第2話


      三


「一分が経過しました」

 CLOMⅡの画像は、神経伝達物質の放出を感知して映像化する。前頭連合野D21とC5及び側頭葉F12が理想値の九十二パーセントを示している。順調だ。

「全てのバイタルサイン良好です」

「デセロプシン濃度が十二パーセント低下しています」

「よし、デセロプシン0・05ミリ追加投与」


       四


 高校時代は、部活に明け暮れていた気がする。僕は地元の高校に、レナは仙台の私立女子校に進んだ。僕の高校は、大学進学率八〇パーセント。でも、有名大学に進学するのは毎年一人か二人だ。

 美術部では、地元の展覧会に幾つか作品を出したけれど、入選したことはなかった。油絵をやる部員は少なく、ほとんどが映像表現を選択する。VFXを使った短編映画やCGアニメーション、さらにプロジェクションマッピングの効果を生かした作品展示もある。美術部の部屋には、様々なパソコンや動画撮影機器、照明、クロマキー合成に使われるブルースクリーンなどがあり、まるで小さな撮影所のようだった。

 僕はその片隅で、ひとり黙々と絵を描いていた。小学校三年生から、父親に教えてもらって油絵を始めた。その年齢で油絵は、珍しかったと思う。でも、まさか高校の美術部で、油絵が珍しくなるとは思わなかった。

 レナとは時々メールをしていた。レナは高校生になると、さらにきれいになった。

ときどき、一緒に仙台に遊びに行ったけれど、電車の中では、みんながレナを見ているのが分かった。僕は、すごく気分が良かった。このころは、動画配信で大人気の神谷かみやミライのような顔とスタイルになっていた。

 同じ高校に進んだ小学校からの友人も僕も、まるで子供の顔で変わりなかった。だから、レナと一緒に歩くと、まるでお姉さんと一緒の小学生のようだった。僕は馬鹿にされないように、一生懸命勉強して、有名大学に進学しようと思った。

 その結果、僕は、東京大学に合格した。赤門をくぐり、あの安田講堂を見たときは、感激した。レナは東京の早稲田大学に入学した。新学期、僕たちは、早稲田大学の大隈講堂の前で待ち合わせをした。

 レナはもはや女優の佐倉さくらユウのようだった。なんというファッションか分からなかったけれど、白いブレザーのような服に、身体にピタッとした黒いパンツを履いていた。髪は肩まででゆるくウェーブしている。

「まった?」

「いいえ、今来たばかり」

 僕たちは並んで歩き出した。

 渋谷にできた、新しいビル「ポコウェーブ」に行った。今までの四角張ったビルではなく、葛飾北斎の波をイメージした、曲線の多い建物だ。僕が小学校五年生の時に完成し、盛んにテレビ番組で紹介されていた。その建物の前にいる。まだ新しく、レポーターが必ず紹介する、音楽に合わせて踊る噴水の小径を歩く。ほんとうにテレビのとおりだ。

 中は、どうなっていただろう。ピカピカキラキラしている光と大勢の客、そして広大な吹き抜け空間しか覚えていない。一カ所だけ覚えているのは、これも必ずテレビで紹介される「サザンロック」という店だ。流行の「グリーンスープ」を一緒に飲んだ。抹茶をベースにした不思議な味の飲み物。スープという名前がついているけれど、ストローで飲む冷たい飲み物だ。これも小学校六年生のときテレビで見たものだ。味は思い出せない。でも、こんなところにレナと一緒に来ることができるなんて、夢のようだと思った。

 その後も、六本木のカレーの店「サカレート」、有楽町のかき氷店「ビスカ」、晴海埠頭の三〇〇円寿司「深海」を食べ歩いた。そしてディズニーリゾートの新しいアトラクション「トロイ」に一緒に乗った。全部、評価の高い有名なところだった。東京が初めての僕たちは、まずはみんなが行くところに行ってみるしかなかった。

 そして、瞬く間に卒業を迎えた。

 僕は、霞ヶ関にある、TBGという放送局に就職した。有名人にも多く会えたと思うが、その記憶はあまりない。ディレクターとしてバラエティー番組の収録が多かった。それも海外が多く、各国の珍しい食べ物や風習を、女優のリポーターとともに巡るものだった。

 有名な場所は、もはや珍しさはなく、名前も知らない国や街、はてはジャングルや砂漠など、秘境といわれるところの取材が多かったような気がする。

 レナは、違う局のアナウンサーになった。

 噂にならないように、なるべく会うことは避けるようにした。おもにメールのやり取りをしていたはずだ。どんなやり取りをしたか、もう昔の事で、忘れてしまった。きっとそれほどたいした内容ではなかったと思う。それよりもメールをしている事が嬉しかったのだ。

 お互いに、忙しかったけれど、仕事の悩みなどを相談し合う中で、自然に結婚の話が具体化していったと思う。

 結婚式は、芸能人が数多く式をあげるカプリホテルで行った。招待客は三〇〇人程度だったと思う。レナがアナウンサーなので、司会は人気の鵜飼アナウンサーだ。随分長く人気を保っている。僕が小学生の時から知っているのだから。でもちっとも年をとらない若々しい顔だった。レナのウェディングドレス姿は、グラビアモデルのようにきれいだった。

 新婚旅行はフィジー島だった。案内書の水上コテージの写真を見て、一発で決めた。

 部屋から海に飛び込むことができ、しかもその水はエメラルド色で、海底の砂に映る小さな波の影が、ゆらゆらと目に優しい。レナの水着姿は美しく、僕が撮影同行した海外取材の女優より素敵だった。


       五


「血中酸素濃度が八パーセント低下しました」

「フェニルエチルアミン一五パーセント増、ドーパミン二一パーセント増です」

「吸入酸素濃度を一〇パーセント増やして」

 患者は、いま、幸福感に包まれているだろう。残された時間は、三分三十秒だ。


        六


 住まいは、月島の高層マンションに決めた。あたりには、同じような高層マンションが建ち並んでいるが、ここは最も高額だ。以前、ある芸能人の住まいとして、紹介されたこともある。もちろん、どのマンションかは伏せられていて、室内の紹介だけだった。でも、外の景色が一瞬映ったので、およその見当がついた人もいただろう。しかし、階数までは分からないし、そもそもこの建物に侵入することは一般人にはできっこない。

 しばらくして、女の子が生まれた。仕事はますます忙しくなり、小学校に入学したときも、参観日も、運動会も、学校に行くことができなかった。その代り、レナが仕事を辞め、子供の面倒を見ることになった。僕は、小学校も、中学校も一度もいったことがなかった。

 高等学校は、私立の進学校を選んで受験した。幸い合格し、寄宿舎にも入ることができた。このころ、仕事が忙しく、家も空けがちだったので、子供との想い出はほとんどない。

 子供は、早稲田大学に進んだ。家から通学できないこともないが、一人暮らしの方がいいと、小さなマンションを借りた。仲違いしているわけではないが、僕はそこを一度も訪れたことはない。

 仕事は、ずっと順調で、相変わらず、ディレクターとして海外を飛び回る毎日だった。失敗は一度もなく、視聴率も変わらなかった。女優さんも、同じで、取材先も変わらない。あまりにいろいろな国に行ったので、いつ、何処に行ったのか、もう覚えていない。

 おそらく、私が海外に行っているときだろう、娘が結婚した。レナがすべてやってくれたと思う。相手は、娘の勤務先の上司だったはずだが……。

 娘の勤務先は何処だったろうか。いつの間に卒業して、どこに就職したのか、思い出せない。でも、一流企業で、銀座というところに会社があったはずだ。


      七


「三分経過です」

 あきらかに、前頭連合野D21とC5の機能が低下していた。側頭葉F6はほとんど活動していない。思ったより早く活動のピークが過ぎたようだ。

「フェニルエチルアミン平均値、ドーパミンも平均値まで下がりました」

「フェニルエチルアミン十五ミリ投与。それから……エンドルフィン0・2ミリ投与」

 AIは、脳活性剤キブドリンの0・03ミリ投与も推奨していたが、むしろ前頭葉G23領域の磁場による活性のほうが即効性がある。選択肢の二番目だ。こうなると、学習がまだ十分でないAIの判断よりも、自分の経験と勘に頼るしかない。


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