第42話 前哨戦

 帝都の一等地にあるさる貴族の屋敷の中庭に、決闘クラブが開かれている。金と暇と血の気を持て余した貴族の子弟がここに集い、師範を雇って剣術や、あるいは防具を着けて蝋製の銃弾を使って撃ち合う稽古に励んでいた。


 そこへ突然グラディウスに乗ったギョームとブランコが飛び降りるようにして垂直に降りて来たので、稽古をしていた会員は恐慌に陥って逃げ出した。


「皇帝陛下と俺達への侮辱を肩代わりする、奇特で女の趣味の悪いアルビオン野郎はどこだ!?」


 ギョームが将校よりむしろ下士官の流儀に則って、必要以上の大声と汚い言葉で脅しをかけた。ブランコも既に降り立ってサーベルをいつでも抜けるようにして会員たちを睨みつけている。


「パスカル。よく来たな」


 屋敷の主人であり、決闘クラブの会長であり、歩兵第4連隊の名誉連隊長であるアンドレス伯爵が歩み出てギョームに握手を求める。


「刺激しないように彼は隠してある。君が介添人だな?」


 正式な決闘には双方に介添人と証人が付く。ホプキンス側の介添人は伯爵であり、ジャンヌ側はギョームが介添人、ブランコが証人を務める事になっている。


「そうです。しかし、この決闘クラブというのは金のかかっていそうな割には、これと言った者は居ないように見えますな」


 ギョームは嫌味を言いながら握手に応じ、決闘状を手渡した。この文面に則ってレイピアでどちらかが戦闘不能になるまでというルールと、近くの河原で明日午前11時にという段取りが確認された。


「こら、触るな!アバズレに獣臭いと言われてこいつらも腹に据えかねてるぞ。お前たちを皆殺しにしてこの屋敷を瓦礫にしようと思えばものの30分だ!」


 その間、真偽はともかく貴族のくせにギョームより一層柄の悪いブランコがグラディウスに恐る恐る近寄る会員を威嚇するのを忘れない。これも決闘の一部であり、時に勝敗を左右する事を2人は知り抜いていた。


 飛龍は言葉が分かるので、グラディウスとて幼馴染のアメジストを侮辱されて怒っている。なので出方によっては噛みついてやろうと会員たちを睨みつけていた。


「このブランコ・ミハイロビッチ大尉が我々の証人ですが、そちらは誰を?」


「彼だ。我がクラブの最古参のピエール・ゼール・ド・ブバール子爵」


 会員の中から1人の精悍な青年が歩み出た。だが、ギョームやブランコにとっては見掛け倒しの小僧である。


「さて、一応我々は決闘を思い留まらせる役目を負う事になっていますが、こちらとしては止める気はありません。もし止めるというのなら夜道で取り囲んででもやらせる」


「パスカル。気持ちは分かるが、私としては止めたいのだ。立派な紳士と淑女が決闘など」


 伯爵の言う事は筋が通っていた。いくらなんでも、男と女の決闘というのは無理がある。


「だったらあの子爵令嬢とやらと直接やりましょう。それが筋でしょう」


「貴族の令嬢同士など尚の事だな…」


「連隊間の揉め事ならまだしも、個人的な決闘を売っておいて五体満足でありながら代理を出す。そんな卑劣な真似を私の部下がしたら斬り殺しているところです」


 ギョームの言葉は決して脅しではなく、パスカルの男は本当に部下にそうするように求め、常に完遂してきた。伯爵もまたそれを知っているのでこの言葉が恐ろしい。


「しかし、この件は外交的にも…」


「伯爵!あの娘は我々近衛親衛隊ばかりか、偉大なるレオ一世を侮辱したのですぞ。その決闘をアルビオン人が代わりに買うという。それを止めるのは不敬だ」


 ギョームは逃げ腰の伯爵を追い詰める。決闘を避けたがる相手を追い詰めるのもまた決闘の一部である。


「いや、パスカル大尉。こいつはひょっとして裏があるんじゃありませんかね?」


 それを承知の意地の悪い笑みを浮かべたブランコが、申し合わせたようなタイミングで口を挟んだ。


「ほう?どういう事だ?」


「この決闘クラブというのはとどのつまり、伯爵が貴族の子弟に独自に戦闘訓練を施してるわけだ。それもアルビオン人まで混ぜて。ちょいときな臭くありませんか?」


「成程。これは伯爵が私兵を囲ってよからぬ事を企んでいると取れなくもないな」


「誤解だ!我々は純粋に決闘の技能を磨かんとして…」


 見え見えの挑発に乗せられたブバールが顔を真っ赤にしてギョームに詰め寄った。


「小僧、黙ってろ」


 だが、ギョームのドスの利いた一言にブバールはたちまち縮み上がった。結局のところ、決闘クラブに人を殺した事のある会員は1人も居ないのだ。


「決闘はやるとなったら当事者だけの問題では済まない。既に帝国中に噂が広まっている以上撤回など不可能でしょう?」


 もはやこの決闘は帝都の人達の話題の的であり、既に各地の決闘好きが見物しようと帝都に集まりつつあった。


「だが、パスカル。君は決闘は負ける事があるというのを忘れていないか?」


「シャルパンティエは親衛隊将校です。もとより皇帝陛下に命は預けてある。この期に及んで死を恐れるような腰抜けではない!」


 ギョームは渋る伯爵相手に大喝してとうとう決闘を承知させ、グラディウスに乗って戻って行った。


 その後、ジャンヌは夜遅くまでブランコを相手に決闘に向けて稽古をした。ギョームではなくブランコになったのは、ホプキンスと同じくらい長身だからだ。


 ギョームとて180センチの上背があるが、ホプキンスは190センチを超えていた。ブランコと大体同じくらいの身長だ。


「もし先に斬り付けられても絶対にひるむな。それしか勝機は無いぞ」


 剣先を絡めながらブランコは決闘の心得をジャンヌに説く。その目にいつもの不真面目さは全く感じられない。それは殺しを生業にする人間の目だ。


 ジャンヌは有利な左利きであり、決して剣術が弱いわけではない。だが、ホプキンスとの身長差は40センチ、体重差に至っては倍に近い。不利は明らかだった。


「隊長。私は勝てるでしょうか?」


 ホプキンスがブランコほど強いのかは分からないが、ジャンヌは自分よりはるかに強いブランコと剣を交える度に、却って自分が弱くなっていくような気がした。


「馬鹿野郎!それじゃあ勝てる勝負も勝てねえぞ!」


 ブランコはあくまで容赦をしない。適当に勝たせて自信をつけさせてやるのは簡単だが、それは往々にして悲惨な結果を招くのを知っていた。


「決闘は最後は気合の入った方が勝つ。身体中を切り刻まれても絶対に引くな。女だからと思って顔を庇うような真似をしやがったら、俺が後ろから叩き斬ってやるからそう思え!」


「私は女である以前に軍人です!」


「そうだ!お前は軍人だ!軍人だったら無様に生きるより立派に死ね!奴のシャツに血の花を咲かせるか、さもなきゃ手前のシャツに死に花を咲かせろ!」


 ジャンヌの剣先に力がみなぎる。ブランコの狙いはそこにあった。


 そうして闘志を養って迎えた翌朝、ジャンヌは出発を前にテオドラと一緒に厩舎でアメジストの身体を洗ってやった。


 あるいは、アメジストの為に死ぬのかもしれない。そう思うとブラシを持つ手には一層力が入った。


「女伯さん。本当にやるんですか?」


 テオドラも内心では飛龍への侮辱は絶対に許せない。だが、自分が当事者であったなら、きっと泣き寝入りするだろうと思った。


「不思議だな。士官学校に居た頃は家名より大事な物は無いと思っていた。なのに、今はこの子の方が大事なような気がするんだ」


「負けちゃ嫌ですよ」


「勝負は時の運だ。テオドラも祈ってくれ」


 アメジストはこれからジャンヌが自分の為に死地に赴くことを知っていて、いつもよりじっとしている。今や帝都の話題の的であるこの決闘は、もはや皇帝でも止める事は出来まい。


「シャルパンティエ。時間だ。アメジストに乗れ」


 ギョームに促され、ジャンヌはアメジストに鞍を乗せて跨った。後ろにはブレスト司令以外の全員が騎馬や馬車で続く。そうして帝都の会場へと向かうのだ。

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