第3話 ここは大切な場所だから

 布団の中でうとうとするうち、楓は久しぶりに夢を見た。


 猛烈な睡魔に襲われて体が重い中、楓は仕事へ行かねばと必死に体を起こす。仕事へ行く前に台所を片づけたり洗濯機を回したりと、やるべきことが次から次へ湧いてくる。しかし空気が水のように重く体にまとわりついて動きを邪魔する。何一つ片付かない。そのうち、これが夢だと気づく。夢の中で再び目覚めて「あーさっきの夢だった。また最初からやり直さなきゃ」と言うと同じことが繰り返された。何度ももがいて、絶望しながら目覚めて、繰り返し這ってベッドから出る。


 そうこうしているうちに、外はだんだんと日が落ちる。暗くなるにつれ焦りが募る。早く仕事に行かなければ。瞼が重くて重くて仕方がない。それでも仕事に行かなければ。暗い部屋の中を這う。だんだんと力が入らなくなり瞼さえ動かなくなった。


 場面は暗転して子どものころ住んでいた実家になった。楓は子どもの姿に戻り、目の前には宛名のない手紙が山積みにされている。

 その中から一枚を手に取る。カサリと紙の山が崩れる音がする。楓は手の中の手紙に意識を集中させて微かな感情の残滓を読み取る。まだ、こんなに手紙は残っている。終りの見えない使命に途方に暮れる。




 一つの手紙も届けられないうちに、目が覚めた。


 ひどく汗をかいた。久しぶりにまとまった睡眠時間をとることが出来たが、夢見は最悪だ。夢の中でまで仕事のことを考えなくてもいいだろうに。しかも目的地に辿り着いていない。後半はいつも見る夢だった。救いのない夢だ。あまり好きではなかった。


 外の光はまだ明るいが何時だろうか。夕方か、まさか朝だろうか。あのまま丸一日寝ていたりなんてことは。

 時計を探して、この部屋には置時計も壁掛け時計もなかったことを思い出した。時間が分からないというのはどうも落ち着かない。


 そんなこんなと考えていると買い物に出ていたルイが帰って来た。

 服装がまた変わっている。起き抜けに見たGパンに白シャツ姿ともフォーマルな執事姿とも違う。外から帰ってきてそのまま来たのだろう。フード付きの黒いダウンジャケットに白のカットソーと、黒いダメージジーンズを穿いている。


 丈の短いダウンジャケットとピッタリしたジーンズ……。足長く見えるなぁ……。実際長いのか……。似合うなぁ……。


 楓はどうでもいいことを考えていた。


 ルイは大量の荷物を部屋の中央にあるソファーへドサドサと置き、楓の元へ。

 「ただいま。僕が昼前に帰って来た時はまだ寝てたけど、その様子だと結構眠れたみたいだね。良かった」


 ルイが手でおでこを触ってきた。熱を測る手がひんやりしていて気持ちいい。

 「熱ちょっとひいたね。冷え〇タ買って来たから置いておくね。あと……」


 言いながら、先ほどソファーに置いた荷物の方へ向かう。

 部屋にルイが現れた瞬間、楓の視界にそれらは否応なく入ってきた。恐ろしいので触れないでいた。現実逃避したかった。


 何せ楓が見たことがない量の紙袋だった。


 買い物に行くとは言ってたけど、爆買いは同人誌だけじゃないのか……。

 なんかこう、コンビニ行くけどアイスいる?みたいなノリだと思ってた。


 文字通り、買い物の山をがさごそ漁っていたルイが思い出したように振り向く。

 「あ、ここにあるの楓ちゃんの着替えだから。好きなの選んで着てね♡」

 「まさかそれ、全部私に買って来たの……!?」

 「全部じゃないよ?まだ靴と帽子は車の中だよ」

 「まだあるの?!って、靴!?なんで?!本人不在で?試し履きできないのに買ってくる?!ってか靴必要?!どこ行くっての?!帽子まで?!なに考えてるの?!」

 「サイズは楓ちゃんが履いてきた靴でおおよそ分かるから、家で試し履きすればいいじゃない?服買うんだったら合わせて靴も買うでしょ?」

 「待って、なんで当たり前みたいな顔してんの?!なんで熱出してる人間にアイスじゃなくて洋服一式買ってくるのっ?!」

 「アイスはキッチンの冷蔵庫の中だよ。こっちの冷蔵庫にも入れておくね」

 「冬にアイス常備してるの?!そしてこの部屋冷蔵庫あるの?!ほんとだ、あるしっ!!!!」

 ベッドの隣にコンパクトなサイズの冷蔵庫があることに今さら気づいた。


 「先に体拭いて着替えようね。汗かいたでしょ。昨日はお風呂入れなかったし、さっぱりしようね」

 あったあったと言いながら、ルイが渡してきたのは、かわいらしいピンク色のショップバッグ。店の名前を見てピンと来る。


 「こ、これ、下着……」

 大手女性下着メーカーのロゴだった。

 「な、なっ、本人不在で……」

 「楓ちゃん不在不在ってそればっかり言ってるね」

 「だって、服とか靴とかとは、訳が違うでしょ……」

 男が女性ものの下着売り場に行ったのか。そもそもサイズは。靴は履いてきたものからサイズを見たと言っていたが、まさか……。


 「あ、心配しないで。売り場のお姉さんに『妹が急に入院することになって』って言って見繕ってもらったものだから」

 「なにそのアドリブ……!いや、入院って、なんの病気ですかとか聞かれなかったの?!」

 「聞かれたよ」

 「なんて答えたの?!」

 「突発性難聴ですって答えた」

 「……また知らない名前出てきた……」

 今朝聞いたキツネの名前はフェネックギツネではなくて、なんだっただろうか。


 「心配しなくてもちゃんと『療養中に気分が上がるような、かわいいもの選んでください』って言っておいたよ♪」

 「違う。問題はそこじゃない」

 「ノンワイヤーブラって楓ちゃん着けたことある?」

 「……言わない……」

 「サイズが合わなかったら買い直すから遠慮なく言ってね♡」

 「絶対言わない!」


 体を拭くためのお湯を張った桶とタオルを用意してもらうとすぐにルイを追い出した。

 まさかとは思ったが、本人は手伝う気満々だったらしい。


 いや無理でしょ。服脱ぐんだよ。見せられるような体じゃないし……いやそもそも見せないけれどもっ!


 洗濯のために脱いだ服を入れるカゴも置いていってもらった。楓は体調が回復したら自分で洗うと言い、頑として渡さなかった。


 頭が洗えないのが残念だが、体を拭くだけでも随分とすっきりした。

 「……このノンワイヤー、私が欲しかったやつだ……」

 オレンジ色のペイズリー柄。ふちに白いコットンレースがあしらわれたそれは、楓がウインドウショッピングで見かけて惹かれたものだった。だがその時は値札を見て手を引っ込めた。


 「なんで好みがバレてるの。……しかも揃いのショーツまで……」

 すぐ使えるように、タグは店で買った時点で切ってもらったらしい真新しい下着たちを見下ろして楓はプルプルと肩を震わせた。


 「わ、でもこれめっちゃかわいい……。そしてサイズがぴったり。え、どういうこと……」

 ルイの仕業なのか、店員の仕業なのか。


 気を取り直してパジャマも用意されたものの中から選んで着替える。正直あの洋服の山を検めるのは怖い。どれだけの金額を使われたのか、考えただけでも恐ろしい。


 ……って、あれ?


 「……なんか私、この状況すんなり受け入れてる?」

 自身が体験したことがないのになぜか既視感がある。この感じ……。


 「……過去小説に、同じようなことが……?」

 今の状況に近いことを書いていた気がする。

 主人公が屋敷に招かれ、通された部屋のクローゼットを開けると、そこにはサイズがピッタリの衣類がずらりと用意されていて……。


  『な、なんで、わたしのサイズ知ってるの?!』

  『言ったでしょ?君のことならなんでも知ってるって。

   指輪のサイズからスリーサイズまで……』

  『バッ、バッカじゃないのっ?!』


 「うっ……!」

 楓は苦しさのあまり胸を押さえてその場で膝をついた。


 うわぁぁぁああああっ!!!!無理無理無理無理!!ちょっと思い出しただけなのに恥ずかしさで死にそう……!分かってたけど、苦行……!!

 心の中で絶叫した。


 身震いがする。楓はあわてて着替えを再開する。スベスベした生地でベージュ色のパジャマを着て布団に潜り込んだ。

 自分の心臓のためにも、ルイの正体を掴むためにも、過去小説の内容はなるべく思い出しておく必要がある。だが、あまりにも精神的ダメージが大きい。心臓が持つだろうか。


 「と、とりあえず、ルイにお礼まだ一言も言ってないな……お礼だけでも、ちゃんと言わなきゃ……」


 思えば昨日のイベント時からお礼がきちんと言えていない。そこは人として。大人として。




 「見て見て楓ちゃん!これがチベットスナギツネ」


 着替えが終わった楓の元に、ルイは子どものように無邪気な笑顔で図鑑を何冊か抱えて持ってきた。布団の上でその中の一冊を開いて楓に似ていると言っていたキツネの写真を見せる。


 ちなみに、ルイ自身もまた着替えていた。丈の長いカーディガンを羽織ったモノトーンな装い。一見ラフな格好に見えるが、生地は上物のようだ。


 楓はルイの観察を切り上げて図鑑に目を落とす。

 「……やっぱりかわいくないやつだ……」

 「よく見て?かわいいでしょ?」

 「あんたの可愛いの基準って……」

 「ん?」


 ふいに図鑑から顔を上げると、至近距離で目が合う。何度見ても慣れない突然の美形に、楓は顔が熱くなるのを感じた。


 「こんな図鑑何冊も持ってるってすごいね!ルイって動物とか好きなんだ?!他にどんな動物が好きなの?!」

 また揶揄されるのはごめんだ。顔が赤いのを誤魔化そうと顔を伏せて図鑑に見入っている風を装う。しかし無理やり話題を絞り出したため、まるで子どもに対する物言いになってしまった。


 「動物全般好きだよ。特にホモサピエンスの……」

 「人類以外で」

 次の展開が読めてしまい瞬時に切り捨てる。


 「じゃー、爬虫類かな」

 ルイが好きなのは爬虫類。うわ。似合う。なんとなくだけど、似合う。

 楓は心の中で噛みしめた。


 「コモドドラゴンって知ってる?」

 「えっ?子どもドラゴン?!」


 なにその心ときめくワードは!現実世界にいるの?子どもってことは小さいの?翼は生えてるのかな?!


 「子どもじゃなくて『コモド』ね。これがコモドドラゴンだよ」

 「……」

 正式名称はコモドオオトカゲだった。楓の想像とはかけ離れたドラゴンだった。トカゲだった。

 「やっぱりかわいくない……」

 「そうかなぁ?かわいい目してたよ?でもどちらかというと強いって感じかな。ほら恐竜みたいでしょ!」


 小学生男子のようなこと言い出したぞ。無邪気か。かわいい。


 「地球上で最も重いトカゲで、大きいのは3メートルにもなるんだって」

 「でか……」

 「時速20キロくらいで走って、変温動物なのに持久力があるから二日でも三日でもず~っとヒタヒタ獲物を追いかけられるんだって。最近の研究では毒を持ってる可能性があるって……」

 「なにそれこわい」

 「現地では人間も食べられたって」

 「人間食われてんじゃん!!もっとこう、平和的な!ペットとか!飼いたい動物とか!」

 「飼いたいのはグリーンイグアナかな」

 「イグアナ……ってどんなのだっけ?ミ〇ージュの宣伝に出てたやつ?」

 「それはエリマキトカゲ。楓ちゃん、よくそんな古いの知ってるね」

 「え……古いかな。そうか古いか……」


 楓が子どものころに見たテレビCMである。確かに古い。


 「かわいいといったら、メキシコサラマンダーかな」

 「サラマンダー?!ゲームに出てくる?」

 「これ」

 「ウーパールーパーじゃん!!!!正式名称初めて知った!!!!これは100点満点でかわいい!!!!」

 「現地では唐揚げとかにして食べるんだって」

 「えっ、こんなかわいいのに?!あ、でも日本人だってあんなにかわいいムツゴロウを食べるか……」

 「楓ちゃんのかわいいの基準……」

 「なによ?!」


 二人で図鑑を覗き込んで他愛もない話をして、楓は楽しいと感じている自分に気付いた。


 ……はっ!動物図鑑一つで盛り上がっちゃった。こんな、年甲斐もなくはしゃいじゃって。うぅ、一緒に居て楽しいだなんて、なんか悔しいいい……。

 いや、それよりも。まだお礼言えてない。うやむやになる前にちゃんと言わなきゃ……。


 顔をまともに見るとまた赤面してしまいそうなので、視線は少し外す。

 「言うタイミング逃して、今さらなんだけど、あ……」

 楓が息を整えて切り出す前に。


 「あ。それ僕が選んだやつ」


 ルイの弾んだ声に遮られた。


 「一番に着てくれたなんて、嬉しいな。楓ちゃんが好きだと思ってその柄を選んだんだ。やっぱり正解だったんだね。すごく似合ってるよ」

 「へ?いや、その……こちらこそ……いろいろしてもらって……」


 ん……?柄……?


 今、楓が着てるのは無地のパジャマである。

 疑問を抱いてルイの視線の先を辿ると、楓の胸元に向けられていた。

 布団の上で正座をして、両手をついて、前かがみの体勢で夢中になって図鑑を覗き込んでいた楓。の胸元。

 前かがみの体勢のせいで、ちょうど見える空間。


 選んだやつって、柄って、ブラのこと……。


 ルイの角度からばっちり見えていた。一瞬で顔から湯気が出そうなほど真っ赤になる。


 「バッ……バカじゃないの?!バカ!!セクハラ!!変態!!」

 思いつく限りの貧相な罵詈雑言を浴びせて、必死にパジャマの胸元を掻き合わせる。

 「……あはっ……あはははっ!」

 当の変態呼ばわりされた本人は無邪気に笑いだした。


 「な、なんで笑ってるの?」

 「ごめんごめん。やっと『バカ』って言ってくれた。小説と同じように。そうだよね、なかなか言うセリフじゃないよね。簡単に出てこないよね」

 ルイは目元に涙を浮かべるほど笑っていた。

 金色の前髪から覗く彫りの深い顔立ちも長いまつ毛も、見惚れるほどに綺麗なのに子どもみたいに笑っている。


 小説と同じように。たったそれだけで涙が出るほど笑うルイ。


 「ありがとう。同じように僕を扱ってくれて」


 ……嬉しいんだ。ルイは今、嬉しくて、そして楽しくて仕方ないんだ。それで笑ったんだ。


 まっすぐにこちらを見つめてくるルイを見て、気持ちが手に取るように分かった。


 「オリキャラの星から来たって言う僕を受け入れてもらえるとは、正直思ってなかったんだ。拒絶されたらどうしようって、怖かった」

 「……」


 怖かった?……あれが怖がってた人のやることか?

 楓の脳裏に昨日からの強引なルイの行動がよみがえる。


 「でも、楓ちゃんは一目で僕のこと気づいてくれて嬉しかった。覚えててくれて良かった。ありがとう。僕を創ってくれて」

 「……そん、な……」


 オリキャラに存在を感謝されて動揺した。

 感謝されるようなことは、何一つしてやれていないと思っていた。

 ざらりとした罪悪感が胸を覆う。


 「……私、オリジナルの話、ちゃんと終りまで書けたことない。どれもこれも中途半端で、完成した作品なんて、一つもない」


 あなたの物語を放り出して、ゲームばかりして二次創作に浸って、その上最近では存在自体記憶の彼方に押しやられていた。

 ルイに対して申し訳ないことばかりで負い目を感じる。



 ……って、私は今誰に懺悔してるんですかね?!?!

 本当にルイだと思い込んでる自分がいるんですけど?!?!



 「とにかく……私は、ただの趣味でしか書いてなくて、あんなノートに手書きした幼稚なもの、小説なんて呼べるものじゃ……『作者』なんて、そんなこと言えるような人間じゃないよ」

 「ううん、立派な小説だよ。君は、『紅の鏡』を書いた。僕を創った。それは事実だ。僕は君に望まれて生まれてきた。僕は君に必要とされたい」


 必要とされたい。

 それは、楓が過去小説を書く際に作品に込めたキーワードのひとつだった。

 パズルのピースがピタリとはまるような感覚。言葉が心を温めてくれる。

 そして、一拍おいて冷静さを取り戻す。


 「……『紅の鏡』……?」

 「うん。紅の鏡」


 当たり前の顔でルイが復唱する。


 楓の中の冷静さが遠くからおーい!と危険信号を発しながら全力疾走してくる。

 ……おーい、それはー……!

 …………それはパンドラの箱だよー!

 ………………開けるとやべーやつだよー!!



 それは、楓が忘れていた、過去小説のタイトルだ。



 「ああああああああああああああああああっ!!!!」

 「どうしたの楓ちゃん?!人工呼吸しようか?!」

 「なんで人工呼吸なの!!!!誰がするかぁぁぁああっ!!!!」

 取り乱してもルイへのツッコミは自然とできるまでになっていた。


 クレナイノカガミ……思い出した!!ルイが出てくる過去小説のタイトル。なんという中二病感漂うタイトルをつけてくれたんだ過去の私……!!


 「本当に大丈夫?」

 「だい……じょうぶ……。ちょっと、過去小説のタイトル思い出して、穴があったら入りたい気分なだけ……」

 「そう?僕、各話タイトルまで覚えてるよ、言おうか?」

 「やめて!!そんな公開処刑!!」

 「え~、だって楓ちゃん僕のことまだ本物の『ルイ』かどうかって疑ってたでしょ?」

 「そりゃ疑うに決まってるでしょ!!ってか、なんで各話タイトルまで知ってるの?!」

 「それはだって、僕が登場人物だし」

 「……くっ……!」


 何を言っても自分にダメージが返ってくる。楓は苦悶の表情でがっくりとうなだれる。

 

 そんな楓が可哀そうになったのか、ルイが楓のそばに近寄る。

 「そんなに僕のこと疑うのなら好きなだけ調べていいよ?例えばコレ。本当に地毛かどうか。とか」

 ルイは髪を束ねていたヘアゴムを取ると頭を差し出してきた。


 ベッドに手を添えて、上目遣いで頭を差し出してくるルイ。


 「……」

 なんだこの状況は。なでてくれみたいなポーズになってるけど、お前は犬か?猫か?


 楓は大型犬だと思うことにして、おもむろにその頭を掴んだ。

 わしゃわしゃ。わざと手荒に髪の毛を調べる。

 「もうちょっと優しくしてよぉ~」


 サラサラした金髪は生え際から同じ色だ。

 染めたばかりだったら分からないのでは?とも思うが、染髪について知識がない楓には何も分からなかった。


 「どう?」

 「……」

 無言で、なんの収穫もなかった頭を解放する。

 不審な点無しと見做されたルイはにこりと微笑む。


 「じゃ、次はこの目は本物か。とか」

 「……」

 吸い込まれそうな青い目。

 顔を寄せられて思わず身を引きたくなるが、ここで引いたら負けのような気がして楓はなんとか堪えた。


 「顔も触っていいよ。ほら、触って?」

 ルイが楓の手を自分の顔へと促す。


 「……っ!」

 緊張して若干手が震えた。


 震える手に気づいたルイの口元が妖艶に弧を描く。

 添えられたままの手が楓の指をルイの口元に運ぶと、触れるか触れないか程度のキスをそっとされた。


 ななななななっ!このキザやろうめっ!!


 楓は、逆に両手を使って、えいっと力を込めて頬をグニグニ引っ張った。


 「いたい。いたい。そんなに つまむ ひつよう ある?」

 頬を摘ままれながらもルイは笑っている。


 「ルパ○だったらこれで分かる」

 「あはは、この顔、変装だと思われてたの?」


 憎たらしいのでついでに首も確認するフリをして軽く絞めておく。

 「そこ調べる必要ある?」

 「や、喉仏ちゃんとあるなぁって思って」

 「あはは、性別すら疑われてた?」


 ついでに鎖骨も掴んでやる。綺麗な鎖骨しやがって。持ち手か。


 ルイはからからと笑ったかと思えば、またにやりと妖艶に微笑む。

 「そんなに僕の体触るの楽しい?いいよ?好きにして」

 至近距離からのウインク。


 ぎゃーっ!!!!色気を振りまくんじゃないっ!!!!


 「……もういいよ!正直、カラコンでないのは分かったけど、地毛かどうかは私が見たんじゃ分からないし」

 「ふーむ……じゃ」

 「?!?!?!」


 唐突にルイが立ち上がり、自分のTシャツの裾をめくり上げた。カーディガンの間から引き締まった上半身が露わになる。


 「なんなの突然??!!」


 肌色が眩しいっ……!!!!


 ルイはTシャツの裾を咥えて自由になった両手で再び楓の手を取る。


 「金髪が本物かどうか、体の隅々まで調べれば分かるんじゃない?」


 熱を帯びた囁きが耳に届く距離。肌に触れる感触。目が離せない。


 すみずみ……って……。

 「見る?」

 「いやいやいやいやいや……セクハラ!!!!」

 「さっき楓ちゃんの谷間見ちゃったからこれでフェアかなって」

 「フェアじゃないフェアじゃない!!あとさっきのことは記憶から消して!!!!」


 楓が手を引っ込めてもルイはシャツの裾を咥えたままだ。

 「脱げって言ってくれれば全部脱ぐのに」

 「脱ぎたいのか!?おのれはっ!!」

 「だってこの身を捧げる以外に信じてもらう術がないんだもん」


 喋りにくいのかシャツの裾を放す。ストンと降りたシャツのシワを伸ばす。


 「楓ちゃんが僕の体のきわどいところにほくろをつけるとか、分かりやすい設定にしてくれたら一発だったのに」

 「悪かったな。浅いキャラ設定で。ってか『きわどいところにほくろ』なんて設定作るわけないでしょ」


 というか、あったら見せるつもりだったのか。ほくろ。


 「中学生のときの純情な楓ちゃんが作ったんだものね」

 「悪かったな。今はもうすさんでて。おまけに腐女子で」

 「そんなに卑下しないで。成人済みした腐女子の楓ちゃんも好きだよ♡」

 「ああああもう!」


 何度もこんなやりとりをしている気がする。

 その度に『ルイだ』と思ってしまう自分がいる。

 そんなはずはないと分かっているのに。

 ……なのに。

 だからこんなにも苛立つのだ。

 こんなことをして何のメリットがある。

 そうだ。こんな自分を騙して一体何になる?


 「あんたの目的ってなんなのっ?なにか裏があるんでしょ?」

 「目的?それは楓ちゃんに会うために……」

 「それはもう聞いた。私の面倒を見ようとする理由よ!こんなめんどくさい女と一緒に居たいって、なにか裏が無いとおかしいじゃない!」


 来た!これだ!!やっと冴えてきた私の頭!!

 自分のことめんどくさい女って認めるのが悲しいけど!!


 ルイはあっけどられた顔で数回瞬きをした後、納得したように手を打った。


 「なるほど!」

 「なるほどってなによ?!!!」

 「わかった。ちょっと来て」


 ルイは楓の手を引いて部屋の外へ連れ出した。

 廊下はひんやりとしている。ルイが自分のカーディガンを肩から掛けてくれた。


 レトロな壁掛け照明が左右に並んでいる。暖かい色の灯りだった。この廊下を通って来たはずだが、うつむいていた楓は覚えていない。


 廊下を抜けると広い空間に出た。


 大きなカウチソファー。蓄音機。レコードが並ぶ作り付けの棚には洋書も飾ってある。吹き抜けの天井。緩やかにカーブを描いて二階へ続く階段。

 パチッと爆ぜる音に目をやると、そこには暖炉があった。


 「すご……」

 「ここがリビングね。で、こっちが……」

 ルイは次々と館の中を案内していく。

 キッチンにダイニングに、シアタールーム、書斎、応接室。ゲストルーム。風呂とトイレは複数あった。

 楓が住む世界とはスケールが違い過ぎて感覚が麻痺してくる。


 「んでここが僕の部屋」

 「館の主の部屋ってわけね……」

 「いや、主寝室は楓ちゃんに使ってもらってる部屋だけど」

 「はぁっ?!通りで豪華だと思ったわ!ってかなんで主寝室あんたが使ってないの?!」

 「僕の部屋は僕の部屋でここにあるし。中入る?」

 「いや、いい……で、なんなの。突然始まったこの豪邸見学会は一体何なの」

 正直、内装や調度品が楓の好みにドストライクだった。そしてテンションが急激に上がったおかげで、すでに疲労困憊である。


 「……うん。このお家ね、ここは僕の大切な場所なんだ」


 ……家?

 家か?この規模……。


 「でも、来年にはなくなっちゃう」

 「来年……?」

 今は11月の半ばだからあと一ヶ月と少ししかないということか。


 「ここで過ごせる最後の時間、できるなら僕は君と一緒に居たい」


 続けざまにルイの方から提案してきた。


 「楓ちゃんは僕が本物のルイか疑ってるんだよね?僕には僕のタイムリミットがある。だから競争しようよ。君が僕の『正体』を探り当てるのが先か。君に本物の『ルイ』であることを信じてもらえるのが先か」


 「……その言い方からすると、すでに『正体』があるって言ってるようなものじゃない?」

 「バレたか。『僕が本当は宇宙人であることを』ってね」

 「どうせ地球人も広い意味で宇宙人とか言うつも……ん?」


 既視感。


 「よく覚えてたね。これ、僕のセリフ♡」

 過去小説の……。


 「うぁぁぁぁあああああっ!!」

 「UFOも要は未確認飛行物体だってそのころに覚えたんだね♡当時流行ってたのかな?」

 「いうなぁぁぁぁあああああっ!!」

 覚えたての知識をキャラクターに言わせるなんてするんじゃなかった……!!







 その後、楓は高熱を出して三日寝込んだ。







 「調子はどうだ?ルイ」

 ガレージにて。黄色いスポーツカーと青いセダンが並んでいる。


 黒髪の男に名前を呼ばれて、ルイは楓に向けるのとはまた違う笑みをこぼした。

 「ちょっとでいいから聞いてくれる?楓ちゃんって取り乱すと叫ぶんだよ。それがもう小説の中の主人公と全く一緒で『うわぁ!こっちが本家か!!』って感動したね」

 「あー。はいはい。サトウカエデね」


 男はめんどくさそうにタバコを取り出し火をつけた。その間もルイは楓の話を続けている。


 「もういい。分かった。アレはもう渡したのか?」

 「……」

 「……マジか。ホントに信じたのか?」

 「まだ疑われてる」

 「だろうな」


 二人でタバコの煙が立ち上るのを眺める。


 「……競争をすることにしたよ。どっちが先に折れるかの根競べだ」

 「マジか。時間はもうそんなにないだろ」

 「んー。でも、たぶん僕が勝つよ」

 「……マジか」


 黒髪の男がこの屋敷に出入りしていることを楓はまだ知らない。

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オリキャラの星から逢いに来て 桜龍 @inron03

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