5 箱庭姫に贈る詩
「この竪琴を壊した犯人を捜しているの」
自警団の詰め所にて、クローディアはリインが手にする竪琴を指し示し、はっきりと言った。それから彼女は、逃げた男の背格好について話した。
「探しておくけど、期待しないでくれよ」
自警団の男は足を組み、肘掛けを指で叩きながら答えた。話半分といった様相だ。
「お願い、その人を見つけたら、注意して!」
それでも、クローディアは手を合わせて、念押しをした。
「よろしくお願いします」
隣のリインは一礼し、クローディアを連れて詰め所を後にした。
「……やっぱり、すっきりしないよ」
宿へと向かう道の中、クローディアはぼやく。
「自警団だからといって、真面目に取り合ってくれるとは限らない。思うようにいくとは限らないんだ」
「……そうなんだね」
「けど、クローディア。わずかな手掛かりを覚えていてくれて、可能性を探そうとしてくれたことが嬉しかった。ありがとう」
「リインは、いつも褒めてくれるね」
「思うようにいかないなら、せめて良い所に目を向けたいだけさ」
「お父様はめったに褒めてくれないのに。どうしてリインはそう思えるの?」
「クローディアが大人になったら教えるよ」
「えー、リインのけちー」
「大人になる楽しみとでも思ってくれ」
「むー」
頬を膨らませるクローディアの隣で、リインはあっけらかんとしていた。
これが大人の余裕というものか。それとも、そんな余裕を持てるのはリインくらいなのだろうか。クローディアは釈然としない気持ちを抱えたまま、宿への道を歩くのだった。
宿の客室に入ってから、リインがくまなく竪琴を調べた所、投石による損傷は木のへこみ、高音部のピンの損傷であると確かめられた。
「大丈夫だ。このぐらいなら修理はできる」
リインは至って冷静に、竪琴に触れる。彼女がへこんだ所を撫でた時、クローディアの心はちくりと痛んだ。
「修理をするにも、お金かからない?」
リインが言うことだから、楽器は直るのだろうとクローディアは信じられた。けれども、誰も責めず、身銭を削るリインが心配だった。
「今までだって、楽器が壊れたらそうしてきた。必要な出費だ」
「けど……」
「心配しなくても大丈夫。明日は湖に行くんだ、今日はもう休みなさい」
「……」
言われるがままクローディアはベッドに身を投げ出し、大の字になったが、心は休まらなかった。リインにかける言葉が見つからず、思い悩むばかりだった。
翌日、再び二人は湖に向けて歩きだした。半日歩けば、到着する距離だ。クローディアの足取りはしっかりしているにもかかわらず、二人の間に会話は少なかった。
そこで、リインは休憩の時に、竪琴を奏でようとした。竪琴は壊れていても、音自体は鳴る。だから、使える弦だけで弾けばなんとかなるのではないか。そう思ったけれども、弦を弾こうとしても、指は一向に動かなかった。
竪琴が壊れている故か。これでは、クローディアに詩を作れないのではないか。静かに焦燥に駆られながらも、リインは笑おうとした。
「大丈夫だってはずなのに、どうしてかな」
「リイン、笑い事じゃないよ」
けれども、クローディアは笑っていなかった。
「クローディア?」
いつになく真剣な少女のまなざしに、リインは、目を丸くする。
「悲しいなら、悲しいって言って。リインが無理しているの、あたしは見たくない」
「……ばれちゃったか。僕の想い、よくわかったね」
「そうやって、また笑うんだから」
クローディアは、困ったように笑いながらも、頬にはひとすじ、涙が流れていた。
「自分の心は自分のもの、気持ちを曲げたらしんどいって言ったのは、リインでしょう? リインがリインの気持ちを曲げているのを、あたしは見たくない。リインがしんどい思いをするの、あたしは嫌だ」
クローディアの刺すような言葉に、リインははっとした。
この子は、自分の歌を好きになったからこそ、段々と言ったことを理解できるようになった。そしてそれを元に、意志を示せるようになったのだ。わずかな間での目覚ましい成長を、リインはしみじみと感じていた。
それが嬉しくて、リインは口角を上げようとした。けれども、上手く笑えない。その代わりに瞳から、温かいものが溢れてきた。
どうか止んでくれ。リインの念とは裏腹に、涙は流れ続けていた。
「リイン、泣いているの……?」
「恥ずかしいな」
「そんなことはない。どんなリインも、リインだよ」
「そう言ってもらえると、助かるよ。……ねえ、クローディア」
「何?」
「ちょっと、僕の腕に触れてくれないか」
「こう?」
たどたどしく、クローディアは、右手をリインの左腕へと伸ばす。
「そうだ。ありがとう。クローディアが上手く竪琴を弾けるようになったら一緒に弾くって約束、果たせられなくてごめん」
リインもまた、右手でクローディアの腕に触れた。
クローディアは、リインが落ち着くまで、沈黙とともに向き合っていた。
「……そうだ。最初に言った約束を果たせていなかったね」
ややあって、涙を拭くリインの言葉に、クローディアははっとした。
「あたしに、歌を作るって約束?」
「ああ。湖に着くまでに、歌を考えてみるよ。そこで、お願いがあるんだ」
「何?」
「君に買った竪琴を、使っても構わないかい?」
「もちろんだよ!」
クローディアは感極まって、胸のあたりで手をぎゅっと握っていた。散々迷惑をかけたのに、リインが約束を覚えていたことが、ただただ嬉しかったのだ。
それからのクローディアの足取りは軽かった。疲れていることに変わりないけれど、リインの歌が聞けるなら、あと少し、頑張ってみよう。そう、少女は心に誓っていた。
木々が生い茂る道は、一見すると面白みがない。けれども、何か変化はないか、遠くに湖が見えないか。クローディアは周囲を見渡しながら、歩いていた。
二人が歩き続けてからややあって、湖は姿を現した。湖の先には、山々が並び、その間に古城が見える。空は澄み、水面は景色を映して、静かに揺れていた。
「この世界には、こんな所があったのね……」
クローディアは、湖の近くまで駆けて風を感じると、ただ息を呑んでいた。憧れていた人と二人、地上の楽園を訪れたような心地でいた。
「クローディア、一人で走ったら危ないぞ。……ここに来られて良かったかい?」
「うん。想像以上に、いい眺めだね」
背中にかかるリインの声に、クローディアは振り返り、風に揺れる髪を抑えた。
「そうだろう。外の世界には、こんな美しい景色もあると、覚えておいてくれると嬉しいな」
「リイン。この場所を教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、約束の歌を奏でるとしようか」
「うん!」
クローディアはリインのもとに戻り、竪琴のケースを差し出した。
リインはベンチに座り、ケースからクローディアの竪琴を出すと、左腕に抱えて、弦の調律をする。ひとつひとつ、和音がきれいに響くよう、音色を整えた。そしてリインは竪琴を構えると、歌いだした。
クローディア。君は、笑顔が素敵な女の子。
けれど、いじけているのはどうしてだい?
何に怯えているんだい?
クローディア。君は、未来を描ける女の子。
けれど、心閉ざすのはどうしてだい?
人生を投げ出していないかい?
諦めそうになったら、僕がついている。
出来ないことも、一緒にやってみよう。
そうして、旅を始めてみよう。
僕らの旅は、挑戦の旅だ。
僕にとっても、きっとそう。
君と出会って、考えたんだ。
君が歩くために何ができるのか。
君と旅して、わかったんだ。
僕は僕の気持ちと歩いていると。
一緒に、できることを増やしていこう。
一緒に、できた喜びを分かち合おう。
それが、胸を張って歩くための一歩なのだから。
リインが演奏を終えると、クローディアは胸にこみあげる想いを込めて、拍手をした。
余韻に浸っていると、湖にいたのは二人だけであった筈なのに、誰かの拍手の音が聞こえてきた。
クローディアが振り向くと、白髪混じりの、背筋の伸びた壮年の男性が立っていた。服装には所々絵具がついているものの、それにもかかわらず、品のある佇まいをしていた。
「こっそり聞いているのも悪いと思ってね。歌っていたのは、あなたかな」
彼は、至って柔和な表情と口調で、リインに尋ねた。
「はい、僕ですが……」
「久しぶりに、いい歌を聞いたよ。ありがとう」
「お気に召されたのなら光栄です」
「私は絵を描いていてね。若い時、画家を志した時の気持ちを思い出したよ」
懐かしそうに、男性は語る。彼がリインの歌に惹かれたことに、クローディアは胸を熱くしていた。
「ここは絵を描くにはうってつけです。その気持ちのまま、景色を目に焼き付けていただければ、きっといい絵が描けるでしょう」
「楽士さんと、それからお嬢さんに、スケッチをお見せしましょうか?」
「それは是非」
揃って興味津々のリインとクローディアに、画家の男性はスケッチブックを手渡した。
「綺麗……」
クローディアは、湖と古城のスケッチに、ただ見惚れていた。
「ありがとうございます。歌のお礼としてお二人に、一枚ずつ差し上げましょうか」
真剣に絵を眺める旅人たちに、画家は提案した。
「僕は旅を続けるので、お気持ちだけで充分です。その絵は、クローディアに」
「歌ったのはあたしじゃなくて、リインだけど……」
冷静に答えるリインに対して、クローディアは戸惑う。
「あの歌は、楽士さんだけじゃなくて、あなたのことも歌っているんじゃないかな? あなたには未来がある。できそうだって思うことがあったら、それに一生懸命になったらいいさ。その絵は持っていきなさい」
「ありがとう、画家さん。この絵、大切にします」
「達者でな」
画家の後押しもあって、クローディアはスケッチを受け取った。湖の景色、リインの歌を思い出すような絵。この絵は箱庭の中で、なんとしても守りたいとクローディアは誓うのだった。
「……これで、あとは帰るだけかあ」
「旅は楽しかったかい?」
画家と別れ、二人は湖を後にする。名残惜しそうなクローディアに、リインは尋ねた。
「とっても! この旅の思い出、あたしは一生忘れないよ」
「なら、ご両親も喜ぶんじゃないかな」
「そうだといいな。あたし、屋敷に帰っても、竪琴を続ける。画家のおじさまからいただいた絵、守ってみせる。それから、もっと、箱庭を好きなもので満たしたい」
「それがいいさ。外の世界は、美しいだけじゃなくて、つらい時もある。だから、君の箱庭もまた大事にしてほしい」
「そう言ってくれるの、リインだけだよ。だから、リインが言ってくれたことを思い出して、あたし頑張るよ」
「……そうだね。僕との約束を忘れないでくれると嬉しい。けれど、旅は帰るまでが旅だ。あと少しだけ、よろしく頼むよ」
「うん!」
クローディアは、リインに向けて手を伸ばす。リインはその手を、優しく握った。
それから二人はアディンセルの屋敷に戻るまで手を繋いで、並んで旅路を歩いていた。
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