秘密

しらとり

第1話

お疲れ様、明日も頑張ろうねのメッセージに既読がついていることを確認すると、ソファに寝転がりながら今日のニュース記事をスクロールしていった。女子大生をストーキングして逮捕された男の記事。動機は「好意に気付いて欲しかった」とある。色恋沙汰で世間に名を晒すようなヘマはしない。僕なら、もっと巧くやれる自信がある。


LINEの通知音が鳴る。ウサギが笑顔で手を振っているスタンプが送られてきたことを確認する。おつかれさま、というポップな文字が彼女を彷彿とさせる。平和な明日が来ると信じてやまない、気の抜けた字体。僕は同じようなテンションの、戦隊モノのスタンプを選択して、押した。ありがとう!の文字が僕のやり取りを代弁してくれる。すぐに既読がついたこと確認して、夕食の支度をするためにキッチンへと向かった。


自分の頭の中で思い描いていたものが形を成して現れる料理は好きだ。空腹を満たしてくれるし、何より全てが静かだ。冷たい腹を見せてまな板の上に横たわる秋刀魚、キノコ、卵。彼らの行く末は皆僕の手に委ねられている。抵抗したり難癖をつけたりはしてこない。白く光る腹に銀色の刃を差し入れる。弾力、ややあってから刃先がゆっくりと内部に侵入していく手答えを感じた。この世の真理は昔から変わらない。

――強い者が勝つのだ、ただそれだけだ。だから頭を使わないといけない。どんな場面でも。




同期の中でも彼女は優秀だった。海外留学を経験し、大学でも成績はトップだったという噂だ。入社してからも語学力や頭の回転の速さを遺憾なく発揮し、あっという間に昇進した。「あいつは頭の出来が違う」と零す同期の男達を尻目に、彼女は次々と実績を残していった。物怖じせずはっきりと自己主張をするタイプだが、さっぱりとして人を疑わない性格であることも幸いし、早々に出世しているにも関わらず、彼女に好印象を抱く者は多かった。




「お疲れ。隣、いいかな」


年の暮れの忘年会の席でのことだった。一通りのメンバーにお酒を注いでまわった後、彼女が一人になった隙を見計らい、声をかけた。


「どうぞ」


「やっと一仕事終わったって感じ?」


「そんな感じ。…やっぱ気遣うよね。あ〜肩凝った」


何飲む?と訊くとビールと返ってきた。ビールの中ジョッキを2つと、枝豆を注文する。


「どう、最近、仕事」


「やっと軌道に乗ってきたって感じかな。まだまだ見直す必要もあるけど…皆川くんは?」


「まあ、こっちもぼちぼちかな」


「この間表彰されたってきいたよ。すごいじゃん」


「あれは先輩がかなり協力してくれてどうにかなったやつだし。別に僕がすごい訳じゃないよ」


「またまた〜。あっビールきた」


最初に運ばれてきたジョッキを僕に差し出す。自分の分も笑顔で受け取ると、カチリとジョッキをぶつけた。


「腰が低いよね、皆川君て」


ビールを少しずつ飲みながら彼女は言った。


「ほら、この会社ってさぁ、入るの難しいじゃん。だから妙に自分に自信がある人ばっかりっていうか、鼻につく人が多いっていうか…だからかな。皆川君みたいに腰が低い人、珍しいなって前から思ってて。あっ、変な意味じゃないよ?純粋にすごいなって」


淀みなく口をついて出る彼女の言葉に嘘や偽りは感じられなかった。その言葉が誰かを傷つけてしまうというリスクも考えず、ただ感じたことをありのまま口に出来てしまう彼女が恐ろしくて羨ましいと思った。


だから、試してみたくなったのだ。


「木更津さんは、我慢強いよね」


「…え?」


「この間、課長に難癖つけられてくどくど怒られてたじゃん。でも嫌な顔一つしないで応対してた」


「…見てたんだ」


「ああいう時は、こっそり泣いてもいいと思うよ。トイレとかで」


彼女は少し俯いてから、顔をあげた。


「ありがとう。そんなこと言ってくれる人、なかなかいないよ」


でもやっぱり会社はね。公の場所だから。そう言いながら彼女はジョッキを傾けた。


それからしばらく歓談して、すっかり打ち解けた僕と彼女はラインを交換した。「みのり」と下の名前で登録され、アイコンにはテーマパークでピースサインをとっている木更津の写真が使われている。


何もかもが無防備で隙だらけだ、と思った。


腹立たしい程に。


きっと今まで人から嫌な目に遭わされたことなどないのだろう。簡単に他人に心を許してしまう彼女を、失望させたかっただけなのだ。きっかけがあるとすれば、きっとそうだろう。




忘年会をきっかけに、僕と木更津は連絡を取り合う仲になった。残業帰りにラーメンを食べに行ったり、時々飲みに行ったりする仲。


課長の難癖は尚続いているようで、ラインで愚痴を零すときもあった。そんな時は沢山の言葉で彼女を甘やかした。頑張ってるね。木更津はえらいよ。辛かったら泣いてもいいんだよ。




そんな風に甘やかした後は暫く距離を取った。連絡を寄越さない僕に不安を覚えたのか、彼女は気遣うようなメッセージを複数送ってきた。けれどそれを僕は無視した。翌日、会社で顔を合わせると木更津は気まずそうに視線を外した。けれど、時々こちらを伺うような視線を向けてきていることには気付いていた。




彼女が気落ちしている頃合いを見計らい、再び声をかけた。


「昨日はごめん。寝落ちしちゃって」


彼女の歓喜に溢れた瞳を僕はまじまじと見つめた。


「ううん、全然大丈夫。仕事頑張ろうね」


まるで尻尾を振る犬みたいだ。その能天気さに僕はまた苛ついた。けれど、自分の言葉で一喜一憂する彼女に優越感を覚えたのもまた事実だった。いけないとは分かっていても、彼女がどこまで耐えられるのか、試してみたくなってしまう。この感情は、きっと恋や愛などではいのだろう。




夕食を食べ終え、テレビを観ていると木更津からメッセージがきた。今、テレビで近所の食べ物屋さんが特集されているという話題だった。僕は既読をつけてそのままラインを閉じた。明日の昼休みには思い切り甘やかしてあげよう。木更津はどんな顔をするだろうか。




憧れと憎しみとが共存した彼女への想いは僕らの関係を徐々に悪しきものへと変えていった。彼女はいちいち僕の顔色を伺うようになり、僕は支配の快感を求めるために飴と鞭を使い分けた。


出会った頃の明るくハキハキとしていた彼女の姿は僕の前では姿を消していった。周りの人達はそんな彼女の些細な変化に気付いているだろうか。そう思うと変わり映えのしない単調な日々に少しだけスリルが生じた。真実は僕と彼女だけが知っていた。そう、これは二人だけの秘密なのだ。他人に対してこれだけ執着出来てしまう自分が恐ろしかった。




あの日、彼女が発したあの無防備な言葉が全てを変えてしまった。恐れを知らない彼女を恐れた。彼女を恐れないためには――相応の対策が必要だった。僕にとってそれは、支配することだった。ただそれだけのことだ。




テレビをただ黙って眺める。ネットニュースで観た、ストーカー逮捕のニュースが流れていた。


「好意があるって気付いただけでも、充分じゃないか」




この気持ちが何なのか分からない、僕に比べたら。




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秘密 しらとり @shirat0r17

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