第三話 葬儀場にて

ーお通夜ー

私は、喪服を着ている。結び慣れない黒いネクタイをして、正面を見ていた。坊さんの頭の先に、飛びっきりの笑みを浮かべている拓善の写真が瞳に映る。ハンカチを手にして、俯いている枝美子さんの横に弟の颯太の姿。私は、前から二列目の壁側に座っている。隣に加奈、秋吾に、龍吾。そして、同じ列の通路側に、姉の奈々子。その隣に、二男の晋吾が陣取っていた。重苦しい空気の中、時間は確実に流れていた。

数時間前、少し遅い昼食をする為に、ファミレスに入った宗司達。ワイワイガヤガヤ、賑やかなの中、颯太に電話をかける。

「お兄さん、今から、葬式場に向かうもんで…。」

<ほぉ、そうか、で…>

「うん、わかった。じゃ、今から、出るもんで…」

と、電話の会話。宗司は、ある言葉を言いたくて仕方がなかった。颯太の言う、名古屋弁なのか、愛知県民の言葉なのか、(向かうもんで、出るもんで)と云う言葉尻が、ケチャップメーカーの【デルモンテ】に聞こえてくる。

「お前は、ケチャップか!」と突っ込みを入れたくなる。喉のところまで、出かかっているのだが、あえて、口にはしなかった。この場面では、不適切な様な気がして、言葉に出来なかった事を思い出す。それから、葬儀場に直接に向かう。父親達は、颯太の家にいるみたいであったが、その事については、深く考えない。

後、拓善の遺体と対面する事になる。葬儀場の控室で、小さな可愛らしい棺桶に入れられた拓善の亡骸。この時に、初めて、枝美子さん側の両親と対面する事になる。弟颯太の結婚式に、出席をしなかった宗司、深々と、頭を下げて、枝美子の挨拶に応える。真っ赤に染めた瞳、腫れあがった眼の周りに、言葉を詰まらせる宗司。

白い綿を詰められた鼻に、眠っている様に安らかな表情を浮かべていた。思わず、拓善の頬に差し伸べた手が、止まってしまう。拓善の遺体に触れる事に、躊躇してしまう宗司。枝美子や颯太が見たら、気を悪くするだろうが、ゆったりと、差し伸べた手を引っ込めていた。小さな可愛らしい棺桶に入れられた拓善の姿を、身を乗り出して眺めている宗司。かわいらしい鼻に管を通していない姿に、少しホッとする自分もいた。

颯太は、慌ただしく動いている。一瞬、控室の宗司達に顔を出しただけで、お通夜が始まるまで、顔を見る事はなかった。明日までの段取りで、葬儀屋のスタッフと話し合い、動き回っているのだろう。そんな姿に、驚いている宗司がいた。あの頼りない、我が弟の颯太が、ほんのりマイペースで、自分の事しか考えていない、宗司が知る颯太ではなかった。当たり前と云えば、当たり前なのであろう。社会に出ているのである。会社に入って、お給料を貰っているのである。宗司と同じく、愛想笑いもすれば、頭を下げて、社会に適応してきた。そして、四つ下であるから、いい年である。宗司の頭の中は、小学生の頃の颯太のイメージしかなかった事に気付く。宗司は、十六歳で家を出ている。その時、颯太は、小学六年であった。結婚をするまで、家に寄りつかなかった宗司は、颯太と、面と向かって会話らしい事をしてこなかった。

枝美子さんは、ずっと、拓善の傍から離れようとしなかった。妻の加奈が話しかけても、愛想笑いをするだけで、瞳の奥が笑っていない事に気付く。当たり前の事であるのだが、その落ち込みようを見ていたら、その場にいられなくなる。宗司は、ふと思う、この子達が、この三人の息子の誰かが、逝ってしまったら、冷静でいられるだろうか。颯太みたいに、切り盛りできるだろうか。枝美子さんみたいに、愛想笑いも出来るだろうか。どちらも、自信がない。只、只、生気が無くなり、その場に座っているだけになるだろう。間違いなく、何も出来ない自分が想像できる。


お通夜の席、お経をうまく唱えているのか、そうでないのか、わからない中、坊さんの唱えるお経で、眠たくなってくる。宗司が座る列の通路側には、姉奈々子と次男坊の晋吾が、何やら軽くもめている。

<プッシュ、プッシュ…>加奈の隣で、お得意の一人遊びに、精を出している秋吾。晋吾と云い、秋吾と云い、落ち着きのない、我が息子達に、呆れ返る。長男の龍吾は、何をしているのだろうと、視線を向けてみれば、首から上の部分が、コクリと、頭の重みを支え切れなくなっている。完璧に、睡魔と闘っている。吹き出しそうになり、視線を外の方に向けると、路地の向こう側に、ネオンの看板が見える。

(ここしばらく、居酒屋なんて、行ってへんなぁ)

そんな心の呟き、この言葉通り、子供が生まれてから、夜に行動する事が、少なくなっていく。理由は、やはり、子供の行動パターンに合わせていると云う事になるだろうか。寝るのは、午後九時前、遅くても、十時には布団を被る。朝は、六時前に起きる。結婚をする前は、午前様が多く、休み以外は、午前様を当たり前にしていた宗司が変わっていく。長男の龍吾が生まれてからは、その龍吾をお風呂に入れる為に、早く帰る事が、当たり前になっていく。

(夕飯は、あそこにするか)

 お通夜の席で、こんな事を思うのは、前に座る颯太夫婦に失礼かもしれないが、そんな事を考えてしまう。

 (姉貴も、誘うか、久し振りやしな。颯太達も…。あっ、そうやな。拓善の傍から、離れなれないか。親父とお袋を誘って…)

 普段、考えもしない事を思ってしまう。同じ列の端に居る奈々子に視線を送ると、まだ、晋吾ともめていた。そんな光景を眺めていると、ほのぼのとしてくる。姉の奈々子も、あんな表情を浮かべるんだと思うだけで、表情が緩んでくる。下手な坊さんのお経が響く中で、静かに時間が流れていく。穏やかで、優しい時間が流れていた。


 ー階段の脇ー

 今は、何時なのだろう。今日は、時計の針を、あまり見ていない事に気付く。葬儀場の小路地を挟んだ居酒屋での夕食が終わり、葬儀場の二階の階段脇のベンチに座っている宗司。今日は、この葬儀場に泊まる事になっている。借り布団を控室に運び込み、もういつでも眠れる。

 「宗司、お前も、着替えろや。」

 階段の脇の灰皿の前で、煙草を吹かしている宗司に、そんな言葉をかける父親が、隣に腰を下ろす。寝間着のズボンの上に腹巻き姿の父親に、頬を赤らめる。

 <宗司、どうだ>35缶の缶ビールを差し出す父親の表情は、緩んでいた。

 <ああ、ありがと>何処から、ビールを持ってきたのか、ビンビンに冷えたビール缶を受け取ると、二人同時に、ビールの蓋を開ける。

 “プッシュ!”<乾杯>

 二人は、階段の脇のベンチ、(乾杯)と云う言葉が合っているのか分からないが、小声で缶を重なり合わせる。

 ビールを口に運び、飲んでいる時、弟の颯太が顔を見せる。

 「父さん、お弁当ありがとうね。」

 そんな言葉をかけると、父親の隣に座る。さっきまで、慌ただしく動いていた颯太が、一息ついた時間なのだろうか。

 「父さん、煙草、一本くれる。」

 続け様に、そんな言葉を口にする颯太。父親は、片手で、煙草の箱を掴み、器用に一本だけ煙草を出して、颯太に向ける。

 <今日は、宗司のおごりだ>そんな言葉を口にしながら、持っていた缶ビールを床に置き、颯太と交互に、煙草に火をつけていた。

 「そうか、気を遣わせたね。兄さん。」

 <…>照れているのか、何も言わず、片手を上げるだけの宗司。この後、十数秒の無言の時間。自分の息子を亡くした颯太に、どんな言葉をかけていいのか、わからない宗司。二人に挟まれた父親は、咥えた煙草を吸っているだけで、何も語ろうとしない。

 <プッ!>宗司が、何かを思い出し、軽く噴き出してしまう。一斉に、宗司の方に視線を向ける二人。

 「颯太、さっきな、隣のビルの居酒屋に行ったんやけど…」

 なぜか、颯太の方に視線を向け、話しを始める。

 「店の中が、全て個室になっていた事にも、驚いたんやけど…」

 自然体で、颯太に話しかけていた。会えば、話す言葉を探し、戸惑っていた宗司が、身体を乗り出し颯太の方に向けて、話しかけている。

 「店員が来て、何か、紙を差し出すねん。初めの注文は、これに注文を書いてくれって事なんやったんやけど…」

 父親を挟み、颯太の方も、身を乗り出してくる。こうやって、お互いの瞳を見て、話す事は今までにあったのだろうか。颯太が、小学六年の時に、家を出ている宗司は、弟の颯太の印象が、小学六年のままで止まっているのは、瞳を見合い、男同士で真剣に話し合った事が無いからだろうか。

 「初めの注文の紙を出す時、親父が、こう言ったねん(オムライス、三つは子供達が食べるから、最初に持ってきてくれ)って…そして、始めに来たのは、飲み物に刺身の生もの系が来てな。後、煮物や焼き物がきて、いつまでたっても、オムライスか来ないんよ。俺はなぁ、うちの子は、何でも食うから、気にはしていなかったんやけど、急に、親父が、テーブルのベルを押したんよ。」

 父親は渋い顔をする。数時間前の怒りを思い出したのだろう。

 「店員が来たん途端。(もうオムライス、いらんわ)って、言い出すから、一瞬、何を言っているか分からんかった。すぐに、親父の最初の言葉を思い出して、言葉をかけようとしたら…(自分よぉ、始めにわし言ったよな。子供達が食うから、オムライスは、先に持ってきてくれって、言ったよな。やから、もうええわ)ドスのきいた声が聞こえたと思えば、親父が、淡々と店員を睨みつけてんねん。俺、その場で何も言えんでな。」

 <あれは、あいつが悪い>ぼそりと、はっきりとした言葉で呟く。正直、父親のイメードとは、違う言動に戸惑う宗司が居た。

 「父さんのイメージと、違うな。」

 今度は、颯太がそんな言葉を発する。

 「そうやろ。そうやねん。親父のイメージとちゃうねん。やから、しばらくして、おかしくてな。親父に睨まれた店員は、オドオドしてるし、加奈は、驚いた顔になっているわ。子供達なんか、食べる事を止めて、親父の方を、凝視していたからな。」

 <それって、面白いかも…>颯太は、同調してくれる。同じ父親を持つ兄弟である。父親の印象と云うのは、同じなのである。寡黙で、余計な事など言わない父親である。まして、子供達、息子達の為に、周りの人間と言い争いをする事などしない父親であった。孫の事であるから、切れたのかもしれない。

 「そう、おもろいやろ。この親父がやで…」

 宗司と颯太は、顔を見合わせて、表情を緩ませる。ムスッとした表情を浮かべる父親を挟んで、その息子達が、笑みを浮かべている。そんな話題から、次々と、昔話に華が咲き出した。もちろん、父親も参加をしてくる。あぅでもない、こぅでもない、あの時は、こぅやったとか、あぅだったとか、お互いが交差する思い出話をしていた。

 (あっ、カンタンやん!)そんな事を思う宗司。父親と話しをする時、颯太と言葉を交わす時、言葉を探していた。必死で、言葉を探していた。なのに、この場では、言葉を探す事などしていない。勝手に口から、言葉がこぼれてくる。そんな事に気付いた宗司は、不意に視線を、拓善が眠る部屋に向ける。今も、枝美子さんは、その場に居るのだろう。そんな事を考えていると、宗司の視界に、見知らぬ男性の姿が現れた。

 <あっ!>隣の颯太が立ち上がり、その男性に歩み寄っていた。明らかに、颯太の友人と云ったところだろうか。親しく立ち話をする颯太の姿に、違和感を覚えてしまう。またまた、宗司の知らない颯太の姿が瞳に映し出されていた。

 「兄さん、父さん…、じゃあ、俺、戻るもんで…」

 (ケチャップか!)そんな言葉が、喉の所のまで出かかるが、押し戻す。これから、颯太は、枝美子さんと【寝ずの番】をしなければいけない。まァ、顔見知りの仲間を呼んで、お酒でも飲んで、ワイワイガヤガヤ、やっていく事が、今の二人にはいい事だろうと思う。

 遠ざかる颯太の後ろ身を眺めていたら、ある事を思い出す。

 <親父…>不思議と、そんな言葉を発していた。父親の方を振り向かず、正面だけ見つめていた。

 「俺なぁ、拓善君の、亡骸、触れんかった。」

父親の表情が曇る。宗司は、振り向かないのに、父親のそんな雰囲気がわかってしまう。父親がどんな事を、考えているのかわかる。

「宗司、そんな事言ったら、あかん。」

亡骸は、けがらわしいモノ。だから、宗司は、拓善の遺体に触れられなかった。そう、思っているのだろう。

<ちゃうねん、親父>宗司は、すぐさま、否定の言葉を入れる。拓善の亡骸に、触れなれなかったのは、そんな理由ではない。

「親父、ちゃうんよ。俺の手は汚れているんよ。まだ、無垢で、綺麗なまま、逝ってしまった拓善に触れる事で、俺の汚いものが、移る様な気がしてな。」

<…>続け様に、両肘を、両足の太ももに当てた体勢で、否定の言葉を発した。父親は、そんな宗司の言葉に、何も言わず聞いていた。

「何で、拓善やねん。まだまだ、先があんのに…」

肩を落とした状態で、そんな言葉が続く。悔しくて、溢れてくる涙を堪える。父親が、咥えていた煙草を、目の前の灰皿で揉み消す姿が、視界に入ってくる。それ以上、二人は、言葉を交わす事はなかった。

階段脇の喫煙が出来るベンチに座り、無言の時間が流れる。この時、初めて、拓善が亡くなった実感が襲ってきた宗司の姿が、ここにあった。


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