バラの花:おいでなさい

 物知り顔な方々は、私を悪妻、愚妻と呼び捨てる。「天才」音楽家の妻として、いささか私の素行は理想的で無いようよ。なかなか笑わせてくれるわね。良いわ。悪妻。他人ひとに言われるのは少し心外だけど、それでも的を射ているわ。愚妻。

 あなたが音楽を書いてくれるなら、私は何にだってなれるのよ。でもまさか、こんなに誉れ高い呼び名を賜るとは思わなかった。時世を傾け支配するのはいつも、悪女と呼ばれる女たち。ロココの国の王妃様も、そう呼ばれていたわ。彼女は最期まで、女王として国母として君臨した。この国の誇りよ。


 私という女を、一度だけ、きちんと言葉で教えてあげる。私にとって大切なのは、私自身の人生と、子どもたちの人生。その二つだけ。あとは本当はどうでも良いの。私自身のために、あなたの音楽が必要だった。だから私にとってあなたは、決して替えの効かない唯一の人だった。あなたが私の心を掻き乱し、その復讐に燃える私の炎に、他でもないあなたが見惚れている。私はね、美しいと言われることが一番好き。平穏無事な人生なんて、ほんとは望んでいないのよ。激しく強く優雅に咲いて、いつでも不敵に笑ってやるわ。


「シュタンツィ、シュタンツィ、シュタンツィ!」


飢えたように私を欲しがるあなたの声。ああ可愛い。もっともっと愛してあげたくなってしまう。私があなたを照らしてあげる。ほら、もっと私のことを怒らせて、驚かせてみて。歌ってあげる。この喉はあなたを震わすために生まれてきた。抑えきれない私の欲望を、あなたの音がうつつに還してくれる。喜びも、悲しみも、怒りも、困惑も、全て私の生き様。私の声があなたの音となり、あなたの音が私の声となる。戦いね。楽しいわ。最後まできちんと煌き燃えているから、私を頼りについてきて。触れればきっと火傷じゃ済まないわ。覚悟して、用心深く、私を知ることね。楽しいわね。苛烈な私を知るたびに、あなたの目も耳もすっかり支配されてしまう。恍惚としたあなたのかおが、私の身体をさらに熱くする。あなたは私の可愛い恋人。子どもたちのたった一人のお父さん。私をもっと、狂わせて。




 辛く強張る寒さを乗り越え、あなたが喜び芽吹く季節が訪れる頃、私の花弁がドレスのようにうたい咲く。おいでヴォルフィ。私にキスして。やっと一緒になれたのね。あなたをやっと、つかまえた。どうか生きて、いろんな景色を一緒に見ましょう。いろんな私をあなたを見つけましょう。そう願っていたの。


私はあなたを愛してしまったの。ヴォルフィ。ご免なさいね。

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ふたりの女 -愛されたモーツァルト- 珠子 @02alba

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