第2話
スラリと背の高い和服美人が1人。
駅の前に佇んでいた。
すっかりと寒い大気に手をしきりに擦り合わせて、
実際には合っていない目を勘違いした、若い男が頬を染め、数秒紫薫を見つめて、そして紫薫が見ていないことに気づくと気恥ずかしげにそそくさと去っていく。
そんな男女の姿が片手では数えられなくなった頃、駅のロータリーの車寄せに1台の高級車が止まった。
洗練された動作で運転手が降りて、綺麗で真っ白な手袋で車の扉を開いた。
そこには案の定、
「やあ。お呼びだてしてすまなかったね。
この車は少し幅が大きいから、しのぶさんの家の前まで行けなくてね。
申し訳ない。」
そう言って刻哉は紫薫の白魚のような手を取った。
手の甲はつるりとしていているが、手のひらは微かにかさついていた。
水仕事をしているためだ。
そんな彼の手のひらを、かすかに指の腹でなぞってから、
今度ハンドクリームでも送ってみようかと、かの美人の気を引くために頭の片隅で贈り物の算段をつけていた。
車内に乗り込むと、未だはなされない握られた手をそっと見ると、紫薫はこっそりとため息をついた。
彼に期間限定の恋人になってくれと言われたのはつい先日。
紫薫は正直気乗りしなかった。
元々控えめで地味な性格をている紫薫には到底考えもつかない行動だった。
初めて恋焦がれ深く愛した男を亡くした今も思い続け、他に目がいかないほどに。
愛情深く、不器用な、紫薫には。
しかし彼に酷く似ている姿で頼まれてしまえば、紫薫は強く出れなかった。
酷く憂鬱で、幸せなことも辛いことも、前触れもなく思い出される。
それ故に、愛する人の面影を色濃く残す彼が苦手だった。
けれどそれは私の勝手な気持ちで、彼には関係の無いこと。
嫌だと思うのは、我儘だ。
苦手で、切ないけれど、でも、それでも、あの人の似姿で少し似た声で低くく、名を呼ばれると、どこか寂しい気持ちがほんの少し薄れる気持ちもあった。
彼の面影をなぞって、まるでパズルのピースをはめるかのように、同じところ、違うところを探すようにしてしまう自分が酷く滑稽で、情けなかった。
私は最悪なことをしていると、自己嫌悪すらした。
そう、まるで、まるで
代替品を探すみたいに…
嗚呼、情けない…
さみしい気持ちを紛らわせるためだけに彼を使うなんて…
最低だ…酷いやつだ…
酷く虚しい…あの人ではないのに…
これは冒涜だ。愛する人への冒涜だ…
代わりなんて居ないのだと気づくだけだけだ。
仄暗い感情が芽生えては、何度も打ち消した。
こんなにも寂しく辛いなら代わりにしてしまえと何度も心が囁かれるままに傾きそうになる。
それでも彼は違うのだ。
やっぱり違うのだと気づいて虚しいだけなのだった。
「あの…どこへ?」
刻哉の趣味なのか、スイングジャズが耳にうるさくない程度にかかった車内にぽつりと問う紫薫の声は不思議とよく通った。
決して高くはない声だけれど、低くもない穏やかな紫薫の声音を左馬刻は良く褒めた。
気づいたらあらゆることをほめてくれる人だった。
彼とすごした年月は決して短くは無く、愛おしい記憶は多すぎた。
いっそ記憶の中で生きて行けたらいいのに。
目を瞑ればすぐ側にあの人はいるのに、目を開けると、あの人はもう居ない。
片割れを失った世界は酷く生きづらい。
それでも鈍感になって、ただ日々を過ごそうと思っていた矢先、酷く思い出させる存在が目の前に現れてしまったのだ。
「あなたの洋服を買いに。
浴衣姿のあなたも、着物姿のあなたも素敵ですが、洋服を個人的に送りたかったので。」
刻哉はまるで現世に残る
容姿が整ってスタイルの良い紫薫には似合っているが、紫薫が着るにはいくらか渋いその柄は明らかに父のものだった。
手に光る控えめなシルバーのダイヤモンドの指輪も、帯に挟まる扇子も父が送ったものだと分かる。
父は良い物嗜好の人だった。
父のセンスはよく、そして何より、死んでもなお彼のそばに父が居るみたいだった。
父は本当に彼を大切にしていたらしかった。
有名なブランドできらきらしく飾らせてはいないが、控えめな装飾品は全て質がよく、見る人が見れば明らかに高く良いものだとわかる。
上品で嫋やかな紫薫の良さを活かしていた。
我が父ながらよく分かっているじゃないか。
色濃く残る父の残滓に、刻哉は妬いた。
私も彼に何かを送りたいと。
対抗する気持ちだった。
いくつかのブティックを回って歩いた。
真剣な眼差しでオートクチュールのスーツをオーダーする刻哉をみた。
左馬刻もまた、こうやって時たま紫薫を連れ出して、いくつか物を送った。
そんな姿が酷く被った。
本当に似ている。
ただ、買い物に連れ出されて、彼に振り回されているほんの少しの間、彼のいない現実を忘れられていた。
不思議と楽しかった。
私はほんの少しの間だけでも、ちゃんと彼自身をみて居られたのだと思った。
けれども直ぐに現実に戻ってしまった。
それでも、前ほど苦手意識は薄らいでいた。
「ありがとう。刻哉くん。」
頑なだった心のどこかがほんの少し解けたようだった。
そうやって、あの人の残滓の糸を手繰り寄せて、抱きこんで沈みゆくのではなく、軽く握りながら少しずつ前へ進めることがあるのだろうかと、少しだけ明確な未来の姿が見えた気がした。
漠然と色の褪せた毎日を過ごしていた紫薫の世界に、一瞬だけでも色が灯った気がした。
それでも愛おしい記憶は瞼の裏に、はっきりと写って、今はまだ記憶と共に沈んで。
愛した男の息子【BL】 嘉伊 @kaikiiroitori
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