機械少女の永遠
神凪柑奈
機械少女
雨が降っていた。雷が、どこかで落ちた。
急な雨に降られながら
「……ん?」
機械の音。この辺りに大きな工場はないし、こんな不思議な音がするものは未だかつて見たことがない。
不審に思いながらも風邪をひくのも嫌だと思い足を進めようとしたところで、女の子に声をかけられた。
「あの……その、助けてもらってもよろしいでしょうか」
これが、俺と彼女――ルミナスとの出会いだった。
「とりあえず、入って。服は俺のを着て」
「ありがとうございます。ああ、私はルミナス。機械です」
「赤木燈……は? 機械?」
ルミナスと名乗る少女は首を傾げる俺に向かって腕を渡してきた。俺はそれを受け取り、眺めて、それが異常な事だと気づいた。
「はぁ!?」
「私はとある科学者によって暇つぶしで作られたアンドロイドです。なんと、感情が搭載されています。すごいでしょう?」
自慢げな表情で、俺に凄いと言ってほしがるように胸を張る。
そんな話は聞いたことがない。感情を持ったアンドロイドなんてものが完成していたなら途端に一大ニュースになっているはずだ。
「ああ、博士からこれをいただいたのでした。次の主に渡すように、と」
「頭の整理が追いつかないから待ってほしい」
「『どうせルミナスを見た人は頭の整理がつきませんから、さっさとこれを渡しやがれ』だそうです」
「博士口悪いな!?」
ルミナスに手渡されたのは、小さな紙切れ。折りたたまれたそれを開くと、びっしりと文字が詰め込まれていた。
『初めまして、ルミナスの生みの親です。博士とでもお呼びください。いろいろと伝えたいことがありますが、ひとつひとつ。まず、彼女に食事は必要ありませんが食べれます。余裕があれば食べさせてあげてください。伝えたいことを半分くらい忘れてしまったのでもうひとつだけ。彼女の感情はまだ不完全、学習途中です。楽しいや嬉しいなんかの感情は教えてあげられましたが、ネガティブなものはかわいそうだったので追い出すことにしました。彼女を完璧なアンドロイドにしてあげてくれると嬉しいです』
「……随分と勝手な人なのはわかった」
「それは完全同意です。いい人ですよ」
「それもわかったよ」
面倒事を押し付けた、というわけではないのは文字が滲んでいることからわかった。追い出すなんて言い方をしているのも、きっと自分がルミナスと離れるのが嫌だったからだろう。
「わかった。食費がかからないならいいよ、いても」
「ありがとうございます! 内蔵バッテリーは十年間は動くそうです。それから先は、コンセント? で充電できるそうです。なんでもえげつない電気代がかかるとか」
「……まあ、考えとくよ」
俺たちの共同生活はそれから始まった。
ルミナスは料理ができた。最初の二年くらいはぎこちないながらも互いに気を遣いながら生活をしていたが、それからはルミナスが家事をしてくれるようになっていた。
ルミナスと出会った頃は新人社会人としてしごかれる毎日だったが、仕事にもだんだん慣れてきた。そんな頃に、一度だけ喧嘩をした。五時間くらいでルミナスの方が謝ってきて終わったが。後からそれが怒りだと教えてあげた。
そうして、十年。
「おや、バッテリーがギリギリです。あと一週間くらいで切れますね」
「へぇ。コンセントだっけ。ここでいいか?」
「へっ?」
「ん?」
「い、いえ。考えとくなんて言ってましたから」
「……今更ルミナスなしとか、無理だろ」
「そ、それって……」
いつの間にか、ルミナスがいることが当たり前になった。それがただ当たり前の日々だと思ったこともあった。
ただ、こんな話をして気づいてしまった。自分がルミナスに恋をしていることに。
「ルミナス。これからもずっと、俺はお前と一緒にいたいよ」
「はぅ……なんといいますか、その……胸がキュッてします……これが、恋……?」
「……ベタな返しだな」
「なんのことですか」
「いや。これからもよろしくな」
「ええ」
何年も、俺とルミナスは一緒にいた。たまに喧嘩をすることもあった。そのときはどちらともなく謝り合って、何も無かったことにした。
そうして、俺だけが歳を取った。ルミナスは老化も劣化もしないまま、俺は病気になった。癌だった。
腫瘍はかなり大きくなっていて治療は俺の意思でしないことにした。
「ルミナス、また来たのか」
「何度だって来ます。私はあなたの、お嫁さんですから」
「結婚、できなくてごめんな」
「いいえ。仕方のないことです」
俺には戸籍がごまかせない。それほどの力がない。感情を持ったアンドロイドなんてものがあるとわかってしまえば、きっとルミナスは無事ではいられない。
だから、仕方のないことなのだ。
「まあいいんだけど。それよりルミナス。次に来ることがあったら便箋を頼んでいたんだけど」
「何に使うのですか?」
「次の主への手紙。博士がしたようにな」
それが俺にできる、ルミナスへの贖罪。たったひとつだけの心残りにできること。
俺はただ自分の気持ちを書いた。それが次の主へしてほしいことになるから。ただ、一人でずっと書き続けた。
どう足掻いても助かることがないことがわかっていたから、ルミナスには手紙を渡すときにもう来ないよう伝えた。それでもルミナスは、毎日やってきた。
「博士に追い出されたときも、お前はこうだったのか?」
「いいえ、そのときはすんなり聞きましたよ」
「なら……俺の言うことも聞いてくれないか……?」
「……嫌に決まっています。どうして、どうして愛する人が死ぬときにまで傍にいることを許されないのですか」
本当に、申し訳ないと思う。一人残してしまうことを。ずっと一緒なんて無責任なことを言ったことを。ルミナスを拾ってしまったことを。
その感情は後悔にはならない。それはきっと、自分の人生がルミナスによって彩られたから。
けれどこの先、ルミナスは一人だ。
「燈、聞いてくれますか」
「なにを……」
「私は、感情をほとんど知りませんでした。ですから燈と喧嘩をして、怒りを知って。なかなか帰ってこない燈を心配して寂しくなって。女の人と話す燈に嫉妬して。そして、今。なぜか最後のパーツが埋まりそうです。ねえ、燈。この感情の名前を、教えてください」
その感情を、本当の意味で俺は知らない。
「悲しいんだよ、それは」
「……恋をするとき、胸が痛くなりました。今もおんなじです。それでもこれが、悲しいというものなのですか?」
「そう、だよ。俺も今、同じ気持ちだから」
愛してしまったこと。それが一番の間違いだったのだ。
博士は腕が良すぎてしまったのだろう。バッテリーが切れるまででも十年という果てしない時間があった。きっと、ルミナスにはこれから先、永遠とも呼べる時間がある。
その瞬間、俺はルミナスの頬を確かに雫が伝うのを見た。
「こんな感情、知りたくありませんでした」
もしも次の主が優しい人ならば、彼女を愛さないでほしい。彼女のことを深く知らないでほしい。彼女を完成させようとしないでほしい。
そして、本当に優しいのであれば。彼女を――――――
燈が死んだ。長いときをかけて、じっくりと病に苦しまされて、死んだ。
涙というものが自分も流せるのだと知った。どこから流れているのかはわからない。今はそんなことはどうでもいい。
きっと、燈は苦しかった。でも私は、苦しみを知らない。
いつの間にか涙は止まり、私は家に帰ることになった。
家に帰ると、テーブルには次の主への手紙が置かれていた。私が置いたものだ。
「恨みつらみでも書いていてくれませんかね」
そうしてくれていれば、燈に裏切られる苦しみがわかる。知ることができる。
そう思って、手紙を開いた。
「……っ!」
私は、その言葉を見て言葉が出なかった。
手紙は真っ黒に塗りつぶされていて、そこには何かを書いた形跡があった。内容はその下に一言だけ書かれていた。
私は『彼女を壊してください』と書かれた手紙を握りしめて泣いた。
機械少女の永遠 神凪柑奈 @Hohoemi
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