第18話

    終章

 戦車が敗れたと知ると城兵たちは総崩れとなって壊滅し、生き残った八十数名は捕虜となった。その中には林進の姿もある。こうして十慶城は再び荻家の物となった。映美たち四人はそのまま城に残った。と言うより映美も郷子も動けなかったのである。映美は鬼雷砲で雷精を使い尽くし、郷子も満身創痍だった。荻軍の勝利は二人の活躍による所も大きかったから扱いは良かった。

 江泰晴の本隊が戻って来たのは荻軍が城を落としてから一刻もしてからだった。しかし、荻軍はこの戦いで景連の長男、景幸が戦死し、三千余の兵力も千八百ほどになっていた。これに対し戻って来た江軍は二万六千。途中で引き返す無理な進軍で疲弊しているとは言え、疲弊は荻軍も同じである。攻守を交替してもう一戦あるかと思われた。

 しかし思わぬ展開となった。途中で引き返し始めた江軍を追って趙家の軍隊が後ろを突いたのである。主君を失ったばかりの趙家は混乱の極みにあると思われたが、江軍反転を知るとこの好機を逃す気にはなれず、跡目争いで分裂しかけていた家臣団が一時それは棚上げにして協力し合ったのである。城と趙軍に挟み撃ちにされた江軍はたちまち敗走した。この戦いで妾腹ではあったが趙家長男、趙武達(ぶたつ)が弱冠十四歳ながら優れた采配の冴えを見せ、相続問題も一気に解決してしまった。

 そんな事は何も知らずに映美は丸一日こんこんと眠り続けた。目を覚ますと横に新之輔がいた。布団の横に正座をして本を読んでいた。映美は新之輔に「わらすご(子供)は」と聞いた。新之輔は映美に笑顔を向けた。

「目が覚めましたか。女の子は珊瑚さんと一緒にお風呂に入っています。環姫も一緒です。珊瑚さんは両手を火傷しているので自分で身体を洗えないのです。姫が付きっきりで世話を焼いています」

 新之輔はそう言いながら水差しから茶碗に水を注いだ。

「真珠さん、水を飲んでください。目が覚めたら飲ませるように珊瑚さんに言われました」

 上体を起こし茶碗を受け取りながら映美は言う。

「新之輔さ」

「何ですか」

「願えごど、あるの」

「頭ですか」

 新之輔は自分の頭を指差して笑った。映美はけげんな顔をした。

「何だ」

「寝言で言っていました。僕の頭を切り開いて見てみたいって。良いですよ。僕が死んだら存分にやってください」

 映美は赤くなって俯いた。

「ほうではね(そうではない)」

 新之輔は身を仰け反らせた。

「えっ。生きている内は困ります」

「馬鹿この」

 新之輔を睨んだ。新之輔はすぐに笑顔に戻る。

「それでは何ですか」

 映美はまたはにかんで俯いた。

「おらごど、本当の名前で呼んでけろ」

「まだちゃんと教えて貰っていません。珊瑚さんと、えみちゃんさとちゃんて呼び合っているのは知っていますが」

「おらの名は映美。鬼崎映美。さとちゃんの名は鬼川郷子」

「鬼崎映美さん」

「へ(はい)」

 映美は頷き嬉しそうに微笑んで水を飲み干すとまた横になった。

「わらすご、どげにすだ(どうなった)」

「怪我は良くなっています。指の傷も塞がっています。鬼界衆も子供は治りが早いですね。ただ……」

 新之輔の顔が曇った。映美が枕の上から問いかける目で見上げる。

「ただ?」

「一度も笑いません。小さな物音にもひどく怯えます。人間を怖れ、珊瑚さん……鬼川さんの傍を離れようとしません」

「めじょけね(可哀想に)の」

 映美は目を閉じて涙を流し再び寝入った。次に映美が目を覚ましたのは夕食の時である。四人の他に環姫が同席し、郷子の口に食事を運んでやる。郷子の指示で映美の前には膳ではなく、米櫃と汁鍋が置かれた。映美は丼に飯を盛ると、芋や野菜の他、戦で死んだ馬の肉を煮込んだ汁を掛けて掻き込んだ。三杯までは新之輔も数えていた。見るのは二度目の新之輔がまた呆れるくらいだから、環はただ口を開けて呆然と眺めていた。映美は米櫃を空にすると汁鍋に一切れ残っていた馬肉を箸で摘まみ取って口に放り込み両手を合わせて頭下げ口をもぐもぐさせながら不明瞭に「御馳走様」と言うと這うようにしてまた布団に戻って行った。

 更に一日経って映美が起きられるようになると映美たちに与えられた部屋に環が訊ねて来た。ここには三人の鬼界衆が寝起きしており新之輔には別室が与えられていたが、この時は新之輔もこの部屋にいた。映美が呼んだのである。子供は殆ど口を利かなかったが、映美と郷子と新之輔が旅暮らしの中で体験した事などを取り留めなく話していた。人間に怯える子供も新之輔だけは怖れなかった。しかし襖の向こうに人の気配を感じると郷子にしがみ付いた。廊下から環の声がする。

「入っても宜しいでしょうか」

 子供の頭を撫でながら郷子が「どうぞ」と言った。郷子の手には軟膏が塗られ布が巻かれていたが物は掴めるようになっていた。襖を開け環が入って来ると子供は郷子の背後に隠れた。環姫は四人の前に座ると手にした白絹の包みを前に滑らせ、両手を突いて頭を下げ額を床に付けた。

「此度は我が軍の城攻めにお力添えいただき真にありがとう存じます。お蔭様を持ちまして念願通りこの城を奪い返す事できました。本来ならば我が父荻景連がご挨拶に伺うべき所、戦で受けた傷が意外に深く、私(わたくし)が名代として罷り越しました。これは感謝の気持でございます、どうぞお受け取り頂きたく」

 新之輔が包みの端を捲った。郷子がぴしゃりとその手を叩いたが中に黄金がちらりと見えた。郷子は顔をしかめた。

「お金は要らないって言ったじゃないの。私たちには私たちの思惑があったのだから」

 環は伏せていた顔を上げた。

「鬼川様は、領地はもちろん金も武器も要らぬとおっしゃいますが、それでは私どもの気が済みませぬ。何とぞお受け取り頂きたく。また、これを機会に荻家と鬼界衆が誼を通じ、親しく交わらせて頂ければ、また此度のように協力し合う事もあろうかと…」

「ほれは、でぎね」

 映美が首を左右に振った。

「なぜでござります」

 環が聞くと郷子が言う。

「私たちも人間との争いを避け特に子供を守るために話し合いを持ちたいとは思っているけれど、特定の領主と仲良くする気はないわ。戦国の世では、誰かの味方をすれば誰かの敵になる。人間同士の争いに巻き込まれるのは嫌なの」

 環はすがるように映美と郷子を見た。

「しかし、それでは我等の気が済みませぬ。この感謝の気持をどのように形にすれば宜しいのでございましょう」

 映美が言う。

「わらすご、泣がしゃねでけろ。ほれが、おらだぢの望みだ」

 郷子が頷いた。

「そのお金は、戦で親を亡くした孤児のために使ってちょうだい」

 環は床に額をこすり付けた。

「はいっ。必ず」

 翌日、四人は十慶城を旅立った。馬が二頭用意され、一頭には子供を胸に抱いた郷子が手綱を取り、もう一頭の手綱を取る映美の後ろに新之輔が跨がろうとした。環と眠晃が城山を降りて見送っていた。

「新之輔」

 環に呼ばれて新之輔が振り返った。

「このまま荻家に仕える気はないか」

 新之輔は首を左右に振った。

「お侍の家来になる気はありません」

「そうか……。達者でな」

「姫も」

 新之輔は笑ってそう言うと映美に手を引かれて馬に跨がった。去って行く四人を追うように環は二歩ばかり前に出たが諦めたような顔をして立ち止まった。

「眠晃」

「はっ」

 後ろに立っていた隻腕の武将は頭を下げた。

「あの者たちのような放浪の暮しに憧れた事はないか」

「言っても詮なき事でございます」

「そうじゃな」

 この戦いで父は傷付き、跡取りであった兄は死に、新たな世継ぎとなった弟は病弱だった。家を捨てて放浪する事などできなかった。それでも、もしも、新之輔が自分を嫁に欲しいと言ったなら……。

「詮なき事じゃな」

「御意」

 眠晃は深く頭を下げた。

 映美たち四人は森の中に入り、映美と郷子は来る時に天幕に包んで埋めて置いた荷物を掘り出した。新之輔が言う。

「僕はここでお別れです」

 一緒にじさまの所に帰るのだと思っていた映美と郷子は驚いた。

「どさ(どこへ)行ぐんだ」

「花州に妹の嫁ぎ先があります。時々顔を出さないと叱られます。半分お百姓、半分お武家のような家です。そこにしばらく厄介になり、今度の事を書き留めておこうと思います」

「そう。馬を一頭あげましょうか」

 郷子が言うと新之輔は首を左右に振った。

「歩いて行くの?」

 問いには応えず新之輔は大きな音で鼻を鳴らした。「ぶー」とも「びー」とも聞こえる汚い音だった。森の奥でそっくりな音が返事をして、やがて驢馬が姿を現した。来る時に荷を積んだ驢馬に違いなかった。郷子が目を丸くした。

「良く手懐けた物ね」

 新之輔は笑いながら驢馬の鼻先を撫でた。

「いろいろありがとうございました」

 映美は首を左右に振った。

「うんにゃ。おらだぢこそ世話んなだ。ありがどさま」

 新之輔は驢馬の背に跨がった。

「それではご縁があったらまた」

「さようなら」

 と郷子が言った。映美はただ黙って新之輔を見詰めていた。映美が去って行く新之輔の背中を見て涙ぐんでいるのに気付いて郷子は頷いた。

「そうね。何だか情が移っちゃったわね。いろいろ助けて貰ったし、私たちの肌で温めてあげたのだものね」

 映美の目からぽろぽろっと大粒の涙がこぼれ落ちた。情が移ったでは済まない激情が渦巻いているようだった。郷子が心配そうに映美の顔を覗き込んだ。

「人間に恋着すると辛いわよ」

 そんな事は郷子に言われなくても判っていた。恋愛経験は映美の方がずっと多いのである。映美は泣きながら馬に跨がった。郷子もそれに倣う。既に馬上にあった子供を抱え直す。ふっと微笑んで言う。

「また会えると良いわね」

 映美は相変わらず大粒の涙を流しながら頷き、馬の腹を蹴った。馬が駆け出し郷子の馬がその後を追って行った。


 泣えでる。

 さとちゃん、わらすご泣えでるじえ。

 苦すぐで、ひどりぎりで、助げでけろっで泣えでる。

 行がねど。早ぐ、早ぐ助げでけらねど。

 さとちゃん、行ぐべ!


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鬼界忍法帳 @marukawa-y

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