第9話
「大丈夫か!」
龍作は、静佳の体を気遣った。
「大丈夫です。ビビちゃん・・・ね」
静佳の腕の中には、ビビがいる。
雪が降り始めている。灰色の雲は低く、冷たい風が吹いている。午後四時過ぎのロープウェイに乗り、吉野山で降りた。
「吉水神社で踊りたい・・・」
という静佳に、龍作は強く頷いた。
「お母様は、ここにだけ来るのを許してくれたのよ。お母様と一緒に、年に四五回かな、内緒で一人で来たこともあるの。ふっ、それが楽しくて、楽しくて・・・」
「中西さん、こんにちは・・・」
「えっ、静佳ちゃん、今日は、お母さんとじゃないのね」
と中西さんが問い掛けると、
「そうなのよ、この子、ビビちゃん、可愛いでしょ」
「そうだね。黒い毛が美しいね」
中西さんに、下りの最終の時間を聞き、吉水神社に向かった。
もうすぐ、五時。
社務所を閉める時間だったが、無理をいい、中に入れてもらった。
「あっ・・・」
係の人は、静佳を知っているようだ。
「何度も来ているから。少し・・・踊ってもいい」
「・・・」
係の人は、返事の代わりに、笑みで応えた。
義経の愛妾、静御前が何処で舞ったのか・・・また舞わなかったのか、龍作には分からなかったが。
静佳は、御簾に着替えに入って行った。
十分ほどすると、静佳は出て来た。
雪が舞い始めている。
ビビが心配そうに見ている。
「大丈夫よ・・・見ていてね」
笛や太鼓の音楽はない。
その静けさの中で、静佳は舞い始めた。
ニャニャ・・・
「ビビ、分かっているよ。大丈夫だ。静かに、彼女の踊りをみていよう」
ビビは龍作を一瞥した後、静佳の踊りに目をやった。
やがて、静寂が訪れる吉野だが、まだ淡い陽の輝きが散らばっている。紅葉はそれほど烈しくなく、快い色彩を呈している。その背景に白い雪が舞う。
龍作は人の気配がするので、振り向くと、神社の係の人が、静佳の舞を眺めていた。龍作は、
「・・・」
こんな光景を・・・何度もあるのかもしれない、と思った。
古川静佳の病状を知りたくて、調べたが、何処からも不治の病という調査結果は得られなかった。もちろん、いろいろな病院に忍び込んだり、家族・・・叔父だといって聞き込んだが、何も得られなかった。吉野町病院にも行き、調べたが、何も出て来なかった。ただ、静佳が八歳の時倒れて、気を失ったことがあったようだ。どうやら・・・極度の強い貧血だったようだ。
「ひょっとして・・・」
と、彼は勘ぐった。
(そうとしか、言いようがない・・・)
勘ぐり過ぎか・・・そうとも言えない。
古川夫妻にとっては、静佳の存在は、どうしても知られたくない秘密だった。とことん隠したかったに違いない。しかし、静佳は、年を経るにしたがって、静佳は身体も心も成長した。避けられない人間の成長だった。夫妻は、静佳のそこまで閉じ込めようとしたのか・・・。
だが、それは不可能なことだった。現に、静佳は、母に内緒で家を抜け出し、何度かこの吉水神社にきていた。
(あっ・・・どうした?)
静佳の踊りの動きが緩やかになり、柔くて白い菊の花がしおれるように、静佳は倒れた。
龍作は静かに駆け寄った。
「大丈夫か・・・」
龍作は抱き上げた。
静佳はゆっくり頷いた。
龍作は、
「これから・・・ある処にいくよ」
といった。
「ある処・・・」
「そこに住んでいる人に会わせたいんだよ」
「そう・・・」
「誰・・・」
とは聞き返さなかった。
静佳は、どこへ・・・とは聞かず、ただ素直に頷いた。
「少し遠いけどね。ご両親には、ちゃんと断ってあるから」
ここでも、静佳は一言も聞き返さなかった。
次の日の午前、肌寒いのは肌寒いのだが、今日の冬の陽ざしは快かった。風は吹いていたが、淡く緩やかだった。
「もうすぐ、あの家から二人の子供を見送りに、優しい顔の女の人が現れるから・・・」
静佳の眼は、その家の玄関から離れなかった。やがて、
四十過ぎの男が出て来て、走って行った。何が嬉しいのか分からないけど、白い歯をいっぱいに出し、笑っている表情がとても気持ち良さそうな表情をしていた。そして、二三分すると、中学生くらいの男の子と、明らかに小学生と分かる女の子がランドセルを背負って、出て来た。
「あの子・・・」
と、静佳が呟いた。その後、
「うふっ!」
笑った。
「どうした?」
「だって・・・可愛いんだもの。あれっ、誰かに似ていない?」
「だれかに・・・?」
龍作は苦笑した。
「玄関わきの花壇に、赤い実をつけた一メートルくらいの樹木が見えるだろう」
「ええ、きれいな赤ね。眩しいくらい。何の実なの?」
「南天だよ」
「ふぅぅん」
後から顔を出した女の人はいちど中に入り、如雨露を持って出てきた。そして、わきの水道の蛇口をひねり、水を入れた。
それ程広い庭ではないが、ちゃんときれいに整理されていた。
「あの人・・・静佳の本当のお母さんなんだよ・・・どう思う?」
龍作はずばり言い切った。今回の彼の目的は、和泉守兼定ではなく、この子・・・つまり静佳を盗み出すことだった。そして、見事に成し遂げた。
静佳の眼がしらが反応したが、黙ったままだ。
(やはり、この子は・・・知っていたのか・・・)
この後、静佳はずっと口を開かなかった。帰りの新幹線の中も、大阪で近鉄に乗り換え、吉野駅に着くまで無言だった。
「さあ、静佳の家に帰って来たよ」
と、龍作がいうと、静佳はふっと息を吐き、やっと口を開いた。
「私のお母さん・・・幸せそう・・・」
静佳は、また黙ってしまった。
〇
「うまくやってくれるか!」
串崎巡査部長は、
「はい、大丈夫です。古川夫妻には、これまでの事情を聴かなければなりませんが、娘さん、静佳さんに上申書を出すように言ってあります。」
「そうか」
「三木さんの家族も・・・子供たちは何も知りません、三木さん夫婦・・・特に勝代さんは、そっとしてほしいと訴えていました。
「今、あの子は幸せですか?」
と聞いてきました。
「はい」と、答えてあります。満足そうな眼をしていました。夫の義人さんは、あくまで勝代さん次第だったんですが、
「そうですか、愛されて育てられたんですね。あの子が幸せならば、あえてその幸せを壊す必要が、母である私にあるんでしょうか」
勝代さんは、首を振りました。
「一度、会われますか?」
と、聞くと、
「落ち着き、時期が来れば、そっと会いに行きます」
清らかで、透き通る笑顔でした、と串崎巡査部長は珍しくニコッと笑った。
「ことを荒立てる必要は何処にもありません。うまくやりますよ。マスコミにも、人権を理由に住所も名前を出しません。報道も制限させます。当時者たちが、十三年前に戻る気・・・何も望んでいないんですから」
しばらくして、串崎巡査部長は、
「検察とも相談して、何も表に出さないようにします。今という時代は、反面いい時代なのかもしれなせん」
と、いい、龍作の顔を覗き込んだ。
「そうだな。そういうことだ」
龍作は苦笑した。
「これから、どうされます?」
「今、あの子は、あの大きな邸に一人だ。余りにも寂しすぎるから、古川夫妻が不起訴になって、あの邸に帰って来るまで、ここにいるよ。ビビも、ケンもだ。特に、ビビは喜ぶだろう」
「そうか・・・そうですね。あっ、そうだ、あの子のことで、静佳さんのことですが、彼女の家庭教師にも、どんな子が聞いてあります。とても勉強が出来る子のようで、大検・・・大学認定試験が受かるレベルの学力があるそうです。水島夫妻は、どうするのかは分かりませんが、教育委員会と相談して、高校に編入するのもいいかもしれませんね」
「まあ、じっくりやることだな。これからの時間は、たっぷりとある」
九鬼龍作は、余り他人に見せない笑みを見せた。
九鬼龍作の冒険 雪降る吉野山に舞うしずか 青 劉一郎 (あい ころいちろう) @colog
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます