異世界ゴリラ ~ドラミングは争いにならない為の高度な以下略~

オルガ・イツカ

第1話 ゴリラ、異世界に行く

 檻の中で獣は目を覚ました。

 眩しい。とうに日が落ちている時間の筈である。なのに、何故――。

 溢れんばかりの光の源を手探りに探す。同胞達はこんなに眩しいのにも関わらず一頭も起きる気配がなく、すやすやと安らかな寝息を立てている。

 『やれやれ、仕方ないなあ』と、青少年が色々と影響を受けてしまって後から後悔したりしなかったりする挿絵付きの小説に出てくる主人公ばりに肩を竦めて同胞達を見る。自分がやらねば誰がやると鼻息荒くして彼は光源へとにじり寄った。

 光は檻の内側、コンクリート内の地面から発せられていた。近づくと何か模様のようなものが描かれているのが判る。小賢しく、何か意味ありげな模様。

 そう、獣達を檻に押し込めて、何故か食事を毎回与えてくれる毛の無い同族――人間と言われる者達が使っている模様である。

 獣は人間に対して良いとも悪いとも言いがたい印象を抱いている。

 確かに毎日餌を取ってくる必要が無いのは大変ありがたい。だが、あれらは時々、意味不明な行動をする。獣達を檻から出して、のびのびと広い岩場に連れ出してくれる時はにこにこと気持ちが悪いぐらい笑っているのに、人気の無い(この場合はそのままの通りである)所に移動すると途端に笑顔を崩し、人生の儚さや、今後の人生の展望やら、何やら色々する事で得られる対価やらの事を独りごちるのだ。獣達、困惑である。

 腹が減っているのかと思って自分に与えられた餌をしぶしぶ分けてやった事もあるが、世話をしてくれる人間は昏い顔で首を振って『そろそろ結婚してえなあ……』と不可解な鳴き声を発するのみであった。人間社会とはかくも面倒くさいものかと、獣達は酷く同情した。

 それはそれとして、件の問題が置いてけぼりである。地面に描かれている模様の事だ。

 獣は模様を見る。人間の使う文字(と呼ぶらしい)がある一定の法則をもって描かれている(気がする)。そのあまり見た事の無い文字(だよね、多分)を大きな円が二重にぐるっと囲んでいる。その他に様々な幾何学的模様も――実に不可思議な模様である。

 首を傾げつつも、獣はとりあえず、その模様に触れてみる事にした。自然界において、未知のものに接触する事は死に直結する。故に野生の獣というのは警戒心を最大限に高めて、未知へと対峙するのだ。しかしながら、此処は檻の中である。起きがけのせいか、獣の中にあった野生の警戒心とやらも生憎同胞達と一緒におねむのようで――。

 獣は迷いなく模様が描かれた灰色の地面の只中へと飛び込んでいった。


「……? ……………………⁉」


 光が一層輝きを増し、獣を包み込んでいく。周囲の景色は歪み、空間がみしみしと音を立てて捻れている。咄嗟に覚醒した寝ぼけ眼の野生の勘に従って、模様の外に飛び退こうとしたが、時既に遅し。大きなうねりとなった光は獣を完全に呑み込み、此処ではない何処かへと獣を容赦なく押し流していった。

 獣と共に光と模様はかき消え、後には不気味な静寂と青い月明かりのみが残る。

 ふと、獣の同胞の中の一匹が目を覚ました。夢うつつに目を擦りながら、のそのそと身を起こす。ふんわりと感じる違和感。間違え探しの最中のような、何が違っているか具体的には判らないのだけれど、何となくいつもとは違うような違和感を感じる。

 何か――何かおかしい。こう、何か欠けてしまったような。


「…………………………………………?」


 うーんと一頻り悩んでから、獣はぽんっと手を打った。


「ウッホ……? ……ウッホッホ……?(あれ? ……あいついなくね……?)」


 かくて、獣は――。もとい、動物園のニシローランドゴリラ――学名Gorilla gorilla gorillaは我らが世界を離れ、巷で話題の異世界へと旅立ったのであった。

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