私のお揚げ、あなたの天ぷら~ときめきを忘れた夫婦喧嘩の仲直りは赤と緑が定番です~
真霜ナオ
緑は私であなたは赤
私の名前は、
それから七年が過ぎようとしている30歳の冬は、久しぶりに心の底まで冷たい。
(はあ……帰りたくない)
ただでさえ慌ただしい朝の時間。
私は、ちょっとしたことで俊哉と喧嘩をしてしまった。
『ねえ、寝る前に洗濯物
『しょうがないだろ、昨日は学期末のテスト作りで忙しかったんだから。今日帰ったらやるって』
『帰ったらって、そうやっていつも後回しでシワにするから言ってるんじゃん……!』
『ならお前がやればいいだろ? どうせ家で仕事してんだからついでじゃねーか』
『何それ、私が家で楽してるって言いたいの?』
『そんなこと言ってないだろ。……はあ、もういい。遅刻するから行くわ』
『ちょっと、俊哉……!』
俊哉は高校の教師をしていて、今の期間はテストやら何やらで忙しいことも知っている。
一方の私は、在宅でデザイン関係の仕事をしており、忙しさにはムラがある。
彼からしてみれば、在宅という時点で出勤時間が無くなる分、楽に見えるのかもしれない。
俊哉のだらしなさは今に始まったことではない。
普段はそんなことで怒ったりしないのだけど、今日の私は虫の
(だからって、ちょっと八つ当たりだったかな……)
共働きなのだから、家事はできる方が分担してやろうと取り決めをしていた。
それでも、実際は彼のだらしなさも
余計なことをして、仕事を増やされるよりはマシだと思うようにしていたのだけれど、やはり不満は
「それじゃあ先輩、またお話聞かせてくださいね!」
「うん。……そういえば、白石さん。何か今日オシャレしてるよね?」
「あっ、わかっちゃいました? これからデートなんです」
そう言って照れ臭そうに笑うのは、私が以前勤めていた会社の後輩の女の子だ。確か20代半ばくらいだっただろうか?
仕事帰りに相談したいことがあると言われて、カフェで待ち合わせをして話を聞いていたのだ。
気分転換するにも丁度良いタイミングだったので、二つ返事で応じたのだけれど。
普段は仕事熱心で真面目な後輩のキラキラとした姿は、何だか妙に
「いいね、デート。楽しんできて」
「はい! 先輩も、旦那さんによろしくです!」
そう言ってぺこりとお辞儀した彼女は、今にもスキップでもしそうな足取りで、イルミネーションの輝く街へと姿を消していった。
私にも、あんな風にキラキラとした時期があったはずなのに。
「デートなんて……最後にしたの、いつだっけ」
夫婦になってから七年。
出会ってからの年月も含めれば、ゆうに十年以上が経過しているのだ。
一緒にいることが
(夕飯、作るのダルいな……)
俊哉はどうせ作らない。というか、料理が
喧嘩もしたままだし、外で食べてくるかもしれない。
そう思った私は、帰りがけにコンビニに寄ることにした。
何を食べようかと弁当やサンドイッチのコーナーを見ていた時、ふと奥の棚が目に留まる。
そこには、見慣れたインスタント麺がずらりと並べられていた。
(……あ)
私の手は、自然とその中のひとつに向けて伸ばされていく。
それをひとつずつ手に取った私は、そのままレジへと向かっていた。
「……ただいま」
「……おかえり」
帰宅すると、玄関先には見慣れた靴が脱ぎ捨てられていた。言うまでもなく俊哉のものだ。
今日の帰宅は早かったらしい。
そっぽを向いたまま返された言葉に、私は謝るタイミングを見失ってしまう。
(なによ、出迎えくらい顔見てしてくれたっていいじゃん)
一日かけて
向こうが謝ってくるまで、私も何も言わずにいよう。
そう思ってキッチンに足を向けた私は、そこに置かれていたビニール袋を見つけた。
どうやらコンビニ袋のようで、彼もやはり夕食をコンビニ食で済ませるつもりだったようだ。
それをスルーして、電気ケトルに水を入れようとしたのだけれど。
「……あれ」
通りすがりに視界に入った袋の中身に、思わず声が漏れてしまう。
そこに入っていたのは、赤と緑のインスタント麺だった。
一瞬、自分が買ってきた袋をそこに置いたのかと錯覚したけれど、私の袋は確かにまだ手元に握られている。
そもそも私はエコバッグを使っているのだから、間違えようもない。
「食うだろ、晩飯」
私がそれを見つけたことに気がついたらしい俊哉は、リビングの方からそう声をかけてきた。
「食べる、けど……」
ソファーから立ち上がったかと思うと、俊哉がこちらに近づいてくる。
私の横を通り過ぎて電気ケトルを手に取ると、彼は黙ってそこに水を注いでいった。
1ℓ分のお湯が沸かせるケトルの中に、大体800mlと少し。二人分の量だ。
「…………」
「…………」
お湯が沸くまでの間、私たちは言葉を発することもなく、ビニールの包装を
そうしてケトルのスイッチが切れると、お湯を注いでリビングへと持っていく。
私が選んだのは緑のたぬきなので、赤いきつねを選ぶ彼よりも2分早く
だしのいい香りが広がって、一気に空腹感が増したような気がした。
「……いただきます」
彼を待つべきかとも思ったけど、今は喧嘩をしている最中だし、私は割り箸を割って先に蕎麦を
それを
「…………ん」
「……え」
短く聞こえた声に顔を上げると、うどんを食べ始めたと思っていた俊哉の箸が、私の方へと向けられている。
そこには、お湯と蒸気で柔らかくなりスープがしみ込んだ、きつね色のお揚げが挟まれていた。
自分の容器を差し出した私は、そこにお揚げを入れて貰う。
お揚げが嫌いだから、私に寄越してきたのではない。
「……ん」
代わりに私は、少しふやけた天ぷらが崩れないように
もちろん私も、天ぷらが嫌いなわけではない。
出会った時から、私と俊哉は何もかもが正反対だった。
几帳面な私とだらしない彼。
犬派の私と猫派の彼。
蕎麦派の私とうどん派の彼。
どうして結婚したのかなと思うことも多々ある。
人は自分と正反対の人に惹かれるなんていうけれど、彼と私の価値観はあまりにも違いすぎた。
……だけど。
「朝は、悪かったよ。家での仕事が楽だとか思ってねえし。洗濯物、シワにしないように気をつける」
「ううん。私の方こそ、イライラしてて八つ当たりしちゃった。言い方も悪かったし……ごめんね」
これが、私と俊哉の仲直りの仕方だった。
お互いにお金が無くて、狭いアパートで同棲していた頃。
デートの帰りに寄ったコンビニで買ってきた、赤いきつねと緑のたぬき。
『私、お揚げ食べたいな』
『じゃあ、天ぷらと交換する?』
小さなテーブルを囲みながら、交換したお揚げと天ぷら。
そんな何気ないやり取りでも、私たちは幸せを感じていた。
それがいつからか、どちらからともなく、仲直りの合図になっていたのだ。
「「ごちそうさまでした」」
食べ始めるタイミングは2分差があるのに、食べ終わるタイミングは同じ。
彼と顔を見合わせて、思わず笑みがこぼれた。
次の休みは、久しぶりにデートに誘ってみようか。
それから、幸せの
私のお揚げ、あなたの天ぷら~ときめきを忘れた夫婦喧嘩の仲直りは赤と緑が定番です~ 真霜ナオ @masimonao
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