第3話 見え方なんて

 あの後すぐにきた救急車におばあさんは運ばれていった。


 どこの病院に運ばれたかを教えてもらって、今日僕はお見舞いに来ている。

 あの日倒れた理由が僕に怒鳴りかけたからかもしれないという後ろめたさを少しでも軽くしたくてここに来た。


 病室のドアに触れる。


 両手のひらにじわりと汗が滲み出す。

 少し胸のあたりがぴりっと痺れた気がした。

 しかし、ここで止まっているわけにもいかない。


 少しシミュレーション。

 ガラガラガラ。

 いや、いきなりドアを開けるな。

 

 ノック忘れないようにしないと。

 深く息を吸い、そのまま脱力し口から空気が出ていくのを感じる。

 よし。

 2回ノックする。


 応答はない。

 まあ入るか。


 正直、ここまで来たのにここで帰ってもいいんじゃないかなんて思ってる自分がいる。

 それでもここまで来たのには理由があった。

 

 おばあさんの本音を。

 あの日途絶えてしまった叫びの続きが気になったのだ。


 ガラガラガラ。


 扉の向こうには果たして、横になったおばあさんがいた。


 寝息は立てていない。こちらに背を向けて横になっている。


 ベッドの脇をまわり正面にいくと、窓の外を睨むように見つめていた。


「何の用だい」

 おばあさんは開口一番にぶっきらぼうに言い放ってきた。


「無事かなと思いまして」


「無事なら入院なんぞしていないよ」

 そのままはあとため息をつくと、

「用がないなら帰ってくれ。助けてくれたことには感謝してるよ。ああ、だからもう帰ってくれ」


「それだけですか」

 少し間をおいて、静かに言った。

 あの日の怒号。途切れてしまったけれど、あれは感謝なんて言葉に含まれるような感情ではなかった。


「僕はあなたの本音を、ここに聞きに来たんです」


 うんざりしたような表情になった。

 それでもおばあさんはあの時のように怒鳴りはしなかった。

 体をいたわって我慢しているような雰囲気だ。

「……帰らないっていうなら、呼ぶよ」

 手は呼び出しボタンに向けられている。


「あなたは持病があって、あの日も病院の帰りだったんですよね」

 ボタンに伸ばそうとしたおばあさんの手が止まる。

 そのまま続けて言う。

「それも、ご家族に負担してもらって。そして、あなたはそれを後ろめたく思っていた。だからあの時」

 ご家族の負担になりながら生きるのが辛くなって、いっそ……と。

事故で亡くなるなら保険もおりる。つまりはそういうことだろう。


「推理ごっこかい。傷心の老人に随分な物言いだね」

 おばあさんは伸ばしかけた手を下ろし、こちらに向き直った。

「で、そこまで知っていて、何をここに求めてきたんだい。あんた、ただ単にお見舞いに来るような人間じゃないだろう」

 きつい物言いだ。どっちが随分な物言いなんだかと内心思いながら、少し頬を柔らかくして口を開こうとした。

 その時。

「その表情だよ。その表情が何より嫌いなんだ。その表情は……」

 そこまで言って何かに思い至ったように言葉を止め、少しの逡巡の後、息を浅く吐いた。

「……その表情が好きじゃないんだよ。だから、もう帰ってくれ」

 

 その悲痛な表情に、躊躇ってしまいそうになった。

 でも。

 ここまで来た理由はなんだったか。

 理由は、そう。

 本音を知りたかったから。

 

 僕は構わず続けた。

「あの坂はそこそこ急です。下りだけならなんとかなるでしょうが、登りも通っているとは考えにくい。ではなぜ、あの坂をあなたは通ったのか。それは」

 うつむいてしまったおばあさんを視界の端に置きながら続ける。

「見えていたからですよね。あの固定の緩んだ空中の鉄骨が」

だから、あの時頑なに僕のことを相手にしなかった。

だから、鉄骨から守られたことがわかった。


 チリリリリリリリリリリリ。

 ベルが鳴りだした。

 気づけばおばあさんがボタンを押していた。


「残念だがね、ここまでだよ。あんたに話す義理はないからね」

 ただ、と付け加えていった。

「あんたに対して感じた不快感はあんたに対してだけ感じたものじゃなかったことを思い出したよ。それだけは礼を言うよ。それじゃあね」

 我儘なガキ。

 なぜか、その言葉を放った彼女の顔からは、すがすがしさが感じられた気がした。


 そのまま、僕は部屋を出て、二度とおばあさんと会うことはなかった。

 気になって時々病室の前まで様子を見に行ったけれど、来客に出くわしたことはほとんどなかった。

 身内も含めて、なかった。


 おばあさんが感じていた後ろめたさは、本当に感じるべき感情で、家族からの疎外感ではなく、ありのままの疎外されている実感だったのかもしれない。


 まあ、今となっては確かめるすべもないのだけれども。


 

 

 見え方なんて、人それぞれだ。

 考え方なんて、人それぞれだ。


 だけど。

 時として、一致するときがある。

 それは時に、幸せの物語になる。

 そして、時には。

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見え方なんて 蒼朔とーち @torchi_1

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