第44話 Comtesse d'Contralto
果たしてジャンヌの考え通り、ホプキンスはジャンヌの剣を持つ左手だけを狙っていた。剣を持てなくなればそれは即ち戦闘不能だからだ。
ジャンヌをこれ以上傷つける事は、むしろ己の名誉を傷つけるとホプキンスは思っていた。もし彼女の顔に傷跡を残すようなら、マシュー・ホプキンスの名前は不名誉な形で歴史書に記載されるだろう。
それゆえに一気に勝負を付けようとして、ホプキンスはあらん限りの力を振り絞って剣を振るった。ジャンヌはある剣筋のみに狙いを定め、その一撃が来るのをひたすらに待つ。
それが来たのはラウンドも終盤になってからであった。体重を乗せてジャンヌの身体の中心寄りに突いて出た一撃が、ジャンヌの狙いであった。
ジャンヌは前に出した左足を引いて踏ん張りながら、あろうことか右腕を剣先に突き出した。これは決闘クラブでは教えなかったに違いない、捨て身の戦術である。
ホプキンスの全体重を乗せた剣先がジャンヌの右腕に突き刺さり、剣は激しくしなったかと思うと真ん中で折れた。ホプキンスは身体のコントロールを失ってつんのめり、無防備な右脇をジャンヌに晒してしまった。
ジャンヌはその右脇に剣を深々と突き立てた。ギャラリーの物ともホプキンスとも知れない悲鳴が辺りを包み、ホプキンスが倒れ伏した。
ジャンヌは倒れるホプキンスに剣を取られないように気を付けながら剣を引き抜き、赤く染まった剣と共にその場に一瞬立ち尽くす。その一瞬が嘘のように長い。ジャンヌの目に全てが遅く見える。
そしてジャンヌは水を打ったように静かになった辺りを見回し、ホプキンスを見下ろしながら、剣を振るって地面に血を払い飛ばした。まだ自分は闘えるという意思表示だ。これには誰もがジャンヌの勝利を認めないわけにはいかなかった。
「シャルパンティエの勝ち!」
一応立ち合った4人で手短に協議し、ギョームがそう叫んだ。次の瞬間、ジャンヌは声にならない声で叫び、その場にへたり込んだ。
「やった!よくやった!」
ギョームが、ブランコが、飛龍隊が、ギャラリーに混じった軍人がロープを乗り越えて決闘場に殺到し、その勝利を祝福した。
「こいつは歴史に残るな」
アハメド医師が慣れた手つきでジャンヌの右腕に刺さった剣を引き抜き、シャツの袖を破いて応急処置を施しながらジャンヌを労う。
「先生。復帰できますか?」
「そう、動かせるまで10日で全治に1月ってところかな」
ジャンヌは今になって酷い痛みが襲ってきたので驚いた。だが、死と引き換えでも惜しくない達成感が全身を駆け抜けるのを同時に感じた。
「アメジストを、アメジストを呼んでくれ」
ジャンヌはアハメド医師が処置を終えたのを見て、この戦いを捧げた相手であるアメジストを求めた。
間もなく、テオドラに引かれてアメジストはジャンヌの元にやって来て、ジャンヌに鼻を寄せた。ジャンヌが自らの為に命を張った事を理解し、労わるアメジストの姿は、見る者を感激させた。
「乗れよ女伯。お祝いだ」
モーリスに手伝われながら、ジャンヌはアメジストに跨った。
ジャンヌに賭けて儲けた地上班員や分遣隊が大はしゃぎし、モランが持参したシャンパンの栓を抜いてコクトー神父に振る舞い、特等席でふんぞり返っていたマリアンヌが呆然とするのが見える。ジャンヌは確かに勝利したのだ。
「やったぞ!」
ジャンヌは剣を手にした左腕を振り上げ、殺到する軍人たちに勝利を叫び、アメジストはゆっくりと決闘場を歩き始めた。
やがて、誰かが帝国軍の軍歌を歌い始めた。それはたちまちのうちに居合わせた軍人達に広がり、不格好だが、しかし聞く者の心を打つ男声合唱が自然形成され、決闘場に響いた。
ジャンヌがこれにあらん限りの声で続いた。男声合唱にただ一人アルトボイスのジャンヌが加わったものだから、その目立ち方は並大抵ではない。
ブランコが気を利かせてカルロの口を塞いでいるのを見て、思わずジャンヌは微笑んだ。ジャンヌこそが疑う余地なき今日の主役であった。
「つまり、シャルパンティエ。君は私的な決闘でアルビオンの外交官の子息を病院送りにした挙げ句、右腕を負傷して1か月に渡って通常の勤務が出来ないわけだな?」
本部に残って見て見ぬふりを決め込んでいたブレスト司令が、凱旋してきたジャンヌを前にそう言った。ジャンヌは気が気ではない。親衛隊の名誉は守ったが、ブレスト司令の言う事も事実だ。
「決闘を恐れる帝国軍人など論外だが、決闘で無為に将校団を損耗させるのをレオ一世が特に嫌っていたのを知らぬとは言わせんぞ」
ブレスト司令はジャンヌの提出した折れた剣先を掴み、机に突き刺した。ジャンヌは免官を覚悟した。
「よって、シャルパンティエ。君に30日の謹慎を命じる」
その時、ジャンヌは初めてブレスト司令が笑うのを見た。
「よくやった」
過去に47回もの決闘をしたブレスト司令は、存外に粋な男だったという事だ。この話はやがて誰かから世間に漏れ聞こえて、稲妻ブレストの伝説の一部となった。
ジャンヌの謹慎が明けた最初の日曜日、飛龍隊将校団は帝都座のボックス席に招待された。商魂たくましい演劇人はジャンヌの歴史的決闘をオペラに仕立て、飛龍隊の列席の下で初日の幕を開けたのだ。
「何言ってるか分からねえよ」
初めてオペラを観たモーリスは困惑した。なにしろ舞台上の役者はそれぞれの母国語で勝手次第に歌うのだ。それも悪いことに、フランコルム語はジャンヌ役のアルトだけだ。
「あの飛龍の模型は造作が良くありませんな。似ていないのもさることながら、力学的に欠陥が多すぎます」
ベップは舞台上を飛ぶ張りぼてのアメジストを眺めながら、手帳により正確で効率的な模型の設計図を描いている。
「にしても、この狭さはどうにかならんのか?」
ギョームはボックス席が狭いのに当惑していた。こんな狭い場所に大金を払って入りたがる金持ちの心理が理解できない。
「金持ちほどこういう下らない物に金を使いたがるのです」
ジャンヌは自分の分身をじっと見つめながらそう答えた。今まさに、似ても似つかない自らの分身はマリアンヌ役のソプラノに平手打ちを食らわせようとしている。
幕間に一行は外に出た。何もギョームがわがままなのではなく、劇場のボックス席とはそうしないと息が詰まるほど狭いのだ。
その時、事件が起きた。飛龍隊の目の前に居てはいけないはずの人間が現れたのだ。ホプキンスだ。
「おい。もう続編を作らせる気か?」
ブランコは思わずサーベルに手をかけた。風の噂ではホプキンスはまだ病院で寝ているはずだ。
「そんなつもりではありません」
ホプキンスは折り目正しい態度でブランコを制し、ジャンヌの前に歩み出るや、背中に隠した赤い薔薇の花束を差し出した。
「貴女を、アルビオンへ連れて帰りたい」
これには飛龍隊一同も仰天した。ホプキンスは怪我を押してジャンヌに求婚しに来たのだ。
「貴女とあの決闘のように情熱的な生涯を過ごしたいのです」
「ふぬ。悪くないな」
ブレスト司令が無責任にもそう言った。
「アルビオンでは貴族と平民でもうるさい事言わんと結婚できますやろ。よろしいやおへんか」
ロッテ先生が法的裏付けを持ってこれを援護する。内心では、こんなに熱烈に男に愛されるジャンヌが羨ましいのだ。
ジャンヌはこれを丁重に断ったが、それでも諦めきれないホプキンスのラブレターが飛龍隊に毎日届き、口の悪い連中が散々にジャンヌをからかった。
〜銃と蒸気と飛龍乗り〜 君達は帝国史上初の飛龍乗りに選ばれた!ベテラン下士官、没落貴族令嬢、万能科学者、田舎漁師、飛ぶ覚悟はあるか? 阿 愛 @ahai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます