第17話

    五 動く城

 急な坂道をゆっくりと登って来るのは、水車の傍の屋敷で見たあの戦車だった。ぎざぎざの滑り止めが付いた鉄の車輪で土を噛み、黒い鉄板を沢山の鋲で貼り付けた家のような巨体を少しずつ持ち上げていた。煙突からは絶え間なく黒い煙を吐き、時折煙突の横からしゅーっと白い蒸気を吹き出した。上に四本並んで前方に筒先を向けている武器は、魔神武者のそれよりも更に大きく凶悪な印象だった。映美と郷子はその姿を見ると慌てて門を閉め、短くなってしまった閂を通したが、撃ち込まれた巨大な砲弾によって門は粉々に砕かれてしまった。門の前から逃げかけていた映美と郷子は飛んで来る破片に飛ばされ転がった。二人は受け身を取って立ち上がり、三の丸の虎口に駆け込んだ。子供を抱えた新之輔がきょとんとした顔で二人を迎えた。

「敵はどうしました」

 映美と郷子は応えず、虎口の横から顔を出して大手門を窺う。新之輔もそれに倣った。戦車は大手門よりも幅が広いため左右の塀ごと門を押し倒し踏み潰しながら城内に侵入して来た。そのまま捨丸の死体も踏みにじった。捨丸は大量の血を吹き上げながら土の中に練り込まれてしまった。戦車は巨体を巡らせ筒先を虎口へ向けた。三人は慌てて顔を引っ込めると横に走った。三人、新之輔が抱えている子供を入れると四人のすぐ後ろで三の丸の壁が崩れ砲弾が飛び出して通路を横切り二の丸の壁に当って壁土をばらばら落としながら地面に落ちた。三の丸は本丸と二の丸をぐるりと囲む長郭で厚みはそれほどないが、それにしても戦車の砲弾は三の丸の二枚の外壁を貫いてしまったのである。生身の人間が太刀打ちできるような物ではない。

 間の悪い事に四人の背後から合戦の音が近付いて来た。搦め手門から攻め入った荻軍がついに本丸も落とし、敗走する城兵を追撃しているようであった。このままでは四人は逃げて来る敵兵と出くわしてしまう。実はこれは林進の計略で、本丸を落とされたら敗走すると見せかけて荻軍を大手門側に誘い出し、最後の手段として戦車で応戦するという予てからの手筈なのだった。もちろん映美も郷子もそんな事とは知らないから、捨丸と蘭香に手子摺っている間に戦車と城兵の挟み撃ちになってしまったのである。

「まずいわね」

 郷子は顔を歪めた。映美と郷子は周囲を見回して隠れる場所を探したが、あの砲弾を遮るような物は見当たらなかった。そうしている内にも合戦の音は次第に近付いて来る。

「鬼雷砲でやっつけられないんですか」

 新之輔が言うと映美は悲しげに首を左右に振った。郷子が言う。

「ああいうのは駄目なのよ。鉄で覆われているでしょう。車輪も鉄だから雷精が中に届かずに外を伝わって地面に流れちゃうのよ」

 避雷針の原理である。獲霊起輝の制作者だけあって新之輔はすぐにこれを理解した。

「なるほど。じゃあ鉄の棒みたいな物を突き込んで中に雷精を導いてやれば良いのですね」

 郷子が苛立った声を出す。

「だって戦車は鉄で鎧われているから刀も槍も通らないじゃないの」

「一ヵ所だけ開いている場所があります」

 映美と郷子と新之輔は戦車が開けた穴から覗き見た。黒い家のような兵器は煙突から黒い煙を吐いていた。郷子は地面に突き刺さっていた捨丸の大太刀を引き抜くと物も言わずに駆け出した。映美は新之輔を抱き締めると口を吸った。今日二度目だ。

「離れでろ」

 と言われて新之輔は子供を抱いたまま後退る。映美の身体がぼうと輝き、着物や肌の上を青白い火花が走る。笄が落ちて頭の上に纏められていた長い髪が背中に流れ落ちると、その先端がゆらゆらと持ち上がって扇形に開いていく。映美はゆっくりと歩き、郷子を追って虎口から門の方へ出て行った。

 郷子はじぐざぐに走った。動きの遅い戦車は筒先を正確に郷子に向ける事ができない。それでも近くに砲弾が落ちると地面が抉られ、郷子の身体は飛び散る土塊と共に弾き飛ばされ、小さな身体はころころと転がった。何度も弾き飛ばされながら戦車に近付いて行った。戦車から二間ほどの所に来ると砲撃が来なくなった。近過ぎて主砲では狙えないらしい。郷子は泥人形になっている。

 細長い狭間が開いて矢と射剣筒が射かけれられた。手にした大刀を一振りして宙で払い除けると郷子は走って戦車の側面に回り込む。ここでも矢が射かけられたが、郷子が自分の背丈よりも長い刀で振り払って突進すると慌てて狭間に鉄の蓋をした。

 郷子は車輪に足を掛けて飛び上がった。鉄板を打ち付けた鋲は縁を潰してあり、手掛かりになるような物はなかったが、郷子の身体はぴたりと戦車の側面に貼り付いた。そのままぺたぺたと手足を貼り付けて守宮(やもり)のように戦車によじ登った。上に出ると煙突に駆け寄った。大刀の切っ先を煙突の中に差し入れた。

 この時、煙突の脇から高温の蒸気が吹き出して刀の柄を握った郷子の両腕を直撃した。郷子の腕に見る見る火脹れができていったが、何事もないように郷子は刀を煙突の中に突き込んだ。煙突の奥は黒煙で見えなかったが鉄ではない何かの手応えがあり切っ先が刺さった感触があった。おそらく窯の内側は竈のように土でできているのだろう。それを確認すると郷子は戦車の後方に飛び降りた。

 後ろには狭間がなく攻撃されないだろうと読んだのだ。確かに狭間はなかった。しかし、運の悪い事に郷子は二丈(約六メートル)ほどもある高さから飛び降りた時、戦車の巨体を支える車輪が踏み荒らした地面に足を取られてくじいてしまった。普段の郷子ならあり得ない事だったが捨丸との激闘が身のこなしを鈍くしていたのである。立ち上がれない郷子に向かって戦車はゆっくりと後退を始めた。

 虎口の前に立った映美はすらりと刀を抜いた。抜き放った瞬間、右肩から切っ先に向かって一筋青い電光が走った。映美の長い髪は宙に浮いて波打ち、全身はぱちぱちと音を立てて火花を飛ばしていた。郷子が煙突の中に刀を突き入れ戦車から飛び降りるのが見えた。映美は刀を握った右腕を前に伸ばし、刀身を垂直に立てた。

「鬼雷砲!」

 映美が叫ぶと同時に刀身の中央から白銀の稲妻が迸り出て、煙突から吐き出される黒煙に見え隠れする刀の柄に橋を架けた。ばりばりっという轟音が鳴り響いて大地が震えた。二呼吸ほどの間、戦車には何の変化もなかった。そのまま後退を続けて、ぎざぎざの大きな鉄の車輪が郷子を踏み潰すかに見えたその時、戦車はその動きを止めた。郷子が車輪の下から這い出た。

 後部の扉が大きな音を立てて上に開いた。白い蒸気が大量に溢れ出て来る。もうもうと涌き上がる蒸気で中の様子は全く見えない。やがて男が二人熱い霧の中からよろめき出て来て地面に転がり落ちた。倒れたまま動かなかった。二人とも下帯一本の裸だったが肌は全体が茹で上げられたように真っ赤だった。茹で上げられていたのである。郷子の見ている前で男たちの肌は、郷子の腕とそっくりの火脹れを脹れ上がらせて行った。見る見る全身が火脹れで覆われる。まるで魔法を見ているようだった。窯が割れ、戦車の内部は赤く焼けた炭が飛び散り、吹き出した高温高圧の蒸気に満たされたのであった。戦車兵は全員が蒸し焼きにされたに違いなかった。

 新之輔が虎口から出てみると映美が仰向けに倒れていく所だった。戦車の後ろから小さな女が現れて足を引き摺りながらこちらへ向かって来た。巨大な黒い兵器の横に居ると郷子の姿はひときわ小さく見えた。

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