二十年と五分間

稲荷竜

二十年と五分間

 カップ麺をうまいと思って食べたことはない。

 値段と手間が適切だから食べているだけだ。


 薄給で激務だった。

 テレワーク導入で多少は忙しさも緩和されるかと思ったが、そんなことはなかった。タイムカードを押して退社するというひと手間の代わりに私にもたらされたのは、三倍になった『これ、明日までにやっておいて』と渡される仕事量だった。


 通勤時間がなくなったことだけが唯一の救いだったけれど、思い描いていたような『余裕ある生活』は夢のまた夢で、汚い六畳一間で一人、私は今日もうどんをすする。


 ラーメンは体に悪そうで、そばは食いでがなくって、だから私はうどんを選ぶ。


 赤いきつね。


 ……ああ、そうだ。たぶん、熱湯を入れて『五分』というのがいいのだろう。

 だってその五分ぐらいは目を閉じて休んでいてもいい気がするから。三分では短い。この五分こそが、今の私に許された唯一の贅沢だった。


 麺が戻るまでの五分。

 休もうと思っても、色々なものが頭の中を忙しく駆け巡る。


 それは仕事のことであり、プライベートのことでもあった。全部ひとまとめにすると『人間関係』というラベルを貼ることができた。


 そうだ、私を取り巻く問題はすべて人間関係に端を発するあれこれで、それはどうしようもなく私の人生に絡みついて、ほどくとなると身を千切って血を流しながら取り掛かるしかなく、もう私には流せるほどの血が残っていないのだった。


「なんのために生きてるんだろう」


 つぶやいたところでタイマーが鳴った。


 五分きりの休憩時間は終わってしまったのだ。


 名残惜しいとは思いつつも、どうしようもない現実が私にそれ以上の休憩を許さなかった。


 知らず閉じていた目を開けて、フタを開く。


 ダシの香りが広がって、また現実逃避をするように目を閉じる。


 頭の中にこなすべき膨大なタスクが次々あふれて私をせっつくものだから、大きなため息をついて目を開ける。


 そうしたら、目の前にあったはずの、仕事用のパソコンが消え失せていた。


 薄暗かった部屋は明るく、テーブルと何年干していないかもわからないベッドもなかった。


 代わりにあるのは学習机と積み上げられた赤本で、左手の窓からはまばゆいほどの夕日が差し込んでくる。


 ついつい手でひさしを作って目を細め、光源を見れば、窓の向こうに見えたのは、


 見えたのは………………


 ━━ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ!


 ありえない光景を受け入れられなかった私を現実に引き戻したのはバイブレーダー音だった。

 着信音を聞くと嫌な汗が出るのでもう何年もマナーモードのままにしてあるスマートフォンが、たぶん上司のせっつき・・・・かなにかを受けて私に存在をアピールしたのだろう。


 そう思って、テーブルに視線を戻して。


 私は、いよいよ、今見えているものを受け入れる心の準備が整った。


 目の前には、作りたてで湯気を上げる赤いきつねと━━


 ガラケー。


 ここは、私の家……実家であり、ここは、私の自室で……


 ガラケーの待機画面。白黒液晶に表示されているのは、2021年ではなく、2001年の━━


 私が高校三年生だったころの、日付けだった。



 高校三年生の私は当然のように受験勉強に精を出していた。


 とはいえやる気があったというわけでもない。


 クラスメイトとそこそこの情報共有をして赤本……過去問の載った本を買い、メールで近況をやりとりしながら励まし合って、たまに勉強会という名目で遊んで、それから家では夜遅くまで勉強する。


 この当時は現代……2021年のように、動画サイトがまだ隆盛ではなかった。

 それにSNSもない。そういうのは、特にパソコンに詳しい連中のもので、ふつうの高校生がふつうに使うようなものではなかった。


 私たちはみんな、大学に行くことが当然進むべき未来だと思っていた。

 それは学生である我々だけではなくって、両親も、親戚も、高校卒業後には大学進学以外の道はないという前提で生きていたように思う。


 私たち高校三年生はそういう空気感の中で『なんとなく勉強をしていないと申し訳ない』という気持ちにさせられ、楽しくもない勉強を学習机にかじりつきながらやっていたのだ。


 そんな時に楽しみにしていたのが、カップ麺だった。


 勉強というのは腹が減る。

 というか、高校三年生の体はなにをしていなくっても腹が減る。


 私は太っていたわけではないのだけれど、勉強をしているとなんとも口寂しい思いをすることが多く、その結果として親父のコーヒーを飲んだり、十円のガムを噛んだりしていた。


 そんな中でカップ麺は『ごちそう』だった。


 長く苦しい勉強を夜遅くまでがんばれば許されるもの、というのか。

 受験にまつわるあらゆるサポートは、資金援助、ようするに買い食い用のものまで含めて家族の義務ような空気感があった。


 けれど高校生の胃袋に好き放題固形物を与えていてはさすがに破産する……まあ、それはおおげさにしても、『生活』というものを知った今となっては、わりと痛い出費ではあるだろうな、とは思える。


 だから、俺は勉強をがんばる。


 それをアピールする。


 すると母が『いいでしょう』ともったいぶって、家宝でも取り出すみたいに戸棚からカップ麺をよこしてくれるわけだ。


 これを受け取った俺は喜び勇んで鍋でお湯を沸かし、カップ麺にそれを注ぐとからくり仕掛けのお茶汲み人形のようにカップ麺を両手で持って二階の自室へと戻る。


 そうして、五分待つ。


 二十年後に貴重となるこの五分間は、この時代の俺にとっては何度時計を見てもなかなか過ぎ去らない鈍重な時間だった。


 五分経つ。


 フタを開ける。


 二十年前の俺の前には、二十年後の私の目の前にあるのと変わらない、赤いきつねがあった。


 でも、この当時のダシの香りはなんともかぐわしく鼻腔を満たしたし、おあげの甘さは疲れた脳髄に染み渡った。

 太いモチモチした麺をゆったり噛んでいる時間は至福の時だった。


 俺はカップ麺をうまいと思って食べていた。


 この世にこれほどのごちそうなんかないんだと、半ば本気で信じていた。


 ……気付けば赤いきつねは汁まで綺麗に飲み干されていて、空になった容器が目の前にあるだけだった。


 ふくらんだ腹を撫でて、それから、ガラケーに着信があったことをようやく思い出した。


 来ていたのは他愛ないメールだった。


 他愛ないというか、正直言って、意味がわからない。


 そこには当時の俺たちにしかわからない文脈があって、当時の俺たちの中でだけ流行っていたスラングがあった。


 仲間内でしか伝わらないその文言がなんとも懐かしく、俺はしばらくガラケーを握ったままぼんやりと文面を目で繰り返し追った。


 ……目を閉じる。


 かすかに、本当にかすかに残っていた赤いきつねのダシの香りが、消えかけている。


 完全に香りが消え去ってから、目を開ける。


 すると私は2021年の自宅にいた。


 上司からのせっつき・・・・だけを運んでくるスマートフォンも、タスク満載のパソコンもそのまま、そこにあった。


 薄暗い部屋の中で事務用チェアの背もたれに体重をあずけて天井を見上げれば、テーブルランプのうすぼんやりとした灯りの中に、白い古びたアパートの姿が見えた。


 テーブルの上にはやっぱり空の容器。


 ……私は幻でも見ていたのだろうか。


 真相はわからない。けれど、私は積み上がった仕事をいったん無視して深呼吸してから、久しぶりに、着信もないのにスマートフォンを手に取った。


 返信以外の用途を使っていなさすぎて操作方法にまごついた。

 呼び出した番号が懐かしすぎて、電話をかける指がちょっと震えた。


 それでも、発信した。


 五コールもあって、電話はとられた。


「ああ、母さん? 俺だけど」


 詐欺みたいだなと思ったけれど、母は俺の声をしっかりとわかったらしい。


 長らく電話の一つもしていなかったことを言われ、最近元気でやっているのかと問われる。


 誤魔化すように「なんとかね」と答えて、


「今度、帰ろうと思うんだ。……うん。だから、用意しておいてくれないか? 赤いきつね。久々に、そっちで食べたいんだよ」


 変わったもの食べたがるわねぇ、と言われた。


 まあ、たしかに。

『実家に帰ってわざわざ』というものではないかもしれないけれど。


 それに対しては、こう答えた。


「うちで食うと、特にうまいんだって、思い出したんだ」

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二十年と五分間 稲荷竜 @Ryu_Inari

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