後編

 鵠湖くぐいこノ国。

 広く、天井高く、白い光に満ちた地下。石造の平屋で女が一人、机に肘を乗せて手を前に組み、俯いていた。

 平屋の中は暗い。女は、張り詰めた空気を内側に溜め込むように、ただひたすらにじっとしている。


 女は名をヰ緒紀イオキといった。

 切り揃えられた銀髪に、白と黒とわずかばかりの赤を添えた戦装束。二十年前、朝駆けに遭い一人生き残った子供だった。時が経った今は【赫白かくはくの閃光】の異名を持つ、万夫不当の星空士てんくうしである。


 ヰ緒紀はとある事情で、地下での待機を余儀なくされていた。

 戦局が危うい中での待機。

 ヰ緒紀が何かに耐えるようにじっとしているのは、このためだった。


 その女の下に、複数の騒がしい足音がやってくる。ヰ緒紀はひっそり口角を上げた。彼らがここに来る理由など、一つしかない。


「ヰ緒紀さま」

 扉が開くや、赦しを乞うように硬い、一兵卒の声。


「さすが、都会の風鈴はやかましいな」

 ヰ緒紀は、彼らの心労をほぐすべく軽妙に笑ってみせた。都会の風鈴という呼び名は、自分達の司令官を無意味な美声の持ち主だと嘲笑った陰口だった。


「ま、私としても願ってもない召喚命令だよ。今回に限っては、だが」

「ヰ緒紀さまはこの国になくてはならないお方です……!」


 叫んだのは一人だったが、その気持ちは彼らに共通のものである。


「その国がなくなっちゃあ、元も子もないだろ」


 ヰ緒紀は肩をすくめる。母国の最終防衛線が崩れようとしている今だからこそ、無理な出撃と分かっていて立ち上がるのだ。

 むしろ勇ましく思ってほしいのに悲痛な顔をされたままでは、こちらがつまらない。


「ったく、んなしけた面してんじゃねぇ。つぅか私が死ぬ前提でいんじゃねぇぞコラ。さっさと私を送れ。そんで笑え。これで私たちが勝つってな」


 これが手本だと、胸を反らし口角を上げる。

 兵士らは鼻を啜った。


「……はい!」

 これ以上は、敬愛すべき彼女をいたずらに気遣わせると悟り、背筋を伸ばし敬礼する。


「凱旋を、お待ちしてます!」

 だけどこの思いだけは絶対だと、口にして。

 そうすれば彼らの望み通り、女は表情を緩め。


「おうよ」

 ヰ緒紀は親指を立て、ニカッと笑みを浮かべた。




 ヰ緒紀の友、紉古じんこは焦りを隠し、戦局を見ていた。

 射干玉の美しい黒髪と、雪の降る戦場を紅く染め上げた逸話から【紅雪こうせつの射干玉】の異名を持つ女傑だった。戦局の悪化により上の席が空いたことで、臨時参謀を務めている。


 敗戦続きでもかろうじて士気が保たれているのは、この紉古とここには居ないヰ緒紀の二人が精神的支柱となっているお陰だった。

 だが、それも限界である。いくら士気が保たれようとも、負けていく事実は覆りようがないのだ。

 母国では『鎮守星ちんじゅぼし』『北の星団』『北の守り星』と謳われる辺境第二師団であるが、その栄華も今や風前の灯火と言えた。


「最終防衛線まで、あと百!」


 戦況を伝える声。

 室内中央の上段に設置された司令席で、司令官の細錐コマギリは、わなわなと身体を震わせた。


「ヰ緒紀を出せ!」


 美しい声から発せられた命令に、全員の身体が強張る。

 紉古は唖然と細錐を見上げた。


「何を……!? ヰ緒紀一等星空士は現在スクエア期です!」


 星空魔導士は、星空神より力を授けられし星の魔導士だ。その才能はおおむね星空図に記された通りのものだが、現行の星の動きトランジットの影響を受け力が増減する時期がある。

 星空士の器量にもよるが、トランジットの影響で一時的に手に入れる力は最悪、暴走を生む。

 自前の星空図ネイタルならば自前の力であるからいつでも訓練可能だが、トランジットは一時的な増減であるため訓練して自分のものにする時間がない。


 スクエア期などはその最たる例で、対策の仕方はヰ緒紀のように天体の影響を受けないよう引きこもるか、次に備えて訓練するかのいずれかになる。

 そしてこのスクエア期で、ヰ緒紀はいつ爆発するとも分からぬ人間爆弾と化していた。誘爆や人的被害が出る恐れがあるから、彼女は戦場を離れているのだ。


 それを知らぬはずがないと、紉古は司令官を睨みつける。

 だが、細錐は苛々と拳を打ちつけた。


「だから、敵地で爆発すればいいだろう!」

「司令官! ヰ緒紀一等星空士は、アスペクト規定に則り戦域を離れております。大本営から許可を頂かなければ規定違反になりますが!」


 他ならぬ大本営に強いコネを持っているのが細錐だが、それでも普段はあってないような規定を持ち出して粘る。


「その規定で呼び出せるのが私だろう!」

「それは司令官の麾下に限ります。我ら一団は貴殿に貸与されたものであるとお忘れなく! ですので司令官のお立場といえども、大本営への連絡はして頂かなければなりません!」

「ええい、立場を弁えておらんのはどちらだ! 今の貴様は、私の参謀ぞ!?」


 細錐は血走った目を紉古に向けた。

「そもそも、今ここが落ちては元も子もない! そんなことも分からんのか!」

「まったくだな」


 聞き知った、声がした。

「亡国となっては元も子もない」


 瞠目。紉古は勢いよく振り返る。

 銀髪の下に、穏やかな笑み。苦笑なのか勝気なのか、不思議な、すべてを受け入れたような微笑みだった。

 そんな彼女が口を開いて。


「細錐辺境第二司令官。下知をどうぞ?」


 と言うと、細錐は我が意を得たように叫んだ。

「エルダナを討ち取れ!!」


 ヰ緒紀は軽やかに了承する。


「りょおかい」

「――細錐司令官!」


 紉古は叫んだ。

 出せ。というのは、まさか。

 細錐は鼻を鳴らした。


「ふん、辞令などとっくに出しておるわ。貴様は私を見くびり過ぎたな」

 それは内憂外患も甚だしい、意味のない勝ち誇った表情だった。




「ヰ緒紀……っ!」

 後ろから声をかけられ、足を止める。同僚の声はこちらを責め立てる響きを伴っており、少し肩をすくめた。

「なんだよ紉古」


「どうやって敵陣に突っ込むつもり?」

「んだよ、忘れたのか? 私のネイタルには隠密行動があるんだぞ」

「最初からそうして吶喊できるなら、とっくに貴方を野に放ってるわ」

「ひっでぇ言い方」


 ヰ緒紀は苦笑した。

 紉古は頭を振る。


「スクエアのアスペクトが、他のアスペクトで抑えられないから地下に避難したんでしょうが貴方は」

「そこは意地でも抑えてみせるよ。あとは敵陣に突っ込む間だけでもアスペクトを緩めてくれる他の星図がありゃなぁ」


「それもないから引き籠ったんでしょう! ここで出るなら私のはずです!」

「起死回生の大一番はこの後じゃない、今なんだよ、紉古。私の冥王星が、今、ここ、っつてんだ」


 ヰ緒紀は右の親指を、己の胸にとんっと当てた。


「――っ。あの馬鹿を抑えられていたら……!」

「そーだな、私はじっと地下室で我慢するはめになってたかもだ」


 ヰ緒紀は目の端に人影を認めると、しっしっと手を動かし紉古を追い払った。


「整備士だな。お前は私じゃなくて、あのふとっちょのお守りをしてろ」

「いお……っ」

「つーか、駄弁ってる余裕は私らにないはずだぜ。」

「っ」


 紉古は息を詰めた。そうだ。ヰ緒紀は今、人間爆弾なのである。魔力回路を閉じて爆発を防いでいても、何の拍子で回路が開くか分からない。


「……お互い合図は出せない。頃合いを見計らって戦線を下げる」

「頼んだ。味方を自爆で死なせるわけにもいかねぇからな」


 別れの挨拶はなかった。

 紉古は無言で踵を返し司令部へ戻っていく。



 入れ替わるように、整備士の女がガサガサと茂みをかき分けた。

「ヰ緒紀さま! 良かった! 見つけた! あの、これを!」

 ヰ緒紀は渡された紙を広げると、軽く目を見張った。


「この星空図ホロスコープ……」

「はい。0等級の武器です。部品もひとつ残らず記してあります」


 整備士は、腕の中にある武具を持ち上げた。

 細長い砲身だった。腕に固定して扱う。実弾を用いない星空士専用の武器だ。

 整備士が誇らしげにしているのは、それだけ強力な武器だからだ。0等級といえば、最高品質の最強の武器と言っていい。ところが、彼女の表情はすぐに曇った。


「ですが、ヰ緒紀さまに合う武器であるかどうかは分かりません。……申し訳ありません」


 星空士は一般的な兵士と違って、武器の相性が非常に大事だった。これを確認するのにも星空図を使う。星空図は万物に宿る力でもあった。

 資質ある者だけが、この星空図から力を引き出せるのだ。


「――安心しろ」

 星空図をざっと確認して、ヰ緒紀はニッと笑った。

「星空神は、我々をまだ見捨ててはいらっしゃらない」


 整備士の表情が明るくなる。

「じゃあ――!」

「ああ。充分だ。私とこいつの相性は良い」


「良かった……っっ」

「んじゃ、調整を頼む」

「はい!」


 武具装着のため、ヰ緒紀は己が持つ星空図から、必要な回路を思い浮かべる。


回路アスペクト接続。固定は60度」

「接続確認。角度を60度に固定」


 整備士が復唱し、励起した回路が他の回路に影響されないよう調整していく。


「天空図を確認。トランジットが星空図ネイタルの火星に90度スクエア。砲身の水星120度トラインと接続」

「ほ、補助はっ」

「要らん。このまま吶喊すんだからな」


 補助回路をつければ天体のエネルギーが安定するが、その分攻撃力は削がれる。ヰ緒紀は人間爆弾となるのだから、とうぜん威力の方が優先された。


「し、失礼しました。了解します」

「そんかし、折角の虎の子のこいつもおしゃかになると思うんだが、怒んない?」

「そうおっしゃるからには、帰ってきてくださるんですね?」

「やっべ。藪蛇った」

「帰ってきてくださるなら、怒りません」


 ヰ緒紀は肩をすくめた。

「元からそのつもりだよ」

 しかし、戦争で活躍しているからと、ヰ緒紀に何を期待しているのか。


「水星120度トラインの固定完了」

「あとはこいつでトールハンマー?」

 鉤型の金具を摘まみ上げる。


「はい。ギリギリまで、つけるのを控えてください」

「難しい問題だな。でもま、やるしかねぇのな」


 整備士は一歩身を引き、敬礼した。

「ご武運を」

「ああ」

 ヰ緒紀は返礼すると、独り暗闇に消えた。


 目指すは敵陣ど真ん中、敵司令官エルダナ。




 ***


 身の内に宿る星の力を用いて、速く、そして音もなく。

 ヰ緒紀は、闇夜を駆け抜けた。

 最早その姿は一陣の風で、敵兵の間を難なく過ぎ去っていく。


「何の風だ……?」

 兵士の一人が、吹き抜けるそれに首をかしげた。




 ――来た。

 その直感は、少しばかり遅く、エルダナに囁いた。彼女が口を開くより先に、壁が音もなく消失する。

「!」


 壁の消失に驚きつつ、その、二十年前と比べるべくもない速度にエルダナは口角を上げた。

 破壊と再生を司る冥王星。人の身で扱うにもっとも難しい、強大な力。それを、こうも磨き上げるか。

「ヰ緒紀!」


 ヰ緒紀の急襲は、しかし、主のわずかな乱れをも察した従者二人に阻まれた。

 銃撃が、魔法で現出させた半透明の盾に防がれる。ビオナークが右足を一歩大きく出す。星図のような魔方陣が浮き出るや、ヰ緒紀の銃が火花を散らした。


「エルダナ様!」

「大事ない。今日こそ仕留めるぞ」

「御意」

「ハッ」


 ヰ緒紀は妨害など織り込み済みだと言わんばかりに笑った。銃を無効化されようが足を止めず、次の一撃に移る。

 ビオナークが剣を振るった。ヰ緒紀は太刀筋を見切って相手の首を折りにかかり、そのままビオナークを壁に蹴り飛ばす。

 ほんのわずか宙を浮いたヰ緒紀に、槍の穂先が迫った。


「ふんっ」

 ヰ緒紀は焦ることなく柄を掴み、リンデルを槍ごとぶん投げる。

「!」


 リンデルは、驚愕する間もなくビオナークにぶつかった。

 瞬く間に障害を排除したヰ緒紀は、間髪を入れずエルダナに迫った。

「エルダナァアアア!」


 しかし、彼女は優美な笑みを浮かべていた。

「フッ!」


 抜いた剣を、肉薄するヰ緒紀に突きつける。

 ヰ緒紀は避けたが、肩に裂傷が入った。だが、その動きは鈍らない。


「終わりだ」

 ヰ緒紀がエルダナに組みつく。

「貴様がな」

 エルダナは、ヰ緒紀が己に触れるや否や、星の力を開放した。ヰ緒紀が床に叩きつけられる。


「これで貴様は人間爆弾でなくなった。今の私は、貴様の火星をトランジットごと抑制する」


 その星の力は限定的で、発動条件がヰ緒紀に触れなければならなかったため、紙一重の奥の手だった。

 ヰ緒紀の味方にその力はなく、敵方にある天の配剤。

 勝敗は決したかと思われた。


 だが、ヰ緒紀は笑っていた。

 【女王】に突きつけられる銃口。エルダナは即座に、その銃を蹴り飛ばす。彼女の死角。

 ヰ緒紀はひそかに銃から引き抜いていた鉤型の金具を、エルダナの衣服に引っ掛けた。

 回路アスペクト接続。


「――轟き砕け」

 ヰ緒紀の人差し指が、エルダナを示す。そしてヰ緒紀の目は赫く輝き。


神の拳トールハンマー!!」

 凄まじい雷鳴が城砦を貫いた。




 背後の落雷に、ポーヨラ王国軍は自陣を振り向いた。

 遠くでもよく見える、神の光。


「エルダナ様!」

「今だ! 総員かかれ!」


 紉古の号令に、後退していた前衛が盛り返した。中央を引き気味にしていたことで、両翼から敵軍を崩しにかかる。

 戦況はにわかに変わり、終止符は打たれた。




 ***


 そうして彼らは、夜明けを迎えた。


 戦場だった場所には何もなく、ただ、自然の再生を約束された景色がある。

 特攻から奇跡的に生き延びたヰ緒紀は、こうして再び見ることになるとは思わなかった朝の光を浴びると、ぼんやりと立ちすくんだ。


 風が、女の髪を揺らしていた。

 山間から臨む光は眩しい。

 戦争が終わったそこは、静かだった。


「ヰ緒紀」

 名前を呼ばれて、後ろを振り返る。


 紉古が近づいて来ていた。彼女はヰ緒紀の傍まで寄ると、真似るように朝日を見、そして陽の光に眇めた。それから友の方に視線を戻し、やんわりと笑う。


「おかえり」


 黎明の空には、うっすらと星が瞬いていた。

 その地平線は段々と赤く燃え上がり。


「おう。ただいま」


 ニカッと、ヰ緒紀は笑った。


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夜明けの星空士 葛鷲つるぎ @aves_kudzu

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