三
その晩、風呂から上がってしばし寛いでいると、どこから来たものか虫の声が余の耳に入る。───なるほど、どうやら鈴虫のようであるが、窓を隔てた向こうで鳴いているものだからあまりはっきりとせぬ。しかし、この時季の晩の事だ、窓を開ければさぞかし寒かろう。そう考えると、風流というのは随分と我慢を
夕飯はどちらかと言うと簡素な和食であったが、その中でも焼魚はすこぶる旨かった。どうやら
余は日本人として生を
そんな事を思いながらお
「何かお困り事はござんせんか」
「いやいや、だいぶ寛がせてもらっています。わざわざどうもありがとう」
余がそう言うと、女将は例のピアノを
「宜しければ、何か一曲お弾き致しましょうか」
等と言う。あれは飾りだ、等と言うからてっきり女将も弾けないものかとばかり思っていたが、どうやら違っていたらしい。なるほど余は確かに文化人ではないが、文化は好きである。ただ、それが飯と比較された場合は答えに窮すまでもなく飯を取るというだけの事であるからして、その飯を済ませた今となっては、かような申し出を断る理由などなかろう。
「それでは、一曲お願いします。何をお弾きになりますか」
「オホホ……。偉そうに申しましたけれど、弾けるのはこれだけですの」
そう言うと、女将はその細い指を鍵盤の上にちょこんと載せた。
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