第2話 ゴリラ、女神と出会う
支える天井も特になく、繊細な装飾が施された白い柱が無意味に並び立つ、吹き抜けの真っ白なギリシャ風建築の真っ只中で、見目麗しい美女が美女らしからぬ、悪鬼とも狂人とも言えぬ壮絶な表情で光輝く魔方陣の中で踏ん張っていた。
まるで一週間分の便秘と格闘しているかの如きそれは、まごう事なき異世界召喚と呼ばれる行為である。女神の立つ世界とは異なる世界の青少年時々中年や少女などを、女神の居る側の世界へと呼び出し、世界を救ってもらったり、スローライフに耽ってもらったり、美少女だらけのハーレムを築かせてみたり、どういう訳か悪役に転生させてみたり、不慮の事故とか何とかで失われた現実世界での鬱憤を晴らして貰おうとする奇特な儀式である。
無論、この踏ん張る女神も例外ではなく、異世界から呼び出した何者かに混沌とする世界を救ってもらう為に星空のように煌めく黒髪をしとどに濡らし、端正な顔を歪めながらも額に汗してこの世界に勇者(仮)を召喚せんとしていた。
ただ――この女神は残念ながら阿呆なのだ。世界を救う為に異世界から逸材を見出すまではまだいい(実はこの世界にも災禍から世界を救済するにたる人物が元から居る)。問題はこの女神はよりにもよって異世界から召喚する人間の種類の指定を怠っていた。
大抵の場合の異世界召喚というのは、理由は不明ではあるが、日本人の中から選ばれるのが通例である。だが、この女神は人型であるにも関わらず、人類というものに疎く、あろう事か霊長類というガバガバ――つまりは曖昧かつ範囲の広い括りで異世界召喚を決行してしまったのだ。
『どうせ異世界召喚だし、霊長類って指定しとけば何か良い感じの人材くるっしょ!』
おそらく、そんな風な安易な考えで決めてしまったのだろう。
その結果として、大変に不味い異世界召喚が現在進行形で行われようとしていた。
「ふんぬらぁぁぁぁぁぁぁアァァァァァァァァ‼ おっしゃあァァァァァァ‼」
珍獣の鳴き声のような叫びを上げて、女神は異世界の門となる召喚陣に向かって最後の力を振り絞った。彼女の全魔力――この場合は神力だろうか。そんな感じの強力な力が空間の裂け目を切り裂き、広げ、固定していく。太陽のような眩さの光が迸り、召喚陣の中心に収束する。
「おろろろろろろろろろろろろろ…………。…………うえっ」
時が止まったような刹那が訪れ、凄まじい光が途切れた。力を入れ過ぎて盛大に吐瀉してしまった女神は力尽き、膝から崩れ落ちていく。女の子座りで座り込んでしまった彼女が召喚陣の中に見たのは、巨大で力強い
「や、やりましたわおええ~……。ウッ……はあはあ……召喚……完了……です‼」
目が霞む。もう意識を保っているのもやっとだ。
息も切れ切れに女神は残る力を振り絞って目の前の巨影に向かって声をかけた。
「ようこそ……おえッ……この世界……エルドラドへ……。私は女神クローリス……。貴方をエルドラドへ招いた神です……。とり……あえずでずねうおえっ……お名前を……」
口から酸っぱいのを色々と垂れ流しつつも、女神は気丈な笑顔を取り繕う。最早、意地である。世界を救う(予定)勇者の前で、一つの世界の女神としての威厳をなんとしてでも保たねばならぬ。ただその一心のみが彼女を突き動かしているのだ。
「お名前を……」
「ウホッ?」
「はて……ウホ殿と申されるのですか……」
「ウッホッホ」
「えっ、ウッホッホ殿ですか」
はて、何やら様子がおかしい。
そこまできて、漸くクローリスは自分は話しかけている存在について正しく認識した。
力強い両腕。地を突く頑丈な拳。にょきっと突出した後頭部。端正というか、彫りの深い厳つい鼻の穴が大きめな面立ち。全身は黒く細い毛に覆われ、頭部だけが鮮やかに赤みがかっている。多分――いや、間違いなく人間の類ではない。
「何ですか‼ この変な獣は‼ あっああ……気が遠くなってきたぁ……」
ゴリラは憤った。何やらこのピカピカ光っている人間らしき雌は勝手に人(ゴリラ)を呼びつけておいて、勝手に落胆しているようである。理不尽この上ない。
抗議の意味も込めて、ゴリラは不慮の事態に備えて予め用意してあった自らの糞を、頭を抱えている人間(?)の雌に向かって投げつけた。
「ぬわっ⁉ な、何をするのです⁉ ちょ……おやめなさい! その匂い立つ塊を投げるのをおやめなさいったら!」
足下で炸裂するうん――糞に女神は先程までの威厳もへったくれもない姿で逃げ惑う。
「ああっ神殿が‼ マイホームがっ‼ 糞まみれに‼」
ひとしきり威嚇射撃の済んだゴリラは、糞に怯える人間(?)の雌を睨んだ。
「ふええ……もうやめてよう……くさいよう……」
ゲロまみれの上、自宅がかなり香ばしくなってしまった女神は涙目で目の前の獣に懇願した。流石のゴリラもその姿に哀れみを抱いたので、未だ投擲の用意していた糞を放り捨てた。
「ウホウ……」
両手を開いて、これ以上争う意思は無い事を示す。
ゴリラは紳士である。弱者にそれ以上の追い打ちはかけないのだ。
「もう臭いの投げないでね……」
恐る恐る女神はゴリラに近づいていく。そしてゴリラの右腕にちょんと触れると、小動物の如く飛び退き、再びゴリラと距離を取った。
「ようし! これで意思疎通出来ますからね! さっきみたいに武力ではなく、もっと文化的に、話し合いをいたしましょう! …………あのですねえ、とりあえず、話の前にお風呂行ってきていいですか……。ええ、話をする前に全て洗い流してしまいたいのですよ……」
「ウホッ⁉ ……ウッホー」
人間(?)の雌の言っている事が理解出来る事に驚きつつも、ゴリラは素直に頷いた。
「いいですね、大人しくしていて下さいね。柱とか登って壊しちゃダメなんですからね」
口うるさくゴリラに指図してから、女神クローリスは匂い立つ
「ちちんぷいぷい~」
どちらかと言えば、怪我に効き目がありそうな響きの呪文をクローリスが唱えると、神殿にまき散らされていた糞はみるみると消えていった。
「ウホウ……ホウ」
「凄いでしょう? これでも私、女神ですからね! 偉いんですよ!」
「ウッホッホ、ウホッ」
「えー? まあ、出来ますけど。どんなのがいいのです?」
「ウホホ、ウッホウ。ウッホホ」
「長くて、黄色い? ああ……貴方の世界の……。それ、昔食べた事があるような……」
「ウッホイ」
「ふふふ……任せなさい。なぜならぁ! 私! 女神ですからっ!」
鼻高々に叫んだ女神は再び指を振る。ゴリラはそれを期待しながらワクワクと見つめた。
「ちちんぷいぷい~」
「ウッホイエ―」
ゴリラの目の前に見覚えのある、懐かしき色の果実が現われた。房になって連なり、南国の陽気さをそのまま写し取ったようなその果実は所謂――バナナである。
「ウホッホ、ウッホッホーイ」
「そうでしょう、そうでしょう。凄いでしょう! なぜならっ、私っ、女神ですもの‼」
鼻高々の女神はさておき、ゴリラ、大感動である。訳の分からない世界で再び懐かしの果実に出逢えるとは思いもしなかったのだ。丁度、深夜で小腹も空いていた所でもある。
「それでは私はお風呂に行ってきますね」
「ウッホッホー」
上機嫌で神殿の奥に消えていく女神を手を振って見送ってから、ゴリラは召喚陣の描かれた真っ白な床に腰を下ろした。
バナナの皮を剥いて白い果肉を一囓り。甘く蕩けるその味は相も変わらぬ優しさである。
ゆっくりとバナナに舌鼓を打ちながら、ゴリラは吹き抜けの建物の外、清々しいまでに真っ青な空を見上げた。
「ウホ」
それはいつも見ていた空とはどことなく毛色が違った。
確証は無いが、自分が今まで居た場所から遙か遠くに来てしまった気がする。
そしてあの『女神』と名乗る雌。間抜けではあるが、強い力を感じる。
大変な厄介事に巻き込まれてしまったような気がするが、それ以上にゴリラの胸には今までに感じた事のない高揚感が込み上げていた。
まだ見ぬ世界。まだ見ぬ果実。まだ見ぬ強敵――。
考えるだけで胸が高鳴る。ついでにドラミングで本当に鳴らしてみる。
このゴリラ、思いの外冒険好きだったようである。
異世界ゴリラ ~ドラミングは争いにならない為の高度な以下略~ オルガ・イツカ @rindo5104
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