大晦日、そばにはいつも君がいて

湖城マコト

大晦日の夜に

「よりにもよって、こんな時期に喧嘩してしまうとは」


 今年も残すところあと僅かとなった大晦日の夜。俺はテレビもつけずにソファーに寝そべっていた。一人ぼっちの今年の大晦日はあまりにも寂しい。


 例年、大晦日は彼女と一緒に家でゆっくりと過ごし、彼女が作ってくれた年越し蕎麦を二人で食べるのが定番だった。


 夕方から彼女が台所へ立ち、鶏がらや煮干しからそば汁を作ってくれて、俺がトッピングのとろろを擦ったり、ネギを刻んだりする。今年も当たり前のようにそんな光景が広がると思っていた。


 だけど今日、俺のそばに彼女はいない。三日前にした喧嘩が原因で、俺達の間には距離が生まれてしまった。どちらが悪いというわけではない。お互いに仕事で疲れが溜まっていて、些細なきっかけで感情的になってしまい、そこから先は売り言葉に買い言葉。お互いに少し頭を冷やそうと彼女の方から言いだし、それ以来、顔を合わせていない。


 昨日が仕事納めだったから、それまでは忙しさが気持ちを紛らわせてくれた。だけど、大晦日になった途端に大きな喪失感が襲ってきた。一緒に材料の買い出しに行く相手がいない。年末特番で一緒に盛り上がる相手がいない。年を越した瞬間、真っ先に「明けましておめでとう」と言える相手がそばにいない。


「……そんなの嫌だ」


 彼女がいない大晦日なんて、やっぱり俺には考えられなかった。


 スマホを手に取り、「今から会いたい」と彼女にメッセージを送る。既読も返信も待たず、部屋着の上に直接ダウンジャケットを羽織り、財布と鍵をポケットに詰め込んで部屋を飛び出した。エレベーターを待っている時間さえももどかしくて、階段を使って五階から一階まで一気に駈け下りる。


 マンションのエントランスまで下りた瞬間、ポケットのスマホから通知音が鳴った。


『私も会いたい。だから会いにきたよ』

「会いに?」


 メッセージを確認した瞬間、入口の自動ドアが開いた。視線を向けると、マフラーと耳当てをつけた彼女が頬を赤らめて立っていた。右手には狸がプリントされたエコバックを携えている。


「大晦日になったら、急に孤独を感じるようになって。いつも一緒に過ごしていたのに、あんな些細なことで喧嘩して、そのまま感情に流されちゃって。本当にそれでいいのって」

「俺も同じだ。当たり前が当たり前じゃなくなって、それがとても悲しくて。この前は本当にごめん。疲れていたとはいえ、感情的になって強い言葉を使ってしまった」

「私の方こそごめんなさい。距離を置こうなんて言っちゃって。心の中では凄く後悔してた」


 どちらが良い悪いということではない。俺達はただ、矛を収めるタイミングを見失ってしまっただけだ。今までは意識せずともそれが出来ていたのに、あの時はお互いに疲れていて、器用になれる余裕が持てなかった。ただそれだけのことなんだ。


「このまま年を越したら駄目だと思って、気がついたらメッセージを送ると同時に部屋を飛び出してた。そしたらマンションの入り口に君がいて」

「私も気が付いたらここへ向かってて、着いたよってメッセージを送ろうとしたら、『今から会いたいって』ってあなたの方から連絡が来て。お互いに考えることは同じだね」


 俺達が感じていた距離なんて、たった一つの行動で埋められる程度のものでしかなかった。そう気づいた時には、緊張感や気まずさは微塵もなくて、お互いにこれまで通りの距離感で笑い合えていた。


「まだ年越し蕎麦は食べてないよね?」

「いつも二人で用意していたから、今年は何も用意していない」

「なら良かった。やっぱり大晦日は二人で年越し蕎麦を食べなきゃと思って、来る途中にコンビニで買ってきたんだ。スーパーはもう開いてないし、いつもみたいに作ってる時間もないけど、これなら直ぐに二人で年越し蕎麦が食べられるよね」


 そう言って彼女は、エコバックから緑のパッケージのカップを取り出した。


「緑のたぬき。一緒に食べよう」

 

 ※※※


 緑のたぬきにお湯を注ぎ、俺達は炬燵こたつで向かい合って新年の訪れを待っていた。

 秒針が刻まれ、午前零時になると同時に、近所のお寺から除夜の鐘が聞こえた。


「明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとうございます」


 家族や友人から連絡が来るよりも前に、一番最初に明けましておめでとうを言えた。一悶着を経たからこそ、いつもよりも思い出深い年越しとなった。


 大切な人を新年最初に頂く緑のたぬきが、俺達の心と体を温めてくれた。




 了

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