第3話


        八


 孫が生まれたのは、退職する前だったか、後だったか、よく思い出せない。どこかの病院で、生まれるのに立ち会った気がする。

 孫は女の子だったような気がする。確か、遊びに来たときは、そうだ小学校四年生だった。はじめて会ったときのレナにそっくりだった。目が大きく、まつげがすごく長い。鼻はすこし上を向いている。口は小さいのに、唇はすごく厚かった。髪の毛は、少し茶色がかっていて、ウェーブがかかっていた。ワンピースがすごく似合っていて、脚が長く、四年生なのに大人のような体型をしていた。

 レナと一緒に迎えたはずなのに、そのときのレナを思い出せない。孫の名前は……、そうだレナだ。いや、そんなはずはないか。娘の名前は……、思い出せない。結婚した相手の姓になったはずだけれど、それも忘れてしまった。僕の名前はなんだ。深水だ。深水ふかみ伸吾しんごだ。

 

        九


「四分経過しました」

 モニター画像は、ほとんどの領域で活動が急速に衰えていることを示していた。

 ここからはもう医師のすることはない。AIが酸素濃度も、脳内血流量も、記憶領域の磁場強度もコントロールする。CLOMⅡの脳内時計コントロールも終了だ。

「オキシトシン0・03ミリ注入されました」


        十


 僕は、窓辺の椅子に座り、外の景色を見ている。ああ、ここは東京ではない。僕の実家だ。帰ってきたんだ。向かいの細谷さんの家の窓が見える。あそこはケイ君の部屋だ。僕より二歳上だから、中学二年生。それにしても、疲れた。でも心地よい疲れだ。もう立ち上がりたくない。どうやってここに戻ってきたんだろう。もう、やるべき事は全てやった。悔いはない。そうか、死ぬときには、今までの思い出が、フラッシュバックすると聞いたことがある。そろそろ、ということか。ああ、父と母がいる。僕が小学生の時と同じ姿だ。年をとっていない。不思議だ。それにしても……幸福な……人生だった……。


        十一


「脳波A3、C1停止。B12停止……A1停止…全て停止しました」

「人工心肺自動停止しました」

「深水伸吾、処置終了確認。終了時刻二〇二九年九月二八日午前一時五六分。処置時間五分十二秒」

 迅速に周囲の装置や医療器具が撤去される。医師の神崎ミウは、手術着を脱ぐと、隣室からガラス越しに見ていた両親の元に向った。両親ともに落ち着いていたが、母親は下を向いて涙をぬぐっていた、父親が肩に手を回している。今、十二歳の一人息子を亡くしたのだ。事故で内蔵損傷が激しく、助かる見込みはなかった。

「伸吾君は、もうすぐここに運ばれます。どうぞお別れの言葉を掛けてください。最後の表情はご覧になりましたか」

「もちろんです。どんな思いが浮かんだのかは知ることができませんが、幸福感に満たされた顔をしていたと思います。会員に登録しておいて本当によかった。ありがとうございました」

 父親が静かに頭を下げると、母親も一緒に頭を下げた。


       一二


 ミウは処置室から戻ると、シャワーを浴び、着替えをして休憩室に入った。

 深水伸吾はもう霊安室に移動しただろう。十二歳は、父の会社が開発したCLOMの利用対象の下限年齢だった。ミウとしては、三例目に当たる。

 言うまでもなく、死は不平等だ。一定時間の生存が保証されているわけではない。

 CLOMは、仮想寿命を与える装置だ。つまり、いかなる年齢で死亡しても、八十歳を越える年齢まで生きたという記憶をその人に想起させる。

 記憶を注入するわけではない。その人の生きた人生の記憶を、外部で作り上げるのは空想次元のこと。百年後、二百年後ならいざしらず、現在では到底不可能なことだ。

 CLOMの使用そのものは、医療行為ではない。治療するものでも、延命させるものでも、安楽死をもたらすものでもない。 しかし、死亡後に行う処置だから、医師の死亡判定が必要だ。しかも、装置の装着は死亡診断の前に実施する必要がある。私が医師になったのはそのためだ。

 死の直前に、今までの人生がフラッシュバックする、ということはよく聞くことだが、科学的な根拠はない。死者にその状況を聞くことはできないし、そもそも死亡時にそのようなデータを取ること自体が難しいだろう。だが、それがヒントになったことは確かだ。

 父は、医師ではなく、脳科学者だった。記憶と時間の研究をしていた。我々は、AというエピソードとBというエピソードの生起した順番をどのようにして記憶するのだろうか。海馬の神経回路に、エピソード記憶へのタイムスタンプ機能があることは知られていた。タイムスタンプは時計のように厳密なものではないし、日時が記録されるものでもない。進化の過程にカレンダーがあった訳ではないのだ。だから誤差の範囲が広く、時として、どちらが先に起きたことか分からなくなることがある。しかし、必要不可欠な機能だ。

 父の考えは単純だった。今亡くなる人を救えないのなら、その人の主観の中だけでも延命させたい、ということだ。いかにすれば、亡くなった後の人生を創りだして、それを思い出として振り返ることができるのか。

 それが海馬神経のタイムスタンプの変更だった。父は、幾つかの複雑な経路の中から、海馬に、砂時計のように、時間を追って蓄積していく物質があることを発見した。タイムスタンプを刻む元になる生物時計である。

 これを増量してやれば、生物学的に数年あるいは数十年経過したと脳は判断するようになる。するとどういうことが生じるのか。二十歳の人の海馬タイムスタンプを、六十歳に変更したとする。最も考えられることは、つじつまを合わせるために、四〇年間を記憶喪失として過ごしたと認識することだ。つまり、その人にとっては、四〇年前までの記憶しかなく、それ以降は、記憶を喪失して何も覚えていない、ということになる。

 しかし、父には、そうならないという確信のようなものがあった。脳には補正機能がある。

 人の脳への処置ができるCLOMの完成まで八年かかった。その間に私は医師になり、父の研究の最大の協力者になった。

 人を使っての実験は許されないため、自分が被験者となる他はない。タイムスタンプの変更は可能だが、問題は、年単位の誤差が生じるという事だった。つまり、四〇年の時間経過を意図しても、四十二年の主観時間経過になる恐れがあるのだ。さらに、元に戻すため、蓄積物質を分解する過程では誤差がもっと大きくなる。分解される量の推定が難しいためだ。

 二年前の実験結果は、父の予想通りだった。実験時、父は六十二歳だったが、タイムスタンプはほぼ七十歳に変更された。CLOMは、多幸感をもたらす脳内物質をコントロールする。七十歳となった父の八年間は脳が疑似記憶を生成して補い、空白にはならなかった。

 私が結婚し、孫が誕生し、そしてその孫が幼稚園に入学するという、幸福なエピソードの幾つかが創作されたのだ。もちろん、作り出された私の夫の氏名、履歴、性格が細かく創作されるわけではない。孫の入学する幼稚園も現実のものでなくてよい。そのような詳細さは、過去の回想としては、それほど重要なものではないことが分かった。例えば、自分の部屋の本棚の『景色』を思い浮かべることは簡単だ。そのために、一冊一冊の本の題名や置いてある場所を覚えておく必要はない。創られるエピソードも、それと同じこと。詳細がなくても、『景色』として成立する。

 父は元に戻る処置で、二年程の誤差が生じ、タイムスタンプが六十歳になった。すると、父は、すでに起こった二年間を未来予知のように錯覚したのだ。それは徐々に調整され、回復していったが、生体に用いることは、脳にひどい混乱をもたらすことが分かった。父は生体への使用を禁じた。この装置は、死後にのみ使用される。

 心肺が停止し、瞳孔反射が消失しても、思考をつかさどる大脳皮質の細胞が機能を失うまで数分の時間がある。その時間差を使って、海馬のタイムスタンプを変更する。すると、脳細胞は、自分たちの完全死まで、疑似人生のエピソードを創作し続けるのだ。

 その人生は、その人の記憶をもとに創られる。十二歳を下限としたのはそのためだ。二歳の幼児に八〇年の人生を想起させることはやるべきではない。

 CLOMの改良型のCLOMⅡは脳の活動時間を五分まで延ばすことができた。しかし、その効果を語ることができるのは、再び戻ることができない人達だ。父はこれを『信じるしかない装置』と呼んだ。もちろん、インチキ機械、詐欺との非難があがった。死者への冒涜という声もあった。

父は言った。

死化粧エンゼルケアを、亡くなった人への冒涜とか、インチキとか言う人はいない。むしろ死者への尊厳の表れだ。CLOMは、消えゆく意識へのエンゼルケアだ。それを望み、信じる者だけに施せばいい』

 その遺志を継ぐのが私だ。

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レナの思い出 嘉太神 ウイ @momizi2067

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