アレンバルシアの聖女
聖王国アレンバルシアにはどんな病も怪我も総てを治す聖女がいる。ただし、聖女は気難しく、よほど気に入った相手でなければその癒しの力を施さないという。
「きっと聖女様なら治す事が出来る。気に入られたらな」
神官兵が半分焼け爛れた私の顔を見ながら嘲笑的に言う。少なくとも10年以上は聖女様が気に入って治したという話はないらしい。
クリシュト公爵家の一人娘である私はトリニスタンの王子、イシュアの婚約者だった。
だが、今は婚約破棄され公爵家からも勘当され、身分も何もない、ただの平民の女だ。
私は王子の不興を買い婚約破棄された。それだけでなく鞭打ちの刑を受けた。それは事故であったが、執行人の鞭が当たり松明が倒れ、私の顔を焼いた。一命は取り留めたものの顔の右半分は醜く焼け爛れ、右目は視力を失った。背中にも鞭打ちの痕が痛々しく残っている。
神官兵に案内され聖女がいるという神殿に来たが、そこは神殿というよりも神殿跡、という様な廃墟だ。元は立派な建物だったのかも知れないがあちこちが崩れ、蔦のようなものが全体を覆っている。庭園だったらしき場所は雑草やらよくわからない植物で覆われ道も辛うじて石畳跡があるだけだ。
神のご加護を、と言い残し神官兵はそそくさと帰ってしまった。こんな所に本当に聖女様がいるのか?また私は騙されているのではないか?という疑念が頭をよぎる。
イシュアに婚約破棄されたのは私が王子のお気に入りの侍女、タニアに毒を盛ったからだ…という事になっている。
婚約者である私を差し置いてタニアを連れ回し、あまつさえ王家主催のパーティーにパートナーとして選んだ。それは悔しくて惨めな扱いだった。タニアが憎くて仕方なかった。だが私は毒など盛っていない。
なのに、私が毒を入れたのを見ただの毒を購入した証拠があるだの、身に覚えのない事で陥れられたのだ。人を疑いたくもなってしまう。
中庭であったであろう場所を抜けて神殿の扉に手をかける。押したら壊れてしまいそうだがギギギッと嫌な音を立てて扉は開く。
中は、思ったより普通だ。神殿の外観と比べて普通の教会の様な造りで、ちゃんとした長椅子や祭壇もあり決して新しくも立派でもないがちょっとした礼拝堂のようだ。中央には聖王国の教会なら必ずある女神ルシエンターシャの像が奉られている。
「なんだ?客か?」
ぶっきらぼうに何処からか女性の声がする。聖女様なのだろうか?
不意に机の下から黒い影が起き上がり、白い神官ローブを纏った女性が目の前に現れた。
「せ、聖女様であられますか?」
思ったより若く見える。何十年もの間、聖女と崇められていると聞いたが歳は私と変わらないか、もっと若そうに見える。聖女の力なのだろうか?纏うローブと変わらぬほど白い肌、黄金の髪、神秘的なエメラルドの瞳。美しい。これほどの美人はこれまで見た事ないほどだ。
「まあ、聖女とは呼ばれているな」
雑巾を絞りながらニコリと笑う。机の下から出て来たのは床掃除してたのか?聖女様が?
「わ、私はラシス申します…聖女様は難しい怪我も治せると伺いお願いがあり参りました…」
絞った雑巾をバケツに掘り込み、まじまじと聖女様が私の顔を見て来る。
「ふうん?確かに酷い火傷の痕だ。右目も見えてないね?処置の仕方も雑だったんだね、もっと綺麗にできたものを…」
確かに火傷の手当も殆どなく、生死を彷徨った。傷をみたらわかるものなのか。でも…。
「いえ、治して欲しいのは私ではないのです」
「ほう?」
聖女様が目をまるくし、興味深そうな眼差しを向ける。
「私は…罰を受け見ての通り酷い有様ですが、そんな私を憐れんで助けて頂いた方がいるのです…」
それがトリニスタンの第二王子、アルドラ様だ。火傷で生死を彷徨った私がなんとか一命を取り止めたのもアルドラ様が婚約破棄された私を憐れみ手を回してくれたからだ。
それだけではなく、家を追い出され、行き場のない私を侍女として雇って頂いた。私が今、まだ生きてられるのは間違いなくアルドラ様のお陰だ。
「そのアルドラ様が…重症を追い、歩けなくなってしまわれたのです。それを治して頂けないでしょうか?」
「ふうん。てっきり自分の火傷を治すためかと思っていたが。主人のためにとは中々見上げたもんだ。いいだろう、気に入った」
「そ、それでは!」
「ただし、条件がある。次の満月の夜にアンタとそのアルドラとか言うヤツと、二人だけでラスタルティ山の頂上に来るんだ」
ラスタルティ山。この大陸で2番目に高い山で恐ろしい魔物も住んでいるという?
「ふ、二人だけですか?」
「そうだ、2人だけだ。他に誰かいたらこの話は無かった事にさせてもらう」
「わ、わかりました。な、なんとしても行きます」
とは言えアルドラ様は第二王子だ。二人だけで山頂に行かせて貰えるだろうか?仮に連れて行けたとして歩けないアルドラ様を私が支えて行けるのか?次の満月まで7日しかない。だが何としてもアルドラ様を治したい。
————4日後。
「まだ満月まで3日あるが?」
再び崩れそうな神殿を訪れた私に聖女様が言う。
「お初にお目にかかります、聖女様。私はトリニスタンの第二王子アルドラと申します。見ての通り不自由な身体のため礼を欠く事をお許し下さい」
銀髪を短くなびかせ、端正な顔つき、本来なら美丈夫であろうがその頬は痩せ、左目は斬り傷の跡が痛々しく、右足は義足であるため左手で杖をついている。まだ肌寒いため服装は厚着だが、露出した右腕には深い傷跡があり、麻痺して動かない。
アルドラ様は第二王子ではあるが、後継者には第一王子のイシュアではなくアルドラ様を推す声が多い。国王様は第一王子イシュアを後継と示しているがアルドラ様を恐れたイシュアがアルドラ様を暗殺しようとしたのだ。
辛うじて一命はとりとめたものの、アルドラ様は右足を失い腕も麻痺して継承争いは絶望的になってしまった。
「丁寧な挨拶痛み入る。私はレイトリット。聖女と呼ばれてはいるが、単なる一介の神官だ、気になさるな。だが治療は3日後の満月、ラスタルティでと伝えたはずだが?」
「申し訳ございません、聖女様。見ての通り、アルドラ様は身体が不自由で私一人ではとてもアルドラ様を連れて山へは参れませぬ。そこで、聖女様と3人であればと早めに参りました所存です」
これは賭けだ。山に登れ、というならば聖女様も自ら山へ登るという事だ。正直私一人ではアルドラ様を連れて登るのは不可能だろう。だが聖女様と3人であればあるいは…。
「なるほどな、二人では山登りは難しいと思い私を巻き込んできたか!」
聖女様が険しい顔になる。怒らせてしまったか…?
「フフ…フフフッいいだろう!部屋を用意してやる!面白い。お前、面白いぞラシス!」
どうやら上手くいったようだ、アルドラ様と顔を見合わせ胸を撫で下ろす。無理を言って説得し、お忍びで国をでた甲斐があった。
「しかし、部屋をとは?今から出発せねば山頂にまで間に合わないのでは?」
アルドラ様の疑問はもっともだ。ラスタルティ山まではここアレンバルシアからは馬車で1日、屈強な兵士ですら登山には2日はかかるだろう。
「案ずるな、任せておけ。当日までゆっくり休んでおくがいい。ここまでの道もさぞ疲れたであろうからな」
確かに隣国とは言えトリニスタンからは2日はかかる。アレンバルシアまでは馬車を休まず飛ばしてきた。疲れてはいるが…。
「ラシス、ここまで来たんだ。聖女様を信じよう」
アルドラ様が言うのであれば私は従うまで。
そして満月当日。
「さあ!それではいざ!ラスタルティ山へ出発と行こうか!」
外は既にくらく、夕日も落ちている。もう満月は今夜だ。聖女様を信じてはいるが、どういう事だろうか?
「今から転移魔法にて山頂へ向かう。ホントなら私一人で行くつもりだったから儀式に1時間もかからないんだが3人になるとね。半日はかかる。昼から魔法陣を引いたからさあ、その陣の上へ」
転移…魔法?見ると、机が片付けられた礼拝堂の床に何やらよくわからない文字列が書かれた円陣がほんのり光を帯びている。
アルドラ様を支えて陣の上に立つ。続いて聖女様も陣に入ったと思うと何やら呪文を唱える。
眩い光が床に書かれた陣から溢れ、光が全身を包んだ。かと思えばいきなり景色が変わる。
気づくとそこはさっきまでの神殿内とは異なり急に寒さを感じる。吐く息は白くなり息苦しい。満月の明かりが照らし出す景色は眼下に雲が広がり、切間から森林が見渡せる。
「さて。山頂だ」
どうやら…ラスタルティ山頂の様だ。聖女様というのはこんな転移魔法まで使えるのか。
「そ、それではここでアルドラ様の治療を?」
「ああ、これから始め…」
「待ってくれ!」
急にアルドラ様が声をあげる。
「私は…いい、ラシスの顔と身体を…治してやってくれないか?」
「な、何をアルドラ様!?」
「私は第二王子でありながら兄に暗殺されかけてこんな身体になってしまった。例え今治して頂いてもまたいつ兄イシュアに狙われて命を落とすかわからない。ならばいっそ、まだ未来もあるラシスを…治してやって欲しい」
私が私の傷を治すためなら私一人でいい、わざわざ危険を犯し城を抜け出したのに何故ご自分でなく私を?ご自分の傷を治すために同行されたのでは?
「ラシス、君があまりにも必死に頼むからここまで来たが…私が君を引き取ったのは君を…愛していたからだ。以前から君の事が好きだった。でも兄の婚約者であり、君の事は諦めていた。でもこんな事になるなんて。だから君は、君だけでも幸せになって欲しい」
「ですが、このままではアルドラ様は!」
またイシュアに狙われるかも知れない。現状、アルドラ様を支援する貴族は減ったがまだ完全に力を削がれた訳ではない。
「いいんだ。私は。ラシス、君にはまだ未来がある。君だけでも、幸せになってほしいんだ」
そんな、そんな事……
「あー。二人とも、何か盛り上がっているが…」
聖女様が不意に呆れたように言う。
「なぜどちらかだけで話を進めてんだ。ここまで来たら二人とも治すつもりだよ?」
「「えっ」」
アルドラ様と同時に顔を見合わせる。こんな山頂まで二人で来いと厳しい条件まで出されてる、まさかそんな都合よく二人とも治療してもらえるとは思っていなかった!
「ほ、本当に二人ともよろしいんですか!」
「ここまで来た、ここに来るのが重要なんだ、さあ始めよう。そのままでいい、楽にしていてくれ」
聖女様はそう言うとまた呪文を唱え出す。すると地面が、草木が光出す。いや、草木だけでなく、山全体が光を帯び、それが糸状に聖女様にゆっくりと集まり今度は聖女様の身体が光に包まれ、手をかざす。
次の瞬間、光が私とアルドラ様に移り身体中が熱に包まれていく。熱い!
「さあ、終わりだ」
聖女様の声でアルドラ様をみる。すると、義足は崩れ去り、しっかりと生身の両足で地面に立っている!
「う、動く、腕が!足も…元通りに!」
よかった。本当に治ったんだ。
「ラシス…君も…君も治ってるよ!ああ、綺麗だ!跡形もない!美しい顔だ!」
言われて頬を触る。焼け爛れ引き攣っていた皮膚ではなく、綺麗な肌だ。そっと開けた右目も…見えている。ふとそこで気づく。何とはわからないが景色に違和感を覚える。
「気付いたかい?」
私が違和感を感じた事を察して聖女様が指先す。そう、さっきまでの山々や木々が形が変わっている。まるで大きな球体にえぐられたように地形ごと変わり、山の形が大きく変化している。
「あんたら二人を治すのに、これだけの力がいるのさ」
アルドラ様と二人で変わってしまった地形を見渡す。それは月明かりしかなく暗くてもわかるほどだ。数km先まで岩肌が続いている。
「ここに呼び出した理由の一つがこれだ。人の身体を治すには膨大な大地の力が必要で、見ての通り欠損した身体を治すほどだとこの規模の力が要る。街中でやればどうなるか…わかるな?」
聖女様の神殿が廃墟の様な理由はこれか。おそらく軽度な治療であっても少しづつ、周囲から力を取り込みその結果神殿がぼろぼろに崩れていったんだ。
「もう一つ。二人だけで来てもらったのはこの力を…治療法をなるべく知られたくないからだ。いくら大陸一高いラスタルティの山と言え、何人、何十人と治療したら山そのものが無くなってしまうからな…」
なるほど確かに、決して無償で治る力ではない。大自然の力と引き換えに治療するのだ、それでも治るとなれば人は皆容赦なく自然を蹂躙するだろう。あまり拡めていい力ではない。知れ渡ればあちこちの国が聖女様を狙うだろう。聖女様が気難しく、患者を選ぶという理由もこれによるものか。
「それでも私たちを治してくれたんですね。何とお礼をすれば…」
「私が治すのは心動かされた時だけだ。自らも重症でありながらお互いを治して欲しいと言う献身、山まで来いと言われ私を利用する機転、君たちの行動が私を動かしたんだ。礼と言うならば、法で定められた治療費でよい」
国は治療費が高くなり過ぎないよう法で医療費を定めている。だが法定治療費ではとてもあり得ない治療を受けたのに、それでは…
「何にせよ、治療は終わりだ。二人とも、幸せになれよ」
そう言うと来た時と同じように転移魔法を唱え、3人は一瞬で神殿に戻った。
————数年後。
「聞いたか?トリニスタンの王が代替わりしたらしい」
「へえ、あそこは後継者争いが激しくあまり近寄りたくない国だったがこれで少しは落ち着いてくれるな」
「そうだな、新しい王様は中々優秀で疲弊した国を上手く立て直してるらしい」
「ほう、ならば上手く商売が出来るかも知れないな、行ってみようかね。ちなみに新しい王様は何ていうんだい?」
「なんて言ったかな…?」
「アルドラだよ」
「こ、これは聖女様!」
「新しい王様はアルドラ、王妃様はラシスだね。これからはあの国はきっとよくなるよ」
「聖女様のお墨付きなら間違いねえ!乗り込もう、トリニスタン国へ!」
聖王国アレンバルシアには聖女がいる。
空を仰ぎ、聖女と呼ばれる魔女、レイトリット・ローズは二人の幸せを心から祝うのであった—————。
魔女たちのエトセトラ(仮) アキ @aki_aki1125
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