第43話 血は決闘場に咲く花

 道中のジャンヌは終始無言であった。死への恐怖は感じなかったが、万一に無様に負けた時にどうするべきか、その時残された母がどうなるのか、そればかりを考えていた。


 決闘の場に選ばれた河原は約束の11時を前にして何千人という群衆が取り囲み、誰かが急造のスタンドまで作って入場料を取っている有様だ。


 世にも珍しい女と男の、そしてフランコルムとアルビオンの代理戦争でもあるこの決闘は、決闘好きの帝都の人々にとってそれ程までしても見たい大勝負であった。


 アメジストとジャンヌを先頭にした飛龍隊の行列が現れると、群衆は大歓声と共にまるで割れるようにして道を開け、ジャンヌを決闘場に導いた。


 反対側にマリアンヌと一緒に待っていたホプキンスが、ジャンヌと同時にロープと群衆の囲む直径20メートルほどの空間の中央に歩み出た。二人は決闘の作法に基づき、白いシャツ一枚の姿だ。


「貴女に恨みはないが、勘弁して頂こう」


 その髭面でジャンヌを見下ろしながら、ホプキンスはあくまで紳士的に、アルビオン訛りを全く見せずに挨拶をした。


「その言葉は、そっくりお返しましょう」


 ジャンヌはこれに向こう気の強さのこもった語調でやり返す。


「ただ、貴方の恋人は殺しても足りない恨みがある」


 マリアンヌはこの言葉にカッとなって睨み返したが、すぐに視線を下に向けてしまった。飛龍隊が、応援に駆け付けた軍人が、皆ジャンヌと同じ目でマリアンヌを睨み付けていたからだ。


「マシュー、その男女を二度と人前に出られないようにして頂戴」


 マリアンヌはそんな捨てセリフを残して、スタンドに用意された特等席に戻った。


「あんな卑劣な女の何が良いのです?」


「…恋は理屈では推し量れない」


「あまりアルビオン的ではない」


「私は彼女の為に、貴女は飛龍の為に闘う。それだけだ」


 やがて、ギョームの手によって全く同じ作りのレイピアが運ばれてきて、双方のセコンドが不備の無いのを入念に確認し、決闘者に手渡した。


「いいか?5分で1ラウンドでインターバルは1分。どちらかが負けを認めるか戦闘不能になるまで闘う。それまではどんなに血が流れようと止めない。いいな?」


 ギョームの型通りの説明に2人は頷き、お互いの剣の切っ先が触れるぎりぎりの距離まで離れた。


「始め!」


 数秒の静寂の後、ギョームの声と共に2人の剣が思い思いに動き始めた。


 開始と同時に群衆は一層の大歓声をあげ、介添人と証人の会話さえままならない。その熱気が決闘場まで届くわけではあるまいが、ジャンヌもホプキンスも酷く暑く感じられた。


 大歓声の中をジャンヌとホプキンスは決闘場を回り、前後しながら剣を振るい、ぶつけ合う。その一撃ごとに全身全霊が籠っている。それがギョームが言うところの全人格の衝突であり、神聖な行為であった。


 ジャンヌはホプキンスが使い手である事は認めつつも、ブランコほどは強くないのを早くに見抜き、僅かな勝機を見た。


 一方、ホプキンスはジャンヌが女とは思えない使い手である事に狼狽し、また恐れた。


 だが、この種の勝負において体格差というのは絶望的な作用をする。ジャンヌはせめてもう15センチ長身に、更に言えば男に生まれなかった事を呪った。


 3分が過ぎた時、ついにホプキンスの剣先がジャンヌの左手の甲をかすめて最初の出血を見た。ジャンヌに金を賭けた群衆は悲鳴を上げたが、ジャンヌは興奮で痛みを感じない。


 むしろこれに動揺したのはホプキンスの方であった。ジャンヌはまるで出血などなかったように振舞い、決して引き下がらない。


 ホプキンスは初めての決闘で女と闘う事を内心不満に思っていたが、それは間違いである事に気付かされた。ジャンヌは確かに女であるが、同時に栄誉ある親衛隊将校であった。


 結局、最初の出血の後は互角のままで第1ラウンドを終え、2人は一旦剣を止めてセコンドの元へと下がった。


「腑抜けばかりと思ってたが、あいつは案外に強いな」


 ジャンヌの顔の汗を拭いてやりながら、ギョームは同じようにして1分の休息を取っているホプキンスの背中を睨みつけた。


「おい、シャルパンティエ。お前に500ソリドゥスも賭けてるんだ。負けたら身体で弁償しろよ」


 ブランコは下品な冗談でジャンヌをリラックスさせようとする。500ソリドゥスとなると大尉の月給に匹敵する大金だ。


「構いませんが、その時には二目と見れない顔になっているかも知れません」


「つまり、顔を斬り付けられても引き下がらないって事だな?」


「無論です」


「よく言った。この際どんな顔になっても嫌とは言わねえから頑張れ」


 こういう時の1分は信じられないほど短い。2人はそうしてまた闘いに引き戻された。


 だが、長引く程体力の差が動きに出る。第2ラウンドになるとジャンヌはホプキンスに押されて後退し始めた。


 1分とかからず、今度はホプキンスの件の切っ先がジャンヌの左腕をつついた。ジャンヌの手が一瞬だが止まり、その一瞬を狙ってホプキンスの剣がジャンヌの左手首を突き刺そうとして襲いかかった。


 これにジャンヌはなんと前に飛び込む事で応えた。狙いを外した切っ先がジャンヌの左頬をかすめ、肌に血が伝い落ちる。ギャラリーのうち、気の弱いご婦人の何人かはこれを見て失神したようだ。


 だが、捨て身のジャンヌの一突きは無情にもホプキンスを大きく外れ、2人は互いに一瞬背を向けた。


 ホプキンスは優勢にあったが、その反面恐怖が身体を蝕みつつあった。女性は大事に扱う事を信条にしてきたし、それ故にこの決闘を受けたのだ。


 しかし、目の前の光景はどうだろうか?パーティーで会えば良き友人になれたかも知れない女伯爵が、自らの剣によって顔を傷つけられて血に濡れているのだ。


 女として特別扱いされるのを嫌がるジャンヌにとってはあまりに皮肉だが、このホプキンスの動揺はジャンヌに有利に作用した。ジャンヌが傷つく度にホプキンスの動きが鈍くなるのを、ギャラリーの熟達した決闘好きは不思議がりながらも見抜いている。


 第2ラウンドを終えることが出来たのはそのおかげであった。もしジャンヌが男なら、もう敗れていたはずだ。


「こうなれば少し手荒いやり方でいきます。大尉も隊長も、何があっても止めないでください」


 ジャンヌは肩で息をしながらギョームとブランコに念を押した。もはやまともに闘っても勝ち目がない事は、ジャンヌが一番よく分かっていた。


「悔しいですがホプキンスは私を女扱いし、手を狙って手っ取り早く勝負を付けようとしています。そこが狙いです」


「何をやる気か知らんが、万一の時は俺が陛下に頼んで後の事は計らってやる。迷わずやれ」


「アメジストが見ています。あの娘のためにやります」 


 ジャンヌはどこか不安そうに決闘の顛末を見つめるアメジストを一瞥し、ギョームに背中を叩かれて第3ラウンドに赴いた。

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