気になるあの娘こわい

赤茄子橄

本文

「なぁしょうじん。時代はジェンダーレス。男だから女だから、なんてことを声高に話すのはナンセンスかもしれない。とはいえ、やっぱ俺自身は男らしさってのを大事にしたいって思うわけよ」


ざわざわとした雑談の声が教室を満たす中、前の席に座って、窓際最後列に座る俺の方に振り返りながら唐突な話題を提供してくるこいつは、渕簾灰かたすかい

ちょっとだけおしゃべりだけど気さくでいい男友達だ。


「どうしたんだい?急に時事ネタかい?まぁ、わからなくはないけどね」


俺、根国捷ねのくにしょうの隣の席から、適当にも聞こえるけどちゃんと話を聞いて同意してあげている爽やか好青年が御巫迅みかなぎじん

かいが俺と同時に話しかけたもう1人のクラスメイトだ。


朝のホームルーム前、席の近い3人で灰から始まるどうでもいい雑談をすることが、俺たちの朝の日課になっている。


「うん、俺もわからなくはない。それで?今日はなんでそんな話題を持ってきたんだ?」


いつも他愛ない雑談をしているとはいえ、今日の話題はいささか唐突に過ぎるように感じる。

俺の知る限り、灰は社会問題とかを題材にするようなやつではない。


だから、その裏にあるであろう本当の話題を尋ねてみたわけだ。


「うむ、よくぞ聞いてくれた」


灰は満足そうにニヤリと口元を歪ませて続ける。


「お前ら、男らしさってなんだと思う?」


これまたふんわりした質問だ。

しかも、なんだかんだ俺の質問に答えてはくれていないのが質が悪い。


「うーん、そうだなぁ。僕的には器の大きさ、みたいなものかなぁ」


隣の優男がそんなことをのたまう。


迅はよくこの「器の大きさ」という言葉を口にする。

いわく、迅は自分が能力が不足していて器の小さな男だと思っているんだとか。


俺も灰も、クラスメイトも、言ってしまえばこの学校の誰も、迅の器を小さいなどとは微塵も思っていない。


誰に対しても分け隔てなく優しく、眉目秀麗、文武両道、質実剛健を地で行くような凄いヤツだ。

爽やかさに嫌味がない。


唯一欠点を挙げるとするなら、自己評価が過度に低いことだろう。

こいつは自己評価を下すときに、常に上だけを見続けているからか、勉強は学年でも常に1桁台の順位を獲得していても「まだ上がいるから自分は全然だめ」などと言うし、運動能力も十分高いけど「専門に競技に取り組んでいる人たちと比べたら子供の遊び程度しかできない」などと嘯く。

小遣いも自分で働いたバイト代で賄うために日々労働に勤しんでいるらしいが、彼いわく「金を稼ぐなんてことはみんなやってるんだからなんの自慢にもならない」らしい。


言葉だけ聞いたら、「それじゃあそこに至ってない俺たちはどうなんだ」と思ってしまわなくもないが、迅の表情を見れば本心から自分の絶対評価の話だけをしていることがわかってしまうから文句も言えない。


人はそんなふうに優秀なオスなわけだから、ある意味当然、定期的に女の子から告白を受けている。

残念ながらこれまで1人として成功したことはないらしいんだが、告白を断るとき、こいつが必ず口にする言葉がこの「自分は器が小さいから」だとか「自分はダメダメであなたと釣り合わないから」というわけだ。


告白を断るときにも、相手ができるだけ傷つかないように、相手のいいところをいくつも列挙して、「ほら、こんなに素敵なキミと僕は釣り合わない」とかほざくらしい。

そのせいで告白した子はさらに好きになって諦めらない、という負の?正の?ループを作り出す。


といっても、迅に2回以上告白をしたことのある子は実は1人しかいないらしいんだが。


まぁなんにしても、この優男、御巫迅はそういう罪作りな男なわけだ。


ある意味、確かに器が小さいかもしれない。



「なるほどな、すげぇ迅らしい答えだな!それで、捷はどうだ?」


灰が次は俺に話を振ってくる。

迅に先に言わせておいてなんだが、このあとどんな話が展開されるか全くわからないので、正直あんまり自分の情報を先出ししたくない気持ちがある。


まずは灰の話から聞こうじゃないか。


「んー、どうだろうな、あんまりピンとこないな。そういう灰はどうなんだ?」


うん、我ながら絶妙な切り返しだろう。


この俺の返しを受けて、灰は「ふっふっふっ」とつぶやき、再び「よくぞ聞いてくれた!」と言わんばかりの態度をとる。


「俺の考えはな?どれだけ『怖いものが少ないか』ってことじゃないかと思うんだよ!」


なるほ......ど?

まぁこれもわからなくはない。


「ちなみに、知っての通り俺は虫が苦手なんだが、それ以外ならほとんど大丈夫なんだよ」


灰が言った通り、灰は虫が本当に苦手らしい。

クモだとか、一般にも苦手な人が多いような虫だけじゃなく、カブトムシとか蝶とか、そういうのも全くだめのようで、教室に入ってきたときにはめちゃくちゃ嫌そうにしてたり、近づけたら可哀想なくらい騒ぎ出したりする。


その姿には、残念ながら俺のイメージするような男らしさは感じられない。


「でな?今朝学校に来るまでにすげぇでかいクモが巣を張ってやがって、気づいた瞬間声出してビビっちまったってわけだ」


話を聞くだけで、わーきゃー騒いでいる登校中の灰の姿が浮かぶようだ。笑える。


「なるほど?それで灰は自分が男らしくなくて女々しい、情けないポンコツ雑魚だって気づいたりしたのか?」


「ちっげぇよ!てか捷、お前俺のことそんなふうに思ってやがったのか!?」


「ははははは、冗談。冗談だよ」


冗談だとわかり合っているからこそ言い合える軽口に、それでもなお突っ込んでくれる灰は本当に良いヤツだ。

俺が肩を震わせながら笑っていると、コホンとわざとらしい咳払いを1つ入れて、灰が話を再開する。


「そうじゃなくてさ。虫はだめでも、他のヤツらが苦手ないろんなことを俺が怖がらないでいられるなら、それなりに男らしい認定されることができるんじゃないかって思ったわけだ!」


なるほどなぁ〜。


「めっちゃくちゃどうでもいいなぁ〜」


素直な感想をだしてやった。いつものことだからいいんだけどさ。


「大丈夫だよ!灰くんは皆を明るく引っ張ってくれる怖いもの知らずだし、力も強くて怖い人に襲われても返り討ちにできるだろうし、ほかにもいろいろイイ男だよ!虫が怖いなんて欠点にもならないくらい男らしいよ!」


迅が絶妙に爽やかに、だけどどこか的外れにも思えるフォローを力強く語る。

気休めの慰めとかじゃなく、心の底から本気で言ってることが伝わってくるあたり、迅のイイヤツっぷりが垣間見えるというものだ。


「ははっ、迅、ありがとな。それと捷、もうちょっと興味持ってくれよ〜」


「はいはい、それで?迅の男らしいところを探そうっていう話をするのか?」


ここまでの話の展開から、だいたいそういう方向になるんだろうなぁと思って、ちょっとは興味ありますよアピールをしてやる。

まぁ話題自体には全然興味はないんだけど、こいつらとの雑談は面白いから付き合うだけなんだけどさ。


「いや、そうじゃない」


違うらしい。


「他のやつと比べて相対的に男らしいかを確認するのが大事だと思うんだ。だから、お前らの怖いものを教えてもらって、それを俺が怖くないって思えたら、男らしさポイントが付与されるかなってわけだ」


うーん、なんと男らしくない考え。


「ははっ、その考えが男らしくないだろ。自分を研鑽しろよ!」


アツく語られるバカバカしい内容についつい笑いながらツッコんでしまう。


「あぁ、まぁそうなんだけどな。ぶっちゃけ俺のことはどうでも良くて、単にお前らがどんなもん怖いのか知りたいってだけだ。それが今日の話題」


急に落ち着いた様子で話し出す灰。

テンションの温度の落差が大きすぎて風邪を引いてしまいかねないほど。


だけど、なるほど。今日の話の趣旨は伝わってきた。

お互いに怖いものをさらけ出しあおうってわけか。


灰の怖いものは虫だとして、迅の怖いものってなんなんだろうか。それにはちょっと興味がある。


「あぁ、なるほどな。俺と迅だけが灰の弱みを握ってるってのもずるい気がしてたし、それはちょっとおもしろそうだ」


俺がさっきまでの適当な相づちだけの態度からうってかわって興味を持った姿勢になって返事をすると、迅も「確かに捷くんの怖いものが何か気になるところではあるね」と同じように楽しそうな表情でノッてきた。


場が乗り気になったところでまずは先に迅に尋ねてみる。


「迅はなにか怖いものあるのか?」


迅は少し考え込んだ様子を見せると、


「そうだなぁ......僕は、蛇とかがちょっと苦手かな。なんだかあの表面の質感とか、ちょっときついかも」


「ふぅん、なんていうか、結構普通だな」


迅の素直な回答に、灰はあんまり楽しくなさそうに雑な返事を返していた。

俺としては、それなりに興味深い答えだった。


そもそも怖いものなんてなさそうな迅に苦手なものがあったと知ることができただけで、面白かった。


「もう、灰くんは失礼だなぁ。確かに普通で申し訳ないけどさぁ。まぁいいや、それで、捷くんはなにか苦手なものはあるのかい?」


迅から流れるように話を振られて、いよいよ自分の番になる。


怖いもの、苦手なもの......。なんだろうか。

特にピンと思いつくものはない。


虫や他の動物、幽霊、雷とか、怖いものの代表として名前があがるようなものをいくつか思い浮かべてみるも、俺にとって怖いと感じるようなものはヒットしない。


だけど2人に話させたんだから、自分が話さないのはそれこそ男らしくない気がする。なんとかして探したいところだ。


何か考えのヒントになるものはないだろうか、と教室の中を見渡してみる。




ふと目が止まったのはちょうど教室の対角、廊下側最前列の座席。

クラスメイトの女子の1人、冥詩珠火めいしずかが普段座っている席。


今はどうやらまだ登校してきていないようで、その席には誰もいない。


それでもそこが俺の目に留まったのは、言うまでもなく、俺がここ最近めいのことが気になっているから。

もちろん、1人の女性としての「気になっている」だ。


高校2年になってはじめてクラスメイトになって知り合ったんだけど、ふんわりした黒のショートボブに、ポワポワとした為人がにじみ出ているかのようなきょろっとした目、155cmと可愛らしい背丈。

太陽のように眩しく周囲を照らすような魅力的な笑顔、コケている様子を頻繁に見かけたりするちょっとドジなところ、それに萌え袖にしたセーターが抜群に似合っていたその子。


2年の初日、配属されたクラスでひと目見た瞬間、恋に落ちてしまった。

「気になってる」なんてぼかした言い方をしてみたけど、正直に白状すると、好きだ。

いい加減告白を我慢できなくなってきているくらいには惚れている。


これまでになんとかいろいろ頑張ってアプローチしてきて、最近、休みの日に2人ででかけたり、時々料理の練習ということで弁当を作ってきてくれたりするようにはなっていて、それなりに脈があると見ている。


ただ、これほどまで女性を好きになった経験がないからか、万が一にでもフラれてしまったりでもした日には、正気と命を保ち続ける自信がない。

だから、それこそ本当に男らしくないかもしれないが、まだ告白できないままでいる。


なんなら冥の方から告白してくれないだろうか、なんて情けないことを願ったりもしている今日このごろ。

そんな状況だから、俺が冥のことが気になってる、いや、気が狂うくらいに好きになってしまっているってことは、1番仲のいい迅と灰にも話せていない。

気づかれてる可能性はあるけど。


ともかくそんなわけなので、教室を見渡す中で彼女の席が目に入った瞬間、そこに視線を留めてしまったのはしょうがないだろう?



ぼんやりとまだそこにいない彼女の可愛らしい表情を思い浮かべながら、今俺たちの目の前の話題である「怖いもの」を考えてみると、突然、俺の頭の中に天啓でおりたかのように、雷に打たれたような衝撃とともに、素晴らしいアイデアが思い浮かんだ。



まんじゅうこわい。



かなり多くの人が知っているであろうお噺。


今の俺達と同じように「怖いものは何か」という話をしている中で、怖いものなんて無い!と嘯くいけすかないやつがいた。

一緒に話してた他のメンツはなんとかそのいけすかないやつの怖いものを聞き出してビビらせてやろうとする。

その狙いを察したいけすかないやつは「まんじゅうが怖い」という。

もちろん本当にまんじゅうが怖いわけではない。

まんじゅうが怖いと言えば、自分を怖がらせるために彼らが自分のところへまんじゅうを持ってくるだろうから、それを美味しくいただいてやろう、という魂胆なわけだ。

結果、他のメンツは彼の狙い通りまんじゅうを彼に差し入れるだけになり、怖がるどころかパクパクとまんじゅうを食べる姿を不思議に感じて再度「本当は何が怖いんだ」と問いかける。

その問いに彼は「一杯のお茶が怖い」と言う、とざっくり言えばそういうお噺だ。


要は、「何が怖いか?」という質問に対して、全然怖くない、むしろ求めるものを「怖い」と言っておけば、調子に乗って周りがそれを自分のもとに引き寄せてくれる、という笑い話ということ。



そう、ひらめいたアイデアは、今俺たちがしている議論の中で、俺が「冥詩珠火が怖い」と言えば、迅と灰に「俺が冥のことが好き」だと伝えずに、冥とくっつけてもらえたりするのではないか、というもの。

正直、天才のそれだと思う。自分の才能が怖い。


俺はさっそくそれを実行することにした。


「あぁ、そうだな。俺は最近すごく怖いものがあるんだよ」


そうもったいぶった言い方をすると、2人は期待を込めた眼差して「なになに?」とこちらを覗き込んで続きを待っている。


俺はさらに一息おいて、あたかも本当のことをカミングアウトするかのように、神妙な面持ちを作って、口を開く。





「俺、冥詩珠火が怖い」





「「は?」」


息の合った2人の疑問の声。

まぁその疑問も尤もだろう。


たまに仲良さそうに話をしいてるクラスメイトのことをいきなり「怖い」と言い出したんだ。すぐには意味がわからないだろう。


「冥のことが本当に怖いんだ。姿を見るだけで背筋が凍るし、話してるときなんてもう身体が動かなくなるくらいだ」


嘘は言ってない。

冥の姿を見たら好きすぎて背筋に電流みたいなのが走ってゾクゾクして凍るし、冥と話してると一生話し続けたくてその場を動きたくなくなる。

うん、本当のことだ。ほんとに怖い。


でもあんまり言い過ぎると、俺の恋心がこいつらにバレてしまうリスクが高まる。

適当なところで切り上げよう。


「なんなら今、冥の話をするだけでも辛い気持ちになった。うん、だからこの話はもう終わりにしようぜ。間違っても、嫌がらせしようとして冥を俺に近づけようとかするんじゃねぇぞ?」


軽く2人を睨みながらそう言い切ると、2人とも困惑した表情をした後、「お、おぅ」と曖昧な返事を返してきた。


パーフェクトコミュニケーション。


変に詮索されないよう、ホームルームが始まるまで退席させてもらおう。


「あ、すまん、俺ちょっとキジ撃ってくるわ」


と、何事もないかのような顔で手洗いに立つ。



早足で教室をでようとしたせいか、ドアを出て曲がった瞬間、ドンっと誰かとぶつかってしまう。


「誰か」なんて形容してみたけど、俺が見間違えるはずも、刹那以上の時間判別できないままでいることすらもありえない、彼女、冥詩珠火がそこにいた。


「お、おはよう!ごめん、俺ちょっと手洗い行くから、またあとでな!」


さっきまで彼女のことを思い出して話していたからか、深くうつむいたままの彼女の表情を見ることも、彼女の返事を待つこともできないまま、急ぎ足で手洗いに向かった。




*****




それからしばらくして教室に戻ったらすぐホームルームが始まり、慌ただしく授業が始まり、迅も灰も、朝の話を掘り返すことなく放課後になった。


俺の予想では、もしかしたら昼休みあたり、いつも迅と灰と3人で食べている昼ごはんに冥を呼んだりするかもしれない、なんて淡い期待を抱いていたけど、俺は大事なことを失念していたようだ。

2人とも良いやつ過ぎた。俺が嫌だと言ったことをするようなやつではなかった。


なんなら昼食を一緒に取るように誘わないどころか、休み時間にも、冥が俺の席に近づいてこようとしているような素振りを見せたかと思うと、外に用事があるからついてきてくれ、とさり気なく?俺を教室から連れ出して冥と接触しないように取り計らってくれているようだ。


そんな休み時間が3回ほど続いたあと、午後には冥は俺の方を見ることもなくなってしまった。


なんっっって余計なことを!

1番余計なことをしたのは間違いなく俺だけどな!

なんだよまんじゅうこわいって!

なんでそれで上手くいくと思ったんだよこのバカが!

何が天才だよ!母さんの腹の中からやり直せよ!


これじゃあ逆まんじゅうこわいだよ。

「冥詩珠火と話せないのが怖い」って宣言してそれが実現されたみたいな気分だよ!


だけどここまできて「冥詩珠火が怖いというのは嘘だ」なんて2人に言ってしまえば、必ず「なんでそんな嘘ついたんだ?」と疑われ、必然的に俺の想いがバレてしまうだろう。

別に必死に隠すこともないけど、気恥ずかしくてその選択肢を選ぶことは憚られる。





そのまま俺からは2人にも冥にも特になにもアクションを起こさないまま、今、放課後に至っている。


冥は放課後になってすぐ教室を飛び出してしまったので、結果的に今日は一日彼女と話すことができなかった。

迅と灰は悪くない。彼らは善意でやっているのだろう。

朝の自分を殴りたい。全力で。


でも、明日になれば、こいつらも適当に忘れてるだろう。


そう信じて、今日は諦めて帰ってさっさと寝て、全部忘れることにした。




*****




甘く考えていたけど、あれから1週間、灰も迅も変わらず俺から冥をブロックしているようだ。

それとなく「あんまり頑張らなくていいぞ」と伝えてみたが、「ん?なんのことだ?」なんてとぼけられてしまい、それ以上追求しにくい感じになってしまった。


それならばと、俺から冥に話しかけに行こうとすると、今度は冥が俺を避けているような感じも受ける。

挨拶をすれば一言返してはくれるが、それだけ。

この1週間、挨拶以上の会話はできなかった。


さすがにそろそろ精神の限界がきているので、いい加減余計なプライドを捨てて、灰と迅に俺の本当の気持ちを共有して協力してもらおうか。

なまじ1週間も黙っていただけに、恥ずかしさというか罪悪感もひとしおだが、背に腹はかえられないだろう。


今日はすでに放課後。2人ともすでに帰宅してしまったので明日伝えよう。


冥成分の摂取量が不足している俺は1人、フラフラと家路を歩む。





帰宅してドアに鍵を差し込んで回すと、普段はカシャンと軽い抵抗と開いた感触がするのに、今日はそれが感じられない。


俺は諸事情で今1人暮らししてる。


だからドアが開いてるってのは、朝鍵を閉め忘れたか、空き巣に入られたかくらいしか考えられない。


ただの鍵の閉め忘れだったらいいんだけど、そうじゃない場合はかなりヤバい。

貴重品はほとんどないからあらされるくらいで済んだらいいんだけど、まだ中にいたりして攻撃されたりするのはまずい。


まんじゅうとは比べ物にならない恐怖感を懐きながら、恐る恐るドアを引く。





ドアからはまっすぐ居間が見えるようになっており、その中央には1つのデーブルを置いている。

普段はなにもないそのテーブルの前。


だけど今、ドアを開けた先、テーブルの前には、見覚えのある、というか、成分を摂取したくてしかたなかった姿が見える。

玄関に背を向けるように、床に腰を下ろして正座しているため、顔はわからないけど、背中だけで分かる程度には彼女に参ってしまっている。


なぜ彼女がここにいるのかはわからないけど、空き巣とかじゃなさそうで安心した。


「え、えっと、ただいま〜......?」


玄関で靴を脱ぎながら声をかけるも、何の返事も返ってこない。


一言も話さないどころか身動き一つせず正座の姿勢を崩さない冥の後ろ姿に、見蕩れる気持ちと一緒に、少しの恐怖を感じる。


俺は急いで洗面所で手洗いだけすませて彼女のいる居間へと向かい、テーブルの彼女が座る面の対面に向かい合うように腰を下ろす。


冥は深くうつむいており、その表情を読み取ることはできない。

しばらく黙って見つめていたが反応がないので、こちらから話しかけてみることにした。



「えっと、冥?どうしたんだ?なんでここにいる?」


しばしの沈黙のあと、いつもの元気な声ではなく、絞り出すような呻きにも似た音が聞こえてきた。


「......う............なの。........................もう、むりなの。我慢できないの」


ばっと頭を上げたかと思うと、ものすごい勢いで顔を近づけてくる。

口唇同士が接触してしまうかと思うほどの超至近距離で、でも慌ただしいわけではない暗い声音で話されて、優しい息づかいをすぐそこに感じる。


好きな子が自分の家にいて、2人きり、そこでキスしてしまいそうな距離にいるという状況。

素直に興奮してしまう自分がいるのは間違いない。


ただ、今は玄関のドアを開けたときの何倍も大きな恐怖感に苛まれていて、興奮が表に出てこないでいる。


冥の表情と瞳に、あまりにも色や光がなかったから。見開いた目と開ききった瞳孔には正気が感じられなかったから。


いろいろと抜け落ちた表情を崩さず至近距離に顔を近づけたまま、言葉の続きを紡いでいく冥。


「私ね根国ねのくにくんが嫌がるなら近づかないようにしようって思ったけどもうむりなのあなたと離れ離れになるくらいなら死んだほうがまし根国くんが私のこと怖くさえなかったら私達は永遠にラブラブな素敵なカップルでいられるんだもんねごめんねそんな簡単なことにも気づかずに距離を取るなんてことしちゃってねぇくん私の何が怖いの?本当は怖くなんてないんだよね?怖くないよね?私のこと好きだよね?好きなのになんで怖いなんていうのねぇねぇねぇねぇ教えてよぉぉぉぉおぉぉ」


可愛らしいサイズといつものふんわりした黒髪に浮かぶ濁った目とつり上がった口角。

狂気を体現したようなその姿で早口で捲し立てる様子は素直に怖いと思った。

気になるあの子を本当に怖く感じてしまった。


まんじゅうよりも、さっきまで恐れていた不審者よりも、今は冥の方が怖い。

まんじゅうこわいメソッドの完全破綻を体感してしまった。

嘘で怖いって言ってるんじゃなくほんとに心の底から怖い。


とかどうでもいいことを考えられるくらいには冷静な自分と、意味のないことを考えてないと震えが表に出てしまうくらいには恐怖で混乱している自分が同居している。


かろうじて稼働した頭で理解できたのは、多分、冥はあの日の朝、俺たちがしていた「怖いもの」の話を聞いてしまっていたんだろう。

それを聞いて、俺のことを好きでいてくれた冥はショックを受けてしまった。

さらにそのあとの迅と灰のブロックを受けて身を引こうとした。


でも、俺のことを好きな気持ちに蓋をするのに限界を迎えてしまった結果、今こうなっている、ということなんだろう。


さっきまで俺も冥のことただただ好きで、こんな状況を自分で招いておいて何言ってんだって感じなんだけど「会えない時間が愛を育む」ってマジであるんだなぁとかバカなことを思っていた。

だから本当だったら、冥から告白してくれたという当初計画していた通りの場面が得られて、嬉しさに満ち足りていたはずだった。


でも、この狂気を体感しちゃうと......ほんのちょっとだけ冷静になってしまった。


まぁ、この世の中、ヤンデレに愛し殺されるなんて別に珍しい話じゃないし、かつての旧友にもすでに殉職ならぬ殉愛で沈んだやつが何人もいるから、いつかそういうこともあるかもなとは思ってたんだけどさ。


なんていうか、これまでの柔らかい雰囲気に包まれてた冥から放たれるこの狂気。

急にギャップがでかすぎてびっくりしてついつい怖いって思ってしまっても仕方ないだろうよ?


そんな思考を走らせる刹那の間、無言になってしまった俺を見つめるハイライトをどこかに落してしまったらしい漆黒に染まった瞳は、美しさと恐ろしさを兼ね備えている。


さっきまでは気づかなかったけど、どうやら手にはペンチと包丁を携えているようだ。


「ねぇ捷くん、なにか言ってよ。言ってくれないとわからないよ..............................うーん、話してくれないかぁ。それじゃあ、しょうがないよね。私達の愛と将来のためだもんね。私もこんな事したくないけど、捷くんが素直になってくれるまで、このペンチで爪をもらっていくね?」


「まーってまって!」


爪をやられるのは困る!と、とにかく、深呼吸して、落ち着いて、自分のやるべきことをするだけだ。


すぅ〜はぁ〜。


「あぁん♫」


あ、深呼吸ではいた息が顔を近づけてた冥にあたっちゃった。

なにも、そんなに艶めかしい声ださなくても......。興奮しちゃうじゃん。


それじゃあ、覚悟を決めて。






むちゅっ。んちゅ。れろっ。ぷはぁっっ。




近づいていた冥を抱きしめて、たっぷりと大人なキスを愉しむ。


最初こそ目を見開いて驚いた様子だった冥だけど、徐々に目を閉じて体の力を抜いて身を任せてきていたので満更でもなさそう。

とりあえず一安心かな。


濃厚なキスで興奮したおかげでさっきまでのちょっとした恐怖感は大分薄れた。


「ごめんな、冥、心配させちまって。怖くなんてないよ。俺も冥のこと大好きなんだ」


そう伝えると、冥の瞳に光と涙が宿っていく。

あぁ、やっぱ俺はこの・・冥が好きだな。


「嬉しいっ。でも......」


でも、だと......。俺が余計な駆け引きをしようとしたばかりに、すでに手遅れになってしまったのかっ!?


「でも、それじゃあ、なんであの日、私のことが怖いなんて言ってたの?」


あぁもう。頬に一筋涙をたたえて潤んだ瞳で可愛く首を傾げながらそんなこと聞かれたら、もう俺のしょぼいプライドなんてさっさと捨てて本当のことを言うしかないじゃないか。


俺は強く抱きしめた冥をゆっくりと離して一息ついた後、話し出す。


「いや、な?女々しくて恥ずかしい話なんだけど、迅たちと『怖いもの』の話をしててさ。それでふと思いついたんだよね。まんじゅうこわいメソッド使えば冥とくっつけてもらえるんじゃないかってさ」


「......ん?............えっと、どういうことかな?」


そうだよな、これだけじゃちょっと意味分かんないよな。

つーかこれ自分で言わされるの恥ずかしいな。自業自得なんだけども。


「だからさ、俺は冥のことが好きなんだけど、自分から告白とかするのは恥ずかしくてさ?あいつらに協力してもらうにも、俺が冥のことを好きだってあいつらに言うのも照れくさくてさ?」


「う、うん?」


「それで閃いたんだよ。まんじゅうこわいってお噺みたいに、『冥が怖い』って言えば、あいつらが俺のところに冥をけしかけてくれて、なんだかんだ付き合えるんじゃないかな〜って」


くぉ〜〜〜っ、恥ずかしい!!!

なんで俺は自分は情けない人間ですアピールをしてるんだ......。


冥の様子を見ると、しばらくぽかんと口を開けた可愛らしい様子で呆けた後、ほっ、と心底安心したように息をはいてにっこりと、いつもの太陽みたいな笑顔を返してくれた。


「そっかぁ......。うんうん......そうなんだぁ。ほんとに。本当によかったよぉ」


いじらしい笑顔でそう呟く冥に、俺の中での愛しさが爆発してしまい、再度冥を抱きしめる。


しょうくんっ!大好き!」


この間まで、というかさっきの途中までは「根国ねのくにくん」呼びだったのがしれっと「しょうくん」呼びに変わってる......。けどまぁいいか。


「うん、俺も、し、詩珠火しずかのこと、ずっと好きだった!俺と付き合ってくれ!」


「......付き合う?」


めちゃくちゃいいムードでの告白ができたと思っていたのに、詩珠火から放たれる空気がちょっとだけ冷たい気がした。

え?この流れでフラれるの俺。





「付き合うだけじゃないよね?婚約、してくれるよね?」


あ、そういうことか。振られるかと思ってびっくりしたわ。


「あ、あぁ!もちろんだ!できるようになったら、結婚してくれ!」


「一生私の言うこと聞いてくれる?」


「お安い御用だ!」


「今の録音したからね?」


......ちょっと強めの約束をしてしまった気もしなくはないけど、まぁ、詩珠火のためなら、いいだろう。


「お、おう。男に二言はないよ」


「そっかぁ。ふふっ」


詩珠火は満足したかのように優しく笑う。


かわいいなぁもう。

だからこそ、こんなに可愛い詩珠火を不用意にも傷つけてしまったことへの罪悪感が強まる。


「本当にごめんな、詩珠火。俺がくだらないことをしたばっかりに傷つけてしまって......」


俺が詩珠火の目を見つめてそう誠心誠意謝罪すると、詩珠火の笑顔の口元がさらにニヤリと上がった。ような気がした。

そうして不気味にも思える笑顔で口を開く。


「うん、捷くんのせいで私いっぱい傷ついたよ?」


「うっ。ご、ごめん......」


ニコニコとしているけど、容赦なく告げられてしまった。

俺が上手く言葉が紡げなくて俯いていると、今度は詩珠火の方から俺のことをぎゅっと優しく抱きしめて、耳元で静かにつぶやく。


「だから、ね?捷くんも、ちゃあんと、私と同じくらい、傷つかなきゃいけないと思わない?思うよね?」


なるほど、そうやって罰を与えてくれる方が、俺にとっても心が安定するかもしれない。


「うん、そう......かもな」


「うふふ。そうだよね。うーん、そうだなぁ、どうしようかなぁ?」


どうやら詩珠火は俺への罰を何にするか考えだしたらしい。


ややあって、何かを思いついたらしい詩珠火が離し始める。


「迅くんは私のこと、好きなんだよね?」


「あぁ、大好きだ」


力強く返した俺の返事を聞くと、さっきと同じように口角をあげて意地の悪そうな笑顔で衝撃的な条件を言い出した。


「それじゃあ、私の身体が他の男の子に汚されたりしたら、私と同じくらい傷ついてくれるかな?」


!?!?!?


「や、やめてくれ!それだけは嫌だ!他のことならなんでもするから!」


「ふふふっ。そんなに嫌なんだ。うんうん、捷くんは私のこと大好きなんだね♫大丈夫だよ、私も捷くん以外に身体を許したくなんてないからね♡」


よ、よかった......。








「うーん、それじゃあ、捷くん?..................どの指がいい?」


「................................................なにが?」


いや、まぁなんとなく、というか大体意味はわかる気がするんだけど、わかりたくなさが凄い。


詩珠火の手にはまだ包丁とペンチが握られたまま。

誤解を解く前には「爪を持っていく」という趣旨のことを言ってた。

今、俺は詩珠火に許してもらうために何か痛みを伴った償いをしないといけないらしい。


それは多分、詩珠火に与えてしまった心の痛み・・・・に匹敵するものじゃないと割に合わなくて、でも詩珠火の身体を傷つける以外で俺がそれだけの心の痛みを抱くことは難しそうで。

だったら、肉体の痛み・・・・・で代替するしかないわけで。


「んもぅ、捷くんも本当はわかってるんでしょ♫」


「は、ははは......し、詩珠火?」


「なぁに?」


「お、俺は本当に詩珠火のこと大好きだよ。これからは詩珠火以外のことなんて見ないしさっ。こ、今回のことはもう水に流してみない?なんて。は、ははは」


「うふふ、捷くんったら、今日も本当におもしろいこと言うんだからっ」


可愛さと狂気があいのこになった雰囲気を醸し出す詩珠火。


「私以外を見ない、なんて当たり前だよね。あ、もしかして私の姿を見た今この瞬間を最後にして目を潰して、これから何も見ないよっていう宣言だった?嬉しいけど、ごめんね、私はこれからも捷くんに私のこと見ててほしいから、その償い方は聞いてあげられないかな〜」


「い、いや、そういうんじゃなくて!じょ、冗談だよ冗談!ただのジョーク!」


「ふぅん、そっかぁ。じゃあどの指か選んで?手でも足でもいいよぉ。私的には、足のをもらえたら捷くんは歩けなくなって私がお世話してあげられるだろうから、それがいいんだけど、どうかな?」


だめだわこれ。爪が何枚か持っていかれるくらいが最小の犠牲で済む限界の妥協点なんだろう。受け入れてしまうしかないな......。


「あ、あはは。じゃあ..................おまかせで」




*****




結局全部持っていかれた。指定しとけばよかった......。

あれから2週間経ったけど、まだまだ痛み止めを飲んでもズキズキする。


詩珠火は毎日パタパタとせわしなくあるきまわりながら甲斐甲斐しく世話をしてくれる。


うーん、拷問されても可愛いなんてすごいなぁ〜。


でもやっぱ拷問自体はだいぶきついから一生逆らわないようにしよ。







「ねぇ、そういえば捷くんのほんとに怖いものってなぁに?」


「そうだなぁ、そろそろ詩珠火とラブラブエッチするのが、怖いかなぁ」

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