その晩、風呂から上がってしばし寛いでいると、どこから来たものか虫の声が余の耳に入る。───なるほど、どうやら鈴虫のようであるが、窓を隔てた向こうで鳴いているものだからあまりはっきりとせぬ。しかし、この時季の晩の事だ、窓を開ければさぞかし寒かろう。そう考えると、風流というのは随分と我慢をいるものだなという妙な気になってくる。妙な気になってくるものだから、思考が段々と散り散りになって、論理よりも一時いっときの感情が優先されるようになる。にもかかわらず、真の風流に必要なのは、実はこの一時の感情ではあるまいか。みやびは一瞬間のうちに宿り、その一瞬間を捉え得る人を真の文化人と呼ぶのである。そうすると、余は徹頭徹尾文化人ではない。雅を考えるうちに腹が減ってきた。風流をいくら食っても腹は膨れぬ。余は飯の方が遥かに好きだ。

 夕飯はどちらかと言うと簡素な和食であったが、その中でも焼魚はすこぶる旨かった。どうやら秋刀魚さんまのようだがかなりの肉厚で、とても日本の刀のようには見えぬ。さりとて西洋の剣のようにはなお見えぬ。シェイクスピアに大根おろしは似合わぬからである。

 余は日本人として生をけたけれども、日本人としての自覚は割と希薄である。とは言え、もとより国際派を自認するわけでもなし、のらりくらりと生きている一介いっかいのしがない物書きに過ぎぬ。想像の腕はいくらでも伸びて色々な世界を包み込むが、現実においては握り締めた指の隙間から小金こがねがポタリポタリと漏れ落ちていく。余としては、アイデンティティーを気にして生きる余裕なき生活者の末席を頂けておればそれで宜しい。

 そんな事を思いながらお猪口ちょこを口に運んでちびりちびりと酒をやっていると、失礼します、と言って女将が部屋に入ってきた。

「何かお困り事はござんせんか」

「いやいや、だいぶ寛がせてもらっています。わざわざどうもありがとう」

 余がそう言うと、女将は例のピアノを一瞥いちべつして、

「宜しければ、何か一曲お弾き致しましょうか」

 等と言う。あれは飾りだ、等と言うからてっきり女将も弾けないものかとばかり思っていたが、どうやら違っていたらしい。なるほど余は確かに文化人ではないが、文化は好きである。ただ、それが飯と比較された場合は答えに窮すまでもなく飯を取るというだけの事であるからして、その飯を済ませた今となっては、かような申し出を断る理由などなかろう。

「それでは、一曲お願いします。何をお弾きになりますか」

「オホホ……。偉そうに申しましたけれど、弾けるのはこれだけですの」

 そう言うと、女将はその細い指を鍵盤の上にちょこんと載せた。

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