6 楽士の手紙

「ただいま、お母様!」

 夕焼けの空の下、アディンセルの屋敷に戻ったクローディアは、母・キャシーの姿を見ると、大きく手を振った。

「まあ、クローディア!」

 キャシーはクローディアの姿を見るなり駆け寄って、抱きしめる。

「元気になって、帰ってきたわね。さあ、リインにクローディア、旅の疲れを癒してください」

「心遣いに、感謝します」

 リインは、キャシーに向けて深々と頭を下げた。

 クローディアは、旅の疲れか、父や妹、従者たちに挨拶を終えるとすぐ、箱庭の中で眠ってしまった。そこで、キャシーはリインを再び自室に呼び出すことにした。

「……リイン。この度は、本当にありがとうございました」

 深々と、キャシーはリインに頭を下げる。

「いや。僕は、僕にできることをしたまでだよ」

「あの子が明るくなったのが、本当にうれしくて……こちらが、お礼になります」

 キャシーは金貨が詰まった小箱を差し出したが、リインは首を振った。

「今この場で、全てを頂くことはできない。必要な分だけ、受けとるよ。残りは次に貴女がたを訪ねた際に、また」

「また訪ねていただけるのは嬉しいけれど……どうして?」

「旅の道中、あまり大金を持ち歩くわけにもいかないしね。それにクローディアは、僕の新しい歌を楽しみにしているだろうから――」


「クローディア様、箱庭姫様。朝ですよ」

 翌朝、メイドに声をかけられたクローディアは、眠い目をこすりながら起床した。

「リインはまだいる?」

「ええ。クローディア様が起きるのを、待っていたみたいですよ。さあ、お支度をしましょう」

「大丈夫。あたし、一人で支度ができるようになったんだよ?」

「なんと、それは! ……何か私にお手伝いできることはありますか?」

 メイドは目を白黒させながらも、仕事を探そうとしている様子だった。リインとの旅で、身の回りのことは一人でできるようになってきたけれども、元々それは彼女の仕事だったのだ。

「じゃあ、髪を結ぶのを手伝ってもらえる?」

 クローディアは少し考えて、まだ苦手なことを伝えた。

「ええ!」

 メイドは笑顔で答えた。その後、彼女は本当にクローディアが一人で支度が出来ていることに驚くのであった。


 身支度を済ませたクローディアは、慌てて屋敷の門へと向かう。リインはすでに旅支度を済ませ、じきに屋敷を発とうとする佇まいであった。

「リイン! これから家を出るの?」

 息を切らしながら、クローディアは尋ねる。

「ああ。落ち着いたら、手紙を書くよ」

「あたしも、頑張って手紙を書くから! いつか、新しい歌を聞かせてね!」

「ああ。君の手紙も楽しみにしているよ」

 最後に一度だけ、リインはクローディアを抱きしめた。暖かさと共に、寂しさがこみあげた。

 リインは、また一人で旅をして、何を思うのだろうか。寂しくないだろうか。

 彼女の気持ちは彼女にしかわからないけれども、彼女が元気で旅をするために、できるだけのことはしたいとクローディアは考えていた。

「……じゃあ、またね」

 抱擁を解き、リインは淡く微笑む。すぐに、クローディアに背を向けて歩き出した。

 風が吹き、男装楽士の短い髪とコートが揺れた。

 クローディアは、彼女がくれたぬくもりと音楽を思い出しながら、見送っていた。


 二人の別れから一月が過ぎた頃。

 クローディアは、作法のレッスンや勉学を真剣に取り組み、庭師と共に、花の世話を始めるようになった。時折箱庭で過ごす時もあったけれども、従者たち、それに両親と妹は、大きな変化だと感心していた。リインと旅をしてから、いろんなことに挑戦して、できることが増えていく体験が、楽しくなったゆえだ。

 そして、クローディアは本格的に竪琴を習い始めた。竪琴の講師はリインと違って、形式を重視する堅苦しい人物だった。けれども、リインに再び会った時に上達した姿を見せたい想いで、熱心に練習をしていた。旅を終えてからも、彼女が、リインのことを考えない日は一日たりともなかった。


「クローディア様、お手紙ですよ」

 ある日、従者の青年・オリバーは、クローディアに声をかけた。

「本当!?」

 クローディアはたちまち顔を輝かせ、彼が手にする手紙をじっと見た。

「そんなに急いでも、手紙は逃げたりしませんよ」

「でも、リインからの手紙、早く見たくって……」

 クローディアは手紙を受け取ると、差出人の欄を見た。間違いなく、リインの署名だった。それから彼女は箱庭へと駆けて、一人、封を開けた。



 親愛なるクローディア


 屋敷に戻ってから、何か変わったことはないかい? 竪琴の練習は怠っていないかな?

 僕は今、北の町、ノフィに滞在している。

 ここの林檎は絶品なんだ。いつか、君にも味わえる機会があればいいのだが。

 竪琴は無事に直ったし、町の人たちは、僕の竪琴や歌を楽しんでくれたよ。

 だから、僕のことは心配しなくて大丈夫。

 それより、君が元気でいることを願っているよ。好き嫌いはほどほどにね。


 追伸 手紙は、ローヒル町の宿屋アンダンテに送ってもらいたい。そうすれば、丁度僕が着く頃に、手紙が届くだろうから。


 リインより 



 手紙を読んだクローディアは、興奮冷めやらぬまま机へと向かった。

 リインに手紙を書くために買った便せんを、引き出しから取り出す。それから、想いのままにペンを走らせた。

 翌朝、勢いで書いた手紙を改めて読んだら少し頬が熱くなったけれども、リインに元気でいると伝わればといいと思いながら、クローディアは手紙に封をした。

「オリバー、郵便屋に行きたいの。付き合ってくれないかしら?」

 手紙を書いた時の調子のまま、クローディアはオリバーを呼び出す。

「かしこまりました、クローディア様」

 青年従者は、穏やかな微笑みとともに、クローディアの側についた。

「クローディア様、嬉しそうですね。そんなに旅は楽しかったのですか?」

「もちろん。リインはあたしに、素敵なことをたくさん教えてくれたんだから!」

「それは何よりです」

 クローディアは一歩、屋敷の外へと足を踏み出した。髪を揺らすそよ風に、外の空気を感じていた。

 リインに、無事手紙は届くだろうか。手紙が届いたら、リインは何を思うだろうか。想像を巡らせるとどきどきした。

 そんな心の鼓動のままに、クローディアは街へと駆けていった。


 箱庭姫に贈る詩・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱庭姫に贈る詩 夕霧ありあ @aria_yk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ