4 楽士の竪琴

 翌日、クローディアとリインは、開店と同時に楽器店を訪ねていた。

 クローディアは竪琴を習う約束をしてから弱音を吐かず、時折休憩を挟みつつも街道を歩ききったため、リインが案内したのだ。

 タンバリンに笛、バイオリン、はてはピアノまでが並ぶ中、クローディアは竪琴をじっと眺めていた。竪琴の大きさや値段は、ぴんからきりまで様々だった。高い楽器と安い楽器では、何が違うのだろうかと、クローディアはよく観察していた。けれど、楽器そのものの雰囲気はわかっても、値段を隠したら当てられないと思っていた。

「少し、手に取ってみてもいいですか。彼女への楽器を探しているのです」

 一方のリインは、楽器店の店主に声をかける。

「構わないよ」

 表情の変わらない店主の許可を得ると、リインは竪琴を手に取った。子供や初心者向けの、小さな竪琴だった。それからリインは、弦をはじいた時の感覚を調べ、竪琴の音色を確かめた。

 三種の楽器を比べて、リインは二番目に安価なものをクローディアに見せた。

「これはどうかな。持ってみてごらん。落とさないようにね」

 クローディアはリインから竪琴を受け取ると、木の重みを感じながら抱えた。

「さあ、座って。構えは、こうだね」

 クローディアが椅子に座ると、リインは彼女の腕に触れて、みるみるうちに演奏の姿勢を作り上げた。

「うん、いい感じだ」

 竪琴を構えたクローディアの姿を見て、リインは頬を上げた。

「腕がつりそう……」

 一方でクローディアの顔色は悪く、竪琴を支える左腕は震えていた。

「これでも一番軽い楽器なんだ、慣れてくれ。間違った姿勢で練習するよりは、早めに構えを覚えたほうがいい」

「頑張るね、リイン……」

 クローディアは竪琴を構え続けていたが、慣れない姿勢をとることに疲れたため、じきに両腕で抱える姿勢に戻した。そして、竪琴の形や構造を、じっくりと眺めていた。

「じゃあ、決まりだ。すみません、この楽器をください!」

「毎度あり」

 リインは、店主に銀貨を数枚渡した。その額は、二人の二日分の旅費に相当した。

「ごめんなさい、リイン。あたしのわがままに突き合わせてしまって」

 楽器店を出て、ケースに入った竪琴を手にしたクローディアは、ばつが悪そうだった。

「この旅の報酬は僕には多すぎるから、いいんだよ」

「頑張って練習しないとだね」

「旅の間は、見ているよ」

 クローディアの竪琴は、演奏を生業とするリインのものに比べれば、弦数は少なく、音色もそれなりのものだった。けれども、彼女が竪琴を大事そうに抱えている姿を見ると、リインの顔はほころんだ。


 それから旅の合間に、いつも二人は竪琴を奏でていた。

 はじめ、クローディアは竪琴の構え方、弦の弾き方を覚えるだけでも難儀していた様子だったが、行路の休憩の時は、疲れていても練習を欠かさなかった。その甲斐があってか、三日後には、簡単な曲を演奏できるようになっていた。

「リイン! あたしの竪琴、聞いてくれる?」

 澄んだ空の下、街道の脇の草原で、クローディアは竪琴を抱えて、リインに尋ねた。

「もちろん」

 リインは頷くと、クローディアの表情はたちまち明るくなる。そしてクローディアは竪琴を構え、リインに習った曲を奏で始めた。

 ひとつひとつの音色に荒はあるものの、彼女は正しい弦を弾いており、リズムも合っていた。

「日に日に上手くなってる。もう少し丁寧に、気持ちを込めて弾けるといいね」

 クローディアが演奏を終えると、リインは拍手をしながら、感想を述べた。

「気持ちか……弾くのに精一杯で、考えられないな……」

 対するクローディアは、頭を悩ませているようだった。

「なら、曲を楽に弾けるようにしようか。それまで練習しよう。楽にできるようになったら、一緒に合奏しよう」

「うん!」


 こうして二人は旅のかたわら竪琴を奏でながら、湖に最も近い町にたどり着いたのだった。

 クローディアは慣れない旅で、宿に着く頃にはいつもくたくたになっていた。けれども、目的地が近くなっていることに、寂しさを感じていた。旅をしても、怖いしつまらないだろうと思っていた自分は、どこかに行ってしまったようだった。

 はじめての食事も、見慣れない風景も、広い空の空気も、不安ばかりだった。けれど、リインと共に味わうと、なんとか受け入れられるような気がした。

 それに、弱音を吐いても、彼女は叱れど決して見捨てなかった。そして、自分の足で歩いてゆける方法をたくさん教えてくれた。だから、ちっぽけな自分でも、何か恩返しができないだろうかと、クローディアが考えていた所。

「クローディア。僕は演奏に出かけようと思うけど、君はどうする? 疲れたなら、休んでいても大丈夫だぞ?」

 リインに声をかけられ、我に返った。

「あたしはリインについていく。リインの音楽を聞いていたい」

「そうか。なら、一緒に行こう」

 クローディアの答えに迷いはなく、二人は共に広場に向かった。そして、人々が行き交う中で、リインは演奏を始めた。

 彼女の傍に立つクローディアは、長旅の疲れを忘れて、音楽に聞き入っていた。まるで夢を見ているような、幸せな心地だった。

 けれども、鈍い音と何かが転がる音が聞こえた瞬間、クローディアは夢から覚めた。

 地には石があった。リインに、石を投げた者がいたようだ。クローディアは、犯人を捜すべく、周囲をぐるりと見渡した。

「耳障りなんだよ」

 石を投げたのは、顔色の悪そうな男だった。男はリインに一言吐き捨て、逃げ出した。

「待って!」

 とっさにクローディアは駆けたものの、錘のような足では到底追いつけなかった。男は路地へと入り込み、足取りが追えなくなってしまった。クローディアは立ち尽くし、途方に暮れていた。

「追ってはダメだ。大丈夫か、クローディア」

 後についていたらしいリインは、クローディアの腕を掴む。

「大丈夫。それより、あいつを探さないと!」

 対するクローディアは、男が逃げた方向を見て、声を張り上げていた。

「いいんだ、クローディア。君に怪我がなくてよかったよ」

「ううん。それより竪琴、リインの大切なものだったんじゃ」

「こんな時もある。石に気付けなかった僕のせいだ」

「それでも、気に入らないからって竪琴を壊していいなんて思わないよ……」

 石を投げた相手を責めないリインに、クローディアはやるせない気持ちになっていた。思うままの言葉を口にすると、ぽろぽろと、涙がこぼれていた。

「落ち着いてくれ、クローディア。今日はこれで終わりにして、宿に帰ろう」

「嫌だ」

「あの人を探せると思うのかい? こんな所にいてはダメだ」

「……なら、自警団に訴える」

「僕は旅の身だから弁償を訴えられないけれど、それでもいいのかい?」

「うん。じゃなきゃ、すっきりしないもの」

「……そうか。ならダメもとで、自警団に行ってみよう」

 リインは、クローディアの手を引いて歩き出した。クローディアは沈黙していたが、時折鼻をすすっていた。

 路地にも陽の差す空の反面、二人の心は雨模様だった。

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