四
流れてきたのはモーツァルトの曲である。第何番だとかそういった
「モーツァルトですね」
演奏が終わってから余はそう言った。
「おやまあ、よくご存知で。ええ、ピアノソナタ第十六番の最初の楽章だそうです。昔、主人が手解きして下さいましたの。初心者用と銘打っている割には随分と難しくて敵いませんでしたわ」
「いやいや、充分すぎるくらいに素晴らしかったですよ。この場がホールだったら拍手喝采もんだ」
「あらやだ、褒めても何も出やしませんよ。出るのは明日の朝食くらいなもんですわ」
そう言うと、女将は屈託なくオホホと笑った。全くよく笑う女だと思ったが、いやいやひょっとしたらこれは仮面の応接やも知れぬ、とも人知れず考える。宿というものも結局は客商売であるから、余という客を前にして愛想笑いを振り撒いているだけやも知れぬ。女将に対して特別な感情はもとよりないが、そう考えると何だか、あたかも待ちかねた夕焼けを土砂降りで報われたかのような心持ちがする。
「その後
と女将が尋ねてくるので、
「いや、実はここに到着してからまだ何も書いちゃおらんのです」
と正直に答えた。
「物書きというのは世間様に比べて大変な事もないが、かと言って
「おやまあ、今ごろ疲れて良いはずなのは、動いた電車の
「ああ、覚えてましたか。やれやれ、こいつは一本取られたなあ」
余がそう言って笑うのを聞いて、女将もいつものように、またオホホと笑った。
女将が引き揚げてから、余は机の上に置いてあった仕事用のノートを広げた。仕事用等と言うと聞こえは良いが、その実態は思い付きの断片が
夢の葉 もざどみれーる @moz_admirer
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