第3話 もうその名は捨てたんで

 アマアナが店に飛び込んできたのは、それから三日後のことだった。

「どうしたい。血相変えて」

 肩で息するアマアナを認めて声をかけるジャンに、

「いなくなっちゃったのよう」

 金切り声を上げた。

「何がだい」

 堪らず耳を押さえて訊くジャンに、

「ほら、あれ」

「あれじゃあわからねえよ」

「まあまあ、座って、これでも飲んで落ち着きねえ。お嬢ちゃん」

 ゼベルは流石に女の扱いには諸事手馴れている。アマアナを框に坐らせてから湯呑を差し出した。

 奪い取るように湯呑の白湯を一息に呑み込んだアマアナ、やっと気が静まったのか、ふうと嘆息して、

「エネさんがね、いなくなっちゃったの」

「例の御賄役のお妾さんかい」

 ゼベルがアマアナの顔を覗き込んだ。

「そうなんです、ゼベルさん。行方知れずになっちゃったの」

「そいつは尋常じゃねえな」

 言いながら、ジャンに向かって顎をしゃくった。ジャンも心得たもので、売り物の床几を二つ引いてきた。それに腰を下ろすと、

「お嬢ちゃん、ちゃんと経緯を話してくれないかね」

 軽く笑って優し気にアマアナを促した。丁度、奥で針仕事をしていたガミラもアマアナの声を聞いて何事かとやってきた。


 アマアナが背を伸ばして話し出した。

「はい、実は昨日の昼過ぎ、御賄方のゲイル様のお屋敷に口入屋の人たちがやってきて、宿下りと称して半ば腕尽うでづくにエネさんを引き取っていったそうなんです」

 口入屋から来たという三人は、人が二人にオークが一人。いずれも物腰こそ柔らかかったが、一目で筋の者と知れた。当方の周旋に不手際あってこの娘は引き取らせていただぎます、いや手切れ金は結構でございます、いずれ別の者を寄越させますなどと言い残し、嫌がるエネを強引に引きずっていったという。

「御賄とはいえ、騎士の御屋敷じゃねえか。指をくわえてみすみす好き勝手させたのけえ」

 ゼベルが首を傾け胡散臭げな顔をした。

「丁度、御当主のライリイ様は御城勤めで御不在だったんですって」

 屋敷にいたのはダニアの他には飯炊きの老婆と下僕の老爺の三人だけだった。

「そりゃあ遣り口が手馴れてやがるな」

 ゼベルが腕を組んだ。

「帰ってきて事情を聞いたライリイ様、かみしもも脱がずに中間を連れてレッカ通りの裏店にある口入屋を訪ねたのだけど」

 中はもぬけの殻で誰もいなかったという。


「ライリイ様の気落ちすることったら、まるで御屋敷は火が消えたような沈みっぷりなの」

「白昼堂々と人攫ひとさらいとは穏やかじゃないねえ」

 ガミラが心配そうに呟いた。

「ふむ」

 ゼベルは火打石箱を引き寄せると、煙管に煙草を詰めながら、

「話はだいたいわかってきたぜ。ところで」

 視線を上げてアマアナを見た。

「それで、どうしてうちに来なすった」

「え。だってエネさんを捜して欲しくって」

 ゼベルの顔を真っすぐ見つめて、アマアナが答えた。

「うちに人捜しせいって言うのかい」

 ゼベルの言葉にアマアナがこっくりと頷いた。

「ゼベルさんはこういうことお得意でしょ」

「ちょっ、ちょっと待っとくれ、お嬢さん。うちはただの道具屋だぜ」

 思いがけないアマアナの言葉にゼベルは僅かに動揺した。

「人捜しなら、番所に駆け込むのが筋じゃねえかな」

「はい、私も最初はそう思ったんですけど」

 アマアナは頷いて空の湯呑をもてあそびはじめた。

「知っての通り、目明しなんて小銭を投げるしか能のない阿呆ばっかりだし、御奉行様は困ったら片肌脱いで刺青見せることしか知らないええ格好しいなんですもの」

 アマアナは、どこで教えられたか、公権力に対して驚くほどの偏見を持っていた。

「そんなのに頼むくらいなら、ゼベルさんたちのほうがずっとましだと思って」

「俺はそういうのは素人だぜ」

 アマアナは湯呑から視線を外し、ゼベルとジャンを見据えた。その強い視線にジャンは心の中で狼狽えた。

「駆け落ちした私を二日で捕まえたじゃないですか」

「お前さん、アマアナちゃんもこう言ってるんだ。手伝ってやりなよ」

 ガミラが巨体を揺すって、アマアナに助け舟を出す。

 ゼベルはひとしきり煙管を吹かしていたが、ふいに顔を上げると、

「仕方ねえ。乗りかかった舟だ。探そうじゃないか、そのエルフのお妾さんをよう」

 そう言って一差し吸うと、ふっと煙を吐いた。

「有難うございます」

 それを聞いたアマアナの喜び様といったらなかった。安心したのか、ぱっと笑顔が浮かんだ。

「良かった。断られたらどうしようって思ってたの」

「けどなあ」

 そんなアマアナに水を差すように、ゼベルが言った。

「この話、思ったより底が深そうだ。俺とジャンだけじゃあ役者が足りねえかも知らねえ。あしか亭にも話を持ちかけるぜ」

 アマアナの笑顔が止まった。

「まあ心配しなさんな。悪いようにはしねえ積りだ」



「ああ、それ知ってるわ。『小便妾』でしょ」

 あしか亭の二階の六畳間で、一通り話を聞いたニドは、火鉢に手をかざしながら言った。

 寒がりなのか、墨染の綿入れを引っ掛けた婆臭い恰好で背を丸めている。

「今、都で大流行おおはやりなんですって。ついにこの街にも現れたみたいねえ」

「不思議な名だ。何です、そいつは」

 ゼベルが神妙な面持ちで訊いた。

「平たく言えば口入くにゅうの騙りね」

 ニドが詰まらなそうに紫煙を吐いた。

「最近は御定法ごじょうほうで奉公人の扱いも難しくなってるでしょ。口入屋も実入りが減ってるのよ。そこで馬鹿なことを考える奴も出てきたの」

 口入屋の旨味は、月々奉公人から受け取る額よりも、支度金のぴんをねることにある。

「美形の娘を大家たいけに世話するのよ」

 丁度お嬢さんみたいなのをね、と金細工の煙管の火口をアマアナに向けた。

 喜んでいいのかわからず、アマアナが微妙な顔をした。

美女びんじょを世話すれば、支度金がどんと出るの」

「そりゃあ、そうでしょうねえ」

しばらくすると、この妾はとぎの床でお小水を漏らすの」

 それも一度や二度ではない。

「主人が、これはたまらぬ、って愛想尽かしするまで続けるのよ。引き取ってくれって言ってきたら、幾許いくばくかの手切れ金を取って、また次の奉公先に転売するの。これが小便妾よ」

「儲かって笑いが止まらねえですな」

「都じゃ『小便組』とか、もっと上品に『御手水おちょうず組』って呼ぶそうよ。あちらじゃ御公儀が取り締まりに動き出したから、こっちに流れてきたのかしら」


「じゃあ、エネさんもその小便妾なんですね」

 ジャンが窺うように訊いた。

「ええ、そうでしょうね。でも」

 ニドが渋茶を啜って喉を湿らせ、

「アマアナちゃんのお話を聞いた限りじゃあ、エネさん、嫌々やらされてるみたいねえ。きっと、よりによって旦那さんがエネさんのお小水を気に入っちゃって、しかもエネさんも旦那さんに惚れちゃって帰ってこないから、慌てて引き取りにきたんだわ」

「じゃあ、エネさん、もしかしたら折檻されてるかも」

 アマアナが顔を曇らせた。

「手間をかけて仕込んだ大事な商売道具だから、手荒なことはされてないと思うけど」

 ニドは灰吹きを煙管の火口で叩くと、

「まず、エネさんの居場所を探さないとね」

「当てはあるんですかい」

 ゼベルが問うた。

「実はね、似たような手口の噂が幾つか私の耳にも届いてるの。連中、手荒く稼いでるみたい。そうねえ、二日か三日待って頂戴。何かあったらこっちから報せるわ」

 そう言って、ニドはにっと笑った。



 ニドが揺ら揺らと店にやって来たのは、次の日の昼も過ぎた八つのことだった。

 板間で出された茶を呷って一息ついたニドは、ゼベルとガミラとジャンを前にして、

「案外早く鞘が割れたわよ。あ、お茶を御馳走様」

 と言って、ため息を一つくれた。

「あいつら、荒稼ぎしてて、随分と嫉み妬みを買ってたようね」

「と言いますと」

「フウバの元締に話をしたらすぐわかったわ」

「フウバの、ええっ、まさかあのクライスさんで」

 ゼベルは腰を抜かんさばかりに驚いた。

 フウバ屋のクライスといえば、トランドでも十指に数えられた口入くにゅう屋の元締である。主に中町を中心に活動する地味な顔役だが、メダリス辺りの貧乏騎士にも軒並み小金を貸している。朱引きのぎりぎり、シャプラの近辺で小博打を打っている小普請どもも、クライスの名を聞けば震え上がる。

「フウバの親分にも顔が利くとは、流石はニドさんだ」

「やめてよ、ただの気のいいお爺ちゃんよ」

「それで、どうなりました」

「小便組の大将の名はレイ。私が見立てた通り、都から流れてきたエルフだったわ。デューンの辺りに本宅構えてるけど、そこには戻らず、カウベル辺りを転々としてるみたい。今は丁度、聖エクスダス教会の門前にいるわ」

 フウバ屋の連中は、こういう手合いについては手慣れている。追手をつけると同時に近辺の縁ある者へ連絡を飛ばして簡単に居所を探り当ててしまう。町奉行は外せてもトランドの口入屋からは逃げられぬ、と裏稼業の者から恐れられた闇の監視組織が動いている。


「エクスダスの御門前ですかい。そいつは厄介な場所に逃げ込みやがった」

 ゼベルが唸り声を上げた。

「そうなのよねえ」

 合いの手を入れるようにニドは溜息をついた。

 この辺りは教会が多い。一年前、近所の騎士アルタス・バックスという者が悩乱し、家人や通行人を次々斬ってここらに逃げ込んだ。その際、奉行所の小者が教会地に無断で踏み込んだため、後で随分と問題になった。手入れの悪い教会は、どこまでが町屋で、どこから境内なのか、地理不案内な者には皆目見当もつかない。

「それで、どうするんですかい。まさか、フウバ屋の若い衆が殴り込みをかけるなんてことに」

「そんな物騒な真似するわけないでしょ。確かにメダリスはフウバ屋の縄張りで、元締も目障りに思ってるみたいだけどね。それでね、穏便に済ませるからって請け負ってきちゃった」

「で、どうするんで」

「奉行所に密告して連中を一網打尽。その隙にエネさんを救い出すのよ」

「そいつは」

 簡単に言ってくれるとゼベルは難しい顔をした。

「御存じでしょう。あすこは奉行所も簡単には立ち入れねえ」

「大丈夫、近くに明地あけちがあるのよ。そこまで連中をおびき出せば」

 後は御用提灯を掲げた捕手が十重二十重に取り囲む手筈よ、とニドは澄ました顔で二杯目の茶に手を伸ばした。


「それで、どうやって誘き出すんで」

「明日の夜、連中に新しい小便妾を買ってくれって持ち掛けるの。それで、商談してる最中に隙を見てエネさんを助け出すのよ」

「それは結構ですが、誰がやるんですかい」

「決まってるじゃない、私たちよ」

「へ、どういうことで」

 ニドの紅眼が僅かに開いた。意外という顔でゼベルらを見回すと、

「私と、あなたたちに決まってるじゃない」

「ちょっと待ってくれ。いくら何でもそりゃあ無体ってもんだ」

 ゼベルが周章あわてて両手を振った。

「そんな荒事に俺たち一家を巻き込まねえでくれ」

「何言ってるのよ。そっちが持ち込んできた話よ」

 ニドは眉を顰めてちょっと呆れた顔をする。

「そりゃあそうだが」

 ゼベルが首を傾けて腕を組んだ。

「何を気弱なこと言ってるのよ。『斑蛇まだらへび』のゼベルと呼ばれた男が」

 え、何それ、そんなの聞いてない。ジャンが目を丸くして考え込む父親を見た。ゼベルの背から不穏な気が立ち上ってるかのように感じた。

「もうその名は捨てたんで。二度とその名を出さないでくだせえ」

 ジャンが今まで聞いたことがないような低く冷え冷えとした声だった。

「それに、こいつには血い見せたくねえんで」

 ジャンは今まで見たことがなかった父親の姿に狼狽した。

「心配しないで。刃傷沙汰になんかならないわ。それに、早くしないとエネさんは別の奉公先に売り飛ばされちゃうわよ」

 短い沈黙の後、ようやくくゼベルが腕を解いた。

「仕方ねえ。今回はこちらからお頼みした話だ。でも、こういうのはこれっきりにしてくださいね」

 ガミラに振り向くと、

「おう、俺はちいっとニドさんと段取りを詰める。お前えらは店のほうを頼むぜ」

 いつもの軽々とした口調で言った。

「あいよ」

 ガミラは納得いかない顔をするジャンを引っ張るようにして、部屋を出て行った。



「母さん」

 見世間でジャンはやっと口を開いた。

「さっき、ニドさんが言ってた斑蛇ってのは」

 ガミラがさっとジャンを抱き締めて言葉の続きを遮った。

「いいんだ。忘れな」

「どういうことだい」

 苦しい息の下でジャンが言った。

「人生ってのは何事も経験だとか寝言を言ってる輩もいるけど」

 母親の声が微かに震えている。

「世の中、知らないままにしといたほうがいいことなんて、幾らでもあるんだよ」

 そう言って両の腕に力を込め、ジャンは危うく失神しかけた。



 その夜、小便に立ったジャンは、小さな灯明の下で何事かごそごそしているゼベルに気づいた。

「父さん、何やってるんだい」

「おう、ジャンか。小便か」

「うん」

 ゼベルの隣に坐ると。

「何だい、それ」

 ゼベルの手許を覗き込んだ。蒔絵の重箱だ。梨地ないじに銀散らし、御所車が高蒔絵で描かれている。

「こいつか、『ハネスの重箱』ってえいう代物よ」

 ゼベルは玩具をもてあそぶ童子のように楽しそうな顔をした。

「古そうだね」

「おうよ、四代国王マリウス様の頃の作だといわれてる」

「へえ」

「ただの重箱じゃねえぞ。こいつを作らせたのは、サンダン州五万石のハネス・クーガーという御方だ。当時、王城表座敷を取り仕切る申次衆の中に、えらく意地の悪い奴がいてな。気に入らねえ諸侯が登城してくると、上屋敷から届けられた弁当のおかずを食っちまって、『あの殿様の重箱には米しか入っとらん。なんと吝嗇なことか』と吹聴しやがるのさ。恥をかかされた殿様は帰ってから家来を叱るわ悔し涙を流すわだが、やり込めようにも相手は国王近侍の御直参、容易なことじゃ歯が立たねえ。それを伝え聞いた名君ハネス公、一計を案じて本領から一人の細工師を呼び寄せた。その細工師が三七、二十一日精進の末に作り上げたのがこれでえ」

「へえ」

 ジャンはただ驚くしかない。

「底が二重になっててな。中に饂飩うどん粉と唐辛子粉がぎっしり詰まってるのさ。開けるときは横の御所車の金具を指でこう押してひねるんだ。そうしねいでそのまま蓋を取ると、粉が勢いよく噴き出す仕掛けだ」

「まるで玉手箱だね」

「うむ、伝えられた話によると、城中鏡開き折、ハネス公はその悪い申次人の御用部屋にこれを置いて開かせ、見事そいつのつらを真っ白けの鏡餅にして諸侯の意地を見せたってことだ」

「よくわからねえけど、大層なもんなんだね」

 いったいそんな怪態けったいなものをどうしようというのか。まさか、これを提げてエネさん救出に行くのか。ジャンは頭が痛くなった。

「こいつは今度の仕事の切り札だ」

 ゼベルが真面目くさった顔で言った。

「ふうん」

 ごねても無駄なことはよくわかっている。ジャンは渋々返事をした。

「エネさんは凄え別嬪さんらしいぞ。楽しみだな。お前えもさっさと寝な。明日は忙しくなるぜえ」

 そう言って、ゼベルはにたりと気味悪く笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る