割足(わりたし)

糸賀 太(いとが ふとし)

割足

 いつもより残業していつもどおりの道で帰る途中、歩行者用信号の向こうに見えるライトアップされたスーパーの看板が見えた。信号待ちのさなかにボーナスと仕事終わりのビールがささやいた。

「たまには家族サービスでもしよう」

 勤続6年目にしてやっと手に入れたボーナスとはいえ、独り占めは気が引けた。

 と、いうのはあと付けのいい子ちゃんぶりで、結局はアルコールのせいだ。


 なんとなくお店の中を歩いても、行き当たるのは電球だとかコロッケ半額セールだとか「らしくない」ものばかり。あちこち回って、同じ棚をなんども見かけて、靴のせいで足が痛くなってきて、気づいたら入口そば、青果売り場に戻っていた。家族サービスも見つかった。灯台もと暗し。

「そうそう、こういうときはメロン」

 甘い香りがしている、いちばん大きそうなものに手を伸ばすと、木箱にシールが貼ってあった。

「これが割引シールってやつかな」

 赤地に白で「五割足」と書かれていた。「三割足」や「一割足」もある。

 首をかしげていると店員が近づいてきた。名札には店長とある。

「すみません。この『ごわりあし』というのは品種名ですか?」

「すみません、お客様。こちらは定価の五割『たし』の意味でございます」

 ああ、もっと素直に聞いとけば…。って、そういう問題じゃない。

「割引じゃなくて?」

「割引ではございません。割り足しでございます」

 割り下だったらすき焼き、これぞ家族サービスと思ったが、いまから肉や豆腐を探しまわるのは嫌だ。気づかなかったことにする。

「特売じゃないんですか?あっちのコロッケみたいに」

「特売でございますよ。なんといっても食べごろ。香りも味も驚くほど良くなっておりますから、そのぶん値段も上げております」

「はあ」

 店長はニコニコと営業スマイルで続けた。

「たとえば、このツルが枯れているのがポイントです。形も整って、網目も均一。そしてなにより、この香りです。お客様もお気づきでしょう」

「あ、はい」

「お買い上げありがとうございます」

 スマイルに逆らえず、私はメロンをかごにいれた。

 酔いもやる気もさめてきた。会計でさり気なくレジの人の表情を伺うが、なにも読み取れない。

「もしかして騙されたのかな」

 店の外に出てから、両手で抱えた意外と重たい箱の中身をじっと見つめてみた。立ちのぼってくる香りは、これまで食べてきたどんなメロンより強い気がする。そのまましばらく、くんくんとやっているうちに、これは五割お得に違いないという気分になってきた。

 やる気チャージ完了。全速前進。目標、我が家。ヨーソロー。


「ただいまー」

 玄関のドアを開けると、リビングから妹の声がした。

「おかえり。夕飯いらなかったよね」

「うん。でもメロン買ってきた。食べごろだってさ」

「そこ置いといて。いま切るから」

 賢い子だ。早く食べたいといわなくても分かってくれる。キッチンに戦利品を置くとまた、甘い香りを吸い込んだ。お風呂のあいだもニヤニヤ笑いが止まらない。湯上がりにはウチがメロン農園だった。

 自分で目利きしたわけでもないのに誇らしい気分で一杯だ。もう少し冷静になろうと深呼吸をするも逆効果。すればするほど、濃厚かつ芳醇な香気が五臓六腑にしみわたりハイテンションでメロンハイ。

 小卓に鎮座まします御神体は北欧のオーロラのよう。旅行会社のパンフでしか見たことないけど。睡眠不足になることスマホ画面以上に確実な光を、熱い期待の眼差しが励起して、切子細工の共振器が反射、増幅、レーザーとして放ち視神経を直撃する。見慣れているはずの妹の顔までもキラキラと輝いて、エオスに奉仕する巫女のようだ。

「いただきまーす」

 冷やしてあるスプーンをつかむ。妹が一口食べるあいだに二口ほおばる。

「おかわりは?」

「いる!」

「半分はシャーベットでいい?」

「もちろん!」

 いつもとちがい酒ではなくてメロンに酔った勢いで、スーパーでの冒険譚を語り始めると、いつものように妹は黙ってきいてくれた。やがて話は割足シールのことに及んだ。

「五割『たし』のシール見た?五割お得なんだよ。すごいでしょ」

「そう。口車に乗せられたのね」

 え、なにこのクール?

「ちょっとちょっと、五割足だよ。せっかくのボーナスなんだし、もっと喜んでよ」

「割足はボーナスの時期だけなのよ。姉さん」

 普段からスーパーに通っているほうが、お得な買い物ができるのかもしれない。

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