夜明けの星空士

葛鷲つるぎ

前編

 それまで、魔導士とは魔法を扱う者であった。それは今も変わらない。

 ただ、彼ら魔導士が星空図てんくうずを手に入れた日、世界は新たな道に進んだのである。

 星空図は、それを手にした者の才能を表した。甚大な力を、彼らにもたらした。

 星空図は、星空神てんくうのかみより授けられし力。

 故に星空図を有する彼らの名を、星空士てんくうし、またの名を星空魔導士てんくうまどうしという。


 ***


 空は黎明。

 地は赤く燃ゆる。

 北方の大国、ポーヨラ王国第二王女エルダナは、朝がもたらす清々しい空気に深く息を吸った。

 しかし運悪く、朝靄に紛れた煙たい匂いも吸い込んでしまい、わずかに眉根をひそめる。

 その匂いは、彼女の命令で兵士に焼かれた村の匂いであった。遠征である。


 エルダナは、軍の指揮官としてその場に立っていた。本来であれば彼女の姉と同じく他国に嫁ぐなり王宮にて傅かれる立場だが、王族の中でも率先して兵を率い、連戦連勝の戦姫と兵士から崇敬を集めている。


 【冷酷なる女王】というのが、当代ポーヨラ王国第二王女の異名だった。

 戦装束にも彼女の気質は表れていて、高級指揮官であり王女という身でありながら華美なものでなく、さりとて高貴さを失わせない装飾もされている。

 王族という立場、司令官という立場の両方を見事兼ね備えた王女であった。


 エルダナは匂いを追い払う仕草をして、一つの予感に苦笑を零した。

「どうやら、この村とは因縁が続きそうだ」


 小首を揺らし、シトラス色の長髪が仕草に合わせて流れていく。

 その隣で、王女の側近である男、リンデルは嫌そうに眉根をひそめた。


「そんな嬉しくもないこと、言わんでくださいよ」


 そうは言いながらも、さもありなんというように村を見渡す。


「とはいえ、確かに抵抗が強い村でしたからねぇ。あ、ビオナークの奴め、子供でも見つけたんですかね、顰め面になってますよ」

「ふふ。あやつも父親になって二年だものな。致し方ない。ビオナーク! どうした! 私の前に連れてくるが良い!」


 エルダナは笑った。

 その直後、一緒に笑っていたリンデルの表情が急に硬くなる。


「いえ、どうにも様子がおかしい。御下がりを」

「エルダナ様! 今すぐ兵をお下げください!」


 ビオナークが忠告を発した。彼が離脱するすぐ後ろで、灰色に炭化した家屋が消失していく。瞠目。

 エルダナは即座に指示を飛ばした。


「総員、撤退! 本陣に帰還せよ! 撤退の指揮はトワニーグが執れ!」

「はっ」


 命令を受けたトワニーグが動く。だが一兵卒はその指示を振り払った。

「エルダナ様を置いてなどっ」

 女王は兵士を睨みつけた。


「この私に全滅の汚名を着せたいのか!」

「も、申し訳ありません!」


 部隊の撤退を確認しつつ、エルダナは険しい表情のまま消失する家屋を見遣った。

 そこには頑是ない子供が一人いた。幼児も幼児。二つか三つそこらの幼い子供。エルダナの十分の一も生きてはいまい。


「あの女童、撃鉄もなしに励起しているのか」

「そのようです」


 エルダナの前に立ち、リンデルが頷く。

「申し訳ありません。私では力不足でした」

 幼児から、からくも離脱してきたビオナークはエルダナに頭を下げた。

「良い。目ぼしい者は連れてこいと言ったのは私だ」


 エルダナは軽く答える。

 主の寛大に恐縮し、ビオナークは武器を構えた。


「エルダナ様も撤退を。私が今一度止めて参ります」

「馬鹿者。己で力不足と言っていただろう。三人で下がるぞ。今のうちに殺しておきたいが、避けるべきなのだろう? リンデル」


「ええ。冥王星があの子供と共鳴していますから。この大気の震えは間違いありません。いつぞやの戦場で体験したことがあります」

「ふん、道理で私の力が揮わんわけだ」


 幼い子供は、冥王星の力に惹かれているのかエルダナを見据えていた。兵を無事に撤退させたい身としてはちょうど良い。

 しかし、とても小さな子供のものとは思えない眼力。

 幼児が動く。


「エルダナ様!」

「撤退!」


 エルダナが号令を下す。側近の二人は主の動きに合わせて村から離れた。ビオナークが最後に幼子の様子を見遣れば、じっとこちらを見つめる眼。

 三人はとかく森の中を駆け抜けた。人心地着けたところで、エルダナは自嘲の息を吐く。


「このような撤退など久しい限りだ。それも、今の記憶があるかどうかも分からぬ幼子相手にとは」

「それでも判断を誤らず撤退なされるのですから、我々としても鼻が高いですよ」

 リンデルが合いの手を打つ。ビオナークは屹と同僚を睨みつけた。


「リンデル、貴君のエルダナ様に対するその不遜な物言いはどうにかならないのか」

「貴君は相変わらずの生真面目だねぇ」

「茶化すな」


 こうして噛みつかれるのはいつものことなので、リンデルは態度を崩さない。むろんビオナークには苛立たしい態度だ。


「私はお前の奥方を未亡人に、息子を父なし子にせずに済んだようでほっとしているよ」


 さらに説教しようとしていたところで主からの横入に、ビオナークは眉を下げた。


「エルダナ様。我ら一家へのご配慮に感謝致しますが、リンデルのことも含め、」

「あー聞こえん聞こえん。お前は私の教育係か!」


 エルダナは勢いよく苦言を遮った。


「しかし、あの娘。あの辺りの星の巡りは調べていた。で、あれば。生まれついての星空図持ちか」

「そうでしょうなぁ」


 リンデルが頷く。

 エルダナは、厄介な相手を作ってしまったと苦笑し、気持ちの切り替えがてら、目の端に映った空を見た。

 陽はすっかりと昇り、雲一つない空には、有明の月が見えるのみだった。




 それから、二十年が経った。

 ポーヨラ王国では王が代替わりし、エルダナは王女から王妹へと立場を変え、彼女が懸念した通り、あの時の娘は最大の障害となってポーヨラ王国の侵攻を阻んでいた。


 しかし、エルダナ姫は不敵に微笑み、城砦の奥より侵略中の敵地を見つめていた。玉座のような椅子に座り、膝を組んで片手は膝頭に、もう片手は頬杖にして、二十年来の従者を侍らせ、エルダナは今、王手をかけようとしている。


 時刻は夜。

 月や星明かりが頼りの戦場で、エルダナ王妹殿下の兵隊は、指揮官の命令を従順に遂行していた。


「いつ人間爆弾が放り込まれてもいいよう慎重を期してきたが、あの娘が長らく居ないだけでこうも呆気ないとはな」


 まったく最初から最後まで、このエルダナに任せていれば良かったものを、と心の中で独り言つ。そうすれば早々に敵を滅ぼし、現在障害となっている娘を味方に引き入れるなり殺すなり出来たというのに。


 返す返すも、王位継承争いのせいで、敵国たる鵠湖くぐいこノ国との戦いが今日まで長引いてしまったのが忌々しい。幼児一人を取り逃がしたのを、ここぞとばかり失態だ何だのと糾弾してきた末の、これである。

 エルダナの心情を察してか、ビオナークが諌める。


「お気持ちは分かりますが、油断は禁物です、エルダナ様。いくらスクエア期とはいえ、なりふり構わず彼女を出してくる可能性があります」

「で、あろうな。窮鼠猫を噛む、だ。今日あたりでも放り込まれるかもしれん」

「そうして狙うはエルダナ様」


 リンデルはかなり軽い口調で言ったが、例の娘が投入されるとならばそれは当然の答えで、ビオナークも苦言を呈さないくらいだった。

 そのビオナークがエルダナを見る。


「身辺に兵を増やします」

「不要だ。私はむしろ遠ざけたい」


「私も、あの娘にはそれが良いかと存じますね。肉壁を作るなら外でしょう。室内に置いたところで邪魔なだけで、爆心地となったら無駄死にです」

「で、あるに。伝令! トワニーグに隊を編成し索敵させろ!」

「はっ」


 伝令が指示を受け、走っていく。

 エルダナは腰を入れ直した。


「さて、我々は久方の流星を楽しもうじゃないか」


 【冷酷なる女王】は、きたる邂逅に備え、目を細めた。



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