せっかちな父とわたしの、クリスマスの食卓

丸毛鈴

せっかちな父とわたしの、クリスマスの食卓

「あっかんわー」

 ハンドルを握る父が言った。額に手まで当てて、大げさに。そのしぐさに、イラッとする。フロントガラスの向こうには、ロードサイドの夜闇に浮かぶ、煌々と照明に照らされた駐車場。空きなし、そのうえ、店のまわりにはぐるりと行列。


「なんとか買えへんやろか。駐車場ぐるぐるしとるから、のりちゃん、ちょっと聞いてきてくれへん」

 わたしはぶすっとした表情で、後部座席から降りる。肌を刺すような冷気に、思わずスタジャンのポケットに手を突っ込み、背を丸めた。サンタ帽をかぶった白スーツのひげのおじいさんを横目に、店に入る。あんのじょう、店員の返事は、「ご予約がないと、いまからはちょっと……」というものだった。扉の横で寒風に揺れる、箱いっぱいのチキンがプリントされたのぼりがうらめしい。


「予約してないとあかんて」

 車に戻ると、父はめげずに「寿司や!」と叫んだ。

「クリスマス・イブに寿司を食べに行くやつなんておらんやろ!」

 楽天的すぎないか。

 回転寿司屋で、わたしたちはふたたび、フライドチキン屋と同じような光景を目にすることとなる。駐車場いっぱいの車、行列、満席の店内。店員の答えだけが異なって、「今からですと、2時間待ちになります」。

 父は「とんかつや!」と叫び、「とんてきにしよ!」と叫び、「あそこの隣にステーキ屋あったな」と次第にトーンダウンし、わたしたちは流れ流れて、大きな駐車場があるショッピングセンターにやってきた。


「フードコートあるやん。あそこでのりちゃん、好きなもの食べたらええよ」

 わたしたちがロードサイドをさまよっているあいだに、フードコートは閉店時間を迎えていた。

「もうおしまいですか」

食い下がった父に、店員は申し訳なさそうにうなずいた。


「チキン、半額になっとるんちゃう」

 父はいそいそとお惣菜売り場に向かう。どうせあかんよ、もうふつうにレトルトカレーでええよ、と言おうとしたときには、その背中は遠くなっている。思いついたら即行動、こっちのことを見もしない。


――そんなんやから、オカンに愛想つかされたんちゃうの。


今日だって、「クリスマスのチキンて。そういうの、予約せなあかんのと違うの」と言っても聞きゃしなかった。そんなことを思い出し、またまたイラッとしながら追いかけると、がらんどうのお惣菜売り場には、細いチキンレッグが一本のみ。


「20%引きって、ケチやな……」

「それよか、一本しかあらへんやん」

「のりちゃんにあげるわ」

「もうええよ、ふつうにカレーとか買って帰ろ」

 いいかげん、空腹も限界だ。


「あっ、これクリスマスやん!」

 父がワゴンに山と積まれた即席めんを手にした。

「『赤いきつね』と『緑のたぬき』で何がクリスマスなん」

「クリスマスの色やろ」

 父は満足そうに笑った。


 ふたを開け、粉末状のだしをぱらぱらと乾麺の上にかける。湯を注ぐと、新聞やら洗濯物やらが散乱したリビングいっぱいに、出汁の香りが広がった。わたしは「赤いきつね」、父は「緑のたぬき」。

「これ、どうやって使うん?」

父がキッチンタイマーを持ってきた。時間は20分にセットされている。たぶん、母が玄米ご飯を炊いたときにセットして、そのままなのだろう。

「このボタンふたつ押してリセット……」

上手くいった。わたしは発泡スチロールの容器をくるくる回して作り方を確認し、5分にセットする。

「そこは3分やろ」

「でも、ここに『5分』って書いてあるもん」

「ほかのカップ麺は3分やで。3分でいけるて。あ、緑のたぬきは3分やん! 赤いきつねも3分でいけるで!」

「わたしのは5分! なんでそんなにせっかちなん!」

父の手からキッチンタイマーを奪う。

「そんなんやからオカンに……」

言いかけて、言葉を飲み込む。

「ごちゃごちゃ言うとるうちに、1分ぐらい過ぎたやろ」

父から目をそらして、わたしはキッチンタイマーを4分にセットした。


 ふたを開けると、ほわーっと湯気がたつ。おあげを噛むと、出汁がしみ出した。

「おいしい。はじめて食べたわ」

そう言うと、湯気の向こうで父が笑った。

「ビールにも合うわ。のりちゃんにも、シャンメリーでも買ったったらよかったなあ」

 一本だけのチキンレッグに口をつける。皮の下にあるこれは、肉なのか? 骨なのか? 見た目通り、食べるところが少ない。ひとつだけ売れ残るのも納得だ。

「クリスマスって、みんな外で食べるんやな」

湯気の向こうで、父がボソッと言って、天ぷらを噛んだ。毎年、クリスマスの食卓に並んでいたのは、母がつくった、チキンのワイン煮、ポテトサラダ、これまた手作りのケーキ。だから、わたしたちは知らなかった。クリスマス・イブに、みんなが何をどうやって食べているかを。

「ほら、なんかすぐ買えるみたいに書いてあるやん」

父が手元のチラシを指さす。そこにはデカデカとした「クリスマスチキンボックス!」の文字と……。

「『ご予約はお早めに』って書いてあるやん」

「ほんとや……」



「ほら、クリスマスカラーやろ」

 わたしは赤いきつねと、緑のたぬきを手にして見せる。電気ケトルでわかした湯をそそぐと、ほわーっと出汁の香りが部屋中に広がった。この瞬間にいちばん幸せを感じるのは、生まれてはじめて赤いきつねを食べた12の冬から変わらない。

「赤いきつねはな、5分なんやで。オトンはせっかちやから、緑のたぬきな」

 どうせ、ふたつともわたしが食べるのだけど。キッチンタイマーをセットして、ビールを開ける。きょうは奮発して、発泡酒ではなく、本物のビール。

「あの頃は、“本物のビール”しかなかったのにな。あ、そうや」

 小さなコップをキッチンから持ってきて、父のぶんも、ビールをつぐ。3分たったので、写真たての前に、緑のたぬきを置く。

「どうぞ。こっちやと、ちょっと味違うんやで。西と東で、出汁の味変えてるんやって」

 就職のために上京してはじめて、赤いきつねと緑のたぬきの出汁が、地域によって異なることを知った。父がこの関東バージョンのつゆを飲んだら、「うわっ、濃いわ」と言うだろうか。「こっちのが好きやわ」と言うだろうか。

 キッチンタイマーがピピピと鳴る。

「いただきます」

 湯気の向こう、父が写真立てのなかで笑っている。

 赤いきつねと緑のたぬき。これがせっかちな父とわたしの、クリスマスの食卓。













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せっかちな父とわたしの、クリスマスの食卓 丸毛鈴 @suzu_maruke

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