「久々に掃除が必要だな」

 のんきにそう呟き、ざっと足を踏み出す。肩から機械仕掛けの小鳥が飛んだ。

 泥の猪が敵の出現にざわめき、形を崩しながら広がり、押し寄せる。ふっと冷たく笑うと、クロキシは閉じた傘でそれを叩き伏せる。

「見掛け倒しめ」

 たん、と大きく跳躍し、突進する猪をかわすと背後に大きく切り払う。泥の猪はぼろぼろになりながら崩れていく。

(すごい)

 フジコが感心しながら見ていると、不意にその猪がぐずぐず崩れて細やかに分かれた。そのうちの一つが人の形を取る。かつてそれが呑み込んだものの姿をうつしているのか、戦士のシルエットをとったそれがライフルを握っていた。

「クロキシさん!」

 思わずフジコが呼びかける。

 フジコの声は彼らに大きく影響する。その音を受けて、人の形の泥がゆらぐが、構えをとったまま。

 クロキシは、傘を広げばんと足で扱って跳ねさせる。それが魔物の方へ向かう。

 銃声が轟き、傘を銃弾がえぐる。その影に隠れながら、クロキシはいつのまにか刀を抜いていた。

 びしっという音と泥の崩れる生々しい音。

「悪いが、おれは斧定九郎じゃないんでな」

 クロキシは、刃で敵を貫き通していた。冷徹と言っていい薄ら笑いを浮かべ、足で突き放して剣を抜く。

「どうも五十両じゃ死ねないらしいんだぜ?」

 その足で傘を蹴り上げて左手で受け取ると、クロキシはばさあと傘をさした。

 フジコはそのクロキシには、冷酷さと強さからくる恐怖を感じつつも、何故か少しドキドキしていた。それは多分好意的な感情だった。

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