忘れていた心

さとすみれ

1話完結

 十月の終わり。吐く息が白くなってきた頃。私は練習をサボって一人、自販機の隣に置いてあるベンチに座っていた。遠くから、本来であれば参加をしている陸上部の声が聞こえる。……私は一体何をやっているんだろう。腰を上げて練習に向かおうとするものの最初の一歩が踏み出せない。私はまたベンチに座った。自販機の側面に頭をつけ、体を預ける。寒い中、あたたかいココアの缶を手に握っているからか眠くなってきた。目をゆっくり閉じる。寝ちゃだめ……寝ちゃ――。


 「瀬那! 陸上部に入らない?」

「陸上……?」

高校に入学してすぐ、私は友達の瀬那せなを陸上部に誘った。もともと中学校で陸上部だった私は、高校で瀬那と同じ部活に入りたかった。だけど自分は楽器を弾くことはできないし、料理もできない。だから瀬那を同じ世界に引っ張った。

 時は過ぎ、二人は走っている。

「美帆はやっぱり速いね」

「ずっとやってるからね」

「私も頑張らないと」

そうそう。最初は私の方が速かった。当然だ。中学三年間ずっと走ってきたんだから。私は県で一位を取るくらい速かった。だから、タイムなんて抜かれないと思ってた。

 ぱらぱらとフィルムのように映像が変わる。

……これは高校二年生になって初めての大会。私は初めて瀬那に負けた。初めて二位を取った。

「瀬那すごいじゃん!」

「そんなことないよ。まぐれだよ」

その言葉とは裏腹に私は瀬那に嫉妬した。この時から、まぐれじゃないって分かってた。練習でもタイム差がどんどん縮まっていたからだ。だけど、まだ大丈夫と思っていた時に一位を取られた。悔しかった。

「新人戦 陸上競技の部 長距離部門 一位、清水瀬那 二位、大山美帆――」

「総合大会 陸上競技の部 長距離部門 一位、清水瀬那 二位、大山美帆――」

その後も私は二位を取り続けた。どれだけ走り込みをしても、嫌だった体力トレーニングを頑張っても瀬那を越すことはできなかった。走っている時に彼女の背中が前にあって追い越そうとスパートをかけるのに、彼女の方が速くて結局離される。そしてゴールテープを先に切る。私はみんなから「シルバーコレクター」と言われた。私は瀬那を陸上に誘ったことを後悔した。

 映像は変わって、瀬那が倒れた時のものになった。練習中に突然バタッと倒れたのだ。原因は生まれつきの病気が、走り込みやトレーニングをし続けた結果、悪化したらしい。瀬那は走れなくなった。学校にも通わなくなった。通えなくなった。

 次に出てきたのは私が一位を取れた大会だ。もちろん、瀬那がいないから取れた一位。

「すごいじゃん! 一位だよ!」

瀬那に病室で言われたものの内心ずっとモヤモヤしていた。だって瀬那が出てないから当然じゃん。瀬那がいなかったら私がずっと一位だったんだから。

 どんどん時間が早送りをしているように過ぎていって、瀬那のお葬式の場面が頭に流れる。私はもちろん、お葬式に参列した全員が泣いていた。瀬那が死ぬとは私も思っていなかった。治ると思ってた。お葬式の時に、確か瀬那のお母さんに声かけられたんだよな……。

「瀬那ね、最後にあなたに言ってたの――」


 「陸上の楽しさを教えてくれてありがとう」

あっと思い目を開けると公園の街灯が白く光っていた。……さっきまで日が出ていたのに。もう沈んだみたいだ。……なんで私は瀬那を憎んでいたのだろう。瀬那と楽しく走りたかっただけなのに。なんで私は競争に持ち込んで、瀬那を勝手に恨んでいたのだろう。目から溢れた涙を止めることはできなかった。今なら気持ちよく走れる気がする。私は冷えたココアをぐいっと飲み干し、遠くで練習している部員のもとへ走り出した。

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