〝3分〟。その強固なる先入観と意外性。

齋藤 龍彦

【〝3分〟。その強固なる先入観と意外性。】

 小生は遂にたどり着いたのである。聖地多摩へ! そしてその聖地の中の聖地、【聖蹟桜ヶ丘】に居を構える(あぱーと)ことに寸分の迷いも無かった。

 ホーガク部とかいう集団が多摩から消え、その他大勢が置いてけぼりを食って何年経つだろう。だがそんなことは先刻承知。動物園の隣の方が文化的というものである。確か藝大とかいう学校も動物園の近所じゃあなかったか。小生は多摩だから、多摩だから小生はここに来たのである。多摩はいい。かの新撰組の故郷も多摩だ。


 とは言え小生は歴史や動物園といったもろもろよりかは〝かのアニメ〟の磁力に惹かれ、その空気感に浸りたく、わざわざ首都圏外からやって来たのである。ここは断固断っておかねばならないが小生はその辺の〝アニメ〟については割とどーでもいい。〝かのアニメ〟に取り憑かれたからこそこの【聖蹟桜ヶ丘】の地面へと足をつけた。むろん坂を登らないと辿り着けない物件をわざわざ選んだものである。しかし眺めはたいして良くない。


 多摩に住み始めた頃キャンパスなる空間を彷徨っていると【連合サークルたまちくてくてくたんけん隊】なる団体がそこにいた。『天来!』、と感じるほど何かが引っかかったのだが〝連合サークル〟という謎の接頭語に不穏なものを感じ、横目でその立て看板を睨みながら通り過ぎてしまった。しかしどうにも気になり再びその前を横切ってしまう。三回前を通ったところで向こうの方から声がかかった。

 ちなみに声を掛けてきたのは〝男〟でありこの時点で特段の浪漫は無かった。


(ちょうど良い)と思った小生は男に訊いた。

「〝連合サークル〟とは何ですか?」と。

 男の答えは拍子抜けするものだった。

「学内だけでまともに人数が集まらないので多摩地区にある他校と合同している」と。

(だから〝連合〟か。まあそのまんまな理由だな)

 要は合同してようやくサークルと呼べるほどの並みの人数になる、ということだ。


 そうなるといよいよ気になるのは活動内容である。人が集まらない重大な理由があるのではないか。その点訊いてみると活動内容は実に地味であった。名は体を表す。多摩地区を探検気分で徒歩で歩き廻るというただそれだけ。

 小生に声を掛けた男とやり取りを続けるうちにこのサークルが、アニメの、いわゆるの先走りであることが分かった。それこそ〝かのアニメ〟だったのである。


(なんと! ドンピシャリ!)


 〝かのアニメ〟はただのアニメではなくアニメ映画である。公開は九〇年代半ばというから小生が生まれる前の話しだ。その時代のノリと雰囲気で当サークルが勢いで結成され、その頃は学内だけでまともに人数が集まりしかも女子学生の方が多かったという。

 誕生のきっかけはそんなもんだったが、やはりそれをそのまま表現するのもどうか、という訳で『多摩のあれやこれやを歩いて調べる』というもっともらしい看板を後から取り付けたとの事。とはいえそんなサークルが四半世紀の年を越え未だ存在しているのは金曜日のロードショーのおかげであろう。とまれ小生は加入を決め当サークルの構成人数は〝四〟となった。現代の構成員は野郎ばかりだが。


 〝かのアニメ〟は初視聴では心の内にざらりとした感情を呼び起こすのに充分である。女子目線(主人公目線)では猫を追い見知らぬ街の坂道を上へ上へと辿っていったら夢を持っているキラキラしたイケメン男子に巡り会った、というものだが生憎小生は男子である。

 〝かのアニメ〟を男子目線で見てみれば、好きなことに没頭する日常を送っていたら或る日突然美少女が訪ねてきてくれて、しかも通って来てくれるようになった、というラノベ展開。

 そのような調子であるのに〝かのアニメ〟に取り憑いていられるのは、『よくよく考えてみるに彼女も彼も既に四十代前半ではないか』、という実に夢の無い解釈のたまものである。アニメの登場人物達は決して歳をとらぬというのに。


 ところでサークル内の価値観は単一ではない。人間が集団を造ればセクト化する。なにせ〝連合サークル〟だけに。というのは堅すぎる冗談としても同じく多摩地区を舞台とした別のアニメ映画を推す分派もサークル内にはいるのである。これを内部では『タヌキ派』と呼んでいる。近頃は『地球温暖化』だとか『えすでぃーじーず』だとかが頻繁に取り上げられ『学生なら環境問題くらい語れ!』という風潮が色濃い。この時代の影響を受けているのか『タヌキ派』は社会派気取りである。

 とはいえ身近な環境問題を見事にエンターテインメントに落とし込みしかもさほどに説教臭くなく、しかし後味は少し苦いビターな映画に仕上げたこの映画監督の手腕には唸るしかない。タヌキはタヌキで素晴らしいのだ。そんな訳でこのサークルも設立当初とは打って変わって『タヌキ派』の方が優勢である。


 さて。先ほどからずっと『小生』などというバカみたいな一人称を使い自身に語りかけるように得体の知れない思索を乱雑極まりなく巡らせているのはもはや緊張して何を話せばいいか分からなくなっているからである。

 今、小生の部屋に美少女が訪ねてきてくれている。しかも〝一人で〟である。当然サークル繋がりで一年後輩の大学一年。むろん他校である。厳密には大学生は少女とは言わないのだろうが、そこはさすがに中学生には見えないけれども高校生には見えるということだ。

 ちなみに、失礼の無いよう〝美〟と接頭語をつけたが現実には狸がおである。しかし狐がおと比べると小生は狸の方が好みなので〝美少女〟表現と相成った。 


 いったいぜんたいなぜどうして女子に家に押しかけられているのかと言えば、小生がバカ者だからである。バカ者なのでついそのまま思った事を口にした。


 『〝かのアニメ〟を男子目線で見てみれば、』と。


 これがウケた。この大学生な美少女にめちゃくちゃウケた。けたけたけたけたずーと笑い転げていた。これほどのウケをとったのは生まれて初めてのことである。もちろん、お笑い芸人になろうとはしていない。

 この大学生な美少女は『タヌキ派』である。おそらく〝かのアニメ〟に感じるざわりとした違和感を小生が洒脱な調子で言い当てたとか、そんなところであろう。つまり小生も『タヌキ派』であると思われた節がある。きっかけとはたぶんこんなところである。


 小生が黙っているせいで大学生な美少女にこのアパートの小部屋の中を自由に物色されている真っ最中である。現在この特に目につく物の無い部屋の中で唯一異彩を放っているであろうブツの前に屈んでいる。そのブツがきっかけになってくれた。情けないが、向こうの方から話しかけてきてくれた。


「〝赤いきつね〟って箱で買えるんですか」

 部屋の隅には箱買いした〝赤いきつね〟の段ボール箱がある。ブツとはこれだ。

「買える。ただこれほど買う奴はまれだろう」

「よほど好きなんですね」

「その独特の平べったい麺がいい。水曜と土曜の朝には必ず食べる」

「なんで水曜と土曜なんですか?」

「水曜は一週間の真ん中で、土曜はようやく一週間が終わったというそんな日だからだ」

 少し困ったような顔をされた。確かに理由としてはよく解らない。単なるルーティーンだとしか。しかし次もまた向こうの方から話しかけてきてくれた。

「確か仲間に〝緑のたぬき〟ってのもありましたよね?」

「天ぷらが苦手なのできつね一択だ」

 しかし顔としては狐がおよりは狸がおの方が好きだ——とはさすがに言えない。

「これだけあると一コくらい食べても大丈夫ですよね」

 秋の日はつるべ落とし。夕方五時近くはじゅうぶん暗い。

「夕食がカップラーメンとなると微妙な食生活だ」

「わたしのせいで一コ減るのは嫌ですか?」

「まったく問題は無いが、でもなぜカップラーメン?」

「もうこたつが造ってあるじゃないですか」

 こたつ? 返事のようで返事じゃ——、いや、


 おなじこたつに向かい合って入って同じカップラーメンを食べる——


「悪くないな」

「でしょ?」と言いながらもうやかんの方へと立ち上がっている。ならこっちはこっちで〝赤いきつね〟を二コ用意しよう。あっ、あと割り箸も。

 

 ふたり向かい合いこたつに入り、包装をピリピリと破りフタを開けたり粉末スープを振りかけたりを話しながら一緒にしたりしていると、じきにやかんが沸騰を告げ始めた。

 タイマーを用意しなければ、とスマホを〝5分〟と準備する。それをこたつ台の上に置いたまま「沸かしてもらったから入れるのはこっちでやろう」と今度はこちらが立ち上がる。やかんを手にし、ふたつの〝赤いきつね〟にそれぞれお湯を注いでいく。自分の方を先にしたらひんしゅくものというものだろう。そうしてフタを閉め、念を入れ上には箸を。それを見て相手も同じように割り箸をフタの上に。準備万端、タイマーをスタートする。


 もう会話は途切れている。だけど向かい合ってこたつに入ってこたつ台の上にふたつの〝赤いきつね〟。静かに湯気が昇っている。


 なんか、いいな——。たくさん買っておいて良かった——


 突然「いただきまーす」との声と同時にばりばりとフタが剥がされていく。あっけにとられ見ているうちにもう目の前の相手は〝赤いきつね〟の麺を吸っていた。スマホのタイマーに目をやれば3分を15秒ほど過ぎているだけ。タイマーはまだ残りの時を刻んでいる。

「だいじょうぶ⁉」思わず訊いてしまった。〝赤いきつね〟は3分じゃない。

「おいしいね」との明快なお返事。アゲも平然とぱくっとしてる。付け入る隙も無い。

 本当においしそうだ。その食べる様子を見つめている。

 そう言えば……かのカップ焼きそばについて、3分より短めのタイミングでお湯を捨てるのが良い、とする話しがあるのを聞いた事がある。

 小生はあまりに決まり事にがんじがらめにされて生きているのかもしれない——

 

 今度試してみよう。

 

 そう思ったタイミングでタイマーが鳴り始めた。

 

                                                                     (了)

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