次の停車駅は、成増になります。
平野 航
第9話 TJ1 池袋駅 鉄球くん
<前話の連想の発端>
北池袋駅(前身東武堀ノ内駅)は第二次大戦時東京大空襲で駅舎が焼け、消滅、さらに昭和22年に廃止の憂き目に見舞われました。しかし、4年の後、見事に復活しています。
僕は鉄球。5㎝程の鋼鉄のボールです。今、静謐な太陽系宇宙空間を秒速数十万㎞程のスピードでゆるいカーブを描きながら飛んでいます。あぁ冷んやりとして気持ちいい。
宇宙では意外にいろいろなことが起こります。星が爆発したり、ぶつかったり、スピードや向きが変わったりします。太陽系は天の川銀河の星々の一つだけど、銀河が他の銀河と衝突して合体したり、他の銀河を弾き飛ばしてしまうことだってあります。もっとも、その一つ一つが何万年、何億年、何千億年に一回くらいしか起こらないので、実際は普段はいたって静かな毎日なのです。僕はその音のない空間を遠くに本当にたくさんの星の光を眺めながら飛んでいます。
あ、ごめんなさい。飛んでると言っても、僕自身は何もしていません。広大な宇宙に描かれた目に見えない軌道を猛スピードに身を任せているだけ。楽ちんで時には眠くなってしまうのが本当のところ。もっとも遥か彼方にあるのだけれどとてつもなく巨大な星から引力を受けたり、そこから放出されている何か、ほんのわずかだけれどそんなものがぶつかってくることがあって、軌道やスピードは影響を受けてる。それは自分でもわかる。でもそれは自分ではどうにもできないと思う。自分が受ける外からの力を使ったり、遮断したりして自分の進みたい方向に役立てる、コントロールする、そんなことはできないと思う。だから、身を任せているだけ。なんか残念だけど、楽ちん、楽ちん、とても快適な飛行です。
そんな毎日、今日も右手に赤く輝く星とそのすぐそばに小さなブルーの星が光るのをきれいだなぁと思いながらウトウトとしていました。と、その時、
「鉄球!鉄球!聞こえるか」
自分の名前を呼ばれた気がしました。ふっと我に返ると、
「鉄球!」
また声が聞こえます。
「誰?何?」
鉄球はその声に応えようとしますがどうやっていいのかわかりません。今だ嘗てそんな声が聞こえたことはなかったからです。
「鉄球!鉄球!聞こえているならよく聞け。返事をする方法を言う。それは、言いたい相手と言いたいこと、それだけを強く考えるんだ。他の事は一切忘れて、誰に何を伝えたいのか、それだけを何度も何度も考える。そうすればそれが相手に伝わるんだ。やってみろ」
「誰…誰…誰?僕の名前を呼んだのは」
鉄球は言われた通りにやってみました。初めは赤やブルーの星のことが頭を横切りましたが、何度も試すうちにもう頭の中は聞きたい疑問のことだけになっていきました。
「ようし。鉄球、できたな。時間がないからよく聞いてほしい。鉄球、おまえには一族がいる。全部で16。皆似たような鉄の玉だ。俺はその1人。これから俺はおまえにぶつかる。このままだとお前は岩の星に衝突して消滅するからだ。俺がおまえにぶつかっておまえの軌道を大きく変える。ちょっと手荒いが、おまえを助けるには今はその方法しかない。とにかく時間がない。わかったら、はいとだけ言うんだ」
「はい」
実は鉄球は一体何のことか、そもそも一族の1人とは何なのかさっぱりわかりませんでした。でも、そう答えました。
左手から自分と同じような鉄のボールが近づいてきたその瞬間、全身に激痛が走りました。見えていた赤い星とブルーの星は視界のどこかへ飛んでいってしまいました。鉄球は飛行コースを大きく変えたのです。体当たりをした一族の1人はもうかなたに飛び去り、一つの点になっていました。
「鉄球、聞こえるか。大丈夫か。たぶんうまくいったと思う」
「うん。すごく痛かったけど大丈夫」
鉄球の右手には岩の星が見えていました。体当たりがなかったら、自分がぶつかっていた星です。大きな星だったので、自分はあとかたもなく飲み込まれていたところです。
「今、岩の星を追い越してる。ありがとう」
鉄球は少しだけいつもの落ち着いた心を取り戻したせいか、涙がこみあげていました。
「そうか、良かった。じゃ、元気でな。またどこかで会おう。鉄球!」
「ちょっと待って。一つだけ聞きたい事がある。僕に体当たりして救ってくれたのは偶然?たまたまそのコースに飛んでいたの?」
「いや、偶然じゃない。俺は鉄球が岩の星にぶつかるのを知って、鉄球に体当たりするように自分でコースを変えた」
「えっ?そんなことできるの?」
「できる」
「どうやって…」
「悪いが教えられない。教わることじゃないんだ。自分の身体で学びとることなんだ。鉄球、おまえももう大人だ。そのことを疑問に思ったのならもうじきわかるはずだ。この宇宙は危険が一杯ある。それがわからないと俺たちは生きていけない。じゃ、元気でな。頑張れよ」
鉄球は、ふぅんと思いました。そして、体当たりをして救ってくれた一族に改めて、ありがとう、と心の中で呟きました。鉄球は涙を溢れるままにこぼしながら、ようし、絶対軌道を自分の意思のままに変える方法を体得してやる、と強く思ったのでした。
鉄球を救った一族の体当たりが、鉄球を変えたことがもう一つありました。岩の星に激突して飲み込まれてしまうことから防いだ軌道変化で、鉄球の軌道が太陽系を出ることになったことです。いよいよその時が来た、と言えばそうかもしれませんが、太陽系を出ることは、もう星も何もないさらに広い広い宇宙空間を旅して、別の輝く星に到達することを意味します。それは今までとは全く違った世界のはずです。道中に何が待っているのか、想像すらできません。いくら不安でも、自分の飛行軌道を自らの意思で変えることのできない今の鉄球に選択の余地はありませんでした。
今まで鉄球が飛んでいた太陽系内には、太陽はじめ水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星といった数々の惑星がありました。水星は水色の光で、金星は金色の輝きで、地球は青と緑、火星は赤、木星は包み込むやさしい光と大きな身体で、土星は輪をキラキラさせて鉄球を励まし見送ってくれました。さらにいくつかの惑星には月があって、くるくると回るその姿はまるで鉄球に手を振っているようでした。
そうした、今まで鉄球の力となっていたものはもう何もない系外の空間、これから鉄球はその中を今までの何倍も何千倍も何億倍もの距離を飛んでいくのです。鉄球は乗り切っていける、いや、乗り切っていかなければいけない、と強く決心していたので、逆にワクワクする気持ちで胸を高鳴らせていました。自分を助けるために大急ぎで体当たりしてくれた一族の行動とその時の激痛がそうさせたのかもしれません。
太陽は急速に遠�く小さくなっていきました。地球も火星ももう見えなくなっていました。でも軌道を自分の意思で変える方法、鉄球にはその技を身につける糸口すら掴めていませんでした。
土星にかわって前方右手よりに天王星が近づいています。鉄球は天王星が自分を引っ張る力を感じていました。それにつれてスピードも上がり、コースも幾分か右を向いているようです。
「この力はわかるんだ」
鉄球は呟きました。
「でも力は外から身体に満遍なくかかっているから、自分でコントロールすることは…無理だなぁ…」
力むのだろうか。念じるのだろうか。鉄球は試してみました。でも飛行コースはこれっぽっちも変わりません。鉄球は太陽から飛んでくるエネルギーの存在も知っていました。時折鉄球の身体にピシッピシッと当たるのを感じるからです。でもそのエネルギーを自分の意思に合うような方向に使うことはできません。エネルギーは入ってきたのと反対の方向に鉄球の身体に少しだけ感触を残してスッと抜けていってしまいます。
「思い通りに軌道を変える力にはならないんだ…」
鉄球が思案するうち、天王星は後ろへと遠ざかります。そして、今度は鉄球を引っ張ってブレーキを掛けます。
「この力…この力もきっと何かで使うはずなんだけど、これだけじゃぁなぁ。そもそもコントロールできないのは同じだしなぁ」
行く手に海王星が大分大きく見えてきました。鉄球はその海王星のブルーあまりにも透明な気高い美しさを放っているので、見ているとなんだか自分だけが取り残されてしまう錯覚に陥ってしまいました。
「僕にはわからないのかもしれない…」
鉄球は助けてくれた一族に話を聞いてもらいたくなりました。ちょっと弱音をはきたい気持ちです。でも鉄球は自制しました。
「教わることではないと言われたし、わからないからって…恥ずかしいや。…それなら他の一族に聞いて見ようか。いやいや、同じことだ」
鉄球は淋しい気持ちで飛んでいました。
「そう言えば体当たりをして助けてくれたあの一族はあの時大丈夫だったんだろうか。僕と同じぐらいの衝撃を受けたはずだけど…」
その時鉄球の左側がふわっとしました。
「あれ?眩暈かな?」
「多分、相当に痛かっただろうなぁ」
またふわっとしました。
「眩暈じゃない。何だろう、この感覚」
鉄球は何かとても穏やかな気持ちで過ぎ行く海王星に別れを告げました。
「僕たちの一族は全部で16。�助けてくれた一族と自分を引くと残り14。皆どこを飛んでいるのかなぁ。元気なのかなぁ。僕みたいに他の星に飲み込まれてしまうような危険な人はいないのかなぁ。会ってみたいなぁ」
鉄球はそんな風に考えました。
ふわっ、ふわっ。そして、加速していきます。太陽からのエネルギーがピシッ、ピシッと当たった後ただ通り抜けてしまわずに、鉄球の身体を動かす力となっていることがわかりました。鉄球は深呼吸をして心をもっと広く深く持とうとしました。鉄球の身体はもっともっと加速していきます。今度は心の半分を閉じてみました。コースは閉じた方に曲がります。
行く手に冥王星が近づいてきました。冥王星はわき腹に白い大きなハートマークがあるのが特徴です。鉄球の眼前に大きくハートが広がりました。
「ハート。そうか、心だ。わかった!他の星からの力を感じて、心の翼を広げて飛ぶんだ。自分の意思通りに」
そうです。何かに対する思いやりは鉄球の心に翼を広げます。その心の翼を使って、空間を飛び交うたくさんの星々から放たれるエネルギーや引力をコントロールして、飛ぶスピードと方向を定めるのでした。
冥王星のハートマークの真ん前を飛びながら鉄球は何度も何度も試しました。まだぎこちなさはありましたが、確かに鉄球は、右と思えば右に、左と思えば左に飛び方を変えることができました。速くすることも遅くすることもできました。
「うれしい!わかった。早速一族に言おう。いや、まて。系外に出てからにしよう。もう一つの決心とともに話そう。その方がカッコいい」
コースを自らの意思でコントロールする方法を身につけた鉄球は太陽系に留まることもできたはずです。一瞬はそのことが鉄球の頭を掠めました。でも忽ち消えてしまいます。決心のうち一方を成し遂げた鉄球の好奇心はもう誰にもとめることはできません。
心の翼を思いっきり広げて目一杯に加速しながら、鉄球は勇躍未だ見ぬ系外目指して飛んで行きました。
鉄球は順調に飛行していました。そして、体当たりしてくれた一族に呼びかけ、あの時のお礼を言った後、飛行コースをコントロールする方法がわかったこと、あの後そのまま系外を目指して飛び、今はもう太陽系の外を飛んでいることを話しました。
「そうか、鉄球。すごいな。俺も助けた手前、うれしい。あの時はああするしかなかったんだが、おまえを系外へ弾き飛ばすことになったのは後から知った。心配していたんだ。それから、一族の話なんだが、俺とおまえの他に14。話しかけることもできるから、鉄球も話してみるといいよ。実は元は一つだったらしい。恐らく何回かの衝突でその都度割れて、今は16になってるんだと思うから、いつか一つに集まることが一族の夢だな。だからお互い命だけは大切に。一つに戻ろうとした時、そこが欠けていると元通りにならないからな。鉄球、じゃ、くれぐれも気をつけて、系外、他の星の世界を見てこい。応援している。本当に宇宙は�広いから。鉄球。また会おうなぁ、今度は一緒に飛ぼうなぁ。元気でなぁ」
鉄球は溢れる涙をそのままに、さらにさらに加速してひゅうと飛んで行きました。
次の停車駅は、成増になります。 平野 航 @w_hirano
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