拒絶の悪役令嬢、絶叫のヒロイン。

桂木翠

拒絶の悪役令嬢、絶叫のヒロイン。




 ―――太古より竜神を崇め、そこに住まう人族の全ては竜の血を受け継ぐと言われている大陸アコンカグーナの物語。




 前世の記憶なんて持つものでは無い。

 それを痛感して十二年。

 現在、十七歳のカトレア・ヴェセリーは、自身を乙女ゲーのヒロインだと自称する少女を相手にしていた。

 少女の名はエシュリカ。

 アッシュブロンドの美しい髪を持ち、瞳は透き通ったヴァイオレット。

 成程、ヒロインに相応しい色合いだ。

 そして顔立ちも雰囲気も優しい。

 対するカトレアの髪は漆黒、瞳は鮮やかな紅。

美醜でいえば上位の美しさを持つが、如何せん、印象はよろしく無い。

 色合いもだが、目つきも鋭く、冷たい人間だと思われがちなのだ。

 魔女だの何だのと陰口を叩かれているのを知っている。

 そんなカトレアは公爵令嬢という立場に在って、目の前のヒロインと名乗るエシュリカは子爵令嬢だ。一昨年くらいに養女になったと聞いている。所謂、平民あがりだ。

 カトレアは出されていた美麗なティーカップを手に取った。

 お茶でも飲まないとやっていられないからだ。

 今、カトレアとエシュリカが居るのは王城内のとある応接室だ。

 カトレアが仕方なしに訪れ待機していた場に、エシュリカが飛び込んできた。

 子爵令嬢が、だ。

 本来ならその事について言いたい事の一つや二つはあるが、エシュリカには何を言っても無駄だと分かっていた。これまで再三に渡り周囲の令嬢らが注意し続けていたが、全く改善が見られないのだ。そういう種類の人間なのだとカトレアは判断している。

 エシュリカがカトレアの対面のソファーに座り、両手を聖女のように組んで、目を潤ませていた。


「―――貴女のお話は分かりました」

「本当ですか!?」

「ええ。貴女がヒロインで、わたくしが悪役令嬢。そして、わたくしの婚約者である王太子殿下の始めとした数人の殿方が攻略対象者で、いずれは皆が貴女を想い、わたくしを断罪、追放するだろうと、そういう事ですわよね?」

「そうなんです! だから、あの、逃げて欲しくって!」

「……逃げる?」

「はい! いきなり、こんな話を聞かされても信じられないかもですけど!」

「あら、信じますわよ?」

「え?」

「信じます。いえ、むしろ信じたいですわ」

「なぜ?」


 自分が言い出した事のはずなのに、エシュリカがアッシュブロンドの眉根を寄せた。

 カトレアはそれに少しだけ笑い、ティーカップを置く。

 エシュリカが黙れば静かな部屋に、カチリと陶器の小さい音が鳴った。


「わたくしも日本人だった前世の記憶がありますから」

「ほ、本当に!?」

「ええ」

「じゃあ、この世界が乙女ゲーの世界だっていうのは、」

「それは知りませんでした。前世ではゲームをやりませんでしたので。どちらかというと海や川を泳いだり潜ったり、山を登ったりが多かったかしら。生物学を専攻していましたの」

「生物学」

「ええ。……だからまあ、前世の記憶を得たあの瞬間に絶望と恐怖を感じたのですけれど」

「絶望と恐怖?」


 パチリとエシュリカが瞬いた。

 対するカトレアは両手をギュッと握る。

 今から口にする事はカトレアにとって、今世の最大の悩みであるからだ。

 前世の記憶が無ければと何度思ったか事か。


「エシュリカ様は、この後、どうされたいのですか?」

「この後、ですか?」

「はい。貴女の言う攻略対象者と結ばれたいというお気持ちはあって?」

「それは―――」


 エシュリカが考えるように可愛らしい唇に手を当てて、首を傾げた。

 美しいアッシュブロンドの髪がキラリと輝く。

 魅力的で大変よろしい、とカトレアは思う。

 これならば、と。


「そうですねぇ。この世界にそっくりな乙女ゲーが好きだったので、誰かとはと思っています」

「具体的には誰と? わたくしの婚約者である王太子殿下などは如何でしょう?」

「王太子殿下? イエレミアーシュ殿下ですか? いえいえ、なんか彼は畏れ多くって! 乙女ゲーの時は一押しだったんですけど、実際に会うと王族オーラというか、かなりの圧を感じて駄目でした!」

「え?」

「私は、騎士枠のオリヴェルがいいかなって。彼自身、気さくな性格だし、家も伯爵家で気楽に過ごせそうかなぁと。まあ、理想と現実は違ったというか」

「…………」

「カトレア様と争う気は全くないんですけど、だからこそ、貴女が今後、断罪追放されたら嫌なので、今日、お伝えに来たんです」

「…………そんな、」

「カトレア様?」

「エシュリカ様が殿下をお好きなのであれば、頑張って頂いて、わたくしは、」

「――――逃げようと思った? ねぇ? カトレア」


 応接室に居なかったはずの人物の声が突如聞こえてきたのに、カトレアは心臓を跳ね上げた。






 カトレアとエシュリカの二人だけが居た応接室に新たに現れた人物は二人だ。

 今の会話に名前が出た人物で、この王国の王太子イエレミアーシュと、彼の護衛騎士であり未来の騎士団長候補と噂されているオリヴェルだ。

 どちらも優秀で将来有望と評価され、それにはカトレアも同意だ。

 容姿にも恵まれていて、王太子イエレミアーシュは典型的な金髪碧眼の色彩を持ち、オリヴェルはダークブロンドにグリーンの瞳を持っている。

 彼らは他の側付の者を部屋の外に待たせたようで、応接室の扉を閉めるとカトレアらが腰を下ろしているソファーへと近づいてきた。

 イエレミアーシュが背後からカトレアの肩に手を乗せる。

 当然、カトレアはその行為にビクリと身を震わせた。

 ―――これには理由があるのだ。どうしても体が反応してしまう。

 カトレアは漆黒の睫毛を震わせながら、堪えるように握り締める両手に力を入れた。


「君達の話は聞かせてもらったよ? 随分と興味深い事を話していたね」

「…………」

「あ、あの、これは」

「とりあえずエシュリカ嬢は黙って。私はカトレアと話をしているのだからね? ―――ねえ、カトレア」


 エシュリカはイエレミアーシュに言われた通りに黙ってしまった。先程、言っていたように、王族オーラを、圧を感じたのだろう。彼女の表情が微妙に引いている。

 故、気の進まないままにカトレアが応えた。


「……はい」


 肩に乗っていたイエレミアーシュの手が、カトレアの首筋を撫でた。

 瞬時に鳥肌が立つ。

 堪えろ、耐えろ、と悟られないようにカトレアは歯を食いしばった。


「カトレアには前世の記憶があるのか。成程ね」

「…………」

「あれ、信じるのかとは聞かないの? まあ、事実なんてものはどうでもいいからね。確認のしようがないし、そこは重要じゃない。問題はさ、」


 首筋にあったイエレミアーシュの手が、今度は頬に移動し、彼の指の腹がカトレアの唇を往復する。

 じわじわと額に汗が滲むのをカトレアは抑えられなかった。


「カトレアが、そうだと思っているという事。だって、前世があるらしいカトレアは、その記憶と思うものに引きずられる訳だろう? 価値や判断が、前世の記憶を基準にする場合がある訳だよね? 違う?」

「……いえ」

「これまで、どうしても分からなかった事が解決した気分だよ、私は」

「ひっ」


 駄目だった。これ以上は耐えられなかった。

 カトレアはイエレミアーシュの手を振り払い、立ち上がって、窓辺へと逃げる。

 それに驚いたエシュリカが「どうしたんですか? 大丈夫?」と駆け寄ってきてくれた。

 貴族令嬢としての行動に色々と問題があるとはいえ、優しい子ではあるのだろう。

 エシュリカが真っ青な顔で震えるカトレアを支えるように手を添えた。


「酷いな。逃げる程に私が恐ろしい?」

「…………」

「私はカトレアに怖がられる事をした記憶が無いし、品行方正を心掛けてきたつもりだ。誰よりも君に優しく接してきたよ。なのに何故、カトレアが私を恐れるのか。―――思い当たるのは、十二年前のあの時しかないよ」


 イエレミアーシュの言葉にカトレアは血の気が引き、立ち眩みを起こす。

 それに合わせ、エシュリカが支える手に力を入れてくれた。

 ―――バレた。知られてしまった。わたくしが何を恐れているのかを。

 カトレアの震えが止まらない。緊張と恐怖に手先が氷のように冷たくなっていく。

 知られたら最後、イエレミアーシュは一気に距離を縮めてくるだろう。

 なんだ、そんな事か、そういったものは慣れれば平気だと―――。


「カトレア、私は今、とても安堵したよ。なんだ、そんな事かと」


 ―――ほら。やっぱりっ。

 一目瞭然に震え続けるカトレアを碧眼に映し、イエレミアーシュが一切の憂いの無い綺麗な笑みを作った。

 次いで彼は腰のベルトに手を掛ける。


「君は必死に隠していたけれど、カトレアが私を怖がり出したのは十二年前のあの時。避暑地に共に訪れていた私にさ、暑いから一緒に湖で泳ごうと君が誘ったあの時だ」

「―――許してっ」


 カチャリとベルトの金具を外しながら、イエレミアーシュが一歩カトレアに近づいた。


「幼かった私達は、周囲に供の者が居ないのを良い事に、互いに裸になり、湖に入ろうとした。可愛らしい行動だよね? 男女とはいえ、湖で一緒に泳ぐという子供らしい遊びでしかない」

「お願い致しますっ! 婚約の解消をっ! わたくしの全面的な非で構いませんっ! 修道院で一生を終えますからっ。神に身を捧げ―――」

「君が身を捧げるのは私だよ、カトレア」

「いやです! 解放をっ」

「私は君を逃がさない。解放なんてするはずもない。―――私はカトレアを愛しているからね」

「助けて―――」


 カトレアは身を支え続けてくれているエシュリカに縋った。

 恐怖でどうにかなってしまいそうだった。

 イエレミアーシュは何も悪くない。彼は何も非難される事はしていない。でも、どうしても。どうしてもカトレアにとって受け入れがたい事があるのだ。

 酷く震えて怖がるカトレアに、エシュリカが戸惑い、不思議そうな表情で声を発した。


「カトレア様? 何をそんなに怖がっているんですか? イエレミアーシュ様は確かに圧は凄いですけど、そこまで恐れるような人では―――え? イエレミアーシュ様、どうしてズボンの前を広げ……ひっ! きゃあぁぁ!」


 エシュリカが絶叫をしながら全身を硬直させた。

 支えてくれていた手に力が入り、カトレアのドレスを皺が出来るくらいに強く握る。

 彼女のヴァイオレットの瞳は、イエレミアーシュの下半身をシッカリと捉えていた。

 イエレミアーシュは今、自身の局部を見せている。

 カトレアとエシュリカは互いを縋りつくように抱き締めた。

 二人の目線はイエレミアーシュの局部から離す事が出来ない。

 衝撃的すぎるのだ。


「しょ、触手っ!?」

「違いますわっ! あれは半陰茎というものですのっ」

「ハ、ハンインケイって何ですか?! うきゃぁ、あれ、なんか蠢いてますけどっ!」

「半陰茎は有鱗目の雄が持つ外部生殖器で、」

「ユウリンモク?」

「蜥蜴や蛇とかですわっ!」

「トカゲ!? ヘビ!? いやっ、二本もある!」

「二本あっても不思議ではありませんっ。有鱗目の半陰茎ですもの! 本来なら普段は体内に収納されていたりするのですが、この世界では違うようですっ」

「どうして知っているんですか!」

「確認しましたの! 生物学を専攻する学生のように、領地の子供のを、それとなく観察しましたのよっ」

「トゲトゲがある! 色も白っぽい! 血管が透けて見えてる! 脈を打ってるっ」

「だって半陰茎ですものっ」

「うそうそうそっ、あれは絶対触手! 触手ですって! いやっ、気持ち悪いっ!」


 叫び震えながら抱き締め合っているカトレアとエシュリカに首を傾げて、イエレミアーシュは背後に立つオリヴェルに声を掛けた。


「気持ち悪いって。それは酷いよね。そう思わない? ねえ、オリヴェル。君の未来の奥さん、あんな事を言っているよ。君も見せてあげたら?」

「分かりました」


 イエレミアーシュの指示に、オリヴェルも前を緩めて局部を見せる。

 カトレアは盛大に引き攣り、エシュリカは此れ以上にないと思わるような大絶叫を上げた。

 目的を果たしたからだろう。

 イエレミアーシュとオリヴェルが前を閉じ、手早くベルトを留める。


「どうやら、お仕置きが必要そうだね」

「ええ、そう思います」


 イエレミアーシュとオリヴェルが行動を開始する。

 抱き合い振るえ続けるカトレアとエシュリカの腕をそれぞれが掴み、二人を引き剥がした。


「きゃっ! 無理無理無理無理無理無理無理無理っ! あれは無理! 絶対無理っ」

「わたくしだって無理ですわ!」

「カトレア様、酷い! これが分かっていて、私に王太子殿下などは如何でしょうなんて言ったんですか!?」

「ご存知だと思ったんですの! ここは貴女が好きなゲームの世界なのでしょう!?」

「知りませんよ! その乙女ゲーは十八禁仕様じゃなかったし! 両想いになって、美麗なスチルをゲット出来て、それで終わりだったんです! その先はプレイヤーの脳内補完でしかっ」


 絶叫中である事を物ともせずに、カトレアはイエレミアーシュの腕の中に、エシュリカはオリヴェルの腕に囲われた。

 激しい拒絶に彼女らの体が強張る。


「そもそも人族とはいえ、竜神を崇め、竜の血を引くと言われている時点で、前世の記憶を持つわたくしたちは疑問を持つべきなのですわ! 爬虫類ですのよ! 竜と蜥蜴は同類! その名残が在って然るべきだとっ」


 エシュリカが気を失ったようだ。

 カクリと力が抜けた彼女の体をオリヴェルが大切そうに抱き上げる。

 アッシュブロンドの美しい髪に彼は愛おしそうに口を寄せた。

 そんな気を失えたエシュリカを恨めし気に見ながら、カトレアは叫び続ける。


「だから前世の記憶なんて邪魔でしかなかったんですのよ! 知らなければ受け入れる事が出来たのですから! 知らなければっ」


 耳元で「愛しているよ」とイエレミアーシュに囁かれながら、異世界転生の現実は決して甘いものでは無いとカトレアは心の底から思うのだった。



めでたしめでたし。


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