01:57 〜赤いきつねを持参したたぬきの話〜

七種夏生(サエグサナツキ

『01:57』

 深夜のコンビニ。

 来客を知らせるベルが鳴った。

 ドアの前には、胸元まで伸びる髪を濃茶色に染めた二十歳前後の女性。ロング丈の暖かそうなボアコートを着ているが、今は七月上旬。梅雨明けの湿っぽさはあるが、肌寒さを感じるような時期ではない。

 おかしな客が来たと思いつつも、珍しいことではないので「いらっしゃいませ」と声をかけて顔を背ける。


「これにお湯を、入れてください」


 聞こえてきた言葉に振り返る。コートの女性が大事そうに胸に抱えているのは、赤色のパッケージが特徴の即席カップ麺、【赤いきつね】だ。

 緑のたぬきと比べて待ち時間が五分もあることは難点だが、その分味が染み込んだ油揚げが美味しい。三分で仕上がるたぬきそばのかき揚げもそれはそれで、上はさくさく下はしっとりして美味しいけれど。


「レジ横にポットがあるので、ご自由にどうぞ」


 答えてから、あれ? これって良いのか? と気が付いた。

 商品を買っていない客にお湯を提供するのはありなのだろうか。

 そもそもこの人、客なのか?


 僕がそんなことを考えている間に女性は電気ポットに近づき給湯ボタンを押……さなかった。

 じっと電気ポットを見つめ、微動だにしない様子。

 もしかして……


「お湯の出し方、わからないんですか?」


 声をかけると、彼女の身体が大きく跳ねた。

 うつむいたまま「あの、えっと」と小さな声を絞り出す。


「僕が入れましょうか?」

「いいんですか?」


 ぱっと顔を上げた彼女が、安堵の笑みを浮かべた。

「お願いします」と頭を下げる女性からカップ麺を受け取り、粉末スープと七味を入れてお湯を注ぐ。

 いつもの癖で七味を先に入れたけど大丈夫かな?

 だけどもう湯を注いでしまったので、気にしないことにして蓋を閉じた。


「店内で食べますか? それとも持って帰りますか?」

「え? あ、持って……持って帰ります!」

「じゃあその間に五分経ちますね」

「五分……?」

「今が一時四十五分なので、ちょうど五十分ですね」

「五分……あの、その時間になったら教えてくれませんか?」

「教える?」

「ここで待つので、五分経ったら教えてください」

「いいですけど、麺のびちゃいますよ? まぁ、きつねはのびた方が美味しいって意見もありますけど」

「のびたきつねを食べたことがあるんですか?」

「僕はありませんね、時間通りに食べます」

「……なんだか恐ろしい話ですね」

「ですね。最初はちょっとかたくても、食べてるうちに柔らかくなるのに」


 女性が何かに驚いたように振り返る。ちょうどその時、別の客が入ってきて僕はレジに戻った。

 温暖化がどうの森林破壊が、などとよくわからない持論を展開する酔っ払いの相手をしている間に四分が過ぎ、慌てて女性の元へ駆け寄る。


「すみません、えっと……あ、五分。今ちょうど五分経ちました」

「わ、もう……はいっ」


 慌ただしい様子の女性がカップ麺の蓋を開けた。しなーと柔らかそうな油揚げ、スープに浮いた七味唐辛子、歯で潰せるかたさになった卵みたいな黄色の丸いやつ。

 美味しそうだな、と腹筋に力を入れる僕などお構いなしに、蓋を閉めた女性がカップ麺を両手で持ち上げる。


「ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げた女性が、出入り口のドアに向かって歩みを進める。


「ありがとうござ……」とお礼の言葉を言いかけて、彼女が客ではないことに気がついた。

 何も買ってないし、お湯だけ持っていったぞあの人。

 まぁ、美人だったからいいか、とドアの向こうにいる女性に目を向けたとき、信じられない光景が見えた。


「……たぬき?」


 彼女の足元、外灯に照らされてちらちら見える毛むくじゃらの生き物はたしかに、たぬきの子どもだった。

 一匹じゃない三……いや、四匹いる。まだ子どもであろう小さなたぬきが四匹。


「まさか……」


 そのまさかだろう。

 彼女の正体を確信した僕は、レジ台の下にあるビニール袋を持って店を飛び出した。


「あの、これ!」


 僕の大声に、女性と子たぬき達がぴたっと動きを止めた。

 暗闇でギンッと光る目玉が、僕の姿を凝視する。


「こぼれると危ないので、使ってください」


 子たぬきに目を向けないよう、気づいていない演技をして、彼女からカップ麺を奪いとる。

 半ば強引になったが、呆然とする彼女はされるがまま僕がカップ麺を袋に入れる作業を見つめていた。

 ミーンと鳴く、気が早い蝉の声。


「どうぞ!」


 袋を差し出すと、彼女と目線がぶつかった。

 丸っこい形をした、黒色の綺麗な瞳。

 慌てて、僕の方から顔を背ける。


「倒れないようにはしてるけど、気をつけて持ってください!」

「あ、はい……ありがとう、ございます」


 おそるおそる、彼女が袋を受け取る。

 触れてしまった指先が妙に生温くて、弾かれたように手を離してしまった。

 取り繕うように、話を切り出す。


「このカップ麺、同じシリーズにそばもあるんですよ。あなたにはきっとそっちのほうが似合うから、また来てください。今度はちゃんとお金を持って、【緑のたぬき】を買いに来てくださいね」


 一方的にまくしたて、僕は踵を返して走り出した。照れを隠すように、彼女の正体に気づいていることを悟られないように。

 空調が効いた店内に駆け込む、来客を知らせるベルの音。

 振り返ると、深々と頭を下げる女性の足元に子たぬきがしがみついていた。辞儀を返し、店の奥へ足を進める。が、袋の精算をしていないことを思い出してレジに戻った。

 レジ袋だけの購入はダメだったな、お茶でも買おう。

 顔を上げると、たぬきの親子はもういなくなっていた。


 *


 あれから二ヶ月経って、暦上の秋になった。

 たぬきの親子は姿を現さないし、女性にも会っていない。

 夢を見ていたのかと不安になることもあるが、レジ袋と麦茶の領収書、『午前一時五十七分』のレシートが、あの出会いは現実だったと僕に教えてくれる。


 不思議なこのお話は誰にもしていない。

 いつか結婚して子どもができたら、こっそり教えてあげよう。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 生暖かい風とともに、来客を知らせるベルが鳴った。

 裾が地面についてしまうほどに大きなサイズのボアコート、たぬき色の髪の毛を二つ結びにした中学生くらいの女の子がドアの前に立っていた。

 結った髪の付け根には、くるくるふわふわな獣の耳。


「みどりのたのきをかいにきました」


 幼言葉で喋る少女の手のひらには、汚れた五百円玉があった。

 可愛らしい丸っこい目、黒色が綺麗な瞳。

 一呼吸した少女が次の台詞ははっきりと、大きな声で僕に告げた。


「それにお湯を、入れてください」

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