第10話 及川 vs 由鬼那



杉本の大跳躍からのラリアットに、由鬼那の心が震えた。



技はきれいには決まらなかった。



しかし、渾身の一撃だった。



魂が籠もっていた。



杉本優花の魂。



全日本女狼會の女としての魂。



そして何よりも



杉本の女子プロレスラーとしての



今後の方向性が見えた。




行ける。



こいつはもう、一人前だ。




そして由鬼那は、及川の動きも見逃してはいなかった。



由鬼那は歩いてくる及川を見た。




こいつ、しゃがみやがった。



及川は自分の目の前で杉本ががみ込んだ瞬間、



ジャンピングラリアットが来ると理解した。




しかしいかんせん杉本は小さい。



どれだけ飛んだとしても



せいぜい胸の下辺りにしか当たらない。




それでは技が生えない。



杉本の技を美しく受けるために



及川はすばやく、そして自然に膝を落とし胸を張った。



結果として、杉本の大跳躍が及川の読みを大きく上回った結果



顔面に杉本の掌底を喰らったのだった。





杉本の不良時代の連れか何かがリングでジャレてるのかと思ったら



こいつは全然素人なんかじゃない。



プロだ。



しかも、本物だ。




由鬼那は及川に感謝した。



"こいつのおかげで杉本が覚醒した"



"礼を言う"



しかし。



どこの誰だろうと、



そしてプロであるならなおさら



他所様のリングに勝手にあがるんじゃねえ。



ただの素人じゃないなら



杉本がリングに上げたりはしない。




こいつは道場破りだ。



ここで仕留めておかないと



日本女狼會の沽券に関わる。




仕留める。




ここで由鬼那は、冷静になった。



そして、自分の身体の状態、右足を骨折している事を思い出した。





足はだいぶ良くなっている。



予定だと来週にはギブスが取れる。



もしかしたら骨はくっついているかもしれない。




本来ならここは足が治るまで待って



その上で及川とやりたかった。



しかし、そんな状況じゃない。




藤井と昨日、



復帰戦のスケジュールを話し合ったばかりだったが



諦めよう。




藤井も納得してくれるに違いない。



日本狼會がコケにされるという事は



藤井美羽がコケにされるという事だ。



そんな事は断じて許さない。




今の状態なら、一回だけならあの技が使えるはずだ。



右足は捨てる。



こいつの意識を一撃で刈り取るにはそれしかない。




由鬼那はほんの少し膝を曲げ腰を落とした。



片足が折れているとは思えないほど自然体で



スキのない構えだった。





そんな由鬼那を見ても動じることなく



ずんずんと歩き、及川は由鬼那の目の前まで来た。




口元を真っ赤な血で染めた及川がすっと右手を伸ばし、



手のひらを広げる。




その動きに応じて、由鬼那が左手を伸ばし



お互いの指が絡まり合い、ぎゅっと握る。





"強い"




最初に指先が触れ合った瞬間に



お互いの頭の中に同じ言葉が浮かんだ。





二人の目は一瞬大きく見開き真剣そのものだ。



強い奴との戦いは最高の刺激を与えてくれる。




そう、刺激だ。



生命体としての女の本性が腹の底でうずいた。



刺激をよこせ。



刺激こそが全てに優先する。




しっかりと互いの目を見据えながら



そして同時にその目は相手の各部の動きを見ていた。




肩の動きで力を入れようとするタイミングを知り



胸や腹の上下運動によってわかる呼吸から心の状態を読み解き



大腿筋や膝の曲げ伸ばしからその相手固有のリズムを探り



相手のつま先から動きたい方向を悟る。




ほんの数秒、手のひらを合わせただけで



互いがどれほどの高みにいるかを理解した。




そして、理解した後、二人の目が半開きになった。




考えてはいけない。



心を無にする。




この後に起こる駆け引きは、



考えて技を繰り出した方が負ける。




先の先、後の先、どちらを取るにせよ



無心になった方が相手の先を制する。




どちらともなく、反対側の手を差し出し合い



どちらも指先を見ていないのに、



互いの指先がまるで意思を持った蛇のようにすうっと伸び、



そして結びあった。




一瞬、空気が止まる。




ゆびがしっかりと絡まった状態で、及川が両手を外に広がる。



と同時に手を引きつけながら右足で由鬼那の腹に膝蹴りを入れた。




その及川の膝蹴りのスキを由鬼那は見逃さなかった。



及川が膝蹴りを始める、そのほんの一瞬早くに動き出したのだ。




膝蹴りが腹に届くまでの間の刹那に、



及川が外に広げた二人の両手を、互いの指が絡まったまま



弧を描くようにそのまますっと下まで回したかと思うと



さっと両手首の関節を内側に曲げながら及川の指のホールドをほどき



お互いの手が離れた。



ここで及川の膝蹴りが由鬼那の腹にめり込む。



それを動じることなく受け止めた由鬼那は



自分の両腕で及川の右足をふんわりと、しかし完全に掴んだ。



完璧にドラゴンスクリューの体制になった。



左に廻るか、右に廻るか。



及川は由鬼那の回転方向を読み、



同じ方向に回って受け身を取らなければならない。



もし及川がその選択を失敗すれば



及川の膝の靭帯は音を立ててちぎれ、



選手生命はおろか、この後満足に歩けるまでに回復できるかもわからない。




由鬼那の殺気はもうずっと前から及川に届いている。



それは由鬼那にとっても同じだった。



お互い五体満足で終わる保証などどこにもない。




女子プロレスラーひとたびリング立ち



相手と相まみえると言うことはそういう事だ。




筋肉では男子のレスラーに引けを取る。



それはどうしようもない。



しかし、魂では負けない。




腹をくくった女には、男なんて寄せ付けない強さがある。




二人の魂は、熱く燃え上がっていた。



今二人の心には邪な心はなにもない。



ただ無心に、二匹の獣となり互いの命をかけて戦っている。





もし及川がビビって頭を働かせたとしたら



右足のギブスを見てこう考えただろう。




由鬼那が右に回転するなら



由鬼那が左足を跳ね上げると同時に



その全体重が右足にかかる。



そうなったら右足はおそらくまた砕けるに違いない。




選手層が薄いはずの弱小団体で



これほど動ける選手は多くないはずだ。




そんな選手が、試合でもないこんな戦いで



そんなリスクを犯すはずがない。




もしそう頭で考えていたら、



及川の女子プロレスラーとしての人生はここで終わっていた。




自分の選手生命が絶たれるかもしれないこの状況で



及川は無心を保っていた。




及川も由鬼那も互いの呼吸を図っている。




及川が由鬼那の回転方向を読み



同じ方向に回ったとしても



タイミングをずらされたら同じことだ。





由鬼那のタイミングは完璧だった。



及川の呼吸を完全に把握し、ここ以外ないと言うタイミングで



及川の足を掴む両腕にぎゅっと力を入れながら



腰を落とした瞬間に左足を跳ね上げ、全ての体重を右足にかけて



由鬼那は右に回転した。




メキっと言う音が自分の右足から聞こえ



激痛が走る。




しかし由鬼那のドラゴンスクリューは全く勢いが落ちることなく周りきった。



完全に決まった。



鬼の形相で痛みに耐える由鬼那は



獲ったと思った。



勝ったと思った。




しかし及川は由鬼那と同じく右に、



及川から見て左に回っていた。




リングに倒れ込む二人。



由鬼那はうつ伏せのまま動けない。




相手の足を砕いた手応えがない。



完璧だったはずの技に、それを上回る完璧さで



受け身を取られた。




休んでる暇はない。



たとえ右足が激痛を発し、動かないとしても



まだ戦いは終わっていない。



やれる事はまだいくらでもある。




あいつはこの後攻めに転じる。



その時必ずスキが生じる。



打撃は無理でも、関節を決める事ができれば勝機はある。



あいつより先に起きなければ。




痛み以外の感覚がない右足を無理やりに曲げて上体に引き寄せる。



幸いすぐ横にロープがある。



ロープを持って立ち上がり、あいつが攻めてきたところを



掴んで関節を決める。




私より関節のうまい選手などいない。



次こそ決める。



そう思いながらロープに手をかけ、



顔を真赤にしながら、由鬼那は立ち上がった。



その姿はもはや赤鬼のようだ。




立ち上がって、前を見た。



目の前にいたはずの及川がいない。




「ヘイ!」



後ろの、そして上の方から声が聞こえ



由鬼那は振り返った。



そして、見上げた。




ポールの上に、及川が立っている。




ターンバックルの外側、青コーナーのポスト上に及川がいた。



両足をトップロープに載せ、足首でポストを挟み



堂々と胸を張りまっすぐに立っている。




由鬼那を見下ろしながら、及川はうれしそうに笑っている。



さっきのドラゴンスクリューはすごい切れ味だった。



久しぶりにひりついた感覚を味わった。



そして、さすがに終わりかと思った時



こいつは立ち上がってきた。



パンパねえ。



ここに来てよかった。




藤井といっしょにやってる仲間だ。



そりゃあ凄いやつがいて当然だ。




杉本ってやつもよかった。



この由鬼那ってやつはもっといい。




藤井だけじゃない。



こんな奴らとプロレスができる。




及川は興奮していた。



上気する及川の顔は、色気と狂気が共存していた。





「行くぜ!」



そういうと及川は膝を曲げロープを踏み込み、



両腕を後ろから前に振りながら、思いっきり飛んだ。




及川の跳躍は、これまでどんな選手も到達していない高さに届いた。



人間はこんなにも高く飛べるものなのか。




リング上で真下から見上げる由鬼那、



反対側のロープ際で見つめる杉本、



リングの下で固唾をのんで見守っている練習生、



及川を見ていた全ての人間が



天井のライトを全身に浴び光り輝く及川の背中に



躍動する白くて大きな翼が羽ばたくのを見た。





空中で長い足をぎゅっと丸め身体を小さくした及川が



仁王立ちする由鬼那に向かって飛んで聞く。




空中からしっかりと由鬼那の身体を見据えた及川が



由鬼那にぶつかる瞬間に、爆発するかのごとく足を伸ばし



その両足が由鬼那の鍛え上げた胸板を撃ち抜いた。




コーナーポストから跳んだ凄まじい威力のドロップキックが炸裂する音が



静まり返る道場に衝撃音としてが鳴り響く。




由鬼那がポストに近すぎた事もあり



そして及川があまりにも上方向に飛びすぎたために



本来後方に吹き飛ぶはずだった由鬼那は



ほとんど垂直にリングに叩きつけられた。




巨体がマットにぶつかり二度目の衝撃音が鳴り響く。




受け身を取れずにまともに後頭部を打ち付けた由鬼那が



泡をふいて気絶した。




ドロップキックの反動でリングに倒れ込んだ及川がさっと立ち上がり



由鬼那のところに歩いていく。




そして、由鬼那に覆いかぶさった。




及川がリングの上で口をあんぐり開けて呆然と見守る杉本に声をかける。



「杉本、カウント」




杉本がはっと我に返る。



「バ、バ、バカお前、由鬼那さん気絶してんだろうがっ!」



「杉本、カウントだよ」



そう言って及川が杉本を見る。



及川の顔はさわやかに微笑んでいる。



お前も女子プロレスラーだろ。



そう言っているように見えた。



杉本はロープ際から離れ、及川と由鬼那の近くへ歩み寄った。



無言でかがみ込み、手のひらで大きくマットを叩く。



「ワーン、ツー、スリー!」



及川が由鬼那から身体を離す。



杉本がリング下の練習生たちに大声を上げる。



「タンカだタンカ!すぐもってこい! それから救急車に電話! すぐだ!」



慌てて動き出す練習生たちを他所に、



及川は仰向けになり大の字に寝そべって大きな声で叫んだ。



「あー、たーのしーっ!」




杉本はその場でへたり込んで及川と由鬼那を見た。



ほんの一瞬の、短い試合だった。



でも、すごい試合だった。



由鬼那さんは相変わらず凄かった。



万全の状態なら、こいつに負けなかったはずだ。



でも、こいつも凄かった。



何よりも、こんなに楽しそうにプロレスをする奴が



藤井さんの他にもいたなんて。




私もこんな風にプロレスがしたい。




気づけば杉本の両目からとめどなく涙が溢れていた。



悲しい涙でも悔しい涙でもない、



感動の涙だった。




ー第一部 完ー

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