第25話

 リンのからかうような言葉は耳に入って来ない。


 そうだとすれば、なぜ今頃になって――、考えすぎか。


 とはいえ、もう店を移す時期なのかもしれない。ギルドをあまり利用したことのないルヴィがここの噂を聞きつけてきたのだ。今貸し出している剣が戻ってきたら次へ行くか。


「あのさぁ、君の素が出るときって、いっつもピリピリしてるよね。何がそんなに君をイライラさせてるの?」


 こちらの考え込む表情を見てか、リンが言った。慌てて顔を作る。


「そんなことはありませんよ」

「そんなことなくないわよ。す~ぐ今みたいに不自然な作り笑顔と言葉遣いで隠してる」

「分かったようなことを言いますね」

「分かってるわよ。君の気持ちは分からなくはない。でも――」

「――」


 視線に合わせると、リンは言葉を飲み込んだ。そして、


「ま、ルヴィちゃんとは、そういうことを話す関係でもないわけね」

「必要ないでしょう」

「そうね。あたしだって何も言うつもりはないわよ」

「助かります」

「そういう言葉は感情をこめて言うものよ」


 リンはため息をついた。


「君はさ、あたし以上にあたしのことを気にする必要なんてないから」


 皮肉か?


「あたしにとって、ヒュアートは特別なんだから」

「そうですか」

「そうよ。あたしの客は君だけじゃない、それなりに顔は広いのよ。でも、やっぱり君が特別なのよ」


 心臓が痛いくらいに脈を打つ。


 嫌味ではないのだろう。しかし、どうしても、あてつけのような、棘のあるものに感じてしまう。


 もしかしたら、リンは店に来た男の正体を知っていて、あえて言わないのかもしれない。俺とその男の関係に踏み込むべきなのかを探っている可能性もあるか……。そうだとすれば、想像は間違っていないことになるが……。


「はぁ。まぁともかく用事はそれを伝えに来ただけだから、あたしは帰るわよ」


 ため息とともにリンは言葉を落してから、さらに、


「ただ、やっぱり他の誰かと関わってるのは意外だったわ」

「言ったでしょう。成り行きですよ」

「追い出すすべなんていくらでもあるでしょ? でもそうしてないんだから」

「……彼女はちょっと特別なようなので」


 隠しておくことでもないかと思い、そう言葉にすると、「あはは」と声をあげて笑った。


「興味があるってこと? その興味、あたしにも向けていいのよ?」


 ああくそ。


「さっさと帰ったらどうです?」

「そうね、帰るわ。『暗い道に気を付けてね』くらい言ってくれる?」

「暗い道に気を付けて下さい」

「はーい、ありがとね」


 リンはカラカラと笑って去っていった。


 そうしてその姿が消えたところで、疲労感が一気に押し寄せてきた。体中に力が入っていたのが分かる。


 あれからもう何年も経っている。


 向こうの言葉をそのまま鵜吞みにすれば、こちらの自意識過剰なだけかもしれない、それでも、脳と体が忘れられない。


 そして、今日はそれに加えて、リンの含みのある言い方。あの男が近づいてきている可能性。この前のルヴィの言葉のせいもあってか、余計にそれを感じてしまう。


 無意識に両手のこぶしを握り、奥歯を激しくかみしめた。倦怠と焦燥と緊張と、湧き上がってくる全ての感情を押し殺すためだった。


 もう顔も思い出せないあの男を、どうしてこんなに意識してしまうのか。無関係だ。


 昔出てきたあの家の、あの男の、父親のことなど、もう忘れたのだから。

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