第4話 減るものじゃないのに

 夕暮れの空っ風が吹きすさぶ中、ニドはゼベルとジャンを連れるようなていで道を進んでいた。空は相変わらずの曇天で、時折冷たいものが顔に当たる。

「奉行所の捕方とりかたはちゃんと出張ってきてるんですかい」

 誰にとでも言うことなく、ゼベルがぼそぼそ声で訊いた。

「今頃は番所で最後の算段してる筈よ。六つの鐘を合図に動き出すわ」

「しっかし、姐さんも無茶をする。自分で餌役を買って出るとは」

「だってこんな役、妹たちにはやらせられないでしょ」

「それにしても見事に化けやしたねえ」

 ゼベルの言葉に御高祖おこそ頭巾から覗く紅眼がにっと笑った。藍墨茶あいずみ色の地味だが品の良い上等そうな羽織を着て、一見すると、どこぞの富家の御女中がお忍びで他行してるようにしか見えないが、足ばかりは竹皮草履に剣術使いが履くような印伝染めした鹿革の足袋で固めている。

「あなたたちも似合ってるわよ」

「そいつはべらぼうだ。こんな格好、似合うって言われても、ちっとも嬉しくねえ」

 口振りに反してゼベルが楽しそうに答えた。

 ゼベルもジャンもニドに従う折助に見えるよう、紺の半纏を羽織っている。ゼベルは犬避けの木刀ばかりを帯に差し、ジャンといえば例の重箱を風呂敷で包んで手に提げていた。

 ニドはジャンに眼を向けると、

「どう、大丈夫」

 と声をかけた。

「え、あ、はい。何とか」

 急に訊かれて、口がもたついた。

「ふふ、怖かったら引き返してもいいのよ」

「そんなことねえ。これは寒くて震えてるだけだ」

「あら、頼もしい」

「まあ、ニド姐さんと俺っちに任せとけ。お前えは手筈通り動いてくれりゃあいいのさ」

 ゼベルが励ますように声をかけた。


 やがて三人は、聖エクスダス教会前の坂を上って明地まで来ると、

「こっちよ」

 原っぱに踏み固められてできた道を斜めに歩いた。周囲を見回すと確かに教会が多い。そのうちの一つにニドは足を向けた。

 教会の前まで来て、ゼベルがニドの前に出て声をかけた。

「へい、御免様で」

 教会の雑用人が火の番に寝泊まりする小屋らしく、古い文机や経文の箱が乱雑に積み重ねられている。そこから袷の上に革の胴衣を纏ったオークが、ぬっと姿を見せた。

 暫く三人を順に見下ろしていたが、

「お待ちしてたぜ。庫裏くりに回っておくんない。おっとその前に」

 腰の物はここに置いて行って貰うぜ。そちらのお嬢さんの懐刀ふところがたなも、と分厚い手を出した。二人から木刀と懐剣を受け取ると、

「どうぞごゆっくり」

 無愛想に言って、そのまま小屋に引っ込んでしまった。


 庫裏の中は薄暗い。魚油独特の臭気が鼻についた。奥に、煤の上がる魚油灯ぎょゆとうに照らされて、蹲る人影が幾つか見える。

「よう、こっちだ」

 主らしい人影が手を振るので、

「へい」

 三人はゼベルを先に立てて灯のほうへ進むと、用意された円座に腰を降ろした。

「ようこそ参られた」

 先程、声をかけてきた男が燗酒を手酌しながら言った。

 町医者風に作った背の高い男だ。白髪を垂髪にした役者のような優男だが蛇みたいな目がそれを台無しにしている。薄緑色の道服の下から派手な下小袖が覗いている。用心がいいのか、赤銅あかがね金具で、鞘尻に犬招きの鹿革を結んだ合口拵えの花車きゃしゃな脇差を差している。そいつの他にもエルフが二人、人間が二人の合わせて四人。いずれも町医か算術家のような装束だが、どいつも険しい視線をニドたちに送っている。


 主らしい男は、ゼベルが口上を述べようと身を乗り出すのを手で制すると、

「固っ苦しい挨拶は抜きにしようぜ。俺が口入屋のレイというけちな野郎だ。話は聞いてるぜ。そっちの姉さんかい。妾の口入先の世話をして貰いてえってのは」

「へい、名前はゼルと申しますので」

 すかさずゼベルが答えた。事前に口裏を合わせておいたニドの偽名である。

「頭巾を取ってくれねえか。女の外見そとみが大事な稼業だからな」

 ニドが黙って頭巾を解いた。長い銀髪を結い上げたダークエルフの顔が顕れた。

 男たちの間から、ほうと小さく声が上がった。

「こりゃあ凄まじい美形だ。御内儀の悋気りんきに触れて叩き出されたのも納得だ」

 ニドことゼルは、さる騎士の家の妾をしていたが、主人が夢中になり過ぎ、しかも主人の息子たちとも情交に及んだため、奥方に嫉妬されて追い出されたことになっている。

「うふふ、恐れ入ります」

 ニドが微かに微笑を浮かべた。

 レイは手にした銚子を置いて、古鴉ふるからすに似た笑い声を上げた。

「裸も確かめさせてもらおうか。女を男にあてがう稼業だ。男好きする身体じゃなきゃあならねえのさ。安心しな、指一本触れねえ」

「ここでですかい。そいつはちいっと」

 止めようとしたゼベルを手の仕草で制したニド、すっと立ち上がると、

「ここまで来たからには覚悟は決めております。さあ、御照覧くださいまし」

 ニドが次々着ている着物を脱いでいく。その様を、ジャンは目をこれ以上ないくらい開いて見た。男たちの視線が集まる中、とうとう白い襦袢が足下に落ちる。冷え冷えとした空気の中、ニドは革足袋を除いて生まれたままの姿になった。続いてニドは片足ずつ上げて足袋を脱ぎ、最後にかんざしを抜いた。銀髪が輝く雪崩のように零れ落ち、男たちの間から息を呑む音が漏れた。


 魚油の煙抜きに開いた窓から差し込む冴え冴えとした冬の月に反射して、ニドの肢体は美しかった。ジャンは思考も停止し、呼吸も忘れて、ただニドの裸に魅入られていた。今まで女の裸身を見たことがないわけではなかったが、こんな綺麗な女体は初めてだ。

(女神様だ)

 艶めいた曲線が作り出すニドの姿態を見て、少年はそう思った。ジャンはまだ童貞である。


「いかが」

 長いような短いような沈黙を破って、ニドが口を開いた。

「お、おう」

 レイが気を取り直したように姿勢を戻すと、ぱんと膝を打った。

「こりゃ凄え。ダークエルフにしちゃあ細えが、こりゃあ傾城けいせいだ。妾に出すなんて勿体ねえ。俺の情婦いろに欲しいくれえだ」

「ほほ、恐れ入ります」

「しかしね、聞いてるだろうが、うちは小便組だ。殿方の前で小便できなきゃ、仕事にならなねえよ。どうだい、できるかい」

 ニドはにっと笑うと、三歩程歩んでレイの前に立って、

「ようくご覧なさいまし」

 淫蕩な眼つきでレイを見下ろしながら、脚をやや開いて臍の下辺りに手を置いた。やがて、しゃっと音がして、腿の内側がしとどに濡れ始めた。床が丸く濡れていく。


 ジャンは何を考えていいのかもわからなくなっていた。あのニドさんが、俺の前で生まれたままの姿になって、その上更に、小便まで見せてくれてる。この光景の思い出だけで俺は一生真っ当に生きていけます。ニドさん、有難うございます。脳裏にのみで刻み込むように、ジャンはニドを凝視し続けた。


「ふう」

 ついに、ニドの口から息が漏れ、小便が止まった。

「いかがでございました」

 ニドが嫣然とした口調で訊いた。

「姉さん、度胸も随分と据わってなさるね。こりゃ仕込む手間も省けるってもんだ」

「うふ」

 ニドはにっこり微笑むと、

「ところで」

 閉じた襖のほうを見やった。

「何だい」

「そちらの襖の奥に、人の気配がいたしますが」

「ああ、あれかい」

 レイが顎をしゃくると、手下の一人が立って襖を開けた。

 夜具にくるまった若い女が、埃っぽい床に転がされている。微かに人脂と小便の饐えた臭いが漂ってきた。

「あいつは気にしなくていいんだぜ」

 顔は見えないが、白金色の髪に長い耳、

(エネさんだ)

 ジャンは思わず唾を飲み込んだ。

「奉公先で具合が悪くなったのさ。二、三日預かって、眠り薬と養栄湯をくれてやってる」

 襖を閉めるように手を振ると、レイはニドに向き直った。

「姉さんくらいのぎょくなら、奉公先はより取り見取りだ。直ぐに勤め先を探してやろう。そちらの取り分は支度金三分に月々の給金から四分。奉公構いの手切れ金が取れたら六分はそちらにやろう。精々気張って漏らしてくれ。文句はないね」

「取り分、はて」

「何でえ、不満かえ」

「いえ、取り分についてはこちらのも存念があります」

「ふむ、言ってみな」

「あちらの」

 手を上げて襖を指差し、

「そちらにお休みのエネさんを引き取りとうございます」

「何」

 途端にレイたちが色めき立つ。

「姉さん、どうしてその名を知ってやがる」

「あい、エネさんに懸想したさるお方に頼まれました。聞いてみれば、エネさんと相思相愛のご様子。黙って下げ渡すのなら」

 見得を切るように銀の髪を振り、

「これまでの悪さは目をつむってあげるわ」

「手前ら、黙って帰すと思ってるのけえ」

 レイの押し殺した怒声とともに、男たちが腰を上げて、ニドを遠巻きに取り囲んだ。もう既に、得物を抜いている気の早い奴もいる。


 ゼベルとジャンも立ち上がり、ニドの左右を守るように立った。ふと物音がして振り向くと、雑用小屋にいたオークが、三尺棒を手に入り口を守るように立っている。

「父さん、囲まれてる」

「わかってる、落ち着いて覚悟を決めな」

「そんな」

 ジャンの泣き言を振り払うように、ニドはせせら笑った。

「ふん、女の尿ゆばりを啜って生きてるような連中の癖に、私たちをどうこうできるなんて、本気で思ってるの」

やかましい。そこの薄っ汚ねえゴブリンと餓鬼はばらして、手前てめえは薬漬けにして女郎屋に売り飛ばしてやらあ」

 レイが言い返す。

 ジャンは重箱を抱えて泣きそうになった。向こうは六人いて、全員が得物持ち。こちらは三人で、得物になりそうなものといえば、宴会の余興に使うのが関山せきやまの仕掛け箱一つ。


「やれやれ、都落ちなんだから、もう少し気の利いた台詞が言えないのかしらね」

 ニドは裸の胸を逸らしてすうと息を吸うと、

「火事よう」

 大声で叫んだ。

 すぐに合点がいったゼベルも大声で叫びだした。

「火事だ、火事だぜ」

 きょとんとしているジャンの背をゼベルが叩いた。

「お前えもやらねえか」

 事情も分からぬジャン、恐怖と緊張で思考が停止している。お陰で促されるままにニドとゼベルと一緒に叫びだした。

「火事だ、火事だあ」

「手前えら、何言ってやがる。黙りやがれ」

 レイが合口を握る腕の袖を捲って凄んだ。


 その時、外から大勢の足音が響き、「火事だ、火事だ」の掛け声が聞こえてきた。

「何事だ」

 狼狽える小便組の隙をついて、ゼベルが手近の魚油灯を蹴り倒した。ぱっと橙色の焔が立ち昇る。

「火事だ、火元はここだ」

 ゼベルの叫び声に応えるように、庫裏の薄壁がべりべり音を立てて引き裂かれた。そこに刃挽きの召し捕り刀が差し込まれ、ぐいぐい拡げた裂け目から、捕手を引き連れて捕物装束の男が飛び込んできた。三段の鉢金に鎖籠手を嵌め、足も鉄の脛立だ。従っているのは柄の悪そうな十数名、いずれも足拵えを固め、鉄片を仕込んだ鉢巻きに襷掛け、刃挽の鈍刀を腰にぶち込んでいる。全員が着物の下に鎖を着込んでいるらしく、動くたびに耳障りな音がした。

 鉢金の男は、剃刀みたいな目で室内をめ回すと、

「おう、者ども、火元はここだ。く消し止めよ」

 わざとらしく大音を発した。


「奉行所の旦那様、お助けくださいまし。人攫ひとさらいにございます」

 ニドが闖入者たちに棒読みで叫んだ。

「おうおうおう、火事だの声に教会地とも知らずに飛び込んでみりゃあ、悪党どものかどわかしの現場に行き当たっちまったけえ。教会地とはいえ見過ごす訳にはいかねえ。者ども、さあ、打てや叩けや召し捕れや」

 鉢金男の芝居がかった口上を合図に、

「御用、御用」

 壁の破れ目や玄関口、勝手口からわらわらと奉行所の小者が殺到し、呆然と立ち尽くすレイたちをたちまち縛り上げてしまった。


「助かったわ、ゼッドの旦那」

 脱ぎ散らかした服を掻き寄せたニドが、鉢金男に声を掛けた。

「ニドか。段取りが違うぜえ」

「だって、丸裸にされたのよ。こんな格好で外を走れって言うの」

「怪我はねえか」

「あい、旦那がすぐ来てくれたお陰」

「ふん、古狐め。どうせ二の手三の手も用意してたんだろう」

「うふ」

 ニドがにんまり笑ってゼッドを見上げた。

「兎に角、早く服を着やがれ。目の置き所に困っていけねえ」

 そう言うと、ゼッドは鉄刀を肩に担いでエネのほうへ歩いていった。


 エネの傍では、ゼベルとジャンがしゃがんで心配そうに見下ろしている。

「おう、そっちの具合はどうでえ」

「旦那」

 ゼベルが顔を上げた。

「眠り薬をまされて、眠ってるだけのようで」

「そうかい、大八車を回そう。お前えらも番所まで付き合ってもらうぜ」

「へえ。それは構わねえが」

 ゼベルの考えを察したのか、

「その娘も小便組の一味だからなあ。一応、取り調べは受けてもらわなきゃならねえ」

 鉄刀を鞘に納めながら、

「まあ、安心しな、嫌々やらされてたんだ。ニドが身元を引き受けると言ってるから、遅くとも明日の朝には解き放ちだ。おいらが請け負うから鉄板だ」

「そいつは、有難いことで」

「ところで、この若いのは誰なんだ」

 ゼッドがジャンに顎をしゃくった。

「あっしの倅のジャンでさあ」

「おう、ゼベルの息子のジャンかあ。話には聞いてたが、この齢で大したもんだ」

 笑いながら、ジャンの頭をごしごし撫でた。鎖籠手の痛みに顔をしかめつつ、ジャンは無理矢理に愛想笑いした。



 年も押し詰まった二十五日、メダリスの二百騎町でささやかな婚礼があった。

 店に什器を買いに来たメダリスの屋敷奉公人が、

「可愛い嫁御だったぜえ。御同僚の御賄方衆の、羨ましがること、妬むこと」

 と教えてくれた。

「良かったじゃない」

 たまたま店に遊びに来ていたアマアナが嬉しそうに湯呑の茶を啜った。

「ふん、呑気なもんだ。俺たちは大変だったんだよ」

 アマアナが土産に持ってきた柏餅を口に入れながら、ジャンが憮然な顔をした。

「まあ、誰も怪我なくて良かったじゃねえか」

 ゼベルが店台で帳面を付けながら言った。

「一歩間違えば、危なかったけどね」

「そうけえ、俺は全く心配してなかったぜ」

 そう言って、ゼベルが呵々かかと笑った。

「それにしても、こいつの出番が無かったなあ」

 ゼベルが傍らの重箱を残念そうに撫でた。

「そんなもの、さっさと仕舞ってくれよ」

「うん、そうだな」

 そう答えつつも、ゼベルは悲しい目をして名残惜しそうに撫でている。


「わあ、素敵な重箱」

 それを見たアマアナ、声を上げて身を乗り出した。

「そうだろう、名の通った美術品だぜ」

 ゼベルがぱっと顔満面に喜色を浮かべた。

「やっぱり大店おおだなの嬢ちゃんだ。こいつの価値がわかってるねえ」

「だって、こんな綺麗な重箱、滅多にないもの」

 アマアナが手を伸ばした。

「おい、触るんじゃねえ」

 ジャンが慌てて止めようとしたが、無駄だった。

「何よ、吝嗇けちねえ。減るものじゃないのに」

 アマアナは、せせら笑いながら梨地の蓋を持ち上げた。

 ばふっ。

 一瞬、ジャンの目の前が真っ白い霧で覆われ、狭い店の中に突然、灰神楽はいかぐらが立った。



「お漏らしエルフ顛末記」おしまい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

亜人街 hot-needle @hot-needle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る