【短編】マティーニ・ババア【完結】

猫海士ゲル

人生において大切な事って他人と競うことですか?

耳をつんざくサウンド!


薄暗い密室に踊り狂う色とりどりのライトはミラーボールに反射され、濃密な人混みを染め上げる。


明け透けなボディラインをさらに強調するミニのワンピース。覗く太腿は下着を気にすることなく乱れ動く。


むしろ、


「見たきゃ、見せてあげるわよ。ぼうや達」


限られたスペースのお立ち台へ、他人を押しのけ、ぶつかり合い、無言で発せられる喧嘩視線に豪華な羽根扇子を揺らして啖呵を切る。


大音量で無遠慮に垂れ流されるディスコ・ミュージック。甘い囁きも罵声も爆音の坩堝に吸い込まれるなか、ボックス席ではブランド物の高級スーツでキメたたちが、今宵の獲物を物色すべく舌なめずりしていた。



――あの頃、地球はわたしを中心に回っていた。



人生は他人と競ってナンボ。


自身を磨き上げるため、徹底して高級志向にこだわった。向こうがカルティエなら、こっちはフェラガモでイキる。シャネルを持ってくれば、クリスチャン・ディオールで対抗する。


「負けてたまるかッ!」


万札出さなきゃ香りすら嗅げない類いのブランデーやカクテルが毎夜何十リットルも消費される世界を、ワンレングス・ヘアーにボディコン・スタイルで闊歩する。男たちの視線は釘付けだ。


だって、浴びせられる嫉妬は極上の香水だもの。


借金してでも「華麗に」「可憐に」「優美に」「美艶に」「豪華に」「壮麗に」カッコよく身を着飾る。それがわたし。それが生き様。


そして──お立ち台!


わたしは皆からディスコ・クイーンと称賛される、お立ち台の常連だった。


そう、世界はわたしに注目していた。


「レイコってイケてるよなあ」


「レイコを抱きたいなあ」


「レイコ輝いてるよなあ」


「レイコ……」




──あれから30年。


わたしは、わたしと同い年のアパートで目を覚ました。


壁紙を張り替えても建物自体が歪んできているから、すぐに剥がれ落ちる。そして黒ずんだ、ひび割れた、無性に小汚い正体が顕になる。そんな壁を見つめながらしばし呆けていると「う、寒い」自身で躰を擦りながら石油ストーブに火をつけた。




──あの頃のわたしは、イケていた。彼氏だっていた。


「そんなもん、食うのやめてよ」


彼はホストだった。しかも最高にハンサムなナイスガイだ。


性格も従順で、他のホストみたいにギラギラしたところがない。ワイルドと乱暴者は違うだろう。それが理解出来ない、おつむの程度なら、どんなにイケててもノーサンキューだ。


「でもこれ、イケるんだぜ」


レイバンのサングラス越しに覗かせる、やや茶目っ気のある瞳で、いつもの言い訳をする。


アルマーニのスーツでキメた、こんなにもカッコいい彼がデザイナーズ・マンションの洒落たリビングに座り込み『カップ麺』を食べていた。そんながわたしには許せなかった。彼には常にクールで最高のビジュアルを維持して欲しかったからだ。


「お腹空いたなら電話で注文しなよ。近くにステーキハウスもファミレスもあるじゃん。この間はベーコン齧りながらハイネケン飲んでたじゃん、あれなら許せるわ。せめて、あの程度にしてよ。そんな染みッタれたモン食べないでよ」


ちょっと目を離すとこれだ。この間、全部捨てておいたのに……そんなに好きなの、コレが。



子供の頃――


そう、子供の頃はコレを毎晩食べていた……食べさせられていた。


母親は夜になると働きに出て、そのまま知らない男と明け方まで遊び歩く。とっかえひっかえ、その日出会った行きずりの男に金をせびる。


冷蔵庫にはビールと腐りかけのキャベツくらいしか入って無い。そもそも手料理なんて作れない母親だった。だから、まともな夕食なんて味わったことはない、インスタント食品ばかりの貧乏ったらしい生活。


父親?


物心つく前にわたしの前から消えていた。


母が言うには「女と駆け落ちしたダメ男」だそうだ。


寂しい子供の頃の記憶。


思い出したくもない、最低な記憶。




「わたしは食べないよ、そんなもの」


「美味いのに勿体ない」


「そういう問題じゃない」


「レイコ、おまえさあ……」


珍しく彼が強い口調で言う。


「もっと気楽な生き方したほうがいいぜ」




──ひとり、アパートで着替える。わたしに生意気を言った彼はもういない。とうの昔に別れてそれっきり……わたしはひとりだ。


時代は変わってしまった。彼がわたしのもとを去ったように、あの頃のもわたしのもとを去った。世の中は染みッタれた甘ちゃんばかりになった。安物に群がり、安物を欲して、自身も安物に落ちぶれているのにちっとも気にしない。


そんな安物連中とは、わたしは一線を引いている。


だから、たとえパートタイマーでも、たとえ倉庫仕事でも、外へ出るならスーツを着る。フェラガモのパンプスを履いてイキって歩く。


それが、わたしの生き様だ!




「山田礼子さん……は、今日は清涼品のほうをお願いしますね」


わたしより30も若い主任がへらへらと愛想笑いで担当を割り振る。この笑顔が鬱陶しい。


「はい、わかりました」


作業着に着替え、プライドはひとまず更衣室へ置いてから、わたしは『安物連中」の主婦らと清涼品のコーナーへ向かった。


主婦連はおしゃべりに夢中だ。ほんと良くしゃべる。


「子供の学費が高くて嫌になる」とか「旦那の模型趣味を辞めさせたい」とか「週末のバーゲンが楽しみ」とか。


ほんと、貧乏ったらしい会話だ。ついていけない。


「山田さん、パン派でしょう。駅前の店でサツマイモ・サンドと抹茶ロールが半額セールですってよ」


主婦連のひとりが振り向きざま、わたしに話しかけてきた。


「へぇー、そうなんですね」


一応、反応してやる。わたしも人付き合いの大切さくらい知ってる。どんなに相容れない相手でも笑顔を返すくらいは出来る。


そんなわたしの親切心を嘲笑うように、他の主婦が袖をひっぱりパンの話題を振った主婦へ耳打ちする。


どうせ「山田さんは放っておきなさいよ」だろう。


パン主婦は困惑の表情を浮かべたが、すぐにわたしから視線を外すと何も無かったかのように他の主婦連の会話へ戻った。


……ほんと、くだらない。




――彼が高熱で倒れた。


あの日は本当に驚いた。ここは「手料理を」と行きたいところだが、わたしは料理をしたことがない。ベーコンを焼くのも焦がしてしまうほど不器用だ。


「え、起きて大丈夫なの?」


思案にくれるわたしに「腹減った」と声かけ、彼はキッチンへ顔を出した。


「その棚に、たぬきときつね、あるから」


……は?


「おまえ、どっちが好き。たぬきときつね」


言っている意味が分からなかったが「まあ、わたしフォックスって感じ?」と答える。彼は「そうか」とカップ麺を差し出した。


「な、なによ。食べないわよ」


「一緒に食ってくれよ、ひとりで食っても美味くねぇや。レイコはきつね。おれはたぬき」


カップ麺なんて……寂しそうな彼の顔が視界に入る。この日だけは願いを叶えてあげた。


「きつねは蕎麦、たぬきはうどん。ねえ、赤とか緑ってどういう意味?」


「知らね」


呟いてから彼は笑う。わたしもつられて笑った。




――棚にはジュースの入ったボトルが並んでいた。


それらを指示書の数だけコンテナへ移し替える。契約したファミレスへ発送するためだ。トラックは既に待機中。主任の声が大きくなる。


「急いでください、時間過ぎてますよ」


ずっと、おしゃべりしていた主婦連もさすがに無口になった。


わたしが、こんな倉庫労働をやっているのは知り合いに会うことが無いからだ。


以前はスーパーのレジ係をやっていた。若い頃はブティックやジュエリーショップで店員をやった経験もあるから出来ると思った。


けれど、バーゲンセールのチラシを手に遠征してきた近所の主婦が、わたしを見つけてはしゃいだ。


「あの山田さんが、隣町のスーパーでパートやってたわよ。着飾ってるくせに、お金に困っているのねぇ」


すぐに噂は広まる。


スーパーを辞めた。


それで倉庫の仕事を選んだ。工場仕事よりは楽そうに思えた。実際はそんなに楽じゃなかった。




昼、会議室。


わたしは、ひとりで籠もる。


昼食は抜いている。ダイエットのため、というの理由。


「あれぇ、山田さん。ここで休憩でしたか」


突然、ドアが開くと主任が入ってきた。両手に大きなスーパーの袋をぶら下げている。


「あ、そうなんですけど……」


「今日は、いつもの牛丼屋が休みで……ああ、そうだ。山田さん、一緒に食べませんか」


「いえ、わたしはダイエ……」


「たぬきときつね。どっちが好きですか」



――おまえ、どっちが好き。たぬきときつね。



「あ、」


主任の顔が、あの頃の彼の顔と重なる。


「わ、わたしは……フォックスって……」


つい、口をついて出た。


「ですね。山田さん、鼻筋通っててお綺麗だから」


「え、な、何を言って……」


主任がお湯を注いでくれた。割り箸も用意した。若いのに良く気がつく。彼と同じだった。


温かいきつねそば。それが胃に入ると躰の全てが柔らかくなった。気持ちが、「ほっ」として溜め息に近い吐息が漏れる。


「こんなに美味しいものだったんですね。忘れていました」


「普段、食べないんですか?」


「子供の頃は良く食べていたけど……」




――礼子は、どっち?




「うち、たぬきうどん」


「そうか、じゃあお母さんはきつねそば」


「フォックスって感じ?」


「お母さん、きつね顔だからね」


ひとりぼっちの晩餐ばかりじゃなかった。あの日、母と一緒に食べた味。今まで忘れていた味。




「山田さん、笑顔が素敵だ。初めて見ました」


ドキリとした。



――もっと気楽な生き方したほうがいいぜ。



そうか、こういう意味だったんだ。


温かな湯気にほだされ肩の力が一気に抜けていく──まるで魔法のように。


午後から主婦連の会話に混ざってみようか、と気紛れが脳裏を掠める。駅前のパン屋も寄ってみよう。それから、この味をこれからも愉しもう。


そう考えたら少しだけ心が楽になった。

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