第4話 もしかして・・・

ー拓善ー

(あれ、お母さんが、いる)

繋がっていた手を放し、枝美子の方に向かう。

(あれ、このおじさん、どこかで…、あっそうだ、おじさんだ、お父さんのお兄さんって、いっていたっけ…)

視界に入る宗司の顔を見て、そんな事を思う。何やら、怒っている様に表情を浮かべる宗司が、怖くなり、枝美子の足に身を隠してしまう。

(なんで、おじさん、おこってんの)

そんな事を思いながら、大人達の会話を聞いていた。拓善の瞳には、色んな情景が映しだされている。頭をひねるほど不思議な感覚を持っているが、軽く流している。

拓善は、両親に手を繋いだまま、最前列のパイプ椅子に座る。心が、ウキウキと、弾んでいた。嬉しさ、楽しさが込み上げてくる。

(あれ、あれ、ぼく、すわっているよね。なんで、なんで…)

両親に挟まれてパイプ椅子に座った拓善が、そんな事を思った途端、違う言葉が、頭に浮かんできた。

(あれ、ぼく、いま、あるいていたよね。なんで、なんで…)

視線を、正面に向けて、ドキッとしてしまう。

(あっ、ぼくのしゃしん)自分の慰霊に驚くが、何かホッとする自分がいる。

(ぼく、しんだんだ)ホッとしている自分は、夜な夜な、涙を流している母親の姿を思い浮かべていた。身体を動かす事も、言葉も発せられない自分は、堪らなく辛い状況を見つめる事しか出来なかった。ハッとしている自分は、もう、そんな大好きな母親の姿を見る事はないんだと云う安心感みたいなものに包まれる。

(お母さん、そんな、かなしいかおしないでよ。ぼくは、ここにいるよ)

そんな言葉を心で唱えながら、母親の枝美子の顔を見上げている。ここで、或る疑問が、拓善の頭に浮かぶ。

(あれ、ぼくがしんだということは、いま、ここにいるのは、ぼくじゃないの)

その事を知る術を持たない拓善は、また、頭を傾げる。

(まぁ、いいっか)軽く、思ってしまう。今は、そんな細かい事はどうでもいい事なのである。

(お母さん、きづいてよ、ぼくは、ここにいるよ)

枝美子の握る手に力が込める。そんな秋吾の姿をしている拓善に、視線を送る。

「どうしたの、秋ちゃん、つまんないの。」

哀しい表情が、一瞬、笑みに変わる。拓善が見たかった、母親の顔になる。拓善も、とびっきりの笑顔を作り、涙を流している枝美子の涙を、小さな手を拭って見せた。

<秋ちゃん、ありがと>涙を流しているが、枝美子の見せる表情に、自然と笑みを浮かべる。隣りに居た、父親の颯太も、頭を撫ぜながら、笑って見せた。拓善は、今、とびっきり幸せな表情になっている。

(しゅうちゃん、ぼくは、いま、しゅうごお兄ちゃんのなかにいるんだ)

その後の拓善は、時折見せる枝美子と颯太の哀しそうに表情を、覗き込み、小さな笑みを浮かべて、その場を和ませる。小さな小さな拓善は、秋吾の身体を借りている認識を、素直に受け止めている。そして、今、自分が出来る事をしていた。この場いる人間の中で、一番の大人は、拓善なのかもしれない。自分の死を受け止めて、哀しみの中に両親に、自分が出来る精一杯な事をしている。自分が死んだ事よりも、大好きな両親の事を気に掛けている。それで、いいと思っている。死んでしまった自分が、今、やれる事を一生懸命やる。それで、両親の感謝を示したかった。


ー帰り道・吉野山ー

 宗司達は、大阪に帰る車の中にいた。後部座席の三人の子供達は、所狭しと、それぞれのポジションで眠りについている。一緒に、葬儀場を出た両親の車は、もう実家についている事であろう。当の宗司達は、行き道と同じ、ゆったりと帰路に着こうと考えていた。

<真っ暗だね>助手席にいる加奈が、辺りの景色に目を配り、そんな言葉を発していた。

<そうやな>まだ、午後七時を回ったところ、季節が冬と云う事もあるが、外灯など、全くない山間の道、車のヘッドライトをアップにしていて、心許ない明るさであった。

<泣いちゃったね>加奈の口から、そんな言葉が発せられた時、宗司の顔が、赤く染まっていく。

<今回で、二度目だよね>加奈の言う通り、宗司は、妻である加奈の前でも、泣いた事がほぼない。負けず嫌いで、誰の力も借りたくない性格の宗司。人の前で泣く事など、皆無なのである。

 「一度目は、龍吾を初めて、対面した時…」

そんな言葉を口にして、覗き込むように、視線を宗司に送る。ますます、頬に赤みが増す。

葬儀も進み、拓善が眠る小さな棺桶の中に、葬儀場に飾ってある生花を入れる時、溢れる涙を止める事が出来なかった。周りの事など、気にしないで、大声を上げて、泣いてしまった。そんな情景を思い出す宗司。頬が紅色に染まる理由は、そこにあった。

「あぁ、泣いたよ。哀しかったんやから、しゃぁないやろ。」

加奈の言葉を、素直に認める。加奈は、少し、驚きの表情を浮かべる。いつもの宗司だったら、あれこれ言い訳をして、涙を流した事を認めようとしないだろう。

「泣いてもたな。泣くわけないと思っていたんやけど…」

そんな言葉を続ける。これ以上、加奈に言葉を発せられると、恥ずかしさに耐えらないと思ったのだろう。

人に弱みを見せたくない、身内である妻にも、子供達にも、まして、両親、兄弟達にも、絶対見せたくはない。そう思っている宗司。しかし、今回は、そのリミッターが外れた。十六歳で家を出て、親や他人様を頼りにせず、生きてきた。もちろん、加奈と知り合い、二人協力をして生きてはきたが、基本、精神面では寄り添ってはいたが、労働面では、家を出た時のまま、人には負けたくないと云う想い、一人で生きなければいけないと云う気負いを持ち、妻の為、子供達の為と、一人で頑張ってきた。その事に対する、それなりのプライドもある。

「あそこで、泣くか。年、とったんかなぁ。情けない。」

そんな言葉を続ける宗司。少しでも、自分が人前で涙を流した事を、おふざけにしたいみたいである。

「私は、情けなくて、いいと思うよ。普通、あの場では泣くでしょ。だって、身内が亡くなったんでしょ。拓善君、生まれて、一年も生きてないんだよ。泣いて、当然!泣かない方が、不自然だよ。」

宗司の想いが伝わったのか、おふざけで終わらそうとする宗司に、そんな言葉をかける。加奈は、正直、夫である宗司が隣で、大粒の涙を流していた事に驚きはした。人前で、泣く事はない人間であるのは、加奈が一番わかっていた。泣いたとしても、必死に、涙を堪えているだろう。しかし、今回の宗司は、涙が溢れるのを堪える様子もなく、大声を出し、泣き続けていた。自分の感情を押し殺そうとせず、感情を丸裸にしていた。正直な気持ちを言葉にすると、そんな夫の姿に、加奈は、安堵感に包まれていた。

「貴方は、何でも、一人で、背負い過ぎなの。そんな貴方の生き方、否定する気はないけど、今回は、泣いてよかったのよ。この数カ月、あなたを見ていて、辛かったもん。」

拓善の病気の事で、名古屋に出向いた時以来、宗司の様子が、変わっていた。暮らしの中で、笑う事が、明らかに減っていた。気を抜けば、何かを考え込んでいる様子を、加奈は近くで見てきた。

「あなたは、大事な事は、何も言わないでしょ。自分の中で、消化しようとする。消化して、自分の中で結果を出してから、言葉にする。」

隣りにいる加奈は、淡々と、そんな言葉を続ける。二十歳で知り合い、五年間の同棲を経て結婚をした。その間、色んな事があり、二人で乗り越えてきた。そんな加奈の言葉が、重く、宗司の身に圧し掛かる。

「すっきりした顔しているよ。ジレンマと、戦っていたんでしょ。なんで、身内から、拓善君なのって、納得がいかなかったんでしょ。これだけ、医学発達しているのに、わけのわからない病気に、なんで、拓善君が、襲われなあかんねんって、そう思ってたんでしょ。何もできない自分に、何もしてやれない自分に、腹が立って、腹が立って、しょうがなかったんでしょ。そんなジレンマと、戦っていたのよね。」

自分の心の中が、丸裸にされた。加奈の言葉の通りである。自分の無力さに、どうしていいのか考え、この数カ月、落ち込む一方であった。そして、今は、あれだけ、大粒の涙を、溢れる様に流した事で、すっきりとした気分であった。

「だから、泣いて、正解なのよ。」

隣りにいる宗司の瞳に涙が、溢れだす。大粒ではないが、加奈が発した言葉に、熱いものが込み上がってきた。

<ありがと>そんな言葉が、素直に口から出てきた。宗司の鼻水を啜りあげる音が、車の中に響いている。


「でも、今日の秋吾は、おかしかったな。」

不意に、そんな言葉が口から出てくる。

<えっ!>加奈は、驚いて表情を浮かべる。

<何だ、そんなに驚く事か>加奈の驚き様に、そんな言葉を発してしまう。

「フぅん、私も、そう思っていたから…。確かに、いつもの秋吾ではなかった。」

「そうやねん。いつも、ちょろちょろしている秋吾が、あんなに落ち着いて、枝美子さんの隣に座っているとはな。」

「そう、秋吾が、あんなにジィーとしているなんて、あり得ないよね。いつもだったら、シュッ、シュッて、両手を使って一人遊びしている。」

加奈は、両手を動かし、秋吾の一人遊びを真似しながら、葬儀の時の秋吾の言動に、二人ともおかしいと共感する。

「ジーって、枝美子の顔を見上げて、心配そうにしていたよな。」

「そう、そう、あんな落ち着きのない子が、何も喋らず、心配そうに颯太君と枝美子さんの手を、しっかり握っているなんて、あり得ない。」

全て、(あり得ない)と云う言葉を、連発する。宗司だけでなく、加奈も、秋吾の変貌に気付いていた。

「まるで、哀しんでいる母親を気遣う様な、いや、あり得ないよね。まさか…」

加奈は、自分の口にした言葉を、すぐさま否定する。

「いや、俺も、そう感じていた。拓善が、秋吾の身体を借りて…」

発した言葉の途中で、背筋に悪寒が走る。ハンドルを握りながら、身を縮ませている。

「そんな事、あり得ないよ。でも、葬儀の後の焼き場に向かうバスの中でも、秋吾おかしかったよね。」

悪寒が走った宗司に気付かず、話しを進める。

「ものすごく、ハイテンションだった。枝美子のお兄さんの子供、女の子と…何か、いつもの秋吾とは、違ったのよね。いや、あれは、秋吾じゃない。断言できる。」

秋吾の産んだ母親の言葉には、力がある。

<って事は、拓善君が…>加奈は、そんな言葉を続ける。不思議な事を、口に出そうとするが、自分の中で、信じ切れてはいなかった。

「そうやねん、そう考えれば、今日の奇妙な言動が、説明できるねん。」

悪寒が背筋に走った後、嫌な感じを持たなかった宗司、加奈が考え込んでいるところに、そんな言葉を加える。

加奈は、秋吾の身体を借りて、拓善が今日一日過ごしていたと云う、宗司の結論に、まだ、半信半疑でいる。

「まァ、秋吾の身体どうのこうは、どうでもいいんやけど…俺は、そうであったら、うれしい。だってそうやろ。一年も経ってへんやで、首も座ってへんから、枝美子さんが、定期的に、身体を動かせていたんやで、ホンマやったら、ハイハイしてもおかしくない時期やろ。ずっと、横にさせられて、鼻から管を通されて…。そんな拓善が、立っていたんやで、枝美子さんの手を、颯太の手を握って、歩いていた。バスの中では、ハイテンションで、大笑いをしていたんやで、俺は、そうやったら、うれしい!」

車のハンドルを握りながら、夜の吉野の山道を走り、声のトーンに力が入る。宗司は、自分が、あり得もしない事を、口にしているのは、わかっていた。しかし、今言葉にした事が、本当であれば、宗司にとって、とてもうれしい事なのである。

「ふ~ん、言っている事はわかるけど、信じがたいと云うか、信じなれないと云うか。」

真っ暗な山道を走る中、この話しは禁句事なのだろう。幽霊の話しをしているのであるから、普通であれば、このシチュエーションで、話す話ではない。脳内に、アドレナリンが出まくっている二人にとって、不思議と恐怖に包まれていない。

「でもやで、拓善は、あの時、確かに、秋吾の中に居たねん。そうでいいやん。お前も、今日の秋吾は、おかしいと思っていたやろ。いつもの秋吾とは、全く違う秋吾やったやろ。拓善は、今日一日を、楽しんでいたんよ。そうでいいやん。」

宗司は、そう思いたかった。そう思わないと、今にも、崩れそうな自分が居た。数時間前、大泣きをした自分の姿を思い浮かべる。

<でも…>加奈が言葉にしようとした時、二人の耳に、言葉が届く。はっきりとした口調で、二人の耳に響いた。

(おじさん、おばさん、ありがとう)

車の運転中であるのに、二人は、顔を見合わせた。言葉は発しない。お互いに、瞳でモノを語っていた。二人は、自然と笑みを浮かべる。真っ暗な山道の中、とびっきりの笑みを浮かべていた。

『信じる!』加奈が、しばらくして、そんな言葉を叫ぶと、後部座席の子供達が、続々と目を覚まし始める。静かな子供達の寝息だけが響いていた車内が、一気に賑やかになっていく。この中に【拓善】は、いるのだろうか。宗司は、そんな事を思いながら、車を走らせていた。


ーその後の事ー

年が明け、正月気分も抜けきった頃、幼稚園帰りの加奈と秋吾の姿が見える。

秋吾は元気良く、下手な歌を歌いあげている。そんな秋吾を、微笑み、見守っている加奈がいた。

<あっ!>気持ちよく歌いあげていた秋吾が、突然立ち止まると、そんな言葉を発して、空を指差していた。

「どうしたの、秋ちゃん。」

膝を曲げて、しゃがみこむ加奈は、秋吾と目線を合わせて、そんな言葉を口にする。

「くも、タックンの雲。」

指を差しながら、意味不明な言葉を発していた。視線を上げれば、秋吾の言いたい事がわかるのに、加奈は、その場で、考え込んでしまう。

「はは、タックン、タックンの雲なの。」

何かを思い出した加奈は、瞳を見開き、秋吾が指を差す方向に視線を向ける。

驚きと同時に、笑みがこぼれる。真っ青な空のキャンパスに浮かび上がっているもの。

「そうか、今日は、四十九日か。」

真っ白な雲で、赤ん坊の姿が、造形されていた。はっきりとした、拓善の姿。満面の笑みを浮かべて、二人を見つめている。

しばらくすると、風に流されて、雲の造形物は崩れていく。しかし、加奈は秋吾の手を繋いだまま、その場から、空を見上げていた。頬に一筋の涙が、つたっていた。

                           おわり

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たくよし 一本杉省吾 @ipponnsugi

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