スーパー奇譚

 ちい子が雁木通りを駆け抜けて駅にたどり着くのにそう時間はかからなかった。

陸上部だけあってちっとも息は上がっていない。マスクをずらしてふうと長い息をひとつつくとちい子は駅舎を見回した。


 いつもなら列車待ちの高校生がちらほら立っている軒先はがらんとしていて、ベンチには吹き込んだ雪がぱらぱらと積もっていた。特に誰かを探しているわけではないけれど、なんとなくちい子は人恋しかった。

 右に曲がればスーパーのゲームコーナーやフードコートに誰かいるかもしれない。雁木通りをちょっと戻って左に折れれば家に着く。いつもなら家に帰って弟であるいっくんの世話をするところだが、今日に限ってその気は起きなかった。


 コートの肩に積もった雪をぱっぱっと払ってスーパーに入ると冷たい外気との気温差で頬がじんわりと熱くなった。


「誰も、いないのか……」


 ちい子はスーパーの入り口すぐにあるゲームコーナーを覗いてみた。しかし、人っこ一人いない。プリクラの通りも、UFOキャッチャーの通りも、格闘ゲームの通りもただただ客寄せの音楽が無機質に鳴り響いているだけだった。


「まあいっか」


 元々ゲームコーナーに寄りつくような同級生とは与しない性格のちい子にとってそれは些細なことでしかなかった。


「こんなとこ誰かいたところでどうせロクな奴じゃないし」


 と、ちい子はゲームコーナーから視線を外して歩みを進めた。


「ここもか……」


 いつもなら焼きそばやたこ焼きのソースの匂いがふわっとして、中高生の嬌声が聞こえてくるはずのフードコートだが、今日は閑古鳥が鳴いていた。半分くらいの座席がテーブルの上にさかさに置かれ、今日になってから全く汚れていないように見えるフロアを清掃員がせっせとモップがけをしている。


「コロナってのはそんなに大ごとなの……?」


 ちい子は変わり果てたフードコートを半ば信じられない面持ちで眺めていた。すると、それに気づいた清掃員がちい子に向かってツカツカと歩み寄ってきた。

「こんなとこにいたらコロナになっちゃうよ!ホラあんたも帰った帰った!」


 突然なことにちい子はギョッとして2、3歩後退りした。

「あんた十中生じっちゅうせいでしょ、先生から何も言われてないの?まだこんなとこに寄りつくつもりかい!」

 ちい子はその剣幕にただただ圧倒される。


「いつもここでぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん喚き散らしてる子たちの一味でしょ!落としたお菓子は片付けないこぼしたジュースは拭かない!どれだけほかのお客さんの迷惑になってるか分かってるの⁉︎」


「い、いや……わ、わたしは……」


「そんでもってこの緊急事態になってもまだうろつこうなんて、あたしゃ許さないよ!」

「わ、わたしは……」

「中学校に電話しとくから覚悟なさい!少なくとも冬休み期間中は十中生このスーパー出入り禁止にしてあげるから!」

「わたしは……」

 ヒステリックに怒鳴る清掃員のおばさんを前にちい子はしばし狼狽えたが、忘れかけていた負けん気がむくむくと首をもたげ始める。なんでわたしだけこんな理不尽なことを聞かされなくてはならないのか。ちい子のマスクの中は怒りと悔しさで沸騰しそうなほど熱くなっていた。

「私は私はってなによ?文句でもあるの⁉︎だいたいあんたたちがだらしないからこんなことになるのよ!コロナなんてどうしようもない若者への天罰だわ!私たちの若い頃はこんなところで……」


「わたしは‼︎」


 マスクを引きちぎらんばかりの勢いで外し、フードコート中に響き渡るような声でちい子は叫んだ。


「い、いつもここでぎゃんぎゃんなんか喚き散らしていません!」


ちい子は涙と怒りを押し殺しながらも毅然とした態度でもう一度叫んだ。


「失礼します!」


そう言うとちい子は清掃員の前から逃げるように一心不乱に駆け出した。


 清掃員はちい子による思いもよらない突然の感情の発露にしばし呆気に取られていたが

「名前を言いなさい!あんた!先生に言いつけてあげるわ!名前を言えー!」

 と、ちい子の背中に怒声を浴びせかけるだけで精一杯だった。

「い、いまに見てなさい……」

 


 ちい子はスーパーの端っこにある女子トイレの個室に駆け込んだ。勢いよく鍵を閉め、ドアに手をつきながらはあはあと息を整えると目頭が熱くなった。本当ならこの場でもう一度、今度はうんと汚い言葉を叫びたかったが、声にならない声を奥歯で噛み殺して便座へとしゃがみ込んだ。


「ど、どうしてわたしばっかり……」


俯いた顔から涙がこぼれ落ちた

 思えば朝から不運続きだ。「いこいのひろば」は閉鎖され、清掃員のくそばばあには怒鳴られ、今はトイレでひとり泣いている。悔しさとも、怒りとも、悲しみとも似つかない感情。あるいはその全てが胸の底でごったまぜになり、赤黒い毒となって全身を巡っている。頬は炎のように熱く心拍も高鳴っているのに、両手両足は死んでしまったかのように冷たい。


「スーパーなんかに来なきゃよかったんだ……」

 

 見ず知らずの人間といっくんを比較して、前者に会うのを選んでスーパーに来たんだと思うと途端に弟に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今回の清掃員とのトラブルも弟を見捨てた罰なのではないかという自責の念にも駆られる。


 ちい子は家でひとり寂しく待っている弟のいっくんのことを想像した。危ないから居間に置いてある石油ストーブには触らないようにって言ってあるけど、起きる前から雪が降るしばれる寒さだ、家の暖房器具はこたつだけという状況に耐えきれなくてつけてしまうかもしれない。それだけならまだいいが、そういえばストーブの周りに洗濯物が干しっぱなしだったかもしれない。もしも燃え移って火事になったら……


「いっくん!」


 ちい子はいてもたってもいられなくなって女子トイレの個室から勢いよく飛び出した。また清掃員と遭遇するのはまっぴら御免なのでダッフルコートのフードを目深にかぶってマスクをしてダッシュだ。幸い女子トイレからスーパーの出口まではテナントで入っている100円ショップと書店の前を通り過ぎるだけで近い。

 ちい子が100円ショップの前を無事に通り抜けて、さあ書店の前を通ろうと思った瞬間、なにか大きな人影とぶつかった。ちい子はその衝撃でもんどりうって床に倒れ込みそうになった。その瞬間大きな人影の主が手を差し伸べてちい子の腕をぐっと掴んだ。


「だ、大丈夫⁉︎」


 ちい子が衝撃に備えこわばらせた筋肉の緊張を解いて目を開くと、なんとそこにいたのは自分の腕を掴んで引っ張り上げようとしているエンタツだった。


「大丈夫?ケガはない?」


「え、遠藤くん……?」

 ちい子は時が止まったような感覚に襲われた。さっきまで胸の底を渦巻いていた毒っけはどこへやら、今までの14年の人生で一度も味わったことのないような鼓動が彼女の体全体を駆け巡る。

 一方、エンタツは目の前の少女の頭の先からつま先までをじっと見つめようやく彼女に気づいたようで

「ち、ちい子ちゃん⁉︎」

「シーッ!声が大きいよ!」

「ど、どうしたの……?」

「掃除のくそ……おばさんに追われているの。とりあえずここを出ないと」

 

 エンタツは予想していなかった展開に驚きながらも、とりあえずちい子には何も問わずスーパーを後にした。


 スーパーから外に出ると、遠くの方から除雪車がやってくるしゃんしゃんというタイヤチェーンの音が小刻みに聞こえた。ふと見上げるとこの季節には珍しく雲間から青空がのぞいている。入店の際に降っていた雪はいつの間にか晴れたようだ。


「すべるから気をつけてね」


 エンタツがちい子に言うと、ちい子はうんとうなずいて頬を両手でぺたぺた触った。いつの間にか頬も両手も赤々と火照っている。しばらくの無言が続いた後、雁木通りに差し掛かったあたりでエンタツが切り出した。


「ちい子ちゃん……さっきの追われているとか言う話って……なに?」

「いや……なんでもない」

「だって、すごい勢いで走ってきたからさ。何があったのかと思って」

「ちょっと掃除のおばちゃんと話しただけだよ」

「そう……それならいいんだけど」



「わたし……家こっちだから」

「うん……ぼくも帰ろうかな、コロナ怖いし」

 二人の間に再び無言が訪れる。帰宅すると宣言したもののちい子の足は石膏で固めたように硬くなり、エンタツもちい子の頭を見つめている。


「あ、あの……今日はありが」

「ヒューヒュー!お二人さん熱いね!」


ちい子とエンタツが驚いて声の方向を見ると走ってきたのは……

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