俺たちの夏休み 後編

 初日。

 皆んなでストゥラグと呼ばれる、シチューに似た食べ物を囲んでからの四日と四晩、祖父とノーラが家に帰って来る事は無かった。

 祖母曰く「本能に勝てるのは本能しかないからね」

 …との事だが、ノーラがどこでどういう特訓をしているのか、それ以上の事は頑なに教えてくれなかった。


 クリフはクリフで、夏だと言うのに毎日身体を芯まで冷やして帰って来る。こちらも四日目、まだ成果は上がっていない様子だった。


 ただ、この四日で大きく変わった事がある。


 「……夏樹、これはどういう話なんだ?」

 「こっちは人の名前、夏目漱石。これは物語のタイトル『吾輩は猫である』。そうだなぁ…どう言う話かと言うと…猫から見る人間は変だなあ、って話かな」

 「猫?」

 「ちょっと待ってね。…えっと、こんな感じで耳があって…こう…髭があるような生き物」

 興味深そうに絵を覗き込むクリフは、夏目の字を指差す。

 「これは夏樹の字と一緒だな」

 「うん。この夏目漱石って人はね、他の国の好きって言葉を伝えるのに、月が綺麗ですねって台詞を当てはめたんだって。なんだかロマンティックな話だよねぇ」

 「…同じ字なのに、夏樹と違ってキザな奴なんだな」

 「俺だってキザでロマンティックかもしれないだろー。……………まだクリフも俺も知らないだけで」

 「どうだか」

 鼻で笑い飛ばすクリフは、こうして寝るまでの一時間、捨てそびれていた教科書を眺めては楽しそうにしている。


 ――お前の名前も、こういう風に記したりするのか?


 そう風呂上がりに聞かれた時は、とにかくどこから教科書を引っ張り出したのか分からず震えあがったけれど、一度書いてみせた俺の字を書きとりして以降、クリフは流暢に俺を「夏樹」と呼ぶようになった。




 「ねぇクリフ、俺も聞いていい? ……すごく今更なんだけどさ、ジャックとダニエルって見分け方とかあるの?」

 

 俺のベッドを陣取っているクリフは寝そべったまま、ページを捲る手を止めた。

 「前髪を右に分けているのがダニエルで、左がジャック。……まあ時々…逆になっている事もあるか」

 「そうなの?」

 「遊んでるんだ。昔は二人とも坊主だったし、親ですら分かってない時期もあったしな。本人たちがこだわってないんじゃないか?」

 「えぇぇえ!? 兄弟ってそういうもの?」

 「どうなんだろうな、僕も兄弟がいないから」


 こうして過ごして、まず驚いた事がある。

 見慣れたクリフの仏頂面には――どうやらノーラが関係しているらしい。少なくともこの四日間、俺はクリフの不機嫌面を一度も見ていない。

 「もしかして…ほんとにノーラの事が好きだったりするのかな」

 どんな顔していいか分からない、とか?

 睨みつけられた。

 「………ジャックとダニエルか…」

 舌打ちひとつ。否定も肯定もしないまま、クリフは教科書に目を戻す。

 「変な心配をするなよ。ローゼスをどうこうするつもりはないからな」

 「…ほんとなんだ…」

 「フンッ。新月の晩で懲りなかった馬鹿共が、懲りずに妙な気を利かせたんだろうが…そのうち僕は、どこか裕福な家の娘と結婚する事になるだろうしな。所詮それまでの話だ」

 「政略結婚って事?」

 クリフは教科書を閉じた。ため息をひとつ。

 「カルティエ村は乾燥地帯で、土が痩せているんだ。だから作物が育たない。常に貧しい村を、カルティエ家は代々、裕福な家と婚姻する事で守ってきた」

 「じゃあその…クリフのお母さんと、お父さんも?」

 「父は貴族の出だが、次男なんだ。それで家を継げずにタリス王国騎士団に入った。父と結婚する事が、家を継ぐ条件だったと聞いた事がある」


 ストゥラグを口に入れた時。

 思わず溢れたようにクリフが呟いたのを思い出す。


 ーー…これ、温かいと美味いんだな。


 妙なものを見るような目をノーラは向けていたが、今はなんとなく、冷めたスープを飲むクリフが想像出来た。


 「……時間の問題だろう。最近父は、僕の婚約者選びに熱が入っているようだからな」

 「クリフはそれでいいの?」

 「どう言う意味だ?」

 「しなくちゃいけない理由は分かったんだよ。でも、クリフはそれでいいのかなぁって。ノッ――す、好きな人がいる訳だし」

 「僕は貴族である事を誇りに思っているし、家を継ぐ以上、ある程度は仕方がない事だとも思っている。お前の祖父母のように全部を投げ出してまで抗おうとも思えないしな」

 言ってしまったあとで、クリフは小さく「スマン」と付け足した。

 「なぁ夏樹。………お前、魔族が怖くないのか?」

 「え?」

 「僕は正直、マリア・ロロが怖かった。勝てる気もしなかったしな。けど、お前は向かって行っただろう。それは祖父が魔王だからか? 怖くなかったのか?」

 「そうだなぁ」

 浮かんだ答えは色々あって、俺は指折り数える。

 「怖くなかったのかって聞かれたら…怖かったよ。父さんと母さんの葬式で、死ぬってこう言う事なんだなぁって怖くなった記憶もあるし。だけど、学院に通いたいって言った日から毎日、じいちゃんが稽古を付けてくれたんだ。だからあのルールなら勝てる自信があった。…じいちゃんが魔王な事は…うん、絶対関係があると思う。


 けど俺からすればーーそもそも魔族とか人間って、あんまり違わないんだよなぁ」

 「そうか? 全然違うだろ」

 「うーん…俺は魔物の居ない世界で生まれたし、苦しめられた事もないからだとは思うけど……俺から見れば、人間だって悪い奴はいるし、酷い事を平気でする奴もいると思うんだーー実際俺は、今でもマルコ・ボレロのした事は許せない」

 「…」

 「だったらボレロを殺したマリア・ロロが正しいのかと聞かれたら、それも違うと思った。なら、ピムスさんに会いたいノーラの気持ちを大事にするべきじゃないかなと思ったんだ。その為に出来る事ならしたかった」

 「……でも結局、ローゼスはピムス・ウォーカーには会えなかったんだろう?」

 「うん」

 「あいつらしい話だな」

 口端を緩めるようにして、クリフは笑った。

 「生まれってすごいな。長年かけて賢者が辿り着いた答えを、すでにお前は持っていたって事だろう?」

 「それは結果が一緒だっただけだよ。…俺にとっては、ノーラが友達って事がまず大前提だった訳だし」

 「少なくとも僕はそんな風に考えた事はなかった。










 ………お前本当に、僕が魔物に見えてたんだな」


 咽せた。


 「ぐっ、い、いや!!! それは俺も…今になって考えてみると、言い過ぎたと思わなくもないっていうか!!」

 しどろもどろしていると、ニヤニヤ笑うクリフと目があった。

 「もう!!!!!」


 「そんな事より夏樹、政略結婚を避けるなら、夏樹はどうすればいいと思うんだ?」

 「え? やっぱり嫌になった?」

 「嫌にはなってないが。話してみると言う事は、案外大事な事だと思ってな」

 「うーーーーん」

 首を捻って考える。

 「やっぱり大事なのは、まずは村を豊かにする事だと思うんだ。作物を育てるのも厳しいとなると。………………温泉饅頭、的なものはどうだろう」

 「おんせんまんじゅう? なんだそれ」

 「物語でも、寂れた旅館を建て直すのは料理からってのが定番だし、カルティエ村の名物料理を作ってみるとか!」

 「名物料理、か」

 「乾燥してて暑いよね。カルティエ村って」

 「まあな」

 「……………カレーとか?」

 「かれー?」

 「寒い時に食べるのも美味いんだけどさ、暑い時に汗かきながら、はふはふ食べるのはもっと美味いんだよ」

 想像したら、合っている気がする。

 思い立ったが吉日。


 「カルティエ村にある材料で出来る事がないか、ばあちゃんに相談してみよう!」


 置いてけぼりのクリフを背に台所へ向かおうとしていたその時、

 ガタンッ!!!

 玄関辺りで鳴った大きな音に、思わず駆け足になる。

 「じいちゃん、おかえり! ………ッ、ノーラ!!!???」

 投げ捨てられたらしいノーラは、四日前に会ったとは思えないほどげっそりやせ細っていた。隈も酷く濃い。

 「ローゼスが戻って来たのか? …っ」

 「ちょうど良い。そいつと一緒に布団へ運んでやれ」

 「じ、じいちゃん! ノーラは一体何を」

 「…魔族が強くなりたいのなら、自分より強い相手に動けないんじゃ話にならんからな。儂を前にしても動けるようになるまで放置した、それだけだ」

 美丈夫姿の祖父は、いつにも増して冷たく見える。

 「だからって」

 「その声は……ナツキか?」

 息を呑んだ。戸惑う俺を、深い紫色の瞳が映す。震える瞼が弧を描いた。

 「私は大丈夫だから、心配するな…第一関門を越せたんだ。ここから私は強くなる」

 「ノーラ、でも」

 「師よ、明日から…よろしくお願いします…」

 「四日寝とらんじゃろうが、明日は休め。ほら夏樹、ボサッとせんで、さっさとその馬鹿弟子を連れていかんか。儂はばあさんの飯を食う」

 祖父は一直線に台所へと向かって行く。その背を目だけで追いながら、ノーラはふふっと嬉しそうな声をあげた。

 「ナツキ、聞いたか? 馬鹿弟子だって」

 「………頑張ったんだね、ノーラ」

 「強くなると決めたんだ。同じ所にはいられない」

 ノーラは目を閉じる。そのまま喋らなくなった事に恐怖を覚えて顔を寄せると、呼吸の音が微かにしていた。


 「クリフ、ノーラを運ぼう」

 「あ、ああ…」

 辛うじて頷いたものの、明らかにクリフは動揺していた。ノーラの肩に手を回す。二人して抱える必要もないくらい、ノーラは軽かった。

 「……夏樹」

 クリフの声が震えている。

 「お前が村に来なくなったあの日から、ずっとコイツはこんな調子なんだ」

 「…」

 「……目が離せなくて、ホント嫌になる」

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