さあ終わりを始めよう

ぺらねこ(゚、 。 7ノ

終わりの始まりをはじめよう

 大学生生活、夏の暑さ、遊びに行けない鬱屈。僕の中にドロドロと溜まっていく2021年は、間違いなく兄のせいで緊張の糸が張り詰めていた。

 ふたりで大学に受かり、東京に出てきてすでに3年目。しかし、この災禍の中、間違いなく実家は大変なことになっており、僕たちはいつ呼び戻されるかもしれぬ不安と戦いながら、ギリギリ日常を倒していた。

 PC越しに受ける講義、たまの登校。クラスメイトとの会話もはばかられ、ゼミ生たちはあからさまに苛立っており……。なんかもう、居場所のなさを感じて、没頭できることも見つけられず、焦りはつのっていくという日々を送っている。

 住み始めてから3年目に突入したアパートは、父の親戚からの紹介により、破格の値段で借りているらしい。だから、実家に呼び戻される可能性は高くはない。よほどのことがない限りは。

 角部屋なので音を気にしなくてすむのが、僕たちにはとてもありがたかった。


 特に、兄にとっては。


 部屋を紹介しよう。8畳ほどのダイニングキッチン。ここに溢れたゾン箱の山は、兄のウィッシュリストからシュートされた生活必需品の山と、安っぽいコスプレ衣装の空き箱だ。

 たまに配信で使われるシンクと冷蔵庫はきれいに片付けられているが、この部屋の半分はさっき話したゾン箱の山で、未開封のものは僕がバリバリと開けて分別することになっている。

 僕の部屋はデスク周りに教科書や参考者が並び、学校指定のノートPCとセミダブルのベッドが置かれているシンプルなもの。

 一方、兄の部屋はピンク色で満ちていて、更には自撮り用の照明機材の明るさで目ン玉やられそうになる。

 24時間稼働し、電飾が施されたゲーミングPCとそれにふさわしいゲーミングチェア。これらがピンク系でまとめられていて、男子大学生の部屋としては、あまりにも現実味が薄い。壁面には動画撮影用の背景紙まで吊られていて、兄の凝り性が僕には恨めしい。

 可愛くないものは撮影機材だけ、あとは半裸の兄がおはようからおやすみまでマイクに向かってはなす声と、たまにネタでやっているのだろう、台パンの音が響く。

 そう、兄は配信者デビューしてしまったのだ。しかも女装で。


 なんでこうなったかって? 兄は大学のサークルで知り合った「お姉さま」にはめられ、一人称がトゲ付き鉄球くらい痛々しいスーパーキラキラお姫様になってしまったからだ。

 そう、時節がよろしくなかった。授業用に揃えたはずのPCがどんどん強強になっていき、兄の部屋から男物のアイテムが僕の部屋に攻め込んできた。それに対して反論しようとした頃には、兄の月収が実家に仕送りできるほどになっており、僕は兄の勢いに押されて、配信準備の手伝いをずっとやっていた。

 兄と同じベッドに寝ることを提案されたときに、なぜ断らなかったのか?

 それは僕にもわからない。可愛い顔をした兄が、いい匂いをまとって布団に入ってくるのがそんなに嫌ではなかったからかもしれない。


 転機は来る。

 学校の出席管理が厳しくなったのである。


 兄の決断は早かった。2年間配信頻度を落とす。そのかわり、メンバー限定の配信で、月額の配信料を底上げする。問題は、月額払ってくれる視聴者を何でつなぎとめるかにかかっていた。

 ふたりで悩み始めて3日目、兄は目の下のくまを揉みながら、同じベッドでちょうど目を覚ました僕に、重々しい声で宣告した。

「俺たちさ、リアルイベントで金稼ぐことしよう」


 何を言っているのかわからないっていう言葉は、このためにある言葉だなと僕は思った。そして、そのとおりに言った。

「江古田にさ、mojaってお店があるんだよ」

まだわからないが、遮らずに聞いたほうが話が早そうだ。


 どうやら、1日店長というシステムがあって、そこに高額プランの客だけ集め、その日だけコンカフェをやるつもりらしい。ついては、ボディーガードと下僕とその他雑用をやれということのようだった。

 なんかもう話がでかすぎてよくわからなくなっていた僕は、そのまま押し切られた。

 兄が脱がなければいい。疑似恋愛で済むガチ恋ならガチ恋じゃないから大丈夫。そう思った。

「そんでさ、俺たちはまだ商品価値が上げられるんだよね」

 そのままの勢いで兄は話を続ける。

「俺たち双子じゃん。いろちの服買ってきたから一緒に風呂入ろうぜ」

 よくわからない。よくわからないのだけど、兄の勢いはすごかったし、配信で鍛えた声量は、寝起きの僕を従えるのには十分な威力があった。


 数分後、狭い風呂場にハタチそこそこの僕たちが素っ裸で詰まっていた。兄の部屋にあった謎の道具が順番に並べられ、テンポよく僕のムダ毛を滅ぼしていく。

 I字カミソリで下準備された後、レディースシェーバーで全身ツルツルにされ、いつの間にか揃えられていためちゃくちゃ肌触りのいいバスタオルで拭かれ、何故か上機嫌な兄に全身に保湿ローションとクリームを塗られ、なぜかいっぱいよしよしされた。なんでよしよしされたのかはわからないが、久し振りのよしよしはめちゃくちゃ嬉しかった。

 あと、お風呂上がりに自分のトランクスを履こうとしたら、こっちって言われて、シンプルなボクサーを履かされた。目の前でトランクスは捨てられた。

 流石に横暴だなあと思ったけど、用意してもらったボクサーは結構フィットしていたし、新しい感覚を教えてくれた。自分でも似合ってるなと思った。

 パンツも新しくなったし、なんか怒るのも大人げないなと思ったらどうでも良くなった。


 後日、兄に聞いたら、この時抵抗しなかったから行けると思った。ということで、この日の理不尽は続いた。

 そのまま流れるように衣装合わせが行われ、もう1度男性の服に着替えさせられて、秋葉原まで連れて行かれた。兄は私服……といっても女性ものを着ていたけど、僕は正直もうなれていて、なんにも違和感を覚えなかった。

 そんな兄が言葉少なに僕の手を引きながら、歩幅を小さく刻み歩いているのは、正直可愛すぎて死ぬかと思った。双子の僕からみる兄は、ヒールの分僕よりも背が高い。

 男子にしては小柄な僕と、女子にしては大柄な兄というカップルは、街ゆく人に振り返られながら移動していた。不思議なカップルに思われていたかもしれない。

 残念ながら僕視点では連行されていたのだけれど。


 秋葉原のPCパーツ屋さんの間を抜け狭い階段を登ると、急にカラフルな世界に迷い込んだ。というか、店員さんがそもそもカラフルだった。地毛の色が金色や緑の人が、紫や赤のウィッグを説明している。

 兄は自分のテリトリーに入ったのか、先程までよりは少し大胆な動きをしていた。少し歩幅が広がって、ワンピースの裾が大胆に揺れる。

 スカート短いんだから気をつけてほしいな、などとどうでもいいことを考えていたら、コンタクトレンズの色を指定して、自分の度数のやつをえらべと言われた。口に出していたかは忘れたが、たしかにそういう圧がかけられた。

 度数の指定表にほしい枚数を書き込んでいる間に、兄がひとりで奥の方に入って行く。指定表を書き終わった僕が追いかけていくと、何やら店員さんと小声で話していた。なんかやべーブツでも取引しているのかとおもって身構えたが、近寄っていったら、数センチ上から僕の頭がぽんぽんされた。

 どうやら頭のサイズを確認するらしい。測っても兄ちゃんと同じだよとは言えず、されるがままになっていたら、なんかズラを合わせるとかいい出して、おおごとになった。

 かぶってみてわかったんだけど、兄が指定したタイプは髪の毛の長さが全部同じで自由にカットできるやつだったらしい。かぶった直後は前が見えなくてやや混乱したが、この後顔に合わせて切るから、サイズを確認したら購入して帰るということだった。

 まあなんだかわかんないけど、店にいるあいだじゅう、兄の機嫌が良かった。僕の気持ちはそれだけで割と救われていたのかもしれない。

 兄が配信で忙しかった間、僕たちの会話が減っていた。ファンからの心無い言葉で、兄が荒んでいる姿を見てばかりだったので、嬉しげな姿がが見れてほっとしたというのもある。


 帰りの電車の中、シートに座った兄のピンク色のカバンから、可愛らしいスマホケースが出てきて、僕はちょっと顔をしかめた。兄がスマホを見ている時、僕の方を向いてくれない時間が生まれる。それがとっても嫌だったんだって、その時急に気づいた。

 すぐに僕のスマホが震える。


「1日振り回してごめんな。お前と一緒に外に出られて本当に良かった」

「俺、なんかお前とちゃんと話ししてなくて、一方的になってたな。お前の顔みて、表情をちゃんとみて、色々わかったわ」

「そんでさ、次のイベントで俺の活動休止にするからさ、最後だからつきあってよ」


LINEに送られてくるメッセージを見て、僕は困惑していた。兄ではなく、そこにはお兄ちゃんがいた。目頭があつくなった。我慢をした。


電車が停まり、お兄ちゃんが立ち上がって、僕の上着の裾を引く。涙目になっているのをごまかすように、一緒に電車を降りる。


「ごめんね」

 お兄ちゃんが上から抱きしめてくる。ホームだぞここ。

「ごめんね」

 いい匂いと、肩が震える感触。お兄ちゃんも泣いているのかな。


 その日、お兄ちゃんは配信を休んだ。

 そして、翌日。お兄ちゃんと僕はウィッグのカットに行った。

 その夜の配信は、ふたりでやった。


 いつしか、イベントの日を迎え、ぼくたちはおそろいのメイド服、違う色のウィッグ。そしてウィッグと色を交換したようなカラコンを入れて、カウンターの中にいた。

 ぼくは調理担当。接客担当のお姉ちゃんが、最初のお客様のためにドアを開ける。


 開始前から並んでますツイートが届いていたから、店が一瞬で埋まった。

「おかえりなさい、ごしゅじんさま、おじょうさま。私達のお店、はじまります!」


 私達のお店は荒れることもなく、深夜まで明かりが灯っていた。

 最後お店の方にお礼をいってから、タクシーにふたりで乗り込んだ。

 

「かえろ。つかれたね」

「靴、やっぱ慣れなかった」

「そうだよね。もうちょいヒール低めにしておいたほうがよかったかもね」


 不思議な会話をして、家の前で降りる。


「ありがと。ほんとにたすかった」

 部屋に入った直後、玄関のドアを閉めたぼくにお姉ちゃんが顔を寄せてくる。

 そのまま、頭を抱きかかえるとお姉ちゃんは言った。

「大学卒業まで、頑張るからさ。勉強教えてよ」


 ぼくは泣きながら、お姉ちゃんを抱きしめた。

「もちろん。そういう約束じゃん」


 私達は配信を休止した。1年と半年後には戻ると報告をして。

 完全に辞めたわけではなく、季節の報告なんかは配信したけれど、勉強に励む単位がやばい大学3年生に時間はない。

 僕たちは大学を卒業したらどうなるんだろう。ファンからくる当然の質問は、私達の中でもいまだ不透明なままだ。

 災禍に見舞われた新卒採用は、未だ厳しい状態であり、現実問題として一般文系大学生にそれほどの価値はない。むしろ、ふたりで配信者をすることには十分な手応えがあり、企業への応募にはなかなか熱が込められなかった。


 なかなか進路が決めきれぬまま、月日は過ぎて行く。内定の出ない焦り、終わらない卒論の執筆。

 ふたりとも卒論の執筆で厳しい中、無理やり予定をこじあけて迎えたクリスマス配信は、予想に反してからっと楽しい雰囲気で終わりの時間を迎えた。


「今日の配信はここでおしまい! これからもふたりのチャンネルをよろしくね! 高評価、チャンネル登録、配信アラートよろしくお願いします。

 またゲリラできるかもしれないから、アラートは忘れないでね?」

 お姉ちゃんの後を僕が続ける。

「わたしたちの卒業式までには配信できると思うから、いい子に待っていてね? その時までに、私達も覚悟決めておくから。また、桜の咲く前に会おう」 

「またね! みんなたち」 

 ふたりで声を揃えて、配信を終わる。

 

 これが、僕たちの始めた終わりの物語。お姉ちゃんに抱きついて、僕は泣いた。

「まあさ、私もこんな体だし、最悪配信続ければ、しばらくやっていけそうだしさ、泣かなくても大丈夫だよ」

 薄く膨らんだ胸を張って、お姉ちゃんは続ける。ツヤツヤとした光沢の髪の毛、触ると吸い付いてくる肌。姉は姉の道を歩き始めたのだ。

 僕は、定時で帰れる仕事に絞って仕事を探していた。兼業可能な職場は限られていたが、都内ならば無くはない。最終面接にこぎつけた数件をなんとかモノにしたいが、まだ気を抜くわけには行かなかった。

 僕は姉と離れずに済む仕事を選んでいないか? 何度も自問自答を繰り返しながら、この先も生きていくのだろう。

 より難しい人生の選択をした姉と生きるために。

 

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